アリアケジャパン の歴史

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沿革

1968〜2019年 1966年に岡田甲子男氏が東京で設けたアサリエキスの販売会社、有明特殊水産販売が起源。1968年に畜産エキスの自社製造へ転じ、1998年稼働の九州第2工場の液体エキスを外食チェーンの調理へ組み込んだ。天然調味料エキスの単一事業で営業利益率17%台を保つ業務用調味料メーカーである。

沿革

1966年に岡田甲子男氏が東京で設けたアサリエキスの販売会社、有明特殊水産販売が起源。

1968年に畜産エキスの自社製造へ転じ、1998年稼働の九州第2工場の液体エキスを外食チェーンの調理へ組み込んだ。天然調味料エキスの単一事業で営業利益率17%台を保つ業務用調味料メーカーである。

1966年〜創業期アサリエキスから畜産エキスへの転換と日本食資工業の設立

  1. 主力をアサリエキスから畜産エキスへ転換
  2. 工場を新設
  3. 日本食資工業を設立
  4. 畜産エキス生産工場を新設
  5. 本社ビルを建設し本社を移転
アリアケジャパン売上高

1985年〜安定成長期ARIAKE U.S.A.の設立とアリアケジャパンへの改称

  1. カリフォルニア州に子会社ARIAKE U.S.A.を設立
  2. 資本金を5000万円に増資
  3. 本社を移転
  4. 有明フードマテリアルに商号変更
  5. 有明食品化工を吸収合併しアリアケジャパンに商号変更
  6. バージニア州ハリソンバーグ市にARIAKE U.S.A.の工場を新設
  7. 日本証券業協会に店頭売買銘柄として登録、公募増資で資本金22億1029万円に
  8. 子会社青島有明食品有限公司を設立
アリアケジャパン売上高1995年3月期96.9億円

1996年〜安定成長期総工費75億円の九州第2工場と台湾有明食品の買収

  1. 九州第2工場用地を取得
  2. 九州第2工場を総工費75億円で建設
  3. フランスパリに子会社F.P. Natural Ingredients S.A.S.を設立
  4. ベルギーマースメヒレン市に子会社Ariake Europe N.V.を設立
  5. 法人としてアリアケファームを設立
  6. 台湾有明食品を買収
  7. 九州第2工場の隣接地に新工場を新設
  8. 第2パックセンターを建設
アリアケジャパン売上高2012年3月期315億円

2013年〜Henningsen Nederlandの買収とARIAKE U.S.A.の売却

  1. Ariake Europe N.V.がオランダのHenningsen Nederlandを買収
  2. 子会社ARIAKE U.S.A.の全株式をKerry Holding Co.へ譲渡
アリアケジャパン売上高2026年3月期670億円

系譜

前身は1978年設立の日本食資工業。1990年に有明食品化工を吸収合併し、アリアケジャパンへ商号変更した。2006年には台湾有明食品を買収。2019年にARIAKE U.S.A.を譲渡し、海外拠点の事業ポートフォリオを組み替えた。

系譜

前身は1978年設立の日本食資工業。

1990年に有明食品化工を吸収合併し、アリアケジャパンへ商号変更した。2006年には台湾有明食品を買収。2019年にARIAKE U.S.A.を譲渡し、海外拠点の事業ポートフォリオを組み替えた。

1978年 1988年 1990年 2006年2013年 2019年 2026年 日本食資工業 1978年設立 有明フードマテリアル 1988年商号変更 有明食品化工 1990年 アリアケジャパン 1990年合併・商号変更 台湾有明食品 2006年買収 Henningsen 2013年欧州子会社が買収 ARIAKE U.S.A. 2019年全株式を譲渡
長期業績の推移 1985〜2026年

