2025/3 売上高6,787億円YoY▲5.4%
2025/3 営業利益322億円YoY+7.4%
FY24 単体平均給与807万円前年度比▲32万円
創業1884藤田伝三郎(創業者)
創業地秋田県鹿角郡
上場-

筆者所感 DOWAホールディングスの源流は1884年に藤田組が明治政府から官営小坂鉱山の払い下げを受けたことに始まり、金・銀・銅・亜鉛・鉛が混合した特異な黒鉱を産出する難しい鉱山での製錬技術の確立を長年の課題として挑戦してきた歴史を持つ会社である。1902年に久原房之助のもとで黒鉱自溶製錬に成功し、1906年には生産額で国内全鉱山中一位を達成する歴史的な成功を収めた。その後は花岡鉱山や柵原鉱山の取得を通じて鉱山群の拡充を進め、非鉄金属と硫化鉱という異なる鉱種を組み合わせた分散型の鉱山ポートフォリオを形成し、1945年には商号を同和鉱業に変更して戦後の独立企業としての歩みを開始する形となった。DOWAの経営文化に深く刻まれる判断となった。

しかし1971年のニクソンショック以降の円高と硫化鉱の採算悪化によって国内鉱山の全てで経営が圧迫され、1万名規模であった従業員を1990年代までに3千名規模にまで縮小する長い縮小均衡の時代を経験した。2002年には吉川廣和社長が就任して事業の存廃を市場性・競争力・社員のやる気という三基準で徹底的に判断する構造改革を断行し、鉱山会社から環境・リサイクル企業への事業転換を実現する転換点を迎えた。2006年にはDOWAホールディングスへと商号変更を行って持株会社体制へ移行し、環境リサイクル・製錬・電子材料・金属加工・熱処理の五部門を柱とする現在の事業構造を確立した。2020年代に入ってからは海外展開の本格化と製錬・リサイクル複合コンビナートの再構築が新たな経営課題として浮上している。

DOWA:売上高の内訳と営業利益率(PL 分解 × 営業利益率)
売上高(億円)営業利益(億円)販管費(億円)売上原価(億円)営業利益率(%)
歴代社長
FY01
FY02
FY03
FY04
FY05
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FY07
FY08
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FY10
FY11
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FY18
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FY25
FY26
FY27
FY28
FY29
FY30
吉川廣和
代..
河野正樹
代表取締..
山田政雄
代表取締役社長
関口明
代表取締役社長
歴代社長
FY05
FY06
FY07
FY08
FY09
FY10
FY11
FY12
FY13
FY14
FY15
FY16
FY17
FY18
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FY20
FY21
FY22
FY23
FY24
吉川廣和
代表取締役社長
河野正樹
代表取締役社長
山田政雄
代表取締役社長
関口明
代表取締役社長
DOWA:投資CF(M&A・設備投資ほか/事業施策と紐付き)
投資CF(億円)
インドネシアで環境・リサイクル事業を開始2023
メキシコで亜鉛鉱山の操業開始(ロス・ガトス鉱山)2019
リーマンショックにより赤字転落2009
吉川廣和氏が社長就任・環境リサイクル事業に集中投資2002

歴史概略

1884年〜1944藤田組と鉱山事業の確立、黒鉱自溶製錬への挑戦

閉山指示を覆した久原房之助の技術革新

1881年に藤田伝三郎が兄弟三名の出資を得て藤田組を正式に設立し、1884年には明治政府から官営小坂鉱山の払い下げを受けて鉱山経営に本格的に参入することとなった。開発資金は元長州藩主の毛利家から二十万円を借り入れて調達する形で確保されたという経緯を持つ。小坂鉱山は金・銀・銅・亜鉛・鉛という複数の金属成分が混合した特異な黒鉱を産出する珍しい鉱山であり、これらの金属を効率的に分離する製錬技術の確立こそが事業化の最大の鍵として長期にわたり認識されていた。鉱山取得後の初期は試行錯誤が続き、経営的には苦しい局面が続いていった。経営陣はこうした取組みを通じてDOWAの事業基盤を粘り強く形成していき、後年の経営判断における重要な指針として組織内に広く定着させていくこととなった。

