創業地大阪府
創業年1969
上場年1984
創業者上月景正

独立系・個人創業職人・家業・小売からの出発1969年、上月景正が大阪でジュークボックスの修理・レンタル業を創業した。修理で培った電子機器の技術を1973年設立のコナミ工業でアミューズメント機器の製造へ転じ、1981年に「スクランブル」「フロッガー」で北米アーケード市場のヒットメーカーとなった。ある事業で蓄えた技術を、規制も顧客も異なる別の市場へ移して使う。この後も家庭用ゲーム、カジノ筐体へと同じ手で踏み込んでいく。

業態転換・収益モデルの転換技術・ブランドによる差別化/多角化その手で稼ぎ方を組み替えたのが、2010年代前半のモバイルシフトだった。2012年に創業者の子息・上月拓也が社長に就き、「実況パワフルプロ野球」や「遊戯王」など家庭用で名を上げたシリーズを、基本無料・アイテム課金のモバイルへ投入した。一括で売り切る家庭用と違い、課金は継続して入る。連結売上はFY13に2,175億円まで縮んだが、デジタル事業の利益はFY14の169億円からFY18に438億円へ伸び、売上が減っても利益が増える形になった。

決断の理由 — クリティカルな歴史の転換点を読み解く

Q なぜ1969年にジュークボックスの修理業から始まったコナミが、アーケードからカジノまで業態を変え続けられたのか
A ジュークボックスの修理で身につけた電子機器の技術は、製品の中身として組み替えれば規制も顧客も違う市場へそのまま持ち込めた。ある事業で蓄えた技術を別の市場で再利用できたから、業態を渡り歩いて稼ぎ口を増やせた。上月景正氏は1969年に大阪で修理・レンタル業を始め、1973年設立のコナミ工業でアミューズメント機器の製造へ転じ、1981年に「スクランブル」「フロッガー」で北米アーケード市場のヒットメーカーとなった。1997年には同じ技術を米国ネバダ州ラスベガスのカジノ向けゲーミング機器へ移し、新しい規制市場で再び使った
Q なぜ2010年代前半に、稼ぎ頭だった家庭用ゲームからモバイルへ収益構造を組み替えたのか
A 一括で売り切る家庭用ソフトと違い、基本無料・アイテム課金のモバイルゲームは遊び続ける利用者から継続して課金が入るため、ヒットすれば利益率が家庭用を上回る。スマートフォンの普及でその市場が伸びるなか、家庭用で知名度を固めたシリーズを使えば新規の顧客獲得費を抑えて課金収益を伸ばせた。2012年に創業者の子息・上月拓也氏が社長に就き、「実況パワフルプロ野球」や「遊戯王」などの人気作をモバイルへ投入した。連結売上は縮んでもデジタルエンタテインメント事業の利益は伸び、売上が減って利益が増える構造に変わった。
Q なぜ2020年前後にデジタルへ経営資源を寄せ、開発拠点を3か所に分ける体制を組んだのか
A 施設を持たないデジタル事業は休業や営業制限の影響を受けにくく、コロナ禍の巣ごもり需要でモバイルと家庭用の課金・販売がともに伸びた一方、施設に頼るスポーツ事業やカジノ向けゲーミング事業は赤字に沈み、収益耐性の差がはっきりした。利益の源泉が定まれば、そこへ人と拠点を厚く配るほうが合理的である。2019年12月の銀座に続き、2022年からGINZA SIXのコナミ東京スタジオ、有明、大阪梅田へ開発者を分け、複数タイトルを並行して開発する布陣を整えた。デジタルエンタテインメント事業の事業利益は793億円と過去最高を更新した

歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く

1969年〜2006年 アーケードから家庭用ゲームへ、IPで世界市場を開拓した創業期

売上高と利益率の推移
売上高(億円)

ジュークボックス修理業から生まれたゲームメーカー

1969年3月、上月景正は大阪でジュークボックスの修理・レンタル業を創業した。修理業で培った電子機器の技術を活かし、1973年にコナミ工業株式会社を設立してアミューズメント機器の製造を始めた。1970年代後半からアーケードゲームの開発に参入し、1981年に「スクランブル」「フロッガー」が北米市場でヒットしてアーケードゲームメーカーとしての国際的知名度を得た。1982年に米国現地法人Konami of Americaを設立し、1984年には英国とドイツにも拠点を置いて海外での営業体制を敷いた。創業から10年余りで北米市場の足場を築き、国内のアミューズメント機器メーカーから輸出型の開発企業へと転換した[1][2][3][4][5][6]