業績

アリアケジャパン:歴代社長と長期業績の推移売上高(億円)純利益率(%)
1985年3月期〜2026年3月期

第1章 1966年〜 アサリエキスから畜産エキスへの転換と日本食資工業の設立

1966年〜40億食の即席麺に着目した浦安のアサリエキスと、越谷で始めた畜産エキス

1966年6月、岡田甲子男氏は東京都千代田区で有明特殊水産販売を設立し、当初は仕入れたアサリエキスの販売も手掛けた。事業の目的は、アサリから取ったエキスを即席麺のメーカーへ納めることにあった。岡田甲子男氏が強い刺激を受けたのは、日清食品が1957年に開発した即席麺の販売数である。即席麺は発売1年後に1,300万食、4年後に10億食を超え、1966年には年40億食へ拡大した。自社の生産拠点は東京湾岸の浦安に置き、アサリエキスの製造から始めた。麺1食ごとにスープの素が要る以上、即席麺の食数の増加は調味原料の需要の増加に直結すると岡田甲子男氏は読んだのだろう。

  • 証券 47(11) 1995年11月号(新規上場会社紹介)
    • [1]1966年6月 岡田甲子男氏が東京都千代田区に有明特殊水産販売(株)を設立。当初はアサリエキスを購入して即席麺メーカーに販売
  • 証券アナリストジャーナル 30(1) 1992年1月号 別冊付録 アリアケジャパン(岡田甲子男)
    • [2]設立目的はアサリエキスの即席麺メーカー向け販売。動機は日清食品の即席麺が1年後1,300万食・4年後10億食超・1966年40億食に達したこと。当初は浦安で生産
    • [3]設立目的はアサリエキスの即席麺メーカー向け販売。動機は日清食品の即席麺が1年後1,300万食・4年後10億食超・1966年40億食に達したこと。当初は浦安で生産
    • [4]設立目的はアサリエキスの即席麺メーカー向け販売。動機は日清食品の即席麺が1年後1,300万食・4年後10億食超・1966年40億食に達したこと。当初は浦安で生産
    • [5]設立目的はアサリエキスの即席麺メーカー向け販売。動機は日清食品の即席麺が1年後1,300万食・4年後10億食超・1966年40億食に達したこと。当初は浦安で生産

浦安でのアサリエキスの生産は、海岸の埋め立てで原料のアサリが取れなくなり、1年余りで続けられなくなった。岡田甲子男氏は韓国からアサリを輸入して不足分を補ったものの、即席麺メーカーの注文に見合う量には及ばなかった。続いて有明海に面した福岡県柳川市に工場を建てて移転したものの、この地でも原料の確保は難しくなった。技術雑誌に貝の天然エキスの広告を出していた当時の事務所は、神田駅前にある木造の八百屋の2階。貝の原料は調達量が季節で変わり、会社は入手難を理由に貝のエキスから撤退した。産地を移しても漁獲に左右される構図は変わらず、原料そのものを替えるほかなかったとみられる。

  • 証券アナリストジャーナル 30(1) 1992年1月号 別冊付録 アリアケジャパン(岡田甲子男)
    • [6]浦安の生産は1年余りで海岸埋め立てにより原料アサリが取れなくなり、韓国からの輸入も不足、福岡県柳川市に工場を移したが原料確保が難しかった
    • [7]浦安の生産は1年余りで海岸埋め立てにより原料アサリが取れなくなり、韓国からの輸入も不足、福岡県柳川市に工場を移したが原料確保が難しかった
    • [8]浦安の生産は1年余りで海岸埋め立てにより原料アサリが取れなくなり、韓国からの輸入も不足、福岡県柳川市に工場を移したが原料確保が難しかった
  • フードケミカル 6(7) 1990年7月号 企業ルポ「アリアケジャパン(株)」
    • [9]原料アサリの入手難から貝のエキスから撤退。前身・有明特殊水産の事務所は神田駅前の木造の八百屋の2階、技術雑誌に貝の天然エキスの広告
    • [10]原料アサリの入手難から貝のエキスから撤退。前身・有明特殊水産の事務所は神田駅前の木造の八百屋の2階、技術雑誌に貝の天然エキスの広告
  • 証券 47(11) 1995年11月号(新規上場会社紹介)
    • [11]アサリエキスは原料調達に季節性があった

