創業者の上月景正氏は1969年3月、大阪府豊中市で個人経営の「コナミ工業」を興し、ジュークボックスなどの電子応用製品を作って売った。上月景正氏は音響機器メーカーから独立した人物で、初めは他社の下請けをこなすうちにコンピュータへの関心を深めた。ハードは巨額の資本を要する大企業の領分だと見て、ソフトに絞る方針を固め、昼は工場と経理を見ながら夜にソフトを学んだ。社名は、上月景正氏と創業を支えた若手3人の頭文字を並べて付けた。1973年3月には資本金100万円で法人に改め、コナミ工業株式会社を設立した。下請けで他社の機械に触れた経験が、付加価値がどこに残るかを見きわめる材料になったとみられる。
コナミ工業は1978年1月、ゲームセンター向けのビデオゲーム機の製造販売に参入した。国内ではソフトの権利を守る法制度が整わず、発売後まもなく複製品が出回ったため、上月景正社長は著作権保護の固まった米国に目を向けた。上月景正社長は見本を携えて米国各地を回り、シカゴのスタン・エレクトロニクスが権利を買い取ったことが米国進出の足場になった。以後、大手からのOEM供給の求めをできるだけ断り、「コナミ」の名で売る方針を通した。1984年時点で製品の約55%が輸出に回り、そのうち約70%を米国向けが占めた。国内では複製の被害が続き、1983年2月期の売上高は43億円と前期の81億円から減少した。自社の名で売る方針は、複製と争う場面で権利の持ち主を示す意味も帯びたと推察される。
海外で名が通ると、コナミ工業は販売を現地法人へ移した。1982年11月に米国ロサンゼルスでKonami, Inc.を設け、1984年10月に取引の中心であるシカゴへ移した。1984年6月にロンドンでKonami Ltd.、同年12月にフランクフルトでKonami GmbHを設け、欧州市場を二分して担わせた。国内の販売は、1982年6月に買収した日本遊園(現コナミ株式会社)に一手に任せた。1984年1月には兵庫県企画部長だった菱川文博氏を会長に迎え、同年10月に大阪証券取引所の新2部へ上場した。菱川文博会長は上場の狙いとして、優秀な学生の採用、社員の意欲、金利のかからない資金の3点を挙げた。工場を持たず研究所だけで稼ぐ会社にとって、上場は資金よりも人材を確保する手段だった。
コナミ工業は1984年12月、任天堂と「ファミリーコンピュータ」用カートリッジの製造販売契約を結び、1985年4月から出荷した。国内のゲームセンターは1981年ごろの5万3,000軒から2万4,000軒へ減り、1985年2月施行の改正風営法で営業時間も縮んでいた。家庭用には業務用で評判を得た作品を選び、プログラムを組み直して出したため、ヒットが比較的安定して続いた。菱川文博会長は1986年2月の講演で、ファミコン用ソフトのシェアを約10%、MSX用を40%以上とみていた。1987年2月期の売上高19,014百万円のうち、ファミコン用は13,516百万円で71.1%を占め、業務用は17.1%に下がった。ゲームセンターで客の反応を確かめた作品を家庭用へ移植する手順が、開発費の回収先を一つ増やした。
上月景正氏は1987年6月に社長を退任して会長となり、会長だった菱川文博氏が社長に就任した。上月景正氏は当時46歳で、のちに40代で上場企業の社長を務めることに気後れし、60代の菱川文博氏に譲ったと振り返った。社員の多くが若く上場会社の役員に見合う人材を欠いたため、コナミ工業は上場の準備に入った時点から、大企業や金融機関の出身者を採り続けた。社員の平均年齢は27歳で、菱川文博社長は東証一部に上場して基盤が固まれば、社長職を上月景正会長へ返すと明言した。コナミ工業は1988年2月に東京証券取引所第2部へ上場し、同年8月には東証・大証の第1部へ指定替えとなった。会社の顔を外部の年長者に託す判断は、ゲーム会社への世間の目を気にしたものでもあった。
