1988年〜 東京に本社を置いた台湾発ベンダーと事業基盤の拡充
- 1989年 日本法人を設立
- 1992年 リンクに商号変更
- 1992年 親会社がTrend Micro Incorporatedに交代
- 1996年 トレンドマイクロに商号変更
- 1996年 日本法人がグループ親会社となる再編を実施
- 1996年 米・独・韓・伊の海外子会社を一括買収
- 1998年 株式公開で得た資金を米国買収に投じず市場へ返した資本政策 国内首位のウイルス対策ベンダーは、公開で得た100億円強をなぜ米国買収でなく市場への返還に振り向けたのか
なぜ日本法人をグループの親会社にしたのか
トレンドマイクロの創業はスティーブ・チャン、ジェニー・チャン、エバ・チェンの3人が1988年に米国で会社を興したことに遡る。日本法人は1989年10月、英国Lonrhoグループ傘下のロンローパシフィック株式会社の子会社として東京都品川区西五反田に設立された。当時の社名は株式会社ロンローインターナショナルネットワークスで、設立時の事業目的はコンピュータの基本ソフトウェアの輸入販売に置かれ、ウイルス対策はその中の一製品ラインでしかなかった。台湾と米国で生まれた技術を、日本の企業顧客とコンシューマ市場に売り込む前線拠点として位置する設計だった。当時、日本法人は数ある販売拠点の一つにすぎず、のちにグループ持株会社となる将来は想定されていなかった。 [1][2]
- トレンドマイクロ 有価証券報告書 第19期(2007年12月期)【沿革】
- [1]創業はスティーブ・チャン、エバ・チェンら台湾発の創業チームが1988年に米国で会社を興した
- [2]日本法人は1989年10月、英国Lonrhoグループ傘下のロンローパシフィック株式会社の子会社として東京都品川区西五反田に株式会社ロンローインターナショナルネットワークスとして設立、事業目的はOS輸入販売
1992年1月には株式会社リンクに商号を変え、同年7月にロンローパシフィックから台湾Trend Micro Incorporatedへ株式が譲渡されて、親会社が台湾本社に交代する。1996年5月にはトレンドマイクロ株式会社へ社名を変更し、同年10月から11月にかけて台湾本社の株主から台湾・米国・韓国・ドイツ・イタリアの関係会社全株式を取得、日本法人がグループの持株会社となる再編が完了した。創業の地は米国と台湾だが、連結決算と上場の主体はあえて東京に据えられた。日本の資本市場で調達した資金を、台湾の研究開発と各国販売網へ回す構造を選んだことで、以降の会計・開示・資本政策はすべて東京本社の時間軸で動いた。米国にも台湾にも置けた親会社の置き場所を日本に定めた判断が、その後の二重上場や多国籍展開の土台となる。 [3][4][5][6]
- トレンドマイクロ 有価証券報告書 第19期(2007年12月期)【沿革】
- [3]1992年1月に株式会社リンクへ商号変更
- [4]1992年7月にロンローパシフィックから台湾Trend Micro Incorporatedへ株式譲渡、親会社が台湾本社へ交代
- [5]1996年5月にトレンドマイクロ株式会社へ社名変更
- [6]1996年10〜11月に台湾本社の株主から台湾・米国・韓国・ドイツ・イタリアの関係会社全株式を取得し、日本法人がグループ持株会社となる再編が完了
- トレンドマイクロ 有価証券報告書 第19期(2007年12月期)【沿革】
- [1]創業はスティーブ・チャン、エバ・チェンら台湾発の創業チームが1988年に米国で会社を興した
- [2]日本法人は1989年10月、英国Lonrhoグループ傘下のロンローパシフィック株式会社の子会社として東京都品川区西五反田に株式会社ロンローインターナショナルネットワークスとして設立、事業目的はOS輸入販売
- [3]1992年1月に株式会社リンクへ商号変更
- [4]1992年7月にロンローパシフィックから台湾Trend Micro Incorporatedへ株式譲渡、親会社が台湾本社へ交代
- [5]1996年5月にトレンドマイクロ株式会社へ社名変更
- [6]1996年10〜11月に台湾本社の株主から台湾・米国・韓国・ドイツ・イタリアの関係会社全株式を取得し、日本法人がグループ持株会社となる再編が完了
半年で揃えた多国籍ベンダーの骨格
1996年11月の一括買収で5か国に拠点を持つ体制が整うと、翌1997年には豪州・フランス・マレーシア・香港の子会社設立とブラジル法人のグループ編入が続き、1998年にはフィリピンオフィスを開設、翌1999年7月には英国法人Trend Micro (UK) Limitedを設立して拡張が続いた。短期間でこれだけの多国籍販売網を整える例は、同時期のウイルス対策業界でも限られていた。当時のアンチウイルス市場は各国の地場ベンダーが分立しており、世界同時にパターンファイルを配布できる体制を持つこと自体が差別化の源泉だった。米国勢と欧州勢がそれぞれの母国市場を主戦場にしていたのに対し、同社は台湾発という中立性を武器に、アジアと欧州の双方へ橋渡しする形でまず面を取りに行った。持株会社化と世界展開が半年のうちに重なったのは、日本の資本市場での調達と、グループ全体の連結決算を同じ箱の中でまとめて見せるためでもある。 [7][8][9]
- トレンドマイクロ 有価証券報告書 第19期(2007年12月期)【沿革】
- [7]1996年11月の一括買収で5か国に拠点を持つ体制が整った
- [8]1997年に豪州・フランス・マレーシア・香港の子会社設立とブラジル法人のグループ編入が続いた
- [9]1998年にフィリピンオフィスを開設、1999年7月に英国法人Trend Micro (UK) Limitedを設立
この拠点網を使って、1998年8月に日本証券業協会の店頭売買有価証券として登録、1999年7月には米国NASDAQに米国預託証券(ADR)を上場した。コンシューマ向けにはPC-cillinとウイルスバスターを、法人向けにはInterScan VirusWallやScanMail for Microsoft Exchangeを揃え、PC・サーバ・メール・ゲートウェイの各レイヤーへ製品の幅を広げた。単一製品に収益を寄せず、家庭のパソコンから企業のメールサーバまでを面で守る型を組み上げていく段階にあった。1996年の持株会社化からわずか3年でNASDAQまで辿り着いた展開の速さは、研究開発を台湾、販売を各国現地法人、上場と資本政策を東京に分けるグループ分業が機能していた証左である。 [10][11][12]
- トレンドマイクロ 有価証券報告書 第19期(2007年12月期)【沿革】
- [10]1998年8月に日本証券業協会の店頭売買有価証券として登録
- [11]1999年7月に米国NASDAQに米国預託証券(ADR)を上場
- [12]1996年の持株会社化から3年でNASDAQ ADR上場に到達
- トレンドマイクロ 有価証券報告書 第19期(2007年12月期)【沿革】
- [7]1996年11月の一括買収で5か国に拠点を持つ体制が整った
- [8]1997年に豪州・フランス・マレーシア・香港の子会社設立とブラジル法人のグループ編入が続いた
- [9]1998年にフィリピンオフィスを開設、1999年7月に英国法人Trend Micro (UK) Limitedを設立
- [10]1998年8月に日本証券業協会の店頭売買有価証券として登録
- [11]1999年7月に米国NASDAQに米国預託証券(ADR)を上場
- [12]1996年の持株会社化から3年でNASDAQ ADR上場に到達