1968年6月、岡田甲子男氏は主力製品を牛・豚・鶏の畜産エキスへ切り替え、埼玉県越谷市に工場を建てて柳川市の工場を閉鎖した。切り替えの理由は、畜産の原料なら季節を問わず安定して調達できる点である。越谷市の工場は蒲生工場と呼ばれ、家畜の骨から取るボーンエキスを生産し、のちに岡田甲子男氏はこの工場にも見切りを付けた。骨を原料とするエキスは、当時の業界では廃物利用の色合いが濃い製品であった。畜産エキスへの転換で会社は、貝のエキスの販売から畜産の原料を使う天然調味料の製造と販売へ事業の中身を移した。毎月一定の量を求める即席麺メーカーとの取引を続けるうえで、原料の安定が前提になったと推察される。

  • 証券アナリストジャーナル 30(1) 1992年1月号 別冊付録 アリアケジャパン(岡田甲子男)
    • [12]1968年6月 主力製品を原料が安定して入る畜産エキス(牛・豚・鶏)へ移し、埼玉県越ケ谷市に工場を建設、同時に柳川工場を閉鎖
  • 証券 47(11) 1995年11月号(新規上場会社紹介)
    • [13]1968年6月から原料を安定調達できる畜産系エキスへ移行し、越谷市の工場で畜産系天然調味料の製造・販売を開始
    • [16]1968年6月から原料を安定調達できる畜産系エキスへ移行し、越谷市の工場で畜産系天然調味料の製造・販売を開始
  • フードケミカル 6(7) 1990年7月号 企業ルポ「アリアケジャパン(株)」
    • [14]埼玉県の蒲生工場でボーンエキスの生産を手掛けた。当時の天然調味料業界は廃物利用的な色彩から抜けていなかった
    • [15]埼玉県の蒲生工場でボーンエキスの生産を手掛けた。当時の天然調味料業界は廃物利用的な色彩から抜けていなかった
参考文献[1]-[16]
  • 証券 47(11) 1995年11月号(新規上場会社紹介)
    • [1]1966年6月 岡田甲子男氏が東京都千代田区に有明特殊水産販売(株)を設立。当初はアサリエキスを購入して即席麺メーカーに販売
    • [11]アサリエキスは原料調達に季節性があった
    • [13]1968年6月から原料を安定調達できる畜産系エキスへ移行し、越谷市の工場で畜産系天然調味料の製造・販売を開始
    • [16]1968年6月から原料を安定調達できる畜産系エキスへ移行し、越谷市の工場で畜産系天然調味料の製造・販売を開始
  • 証券アナリストジャーナル 30(1) 1992年1月号 別冊付録 アリアケジャパン(岡田甲子男)
    • [2]設立目的はアサリエキスの即席麺メーカー向け販売。動機は日清食品の即席麺が1年後1,300万食・4年後10億食超・1966年40億食に達したこと。当初は浦安で生産
    • [3]設立目的はアサリエキスの即席麺メーカー向け販売。動機は日清食品の即席麺が1年後1,300万食・4年後10億食超・1966年40億食に達したこと。当初は浦安で生産
    • [4]設立目的はアサリエキスの即席麺メーカー向け販売。動機は日清食品の即席麺が1年後1,300万食・4年後10億食超・1966年40億食に達したこと。当初は浦安で生産
    • [5]設立目的はアサリエキスの即席麺メーカー向け販売。動機は日清食品の即席麺が1年後1,300万食・4年後10億食超・1966年40億食に達したこと。当初は浦安で生産
    • [6]浦安の生産は1年余りで海岸埋め立てにより原料アサリが取れなくなり、韓国からの輸入も不足、福岡県柳川市に工場を移したが原料確保が難しかった
    • [7]浦安の生産は1年余りで海岸埋め立てにより原料アサリが取れなくなり、韓国からの輸入も不足、福岡県柳川市に工場を移したが原料確保が難しかった
    • [8]浦安の生産は1年余りで海岸埋め立てにより原料アサリが取れなくなり、韓国からの輸入も不足、福岡県柳川市に工場を移したが原料確保が難しかった
    • [12]1968年6月 主力製品を原料が安定して入る畜産エキス(牛・豚・鶏)へ移し、埼玉県越ケ谷市に工場を建設、同時に柳川工場を閉鎖
  • フードケミカル 6(7) 1990年7月号 企業ルポ「アリアケジャパン(株)」
    • [9]原料アサリの入手難から貝のエキスから撤退。前身・有明特殊水産の事務所は神田駅前の木造の八百屋の2階、技術雑誌に貝の天然エキスの広告
    • [10]原料アサリの入手難から貝のエキスから撤退。前身・有明特殊水産の事務所は神田駅前の木造の八百屋の2階、技術雑誌に貝の天然エキスの広告
    • [14]埼玉県の蒲生工場でボーンエキスの生産を手掛けた。当時の天然調味料業界は廃物利用的な色彩から抜けていなかった
    • [15]埼玉県の蒲生工場でボーンエキスの生産を手掛けた。当時の天然調味料業界は廃物利用的な色彩から抜けていなかった