1992年5月、上月景正会長は大和銀行出身の西村靖雄氏を社長に据えた。1990年2月期は輸出が売上高の80.0%を占め、売上の大半が任天堂向けのソフトだった。西村靖雄社長はこの偏りを改めるため、1992年からパチンコ台の画像ICと娯楽施設の運営へ事業を広げた。その裏で本社は売上計画を優先し、米国の販売子会社へ商品を押し込んで帳簿上の利益を立てていた。上月景正会長は1994年6月に会長のまま社長へ戻り、1995年3月期に海外在庫の引当金105億円を積んで、160億円の最終赤字を出した。復帰後は社員3人に1台の割合でパソコン350台を入れ、電子メールで毎日指示を出す体制に改めた。創業者と外部の社長が互いに相手へ任せたつもりでいた7年間が、在庫の実態を見えにくくしたと考えられる。
上月景正社長は1995年4月、開発部門を切り分けて家庭用ソフトの制作子会社を相次いで設けた。大阪開発センターの145人を移したKCE大阪が任天堂向け、200人のKCE東京がソニーとセガ向けを受け持った。子会社では終身雇用型の給与や就業規則から離れ、成果に応じて報酬を払い、開発者の流出を防ぐ仕組みにした。家庭用ソフトの売上高は、1995年3月期の134億円から1996年3月期には190億円超へ増える見通しとなった。KCE大阪は1998年に「パワフルプロ野球」シリーズをプレイステーションなど3機種へ出し、共通の基本設計を機種ごとに移した。2001年3月期のトップメッセージは、海外で評価の高い自社作品に「メタルギアソリッド」を挙げた。開発を機種と分野で分けたことが、自社シリーズを複数の機種へ出す体制の下地になった。
1997年発売の音楽ゲーム「ビートマニア」は、家庭用に客を奪われていた業務用で久しぶりのヒットになった。1999年6月、コナミはジャレコの「VJ」が特許を侵すとして差し止めの仮処分を申請し、7月にはナムコの店にも撤去を求めた。上月景正社長は、知的所有権の重視こそ業界のルールだという立場を示した。社内では1995年10月に管理職へ年俸制を入れ、1999年6月には部門と全社の業績から報酬を算出する制度に移した。計算式どおりに払った結果、年俸が1億円を超える役員も出た。1999年2月には、「週刊少年ジャンプ」連載の漫画を商品化した「遊戯王オフィシャルカードゲーム」を発売した。当てた作品の権利を守り、漫画の権利を紙のカードへ運ぶ動きは、どちらも作品を資産として扱う発想から出ていた。
2000年8月、コナミは健康に娯楽の要素を加えた商品で女性とシニア層を取り込むため、ヘルスエンタテインメント事業本部を設けた。2001年2月には、その事業を一気に立ち上げるため、スポーツクラブ最大手ピープルの株式54.64%を公開買付けで取得した。ピープル(現コナミスポーツ)はフランチャイズを含め約150店舗を運営していた。2001年8月にはゲームソフト制作のハドソンに45.5%を出資し、のちに持分を54.0%へ高めて連結子会社にした。2006年3月31日、コナミは純粋持株会社へ移り、デジタルエンタテインメントなど3事業を事業会社に委ねた。移行の理由には、変化の激しい市場へ機動的に応じる体制が要ることを挙げた。若者向けのゲームから健康へ客層を広げた買収は、少子化で細る主力市場への備えでもあった。
2007年4月、コナミは東京都内の各所に分けていたグループの拠点を、港区六本木の東京ミッドタウンに集めた。拠点の集約は、1992年の東京本社開設以来初めてだった。移転先は、防衛庁の跡地を再開発して2007年3月に開業したばかりの六本木の複合施設だった。前年の2006年3月に純粋持株会社へ移り、ゲーム・スポーツクラブ・カジノ機器の3事業を傘下の会社に分けていた。会長兼社長の上月景正氏は、集約の狙いを業務の効率化とグループの一体化に置き、『拠点の集約は、内部統制をより強化するほか、グループ会社間ならびに社員間のコミュニケーションを深め、今まで以上に優れたグループシナジーを生みだす原動力になると期待しています。』と期待を示した。2009年には、意思疎通や内部統制に効果が出たうえ、グループの規模と信用度を社外に示せたと振り返った。分社で離れた会社どうしを同じ建物に入れ、距離を縮める策だったと考えられる。