1984年に大阪証券取引所新二部に上場し、1988年には東京・大阪証券取引所の第一部に指定された。上場と並行してファミリーコンピュータ向けタイトルの開発を加速させ、1985年の「グラディウス」を皮切りに「悪魔城ドラキュラ」(1986年)、「がんばれゴエモン」「魂斗羅」とヒットシリーズを送り出した[10]。アーケードで培った開発力を家庭用ゲーム機に転用し、任天堂プラットフォーム上のサードパーティーとしての地位を固めた。上場で得た資金は開発投資に回り、1980年代後半に蓄積した知的財産群が後のプラットフォーム転換を支える資産になった。家庭用ゲーム市場での成功で、コナミの収益基盤はアーケード単体からマルチプラットフォームへと広がった[7][8][9]

「メタルギアソリッド」700万本超とPS世代のIP国際化

1990年代、コナミはPlayStationプラットフォームへの対応で売上規模を伸ばした。1995年前後に「実況パワフルプロ野球」「ウイニングイレブン」を投入してスポーツゲーム分野での地位を固め、1998年1月に発売した「メタルギアソリッド」は小島秀夫監督のもと世界累計販売700万本を超えるヒットとなった。映画的な演出とステルスアクションの融合はゲーム表現の幅を広げ、コナミの名を世界に知らしめた。PlayStationの普及と自社タイトルの国際化が重なり、海外売上比率が上向く転換点となった。スポーツゲームとアクションゲームの双方でシリーズを持つ陣容が、家庭用ゲーム事業の収益の安定性を高めた[11][12][13]

1991年にコナミ工業からコナミに商号変更し、「工業」の枠を超えたエンタテインメント企業への転身を示した。1993年には本社を大阪から東京都港区に移し、情報発信と人材採用の拠点を首都圏に置いた[15]。1997年には米国ネバダ州ラスベガスにKonami Gaming, Inc.を設立し、カジノ向けゲーミング機器事業に参入した。アーケード技術をカジノ機器に転用する発想は、コナミが既存技術を新しい規制市場で再利用する手筋の一例である。ゲーミング&システム事業は後にグループの安定収益源へと育ち、北米カジノ市場でのシェア拡大によりデジタルエンタテインメント以外で利益を支える柱となった[14][16]

フィットネスとカジノ ── 異質3事業を同時に抱えた多角化

1990年代後半から2000年代初頭にかけて、コナミは事業の多角化に動いた。1999年にロンドン証券取引所、2002年にニューヨーク証券取引所へ上場し、海外資本市場でのアクセスを広げた。2001年2月にはフィットネスクラブ大手のピープル(現コナミスポーツ)を友好的TOBで子会社化し、デジタル以外の事業領域へ踏み込んだ。同年8月にはハドソンに資本参加し、「桃太郎電鉄」等のゲームタイトルを自社の知的財産として取り込んだ。海外上場による資金調達とM&Aを組み合わせて事業の幅を広げた時期で、ゲーム・フィットネス・カジノという性格の違う3領域に同時に足場を構え、収益源を分散させる狙いを持った[17][18][19][20]

2005年にラスベガスでゲーミング機器の新社屋を完成させ、カジノ向け筐体の開発と製造の拠点を北米に持った。2006年3月にはデジタルエンタテインメント事業を会社分割してコナミデジタルエンタテインメントを設立し、コナミ本体は純粋持株会社に移行した。事業別子会社体制の導入は、ゲーム・スポーツ・ゲーミングという性格の違う事業を独立に管理し、経営判断の速度を高める狙いがあった。持株会社化によって各事業の損益が個別に見え、資源配分の意思決定も透けて見えた。この分社化は後にモバイルシフトへ動く際の組織の柔軟性も支えた[21][22]

2007年〜2020年 モバイルシフトで利益構造を転換、収益の軸を組み替えた再編期

売上高と利益率の推移
売上高(億円)

売上は減り利益は増えた ── F2Pモデルへの組み替え

2010年代前半、コナミは収益の軸を家庭用ゲームからモバイルゲームへ移す組み替えに動いた。スマートフォンの普及に伴い、基本無料・アイテム課金(F2P)モデルのモバイルゲームが伸びていた。コナミは「実況パワフルプロ野球」や「遊戯王 デュエルリンクス」など、既存の人気タイトルをモバイル向けに投入した。パッケージ販売の一括収益と違い、F2Pモデルは継続的な課金収入を生むため、ヒットタイトルの利益率は家庭用ゲームを上回った。家庭用ゲームで知名度を固めたシリーズをモバイル市場へ投入する戦略が利益構造の組み替えを支え、新規の顧客獲得コストを抑えつつ課金収益を伸ばす循環を生んだ。