1968年〜プラントメーカーに断られた一貫生産と、長崎県吉井町の九州第一工場

畜産系の天然調味料を作るメーカーは国内に無く、岡田甲子男氏は研究を重ねて即席麺のスープの素を商品化した。技術が未熟で品質は満足できる水準に達しなかった一方、競合が不在のため注文は増え続けた。自動化した一貫生産の設備はプラントメーカー各社に打診して断られ、プラントと生産システムは自社開発。骨付きの原料は形がそろわず、煮出した液は底に固形分が沈んで二層に分かれ、タンクから抜けにくかった。当時から岡田甲子男氏は、高品質のエキスを作るには、新鮮な原料の確保に加えて技術の開発と品質の管理の力が欠かせないと考えていた。岡田甲子男氏は後年、『高品質のエキスの生産はプラントや付属設備の優劣で決まる。先見の明ではない。』と語った。

  • 証券アナリストジャーナル 30(1) 1992年1月号 別冊付録 アリアケジャパン(岡田甲子男)
    • [17]当時畜産系天然調味料メーカーは国内に皆無。スープの素を商品化したが技術未熟で、注文は来るのに生産が追いつかず、プラントメーカーに断られプラントと生産システムを自社開発。原料の不定形、抽出液の二層化が課題
    • [18]当時畜産系天然調味料メーカーは国内に皆無。スープの素を商品化したが技術未熟で、注文は来るのに生産が追いつかず、プラントメーカーに断られプラントと生産システムを自社開発。原料の不定形、抽出液の二層化が課題
    • [19]当時畜産系天然調味料メーカーは国内に皆無。スープの素を商品化したが技術未熟で、注文は来るのに生産が追いつかず、プラントメーカーに断られプラントと生産システムを自社開発。原料の不定形、抽出液の二層化が課題
    • [20]当時畜産系天然調味料メーカーは国内に皆無。スープの素を商品化したが技術未熟で、注文は来るのに生産が追いつかず、プラントメーカーに断られプラントと生産システムを自社開発。原料の不定形、抽出液の二層化が課題
  • フードケミカル 6(7) 1990年7月号 企業ルポ「アリアケジャパン(株)」
    • [21]岡田社長は当時から高品質なエキスには技術開発力・品質管理能力・新鮮な原料の確保が不可欠で、プラントと付属設備の優劣が大きいとの信念を持っていた
  • 月刊経済 41(3) 1994年3月号
    • [22]岡田甲子男社長はエキスの品質はプラントと付属設備の優劣で決まると語った