2009年3月期、コナミの連結売上高は3,097億円となり、初めて3,000億円を超えた。牽引したデジタルエンタテインメント事業の売上高は、前期比4.9%増の1,876億円だった。健康サービス事業も売上高を899億円に伸ばしたが、営業損益は82億7千万円の損失となった。金融危機で個人消費が冷え、スポーツクラブ業界は会員の獲得に苦しんでいた。コナミは同事業に構造改革費用111億2千1百万円を計上し、うち18億5千7百万円は商標の減損だった。上月景正社長は『この逆境の中で経営のクオリティを高めることが、より経営を強化する好機と捉えたいと考えております。』とし、2010年3月期に売上高3,100億円・営業利益300億円を見込んだ。実際の2010年3月期は、売上高2,621億円・営業利益187億円にとどまった。
2011年3月期、コナミのデジタルエンタテインメント事業は、事業内容の筆頭にソーシャルゲームを掲げた。2010年9月にGREE向けのカードゲーム「ドラゴンコレクション」の配信を始め、2011年3月末に会員数は200万人を超えた。続く「戦国コレクション」も配信から約3か月で会員数100万人に達し、配信後も機能の改修を重ねた。このとき上月景正社長は株主への挨拶で、『また、将来の持続的成長を遂げるためにも、経営資源を確実性の高い分野に投入し、企業価値の最大化に繋げていくことが重要であると考えます。』と記した。ソーシャルコンテンツの累計登録者数は2012年3月末に2,000万人を超え、4タイトルがGREEの賞を受けた。パッケージを売り切らず、配信を続けながら会員から回収する方式が、確実性の高い分野という判断にかなったと思われる。
コナミは2011年4月1日、連結子会社だったハドソンを株式交換で完全子会社にした。同年1月20日の取締役会で決めた交換で、ハドソン株1株にコナミ株0.188株を割り当て、自己株式2,491千株をあてた。ハドソンには2001年8月に資本参加して関連会社としており、10年近くを経て全株を握った。同じ2011年1月には、アビリット(のちのコナミアミューズメント)も株式交換で完全子会社にしていた。翌2012年3月には、事業会社のコナミデジタルエンタテインメントがハドソンを吸収合併し、法人としてのハドソンは消えた。ゲーム会社を別法人のまま抱えず、事業会社へ寄せて開発の重複を省く狙いがあったとみられる。
2012年3月期、コナミの営業利益は前期の207億9千1百万円から409億5千万円へ倍近く増えた。「ドラゴンコレクション」などソーシャルコンテンツの登録者の伸びが、収益を押し上げた。ところが2012年9月中間期の営業利益は、前年同期比37.8%減の125億6千3百万円に減少した。通期の2013年3月期も売上高が15.0%減の2,259億9千5百万円、営業利益が46.6%減の218億7千5百万円となった。デジタルエンタテインメント事業の営業利益は330億2千1百万円から211億6千3百万円へ減った。その間もソーシャルの累計登録者は3,500万人を超え、コナミは「ドラゴンコレクション」のiOS向けネイティブアプリを配信した。交流サイト上の課金だけでは利益を保てず、スマートフォンのアプリへ軸足を移し始めたと推察される。
2012年6月、上月拓也氏が代表取締役社長に就任し、1994年から会長兼社長を務めた上月景正氏は代表取締役会長となった。二人は親子で、就任時に上月景正氏は71歳、上月拓也氏は41歳だった。上月拓也氏は1997年から米国の子会社で役員を務め、Konami Corporation of Americaでは社長と会長を歴任した。本社では2009年6月に取締役、2011年6月に代表取締役となり、その1年後に社長へ上がった。就任の挨拶では設立40周年の節目での就任と位置づけ、国内に加えてグローバルに事業を広げる必要を掲げた。利益が半減する期の入り口で、米国経験の長い子に経営を渡し、創業者は会長として後ろに控える体制をとったのだろう。