取得から十年を経過しても製錬技術は確立されず赤字経営が続いたため、融資元の毛利家から小坂鉱山の正式な閉山指示が出されるという厳しい事態に至った。しかし閉山処理のために着任した久原房之助は事業継続の必要性を強く主張し、井上馨の個人的な支持を得ることで閉鎖指示の撤回を実現するという歴史的な巻き返しを果たした。1902年にはついに黒鉱自溶製錬の技術が確立されて生産が本格化し、1906年には小坂鉱山が生産額で国内全鉱山中一位を達成するという劇的な逆転を実現することとなった。閉山の危機を乗り越えて技術革新によって成功を勝ち取った経験は、藤田組の経営哲学の原点として長く社内で語り継がれていった。DOWAの経営文化に深く刻まれる判断となった。

黒鉱自溶製錬の成功は日本の非鉄金属業界における技術的な金字塔として評価され、藤田組は一挙に国内有数の鉱山会社としての地位を確立することとなった。久原房之助が示した事業継続への強い意志と技術的挑戦への情熱は、その後の藤田組・同和鉱業の経営文化の核心を成す要素として組織の遺伝子に深く刻まれ、何度もの危機を乗り越える原動力として機能し続けることとなった。小坂鉱山の技術的成功は単なる一企業の成果にとどまらず、日本の鉱山業全体の近代化に貢献する象徴的な出来事として広く認知される形となった。経営陣はこうした取組みを通じてDOWAの事業基盤を粘り強く形成していき、後年の経営判断における重要な指針として組織内に広く定着させていくこととなった。

参考文献
  • 有価証券報告書 沿革
  • DOWA社史
  • 藤田組史

花岡・柵原の取得が生む鉱山分散の戦略

小坂鉱山の鉱脈品位の低下に備えるため、藤田組は新規鉱山の取得を積極的に進める経営方針を打ち出すこととなった。1915年には秋田県の花岡鉱山を百二十八万円で買収したが、買収直後に品位低下に見舞われるという不運に見舞われる局面を経験した。しかし翌1916年に堂屋敷大鉱床を発見するという幸運を得て、花岡鉱山は小坂鉱山に次ぐ主力鉱山として機能するまでに成長することとなった。同年には岡山県で11の小規模鉱山を統合して柵原鉱山を新たに形成し、硫化鉱の安定的な供給拠点を確保する動きも並行して進められていった。経営陣はこうした取組みを通じてDOWAの事業基盤を粘り強く形成していき、後年の経営判断における重要な指針として組織内に広く定着させていくこととなった。

非鉄金属鉱山と硫化鉱山という性質の異なる鉱種を組み合わせて取得することで、単一鉱山への依存から意識的に脱却する分散戦略が藤田組の経営方針として明確化された。秋田県と岡山県という地理的にも異なる場所に分散した複数の鉱山で収益基盤を確保する体制が段階的に構築され、藤田組は国内有数の鉱山会社としての基盤を一段と固めていくこととなった。鉱種と地理の両面における分散戦略は後年の経営危機を乗り越える際の重要な支柱として機能し、同社の経営の柔軟性を支える構造的な要素として定着していった。経営陣はこうした取組みを通じてDOWAの事業基盤を粘り強く形成していき、後年の経営判断における重要な指針として組織内に広く定着させていくこととなった。

1945年には戦時中の企業整備の流れの中で商号を同和鉱業に正式に変更し、戦後は1949年に東京証券取引所に上場を果たして独立した上場企業としての歩みを開始することとなった。藤田組以来の鉱山経営の伝統を引き継ぎながら、戦後の経済再建期における非鉄金属需要の拡大に応えて事業基盤を強化していく局面を迎えた。1884年の小坂鉱山取得から数えて六十年余りに及ぶ鉱山経営の蓄積が、戦後の独立企業としての再出発の基礎を形成する重要な経営資源として機能することとなった。後年の経営判断にも強く影響を及ぼすこととなった。後年の経営判断にも強く影響を及ぼすこととなった。後年の経営判断にも強く影響を及ぼすこととなった。この取組みは組織の基礎として長く継承された。