1972年4月、岡田甲子男氏は生産の拠点を長崎県北松浦郡吉井町に新設した。即席麺の普及で販売が増え、生産設備の拡充が必要になったためである。吉井町は炭鉱の閉山後に長崎県が企業を誘致した土地で、九州の畜産原料と人手を得やすく、佐世保市出身の岡田甲子男氏には土地勘もあった。当時のエキスメーカーは年間売上高3〜4億円の規模が大半で、岡田甲子男氏は副産物扱いからの質的な転換が必要だと考えた。翌1973年の第一次オイルショックで化学調味料の価格が高騰し、天然調味料への需要が高まった。九州第一工場と呼ばれたこの工場は増設を重ね、敷地9,240平方メートル・建坪6,600平方メートルまで拡大した。

  • 証券 47(11) 1995年11月号(新規上場会社紹介)
    • [23]1972年4月 即席麺普及に伴う販売増で生産設備拡充のため、畜産原料の豊富な長崎県北松浦郡吉井町に工場を開設。1973年の第一次オイルショックで化学調味料価格が高騰し天然調味料の需要が高まった
    • [24]1972年4月 即席麺普及に伴う販売増で生産設備拡充のため、畜産原料の豊富な長崎県北松浦郡吉井町に工場を開設。1973年の第一次オイルショックで化学調味料価格が高騰し天然調味料の需要が高まった
    • [27]1972年4月 即席麺普及に伴う販売増で生産設備拡充のため、畜産原料の豊富な長崎県北松浦郡吉井町に工場を開設。1973年の第一次オイルショックで化学調味料価格が高騰し天然調味料の需要が高まった
  • フードケミカル 6(7) 1990年7月号 企業ルポ「アリアケジャパン(株)」
    • [25]吉井町の九州第一工場(現・有明シーズニング)は昭和47年頃の建設。旧北松炭田で県が企業誘致、佐世保出身の岡田社長に地の利、畜産原料と人材を確保。当時エキスメーカー売上は年3〜4億円程度で、岡田社長は副産物的な考え方からの質的転換を唱えた。その後増設で敷地9,240㎡・建坪6,600㎡
    • [26]吉井町の九州第一工場(現・有明シーズニング)は昭和47年頃の建設。旧北松炭田で県が企業誘致、佐世保出身の岡田社長に地の利、畜産原料と人材を確保。当時エキスメーカー売上は年3〜4億円程度で、岡田社長は副産物的な考え方からの質的転換を唱えた。その後増設で敷地9,240㎡・建坪6,600㎡
    • [28]吉井町の九州第一工場(現・有明シーズニング)は昭和47年頃の建設。旧北松炭田で県が企業誘致、佐世保出身の岡田社長に地の利、畜産原料と人材を確保。当時エキスメーカー売上は年3〜4億円程度で、岡田社長は副産物的な考え方からの質的転換を唱えた。その後増設で敷地9,240㎡・建坪6,600㎡
参考文献[17]-[28]
  • 証券アナリストジャーナル 30(1) 1992年1月号 別冊付録 アリアケジャパン(岡田甲子男)
    • [17]当時畜産系天然調味料メーカーは国内に皆無。スープの素を商品化したが技術未熟で、注文は来るのに生産が追いつかず、プラントメーカーに断られプラントと生産システムを自社開発。原料の不定形、抽出液の二層化が課題