2014年12月、コナミはスマートフォン向けの「実況パワフルプロ野球」の配信を始めた。家庭用で人気の育成モード「サクセス」と、対戦で順位を競う「スタジアム」を載せ、自分で育てた選手のチームで全国の遊び手と対戦できるようにした。シリーズ20周年の節目には、大リーグの田中将大投手が「パワプロ応援大使」に就任した。配信から4か月で800万ダウンロードに達し、2015年3月期第4四半期の収益の伸びを支えた。その1年前の中間報告書で、上月拓也社長は『「娯楽」の領域の中でも、特に「デジタルエンタテインメント事業」においては、世界各国でのニーズが多様化する中、スマートフォンをはじめとする新しいデバイスが全世界で加速度的に普及しました。』と記していた。2013年3月期にはすでに、iOS・Android向けに「ドラコレ&ポーカー」などの配信を始めていた。20周年を迎えた看板を移し、家庭用で育った客をアプリへ呼び込む狙いがあったと読み取れる。
2013年10月8日、コナミは米国ネバダ州クラーク郡で、Konami Gamingの第2工場の起工式を行った。ラスベガスの本社と第1工場の隣に延べ床面積14,000㎡の工場を建て、2015年夏の竣工で規模を従来の約2.3倍にする計画だった。2013年3月期の有価証券報告書は、各国でカジノの法制化が進み、機器販売に加えて管理システムなどで安定収益を得られると見ていた。2014年秋の展示会では、カジノマネジメントシステム「SYNKROS」の新機能を紹介した。2014年3月期のカジノ事業は売上高316億円・営業利益73億円で、ライセンスは2015年3月末に373に増えた。家庭用ゲームの当たり外れと別の軸で稼ぐ事業を、工場の増設で太らせようとしたのではないか。
コナミは2015年3月期から翌期にかけて、開発・制作の人員と費用を絞り込んだ。開発・制作スタッフは2015年3月末の2,222名から、1年後には1,959名に減った。グループ全体の開発・制作費も、364億2千9百万円から257億9百万円へ縮んだ。同じ時期、2014年12月に配信を始めたスマホ版「実況パワフルプロ野球」は、4カ月で800万ダウンロードに達した。2015年3月期のデジタルエンタテインメント事業は、売上高を970億円に減らしながら、営業利益を117億円から133億円に伸ばした。上月拓也社長は2015年3月期の報告書で、『各事業とも機構改革を継続的に推進し、変化を続ける市場環境に適切に対応する体制の整備に注力しております。』と株主に伝えた。人と費用のかかる家庭用の大作から、元手の小さいモバイルへ開発の重みを移す組み替えだったとみられる。
2015年9月、コナミは「METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN」を世界で発売した。同年5月の決算説明では、2016年3月期の営業利益を170億円と見込んでいた。発売した2016年3月期の売上高は2,499億2百万円となり、前期より14.6%増えた。有価証券報告書は、増収の主な理由を「メタルギア」シリーズ最新作の発売による家庭用ゲームの製品売上の伸びとした。デジタルエンタテインメント事業のセグメント利益は356億6千9百万円で、前期比110.0%増だった。営業利益は246億7千9百万円となり、前年5月の見込みを76億円余り上回った。開発の人員を減らした期に、家庭用の大作1本が増収の主因となった構図といえる。
2015年10月1日、コナミ株式会社は商号をコナミホールディングス株式会社に改めた。2006年3月31日に純粋持株会社体制へ移ってから、翌年3月で10年を迎える節目だった。社名を変えた目的は、持株会社としての位置付けを株主などに正しく理解してもらうことにあった。その半年前の2015年4月13日にはニューヨーク証券取引所へ上場廃止を申請し、同月24日に廃止されていた。2016年11月にはアーケードゲーム部門を遊技機事業と一体にし、コナミアミューズメントを発足させた。コナミホールディングスは、この再編の趣旨を『グループ創業時から培うアーケードゲームのビジネスノウハウの活用、またKONAMIブランドによるさらなる高付加価値製品及びサービスの提供、事業統合による合理化を追求するものであります。』と有価証券報告書に記した。社名と事業会社の線引きを1年余りで揃え、持株会社の下に事業を並べ直したと読める。