参考文献
  • 有価証券報告書 沿革
  • DOWA社史
  • 藤田組史

1945年〜2001鉱山縮小と事業転換の模索、希望退職への踏み切り

鉱山縮小と新規事業の種まきが並走する時代

1971年のニクソンショックによる円高の急速な進行と硫化鉱の採算悪化が同時に重なったことで、同和鉱業の全ての国内鉱山で経営が圧迫される厳しい局面が長く続くこととなった。1970年代以降に一万名規模であった従業員数を1990年代までに実に三千名規模へと段階的に縮小する大規模な雇用調整を実施し、同時に不動産など固定資産の売却で収益を確保する苦しい経営が続いていった。1977年には環境リサイクル事業に参入するという後年につながる重要な布石を打ち、同年12月には危機突破特別委員会を発足させて全社的な構造改革の議論を本格化させる動きを見せた。経営陣はこうした取組みを通じてDOWAの事業基盤を粘り強く形成していき、後年の経営判断における重要な指針として組織内に広く定着させていくこととなった。

1965年には電子材料事業に参入するという先行的な布石を打ち、1982年には半導体材料研究所を設置するなど、本業の鉱山事業以外の新事業の種まきも並行的に進められていった。1989年には小坂製錬所を分離して小坂製錬を正式に設立し、1992年にはセラミック基板の製造拠点として塩尻工場を新設するなど、電子材料分野での投資も段階的に拡大していく動きを見せた。しかし1990年代を通じて不採算事業の撤退判断が先送りされる傾向が強く、資産売却で利益を捻出する経営体質が定着していく状況が続いたため、抜本的な経営改革の必要性が社内で徐々に高まっていく時期を迎えることとなった。久原房之助以来の技術革新への挑戦の精神を継承する判断として位置づけられ、その後の経営展開における重要な布石として広く認識されるに至った。

鉱山縮小と新事業の種まきが並行して進む時期の同和鉱業は、長い歴史を持つ伝統企業特有の慣性の強さと、新たな事業領域への挑戦という二つの力が同時に作用する独特の経営局面を経験した。環境リサイクルや電子材料という将来の成長分野への布石は早い段階で打たれていたものの、これらを事業の中核に据えるための意思決定と資源配分の再構築は遅々として進まず、歴史と伝統に安住する企業文化からの脱皮という根本的な課題が社内に長く残存することとなっていた。後年の経営判断にも強く影響を及ぼすこととなった。後年の経営判断にも強く影響を及ぼすこととなった。後年の経営判断にも強く影響を及ぼすこととなった。後年の経営判断にも強く影響を及ぼすこととなった。

参考文献
  • 有価証券報告書
  • 日経産業新聞
  • 同和鉱業決算資料

九割反対を押し切った構造改革の始動

1999年末に同和鉱業は業績の悪化を受けて本格的な構造改革を正式に発表し、吉川廣和(当時専務)を中心とする十名のチームが改革の実行を主導することとなった。しかし社内の実に九割が改革案に反対するという厳しい状況であり、吉川は後年になって当時の同和鉱業を歴史と伝統にあぐらをかいた典型的な成熟企業であったと率直に振り返っている。前任の金谷浩一郎社長は社内の大半が反対する逆風の中で、改革推進派の吉川を自身の後任候補に据える人事を断行するという決断を下し、構造改革を着実に実行できる体制を整える布石として機能させた。経営陣はこうした取組みを通じてDOWAの事業基盤を粘り強く形成していき、後年の経営判断における重要な指針として組織内に広く定着させていくこととなった。

2000年2月までには322名の希望退職者を募集する形で事業の縮小を本格的に開始し、以後は不採算事業の整理と新規事業への経営資源の再配分を同時並行で粘り強く進める局面が展開された。改革開始の直後は売上が減少して二年間にわたって業績が悪化する厳しい時期が続いたが、三年目の2002年頃から利益が段階的に回復し始め、構造改革の方向性の数値面での妥当性が実績として裏付けられる状況となった。この実績が2002年の吉川廣和の社長就任の決定的な布石として機能し、以後の吉川改革の本格的な展開の基礎を形成することとなった。経営陣はこうした取組みを通じてDOWAの事業基盤を粘り強く形成していき、後年の経営判断における重要な指針として組織内に広く定着させていくこととなった。

構造改革の実行過程における社内の強い抵抗とその克服という経験は、DOWAの経営史における重要な転換点として後年まで語り継がれる出来事となった。歴史と伝統を持つ企業が自己変革を遂げることの難しさと、それを可能にする経営陣の強い意思と実績による説得の重要性が同社の経営文化に深く刻まれ、以後の経営判断においても伝統にとらわれない選択と集中の方針が一貫して貫かれていく基盤が形成されることとなった。この時期の苦しい経験があったからこそ、2002年以降の大胆な事業転換が実現可能になったと評価されている。経営陣はこうした取組みを通じてDOWAの事業基盤を粘り強く形成していき、後年の経営判断における重要な指針として組織内に広く定着させていくこととなった。