2012年6月に創業者の子息である上月拓也が代表取締役社長に就任し、モバイルシフトの陣頭指揮を執った。同年3月にはハドソンを吸収合併して「桃太郎電鉄」などゲームタイトルを集約した[24]。2015年10月にコナミホールディングスへ商号変更し、持株会社としての位置づけを示した。デジタルエンタテインメント事業のセグメント利益はFY14の169億円からFY18には438億円へと2.6倍に伸びた。連結売上高はFY07の2974億円からFY13に2175億円まで縮んだ後、FY18に2625億円まで戻した。売上高が縮んでも利益は伸びる構造が生まれ、モバイルへの移行は収益のかたちそのものを変えた。家庭用ゲームの開発資源をモバイルに振り向けた判断が、利益率の改善として数字に表れた[23][25]

健康サービスの慢性赤字とゲーミングの北米シェア固定化

フィットネスクラブを主体とする健康サービス(後のスポーツ)事業は、多角化の柱として期待されたが、収益面では厳しい推移が続いた。FY08に健康サービス事業は売上高897億円・事業損失82億円を計上し、FY10でも25億円の赤字だった。施設運営型ビジネスは賃料や人件費など固定費が重く、利用者数の変動で収益が振れやすい。FY11にようやく28億円の黒字に転じ、FY16で42億円の利益を計上したが、デジタルエンタテインメント事業の利益率には遠く及ばなかった。施設型事業の収益改善には設備の更新と会員獲得の両面で時間を要し、グループ全体の利益成長への寄与は限られた。

対するゲーミング&システム事業は北米カジノ市場を中心に安定した収益を保った。FY07に27億円、FY11に66億円の事業利益を計上し、2015年にラスベガスで第2工場を完成させて生産能力を引き上げた。カジノ向け筐体はライセンス規制が参入障壁となるため、いったんシェアを取ると競合の参入が起きにくい。デジタルエンタテインメント・スポーツ・ゲーミングの3事業は収益特性が異なり、モバイルゲームの高い利益率、スポーツ事業の低い利益率、ゲーミングの安定収益という組み合わせがコナミの事業ポートフォリオを形づくった。利益の源泉がデジタルエンタテインメントに集中するなかで、ゲーミングは景気変動の緩衝材になった[26]

銀座への開発拠点集約とeスポーツ施設併設の意味

2013年に東京都中央区銀座の用地を取得し、2019年12月に「コナミクリエイティブセンター銀座」が稼働した[27]。この施設にはゲーム開発スタジオとeスポーツ専用施設「esports銀座studio」が併設され、コンテンツ制作とeスポーツの拠点を一体化した。従来コナミの開発拠点は神戸テクニカルセンターや東京テクニカルセンター(座間)に散らばっており、チーム間の連携や意思決定に物理的な距離が障害となっていた。銀座への集約によって開発者間の連携と採用力を高め、都心の立地は外部のクリエイターや取引先との協業にも有利に働いた。拠点の統合は開発効率の改善と優秀な人材の確保という二つの課題に同時に向き合う施策だった[28]

2020年1月にはNPB(日本野球機構)と共催で「eBASEBALLプロリーグ」のeクライマックスシリーズ・e日本シリーズを開催し、eスポーツ事業への本格参入を示した。2020年4月に非創業家出身の東尾公彦が社長に就任し、既存の枠にとらわれず挑戦するとの方針を打ち出し、ゲームセンターをeスポーツセンターへと再定義する構想を語った[31]。既存のアミューズメント施設をeスポーツ拠点に組み替える構想は、店舗型ビジネスの収益性低下への解答の一つであり、自社タイトルを使った大会運営で施設の集客力を高める戦略といえる。アミューズメント施設の来場者数が減りつづけるなかで、eスポーツ大会の開催は新たな来場動機を作り出す試みだった[29][30]

2021年〜2025年 デジタルエンタテインメントが利益を牽引、過去最高益を更新した拡大期

売上高と利益率の推移
売上高(億円)