国内のモバイルでコナミが注力したのは、野球ゲームの2本だった。家庭用の「実況パワフルプロ野球」は2015年にシリーズ20周年を迎え、スマホ版は2014年12月に配信を始めていた。スマホ版は2016年3月期に累計2,200万ダウンロードへ届き、同年3月にはApp Storeのゲーム売上ランキングで初めて首位に立った。2015年10月には、プロ野球の臨場感を映像で再現した「プロ野球スピリッツA」の配信を始めた。2017年3月期も、両タイトルは「遊戯王 デュエルリンクス」と並んで堅調に推移した。2017年のパワプロの日本選手権では、両作の部門を日本野球機構(NPB)の公認大会として開いた。家庭用で抱えた野球ファンを、課金型のアプリで長くつなぎ止める狙いがあったと推察される。
海外の客に向けて、コナミは2016年11月にスマートフォン向けの「遊戯王 デュエルリンクス」を配信した。紙の「遊戯王オフィシャルカードゲーム」を、スマートフォンで手軽に対戦できるよう作り替えたゲームだった。配信先は約150の国と地域に及び、2017年6月1日時点で4,500万ダウンロードを超えた。会社は遊び手の広がりを、『モバイルの気軽さに加え、タイトルの魅力が世界中で広く浸透していることから、「遊戯王オフィシャルカードゲーム」をご愛好いただいている方だけに留まらず、初めて「遊☆戯☆王」に触れる方にも数多く遊んでいただいており』と説明した。2017年3月期の営業利益は363億5千9百万円で、売上高が8.0%減るなかで前期比47.3%増えた。2017年9月までの半期には、カードとアプリの世界選手権を日本で開いた。紙のカードで世界に広げた客層を、国境を問わないアプリで取り込む筋書きだったのだろう。
2019年3月期、コナミホールディングスは営業利益505億2千2百万円を計上し、過去最高を更新した。前期の451億8千1百万円から11.8%増え、親会社の所有者に帰属する当期利益も341億9千6百万円で過去最高だった。デジタルエンタテインメント事業では「ウイニングイレブン 2019」「遊戯王 デュエルリンクス」などのモバイルゲームが国内外で伸びた。「実況パワフルプロ野球」と「プロ野球スピリッツA」も、引き続き堅調に推移した。上月拓也社長は結果について、『市場のニーズやユーザーの変化に的確に対応し、革新的な商品、サービスを世界中に提供してまいりました結果、営業利益および当期利益において過去最高の経営成績を収めることができました。』と株主に報告した。2015年から積み上げたモバイルの本数が、4年後に利益の最高値として表れたと考えられる。
2018年、コナミは日本野球機構(NPB)と組んでプロ野球のeスポーツリーグ「eBASEBALL パワプロ・プロリーグ」を始めた。下地には、2016年から開いてきた「実況パワフルプロ野球」の日本選手権があった。2017年の大会はNPBの公認で開き、その経緯を会社は『この取り組みは、野球ファンの拡大・活性化という、KONAMI と NPB 双方の目的が一致したことにより、実現しました。』と記した。プロリーグでは12球団がそれぞれeドラフト会議で指名した3人を登録し、2018年11月10日にペナントレースを開幕した。同じ年、「ウイニングイレブン 2018」は第18回アジア競技大会のデモ競技に、日本のメーカーで唯一採用された。2019年3月期には、Jリーグと共同で「eJリーグ ウイニングイレブン 2019シーズン」も開いた。遊ぶ客を見る客としても抱え込み、野球とサッカーの2本で競技の場を持つ構造になった。
最高益を上げた直後の2019年6月、東尾公彦氏が代表取締役副社長に就任した。東尾公彦氏は1997年9月に入社し、2005年6月に取締役となっていた。2016年7月からはコナミリアルエステートの社長を務め、2018年1月には取締役兼執行役員副社長として管理責任者に就任した。このとき会長は1987年6月から務める創業者の上月景正氏、社長は2012年6月に就任した上月拓也氏だった。東尾公彦副社長は2020年4月に代表取締役社長となり、2020年3月期の報告書では社長として株主に向けた挨拶を記した。上月家の2代の下で管理を担ってきた人物を代表権のある副社長に置き、社長交代の地ならしをした人事と思われる。