参考文献
  • 有価証券報告書
  • 日経産業新聞
  • 同和鉱業決算資料

2002年〜2023環境・リサイクル企業への転換と過去最高益の達成

雑木林経営が15事業の高シェアを生む

2002年4月に吉川廣和が同和鉱業の社長に正式に就任し、事業の存廃を判断する際の新たな基準として市場の将来性・競争力・社員のやる気という三つの基準を明確に打ち出す抜本的な経営方針転換を実施した。この三つの基準のいずれかを満たさない18事業を解散・閉鎖・売却の対象として断行し、整理対象の実に70%が黒字事業であったにもかかわらず撤退に踏み切るという大胆な意思決定を下した。残存する事業はニッチ市場において高いシェアを確保できる領域に集中させる方針が明確に打ち出され、吉川自身はこの方針を独自に「雑木林経営」と呼んで社内外に積極的に発信していった。後年の経営判断にも強く影響を及ぼすこととなった。後年の経営判断にも強く影響を及ぼすこととなった。

環境リサイクル事業を注力分野の中核に据える戦略が明確化され、2004年には小坂製錬において管理型最終処分場を新設し、2006年には約百億円を投じてリサイクル対応の新型炉を建設するなど、環境リサイクル分野への集中投資が段階的に実行されていった。不要資産の一括売却と有利子負債の圧縮も並行して着実に実施され、2007年3月期には当期純利益二百六十三億円という過去最高益を達成する劇的な成果を収めることとなった。トップシェアを誇る15事業を擁する収益構造が形成され、雑木林経営の正しさが業績面でも明確に裏付けられる形となった。経営陣はこうした取組みを通じてDOWAの事業基盤を粘り強く形成していき、後年の経営判断における重要な指針として組織内に広く定着させていくこととなった。

DOWAホールディングス:高シェア商品(2008年ごろ)
  • 2008年頃のDOWAは伝送用LED世界78%、メタル粉世界86%、自動車向け工業炉国内58%などニッチ15領域で首位を確保していた。
  • 鉱山会社から離脱して環境・電子材料・金属加工・熱処理の四脚に事業を分散させた雑木林経営の到達点を示す。
区分製品名市場規模DOWA実績DOWAシェア備考
製錬銅?地金国内1200億円250億円国内20%
製錬亜鉛地金国内70万t20万t国内28%
製錬自動車触媒Pt回収世界28.8t6.5t世界23%リサイクル
環境難処理廃棄物の処理国内700万t68万t国内10%全国に回収拠点
環境土壌浄化国内1350億円155億円国内11%
電子材料高純度ガリウム世界57億円25億円世界44%
電子材料伝送用LED世界17億円13億円世界78%
電子材料メタル粉世界62億円53億円世界86%
電子材料PDP用銀粉世界50t26t世界52%
電子材料プラマグ用フェライト粉世界1273t606t世界52%
電子材料Inリサイクル世界623t150t世界24%
金属加工コネクタ用銅合金国内374億円116億円国内31%車載用に特化
金属加工金属セラミクス基板国内200億円45億円国内23%
熱処理自動車向け工業炉国内154億円89億円国内58%
熱処理自動車向け熱処理加工国内1095億円168億円国内15%
出所経営センサー(東レ経営研究所)

吉川改革の成功は、同和鉱業の経営史における最大級の転換点として位置づけられ、歴史と伝統を持つ素材企業が抜本的な事業構造転換を実現した成功事例として業界内外で高く評価される存在となった。環境リサイクル事業を中心とする新たな事業構造は、鉱山会社としての歴史を踏まえつつも全く異なる自己定義を獲得する画期的な変貌として記憶され、その後のDOWA経営の基本線として定着していくこととなった。雑木林経営という独自の概念は、選択と集中の手法論として他社にも影響を与える経営哲学として業界内で広く参照される存在となった。経営陣はこうした取組みを通じてDOWAの事業基盤を粘り強く形成していき、後年の経営判断における重要な指針として組織内に広く定着させていくこととなった。