    • [18]当時畜産系天然調味料メーカーは国内に皆無。スープの素を商品化したが技術未熟で、注文は来るのに生産が追いつかず、プラントメーカーに断られプラントと生産システムを自社開発。原料の不定形、抽出液の二層化が課題
    • [19]当時畜産系天然調味料メーカーは国内に皆無。スープの素を商品化したが技術未熟で、注文は来るのに生産が追いつかず、プラントメーカーに断られプラントと生産システムを自社開発。原料の不定形、抽出液の二層化が課題
    • [20]当時畜産系天然調味料メーカーは国内に皆無。スープの素を商品化したが技術未熟で、注文は来るのに生産が追いつかず、プラントメーカーに断られプラントと生産システムを自社開発。原料の不定形、抽出液の二層化が課題
  • フードケミカル 6(7) 1990年7月号 企業ルポ「アリアケジャパン(株)」
    • [21]岡田社長は当時から高品質なエキスには技術開発力・品質管理能力・新鮮な原料の確保が不可欠で、プラントと付属設備の優劣が大きいとの信念を持っていた
    • [25]吉井町の九州第一工場(現・有明シーズニング)は昭和47年頃の建設。旧北松炭田で県が企業誘致、佐世保出身の岡田社長に地の利、畜産原料と人材を確保。当時エキスメーカー売上は年3〜4億円程度で、岡田社長は副産物的な考え方からの質的転換を唱えた。その後増設で敷地9,240㎡・建坪6,600㎡
    • [26]吉井町の九州第一工場(現・有明シーズニング)は昭和47年頃の建設。旧北松炭田で県が企業誘致、佐世保出身の岡田社長に地の利、畜産原料と人材を確保。当時エキスメーカー売上は年3〜4億円程度で、岡田社長は副産物的な考え方からの質的転換を唱えた。その後増設で敷地9,240㎡・建坪6,600㎡
    • [28]吉井町の九州第一工場(現・有明シーズニング)は昭和47年頃の建設。旧北松炭田で県が企業誘致、佐世保出身の岡田社長に地の利、畜産原料と人材を確保。当時エキスメーカー売上は年3〜4億円程度で、岡田社長は副産物的な考え方からの質的転換を唱えた。その後増設で敷地9,240㎡・建坪6,600㎡
  • 月刊経済 41(3) 1994年3月号
    • [22]岡田甲子男社長はエキスの品質はプラントと付属設備の優劣で決まると語った
  • 証券 47(11) 1995年11月号(新規上場会社紹介)
    • [23]1972年4月 即席麺普及に伴う販売増で生産設備拡充のため、畜産原料の豊富な長崎県北松浦郡吉井町に工場を開設。1973年の第一次オイルショックで化学調味料価格が高騰し天然調味料の需要が高まった
    • [24]1972年4月 即席麺普及に伴う販売増で生産設備拡充のため、畜産原料の豊富な長崎県北松浦郡吉井町に工場を開設。1973年の第一次オイルショックで化学調味料価格が高騰し天然調味料の需要が高まった
    • [27]1972年4月 即席麺普及に伴う販売増で生産設備拡充のため、畜産原料の豊富な長崎県北松浦郡吉井町に工場を開設。1973年の第一次オイルショックで化学調味料価格が高騰し天然調味料の需要が高まった