2020年1月、コナミホールディングスは自社拠点「コナミクリエイティブセンター銀座」の中のesports銀座studioを稼働させた。同じ月の25日には、日本野球機構(NPB)と共催する「eBASEBALL プロリーグ」2019シーズンのe日本シリーズをここで開いた。2月1日にはアーケードの公式大会「KONAMI Arcade Championship」の「GITADORA」部門も同じ会場で行った。会社は2018年からNPBとプロリーグを共催し、2019年には音楽ゲームのプロリーグ「BEMANI PRO LEAGUE」を立ち上げていた。報告書はこうしたeスポーツの取り組みを、『日本における e スポーツのさらなる拡大と活性化に貢献してまいります。』という言葉で結んだ。観客を入れて配信もできる場を自社の建物に置き、大会ごとに外の会場を探す手間を省いたのだろう。
2020年4月、代表取締役副社長の東尾公彦氏が代表取締役社長に就任し、2012年から社長を務めた上月拓也氏は退任した。社長就任と同時に、ゲーム事業を担うコナミデジタルエンタテインメントの代表取締役会長も兼ねた。創業者の上月景正氏は代表取締役会長に残り、2020年6月の役員名簿から上月拓也氏の名は消えた。東尾公彦社長は初めて迎えた決算の報告書で、変化に柔軟に対応してきた社の強みを挙げ、『世界が急激な変化に直面する今が、まさにその強みを発揮する好機であると考えております。』と書いた。事業会社の出身ではなく管理部門を統括した人を執行の頂点に置き、創業家は会長職から経営を見る体制になったと考えられる。
新体制の最初の年度にあたる2021年3月期、スポーツ事業は18,587百万円の減損損失を計上した。緊急事態宣言や休業要請で直営と受託のクラブが休館や時短に追い込まれ、売上高は前期の58,984百万円から36,409百万円へ減った。第4四半期には感染拡大の長期化を織り込み、見直した中期経営計画をもとに全施設の回収可能価額を引き下げた。並行して2021年2月に直営9店舗の営業を終え、5月にさらに16店舗を閉じると決めた。一方で月会費会員が自宅から無料で参加できる「オンラインライブレッスン」を広げ、在宅の運動需要を拾いにいった。会員が施設に通うことを前提にした収益の形の弱さが、1年の休業で数字に表れた。
2021年6月24日の定時株主総会の承認を経て、コナミホールディングスは監査役会設置会社から監査等委員会設置会社に移った。取締役会は8名となり、監査等委員を兼ねる社外取締役3名は全員が東京証券取引所の独立役員に指定された。取締役の報酬を決める報酬委員会も、独立役員が過半数を占める構成に改めた。東尾公彦社長は翌年の東証の市場再編とコーポレートガバナンス・コードの改定を理由に挙げ、『コーポレートガバナンスの一層の充実を図るべく取り組みを進めております。』と報告した。一方で任意の指名委員会は置かず、独立役員の関与と助言で足りるという立場をとった。2021年3月末には、上月財団など創業家に連なる3者が持株比率で計29.92%を持っていた。その会社の監督を、社外取締役3名に集める設計だった。
2022年1月、コナミホールディングスは紙のカードゲームをデジタルで遊べる「遊戯王 マスターデュエル」の配信を始めた。基本プレー無料で150以上の国と地域に出し、最新の家庭用ゲーム機とモバイル端末の間で対戦できるようにした。収録カードは1万種を超え、配信から3か月で累計3,000万ダウンロードに届いた。その2年前の2020年3月期には、モバイルの「遊戯王 デュエルリンクス」がすでに国内外で伸びていた。翌2022年度には遊戯王カードゲームの25周年企画を始め、1周年を迎えたマスターデュエルとの相乗効果でコンテンツ全体の勢いが増した。紙とデジタルの両方で遊戯王を回し、どちらからでも客を呼び込む順路ができた。