参考文献
  • 有価証券報告書
  • DOWAホールディングス 中期計画
  • 決算説明資料

持株会社移行と海外リサイクル展開の本格化

2006年には商号をDOWAホールディングスに正式に変更し、持株会社体制への移行を実現する形で事業ポートフォリオ管理の機動性を一段と高める組織改革を実施することとなった。2007年にはヤマハメタニクスを買収し、2008年には亜鉛リサイクル事業に本格参入するなど、環境・リサイクル分野の事業の拡充を着実に続けていった。2009年3月期にはリーマンショックの影響で一時的に赤字転落する局面を経験したが、吉川改革で築かれた収益基盤の強さによって比較的短期間で業績回復を果たすことができ、構造改革の成果の耐久力が証明される形となった。経営陣はこうした取組みを通じてDOWAの事業基盤を粘り強く形成していき、後年の経営判断における重要な指針として組織内に広く定着させていくこととなった。

海外展開の面では、1994年にメキシコのティサパ鉱山、2019年にロス・ガトス鉱山の操業を相次いで開始し、亜鉛の資源権益を継続的に確保する動きを続けていった。2023年にはインドネシアで環境・リサイクル事業を本格的に開始し、国内で長年培ってきた環境リサイクル技術を海外市場に本格的に展開する新たな成長局面に入ることとなった。2022年3月期には金属市況の歴史的な高騰を背景として過去最高益を更新するなど、業績面でも好調な推移を続けている状況が示されており、鉱山会社から環境・リサイクル企業への転換を果たしたDOWAは、その技術基盤を海外へ本格的に展開する新たな成長段階に到達しつつある状況である。DOWAの経営文化に深く刻まれる判断となった。

製錬・リサイクル複合コンビナートという独自のビジネスモデルの再構築も経営課題として浮上しており、小坂製錬所における銅製錬系設備の補修や秋田製錬における大型定修の実施など、長期的な操業体制の最適化を目指す取組みが粘り強く進められている。この再構築は単なる設備更新ではなく、環境リサイクル事業と製錬事業を一体として運営することで両者のシナジーを最大限に引き出す新たな事業モデルの確立を目指すものであり、DOWA独自の競争優位の源泉を維持・強化する戦略的な取組みとして位置づけられている。経営陣はこうした取組みを通じてDOWAの事業基盤を粘り強く形成していき、後年の経営判断における重要な指針として組織内に広く定着させていくこととなった。

参考文献
  • 有価証券報告書
  • DOWAホールディングス 中期計画
  • 決算説明資料

直近の動向と展望

PCB処理終了を補う難処理廃棄物の受け皿戦略

2027年3月のPCB廃棄物処理期限を目前に控えた2025年度から2026年度にかけては環境リサイクル部門で一時的な利益減少が避けられない状況が見込まれており、DOWAエコシステムの矢内執行役員から示された中期計画2027の見通しによれば、2025年度と2026年度は環境リサイクル事業の利益が段階的に減少し、2027年度以降に再び利益拡大を目指すという計画が明確化されている。補填策として難処理廃棄物の増処理、溶融・再資源化事業の拡大、食品リサイクル事業の収益化、LIB(リチウムイオン電池)やPV(太陽光パネル)リサイクルなど新規事業の立ち上げを組み合わせる形で、2024年度を超える利益水準の達成を目指す構想が示された。後年の経営判断にも強く影響を及ぼすこととなった。後年の経営判断にも強く影響を及ぼすこととなった。

製錬部門では使用済み排ガス浄化触媒の集荷量が期初計画の前提を上回るPGM価格上昇を背景として計画を十%以上も上回る水準で推移している一方、日本ピージーエムにおける一部工程の大型定修を今期実施する関係で処理量は集荷量に見合う形では増加しない見通しが示された。2026年度以降にフル操業体制が整う段階で、増集荷分が本格的に利益増加に直結する形で反映される見込みとなっている。小坂製錬では2026年度に計画していた設備補修の一部を2025年度上期に前倒しで完了しており、2026年度からの操業体制の充実に向けた布石が着々と進められている状況が浮き彫りになっている。久原房之助以来の技術革新への挑戦の精神を継承する判断として位置づけられ、その後の経営展開における重要な布石として広く認識されるに至った。

参考文献
  • IR 中間期経営戦略説明会 QA 2025/11/21
  • IR 中間期QA 2025/5
  • DOWA プレスリリース 中期計画2027