1978年〜総工費9億円の小佐々町の抽出工場と、日本食資工業・有明食品化工の二社体制

1978年5月、岡田甲子男氏は資本金500万円で日本食資工業を設立し、本店を神奈川県茅ヶ崎市に置いた。天然調味料の業容の拡大に合わせ、エキス生産の近代化と大型化を担う兄弟会社として位置づけた。日本食資工業は畜肉を原料に天然調味料のエキスを抽出する製造会社で、現在のアリアケジャパンの前身にあたる。設立当初は手軽さを特長とする化学調味料を相手に苦戦し、業績が拡大したのは1980年以降である。本店は1980年1月に東京都港区、1981年4月に中央区へ移り、資本金は1981年12月に2,000万円へ増えた。抽出設備への大型投資を販売会社から切り離し、製造に専念する法人に担わせる狙いがあったと思われる。

  • アリアケジャパン 有価証券報告書 FY24【沿革】
    • [29]1978年5月 資本金500万円で日本食資工業(株)を設立、本店は神奈川県茅ヶ崎市。1980年1月本店を港区芝、1981年4月中央区日本橋小舟町へ移転。1981年12月資本金2,000万円
    • [33]1978年5月 資本金500万円で日本食資工業(株)を設立、本店は神奈川県茅ヶ崎市。1980年1月本店を港区芝、1981年4月中央区日本橋小舟町へ移転。1981年12月資本金2,000万円
  • フードケミカル 6(7) 1990年7月号 企業ルポ「アリアケジャパン(株)」
    • [30]業容拡大とエキス生産の近代化・大型化のニーズに対応するため兄弟会社の日本食資工業を設立
  • 月刊経済 41(3) 1994年3月号
    • [31]1978年 岡田甲子男氏が肉から天然調味料を抽出する日本食資工業(同社の前身)を神奈川県に設立。当初は化学調味料に対し苦戦、1980年以降躍進
    • [32]1978年 岡田甲子男氏が肉から天然調味料を抽出する日本食資工業(同社の前身)を神奈川県に設立。当初は化学調味料に対し苦戦、1980年以降躍進

1978年8月、日本食資工業は長崎県北松浦郡小佐々町で畜産エキスを作る工場を建設した。総工費9億円を投じた敷地9,900平方メートルの工場は小佐々工業団地に最初に誘致された企業の工場で、原体エキスの抽出を一貫して担った。形の不ぞろいな骨つき肉の処理を完全に自動化したのは、国内で初めての例である。九州第一工場が手狭になったため、1979年7月には3億5,000万円を投じる九州第二工場の建設にも着手した。岡田甲子男氏は、1978年の抽出部の自動化で先発メーカーの地位が固まり、海外進出の戦略も描きやすくなったと振り返った。装置を自前で開発した蓄積が、のちの海外工場の建設を支える技術的な前提になったと推測される。

  • アリアケジャパン 有価証券報告書 FY24【沿革】
    • [34]1978年8月 長崎県北松浦郡小佐々町に畜産エキス生産工場を建設
  • フードケミカル 6(7) 1990年7月号 企業ルポ「アリアケジャパン(株)」
    • [35]昭和53年 総工費9億円で小佐々町に一貫生産のエキス原体抽出専門工場。小佐々工業団地の誘致第一号、敷地9,900㎡、不定形の骨つき肉処理の完全自動化は日本初。九州第一工場が手狭となり昭和54年7月に九州第二工場(第一期3億5,000万円)の建設に着手
    • [36]昭和53年 総工費9億円で小佐々町に一貫生産のエキス原体抽出専門工場。小佐々工業団地の誘致第一号、敷地9,900㎡、不定形の骨つき肉処理の完全自動化は日本初。九州第一工場が手狭となり昭和54年7月に九州第二工場(第一期3億5,000万円)の建設に着手
    • [37]昭和53年 総工費9億円で小佐々町に一貫生産のエキス原体抽出専門工場。小佐々工業団地の誘致第一号、敷地9,900㎡、不定形の骨つき肉処理の完全自動化は日本初。九州第一工場が手狭となり昭和54年7月に九州第二工場(第一期3億5,000万円)の建設に着手
  • 証券アナリストジャーナル 30(1) 1992年1月号 別冊付録 アリアケジャパン(岡田甲子男)
    • [38]1978年に抽出部の自動化に成功し、先発メーカーの地位確立と海外進出の戦略立案が容易になった

1979年2月、有明特殊水産販売は商号を有明食品化工に改めた。以後のグループは、日本食資工業が畜産エキスを抽出し、有明食品化工がそれを加工して販売する二社体制をとった。有明食品化工は1982年4月に外食業界へ参入し、ラーメン店やホテル、レストランに向けた液体スープを発売した。1983年12月には日本食資工業が東京都目黒区下目黒に本社ビルを建て、本店も同地へ移転。それに先立つ1981年ごろ、岡田甲子男氏は有明食品化工の社長を辞任し、今後は海外の仕事に専念すると語った。製造と販売を二社に分けた体制が、岡田甲子男氏が国内の日常業務を離れて海外に時間を割く余地を生んだと考えられる。