2022年6月28日の定時株主総会の承認を受け、コナミホールディングスは7月1日に商号をコナミグループ株式会社へ改めた。持株会社の名は2015年10月にコナミ株式会社から改称して掲げたもので、7年足らずで下ろした。改称の時点で、事業はデジタルエンタテインメント、アミューズメント、ゲーミング&システム、スポーツの4つに分かれていた。コナミは翌年3月の設立50周年を控えた改称と位置づけ、『今後もグループ企業が一体となって新たな挑戦を進め、持続可能な企業としてさらなる成長を目指すため、2022年 7月1日付で当社の商号を「コナミグループ株式会社」に変更します。』と株主に説明した。2023年3月19日に会社は設立50周年を迎え、その年度の報告書は新しい社名で出た。持株会社という仕組みの名より、4つの事業を統括する集団としての名を前に出したとみられる。
2024年10月、コナミグループは2001年の「SILENT HILL 2」を作り直して発売し、3か月で全世界累計出荷200万本を超えた。東尾公彦社長は2025年3月期の報告書で、『当社の有力 IP を再起動する戦略も成果を見せ始めました。』と書いた。2025年8月には、2004年の作品を作り直した「METAL GEAR SOLID Δ: SNAKE EATER」を出した。「メタルギア」はシリーズ累計で6,200万本超を売ってきた作品群だった。Δは翌9月に出した新作「SILENT HILL f」とともに、世界累計出荷100万本を超える出だしとなった。中間報告書は再起動の戦略が加速したと記し、「SILENT HILL」第1作のリメイクも制作中とした。新しいIPを一から育てるより、世界に名の残る旧作を起点にしたほうが大作の売れ行きを読めるという計算があったと推察される。
2025年6月、コナミグループは株式会社コナミアーケードゲームスを設立した。アミューズメント事業は2016年11月の再編で発足したコナミアミューズメントが担い、施設向けゲーム機からパチスロまでを抱えていた。2025年3月期には大谷翔平選手が登場するメダルゲームを出し、「桃太郎電鉄」など自社のIPを使ったパチスロの新作も投入した。設立翌月の2025年7月には、ビデオカードゲーム「オレカバトル2」と連動するメダルゲームを稼働させた。遊び方の違う2つのゲームをつなぎ、アーケードゲームの魅力を引き出す方針も示した。パチスロなどと同じ事業の中にあった施設向けのゲーム機を別の会社に分け、開発と販売に専念させる狙いと思われる。
2026年3月期、コナミグループの売上収益は493,677百万円、営業利益は135,891百万円だった。前の2025年3月期に営業利益が初めて1,000億円を超えたとき、東尾公彦社長はこれを通過点と位置づけた。そのうえで、売上高と利益の過去最高を3期続けて更新する計画を掲げていた。上半期は「eFootball」などスポーツタイトルのライブサービスが業績を引っ張り、同作は2025年9月に世界累計9億ダウンロードを超えた。スポーツ事業では自治体施設の運営受託を広げ、アセットライトな形への移行を進めた。トップメッセージは、ライブサービスに力を注げたことで利益率の向上と業績の安定を得たと総括した。スポーツは施設を軽くし、ゲームは同じIPを長く運営する方式に寄せたことが、2021年3月期の約3.7倍の営業利益を生んだ。
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| 1969〜2006年アーケードから家庭用ゲームへ、IPで世界市場を開拓した創業期 | 上月景正氏が大阪でジュークボックスの修理・レンタル業を創業 | ★★ | ||
| コナミ工業を設立 | ★ | |||
| アーケードゲーム市場に本格参入 | ★★ | |||
| Konami of Americaを設立 | ★ | |||
| Konami Ltdを設立 | ★ | |||
| 大阪証券取引所新二部に上場 | ★ | |||
| Konami GmbHを設立 | ★ | |||