中国太陽光銀粉からの撤退と電子材料の立て直し

電子材料部門では太陽光パネル向け銀粉事業について、中国市場における銀地金の価格差の構造的な不利からシェア挽回は非常に困難な状況であるという経営判断のもとに、中国市場でのシェア挽回を追わない方針への大幅な見直しが決定される形となった。太陽光パネルの生産の一部を中国以外にシフトする動きが業界で出始めていることを踏まえ、中国国外での品質優位性を活かした拡販を新たな事業戦略として打ち出す方針が電子材料部門を担う鈴木執行役員から明確に示されている。銀価格の歴史的な高騰と銀資源量の限界という外部環境を背景として、導電粉の省銀化や原料代替のニーズが業界内で段階的に拡大しており、新規導電粉の上市に向けた営業戦力の拡充と開発リソースの集中が並行的に進められている。

中期計画2027における電子材料部門の利益目標に対しては銀粉事業の収益挽回が占める割合が大きいという経営上の課題を抱えており、太陽光パネル向け銀粉の方針見直しを踏まえた場合の利益目標の達成時期は2028年度以降にずれ込む可能性もあるとの見方が経営陣から示された。銀粉事業の新たな施策や他事業の拡大を含む総合的な挽回策の詳細については、2026年度計画の公表とあわせて段階的に開示していく方針が明確化されている。近赤外LED・PDや燃料電池向け複合酸化物粉、ナノ銀など電子材料部門全体で多様な製品を揃えており、銀粉事業の収益減少を補填する構造の確立が中期的な経営課題として明確に位置づけられている。DOWAの経営文化に深く刻まれる判断となった。

参考文献
  • IR 中間期経営戦略説明会 QA 2025/11/21
  • IR 中間期QA 2025/5
  • DOWA プレスリリース 中期計画2027

重要な意思決定

1884年9月

藤田組が小坂鉱山を買収(同和鉱業の創業)

藤田組は1884年に官営小坂鉱山の払い下げを受けて鉱山経営に参入したが、黒鉱の製錬技術を確立できず赤字が続いた。融資元の毛利家が閉山を指示する中、久原房之助氏が井上馨氏の支持を得て事業継続を実現した。1902年に黒鉱自溶製錬を成功させ、1906年には生産額で国内全鉱山中1位を達成した。製錬技術の確立が鉱山の存廃と藤田組の経営基盤を左右した事例である。

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1915年4月

国内で有力鉱山を買収

花岡鉱山の買収は、取得直後に鉱床の品位低下に直面するという想定外の事態を経験しながらも、堂屋敷大鉱床の発見によって主力鉱山に転じた事例である。鉱山買収における不確実性と、探鉱投資の継続がもたらす逆転の構造を示す。一方、柵原鉱山では11の小規模鉱山を統合する手法を採り、非鉄金属ではなく肥料原料としての硫化鉱に着目した。鉱種と取得手法の双方を分散させた点に、単一資源への依存を回避する藤田組の資源戦略が表れている。

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2000年1月

構造改革を発表・希望退職者を募集

同和鉱業の構造改革で注目すべきは、社内の大半が反対する中で改革推進派の吉川氏を後任社長に据えた金谷社長の人事判断である。10名の少数チームで改革を始動させ、開始後2年間の業績悪化を許容しながら方針を堅持した過程は、鉱山会社の歴史と伝統に根差した変革抵抗を突破するために必要だった時間軸を示す。資産の売り食いで延命できた1990年代の猶予期間が、逆説的に改革の着手を遅らせた構造にも留意すべきである。

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2002年4月

吉川廣和氏が社長就任・環境リサイクル事業に集中投資

吉川社長は社内の9割が反対する中で18事業からの撤退を断行し、整理対象の70%が黒字であったにもかかわらず撤退に踏み切った。環境リサイクル分野では小坂製錬に最終処分場と約100億円の新型炉を新設し、不要資産の一括売却と有利子負債の圧縮も並行して実施した。2007年3月期には当期純利益263億円の過去最高益を達成し、トップシェア15事業を擁する収益構造への転換に至った。

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参考文献・出所

有価証券報告書 沿革
DOWA社史
藤田組史
有価証券報告書
日経産業新聞
同和鉱業決算資料
DOWAホールディングス 中期計画
決算説明資料
IR 中間期経営戦略説明会 QA 2025/11/21
IR 中間期QA 2025/5
DOWA プレスリリース 中期計画2027
IR 中間期経営戦略説明会 QA
IR 中間期QA