コロナ禍でなったデジタル収益の優位性

2020年のコロナ禍はコナミの事業別に明暗を分けた。スポーツ事業はフィットネスクラブの休業で58億円の赤字に転落し、ゲーミング&システム事業もカジノ施設の営業制限で20億円の赤字を計上した。一方でデジタルエンタテインメント事業は巣ごもり需要のもと売上高2035億円・事業利益734億円と伸び、連結全体では売上高2726億円・当期純利益322億円と増益を達成した。在宅時間の増加がモバイルゲームと家庭用ゲームの双方で課金と販売を押し上げ、デジタルコンテンツの利益貢献度が明らかになった。施設を要らないデジタル事業と、施設の稼働に頼るスポーツ事業やゲーミング事業との間で、収益耐性の差が浮き彫りになった。

FY21にはデジタルエンタテインメント事業が売上高2143億円・事業利益764億円を記録し、ゲーミング&システム事業も34億円の黒字に戻った。スポーツ事業は7億円の小幅黒字にとどまり、フィットネスクラブの利用者数の回復は緩やかだった。連結当期純利益は548億円に達した。デジタルエンタテインメント事業は連結売上高の7割超、利益の9割超を占める構造が定着し、コナミはデジタルコンテンツ企業としての性格を強めた。コロナ禍は事業ポートフォリオ内の収益力格差を浮き彫りにし、デジタル事業への経営資源の集中を一段押し進めるきっかけとなり、施設型事業の比重を相対的に下げた。

FY24 ── 売上高4216億円と過去最高益の達成

FY23(2024年3月期)の連結売上高は3603億円、当期純利益は591億円を記録した。デジタルエンタテインメント事業は売上高2484億円・事業利益793億円と成長を続け、ゲーミング&システム事業は売上高396億円・事業利益62億円と北米カジノ市場の回復を反映した。スポーツ事業は売上高473億円・事業利益23億円と安定した黒字を保った。FY24(2025年3月期)には連結売上高4216億円、当期純利益746億円に達し、創業以来の最高業績を塗り替えた。モバイルゲームの運用収益が安定した基盤となり、家庭用ゲームのタイトルが上乗せする構造が最高益を支えた。3事業すべてが黒字を確保し、事業ポートフォリオとしての安定性も高まった。

デジタルエンタテインメント事業の事業利益882億円はFY13(117億円)の7.5倍に達し、モバイルシフト以降の利益成長を示している。「遊戯王」「実況パワフルプロ野球」「eFootball」「プロ野球スピリッツ」といった長寿シリーズが継続課金を生む構造であり、新作の開発コストを既存タイトルの運用収益で賄うビジネスモデルが定着した。1つの知的財産をモバイル・家庭用・eスポーツ・カードゲームなど複数の媒体で収益化する手法が利益成長の原動力である。シリーズの認知度が高いほどモバイルでの課金転換率も高く、知的財産の蓄積が直接的に収益へ結びつく仕組みになっており、新規シリーズへの依存度を下げている。

自己資本比率7割超で支える3拠点同時開発体制

2022年5月にGINZA SIXにコナミ東京スタジオを開設し、同年7月にコナミホールディングスからコナミグループへ商号を変えた[32]。商号変更は持株会社としての機能に加えグループ全体のブランドを揃える意図を反映している。2022年10月には東京都江東区有明に「コナミクリエイティブフロント東京ベイ」の建設へ着工し、2023年3月には大阪梅田にコナミ大阪スタジオを開設した[34]。銀座・有明・大阪の3拠点体制で開発力を厚くし、2025年6月にはコナミアーケードゲームスを設立してアミューズメント事業の組み直しを進めている。開発者の増員と拠点の分散によって、複数タイトルの同時開発に耐える布陣となった[33][35][36]

コナミグループの総資産はFY24に6650億円、自己資本は4818億円に達し、有利子負債598億円に対して潤沢な財務基盤を持つ。自己資本比率は7割を超え、まとまった開発投資や企業買収に機動的に動ける余力がある。デジタルエンタテインメント事業が利益の大半を稼ぎ、ゲーミング&システム事業は北米カジノ市場で安定した収益を上げ、スポーツ事業がポートフォリオに厚みを与えている。持株会社体制のもとで各事業の自律性を保ちつつ、知的財産の共有と開発資源の配分を本社が束ねる構造が、多角化企業としてのコナミグループの経営基盤である。ジュークボックスの修理業から始まった企業は、半世紀を超える事業転換の末、知的財産の創出と運用を核とする総合エンタテインメント企業へ転じた。

出典

日本経済新聞 2020年 日本経済新聞社 2020年
日本経済新聞 日本経済新聞社 2020年01月30日 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55051880Q0A130C2X30000/

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