| アーケード専業から家庭用ゲームへの事業領域の広がり 1985年、アーケードゲームの専業メーカーであったコナミ工業が任天堂ファミリーコンピュータ向けソフト開発に参入し、"イー・アル・カンフー"を皮切りに複数のヒットタイトルを送り出して家庭用ゲーム機メーカーとしての足場を構築した経営判断。 詳細を読む | ★★★ | |||
| コナミに商号変更 | ★ | |||
| 上月景正 | PlayStation向け「実況パワフルプロ野球」シリーズを展開 | ★ | ||
| 上月景正 | Konami Gaming,Inc.を設立 | ★★ | ||
| 上月景正 | 「メタルギアソリッド」をPlayStation向けに発売 | ★ | ||
| 上月景正 | 紙のトレーディングカードによって拓いたIP収益の新機軸 1999年2月4日、コナミが漫画"遊☆戯☆王"を原作とする紙のトレーディングカードゲームのVol.1を発売した経営判断。前年にバンダイが"カードダス"形式で先行商品化していた市場に、コナミが公式ライセンス商品として参入し、ゲームソフト以外のIP収益源を切り開いた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 上月景正 | フィットネス大手のピープルを友好的TOBで子会社化 | ★★ | ||
| 上月景正 | ハドソンに資本参加 | ★ | ||
| 上月景正 | ラスベガスにゲーミング機器新社屋完成 | ★ | ||
| 上月景正 | 純粋持株会社へ移行 | ★★ | ||
| 2007〜2014年東京ミッドタウン移転と上月拓也氏の社長就任、パワプロアプリの配信 | 上月景正 | 本社を東京ミッドタウンに移転 | ★ | |
| 上月拓也 | 上月拓也氏が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 上月拓也 | モバイルゲーム「実況パワフルプロ野球」(パワプロアプリ)を配信開始 | ★★ | ||
| 2015〜2019年機構改革による開発の絞り込みとメタルギアソリッドV、コナミHDへの改称 | 上月拓也 | 看板クリエイターの離脱と、モバイル収益重視への経営資源の再配分 2015年3月4日、コナミは開発本部体制への機構改革を発表し、新しい役員体制から小島秀夫氏の名前が消えた。小島プロダクションは組織として解体され、同年12月15日付で小島秀夫氏は契約期間満了により退社し、コジマプロダクションを設立して独立した。 この経緯について、会社の公表資料に記載はない。同じ時期に公表資料の上で進んだのは、上場市場の整理、持株会社への商号変更、そしてセグメント区分の組み替えである。 詳細を読む | ★★★ | |
| 上月拓也 | 小島秀夫氏が新体制から離脱 | ★★ | ||
| 上月拓也 | コナミHDに商号変更 | ★ | ||
| 2020〜2026年eスポーツ施設と東尾公彦体制、コナミグループへの改称 | 上月拓也 | eスポーツ施設としてesports銀座studioが操業開始 | ★ | |
| 東尾公彦 | 東尾公彦氏が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 東尾公彦 | 監査役5名を退かせ、社外取締役3名に監査と監督を兼ねさせた機関設計の組み替え 2021年6月24日の第49回定時株主総会で定款を変更し、同日付で監査役会設置会社から監査等委員会設置会社へ移行した。掲げた目的は、取締役会の監督機能とコーポレート・ガバナンスの一層の強化である。 移行後の取締役会は、取締役5名と監査等委員である取締役3名の計8名。監査等委員はいずれも社外取締役で、全員が東京証券取引所の定める独立役員に指定されている。監査役5名のうち4名は社外監査役で、同じ総会の終結をもって任期満了により退任した。 詳細を読む | |||
| 東尾公彦 | コナミグループに商号変更 | ★ | ||
| 東尾公彦 | コナミアーケードゲームスを設立 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(コナミグループ)