  • 証券アナリストジャーナル 30(1) 1992年1月号 別冊付録 アリアケジャパン(岡田甲子男)
    • [39]昭和54年2月 有明食品化工(株)に商号変更
  • 証券 47(11) 1995年11月号(新規上場会社紹介)
    • [40]日本食資工業で抽出した畜産エキスを有明食品化工で加工・販売する一次・二次加工会社の並立体制。1982年4月 外食業界へ進出しホテル・レストラン・ラーメン店向け液体スープを発売
    • [41]日本食資工業で抽出した畜産エキスを有明食品化工で加工・販売する一次・二次加工会社の並立体制。1982年4月 外食業界へ進出しホテル・レストラン・ラーメン店向け液体スープを発売
  • アリアケジャパン 有価証券報告書 FY24【沿革】
    • [42]1983年12月 東京都目黒区下目黒に本社ビルを建設し本店移転(日本食資工業の沿革)
  • フードケミカル 6(7) 1990年7月号 企業ルポ「アリアケジャパン(株)」
    • [43]1990年7月の記事の9年前、岡田甲子男氏は有明食品化工の社長を辞任し、これからは海外だとして海外の仕事に専念したいと語った
参考文献[29]-[43]
  • アリアケジャパン 有価証券報告書 FY24【沿革】
    • [29]1978年5月 資本金500万円で日本食資工業(株)を設立、本店は神奈川県茅ヶ崎市。1980年1月本店を港区芝、1981年4月中央区日本橋小舟町へ移転。1981年12月資本金2,000万円
    • [33]1978年5月 資本金500万円で日本食資工業(株)を設立、本店は神奈川県茅ヶ崎市。1980年1月本店を港区芝、1981年4月中央区日本橋小舟町へ移転。1981年12月資本金2,000万円
    • [34]1978年8月 長崎県北松浦郡小佐々町に畜産エキス生産工場を建設
    • [42]1983年12月 東京都目黒区下目黒に本社ビルを建設し本店移転(日本食資工業の沿革)
  • フードケミカル 6(7) 1990年7月号 企業ルポ「アリアケジャパン(株)」
    • [30]業容拡大とエキス生産の近代化・大型化のニーズに対応するため兄弟会社の日本食資工業を設立
    • [35]昭和53年 総工費9億円で小佐々町に一貫生産のエキス原体抽出専門工場。小佐々工業団地の誘致第一号、敷地9,900㎡、不定形の骨つき肉処理の完全自動化は日本初。九州第一工場が手狭となり昭和54年7月に九州第二工場(第一期3億5,000万円)の建設に着手
    • [36]昭和53年 総工費9億円で小佐々町に一貫生産のエキス原体抽出専門工場。小佐々工業団地の誘致第一号、敷地9,900㎡、不定形の骨つき肉処理の完全自動化は日本初。九州第一工場が手狭となり昭和54年7月に九州第二工場(第一期3億5,000万円)の建設に着手
    • [37]昭和53年 総工費9億円で小佐々町に一貫生産のエキス原体抽出専門工場。小佐々工業団地の誘致第一号、敷地9,900㎡、不定形の骨つき肉処理の完全自動化は日本初。九州第一工場が手狭となり昭和54年7月に九州第二工場(第一期3億5,000万円)の建設に着手
    • [43]1990年7月の記事の9年前、岡田甲子男氏は有明食品化工の社長を辞任し、これからは海外だとして海外の仕事に専念したいと語った
  • 月刊経済 41(3) 1994年3月号
    • [31]1978年 岡田甲子男氏が肉から天然調味料を抽出する日本食資工業(同社の前身)を神奈川県に設立。当初は化学調味料に対し苦戦、1980年以降躍進
    • [32]1978年 岡田甲子男氏が肉から天然調味料を抽出する日本食資工業(同社の前身)を神奈川県に設立。当初は化学調味料に対し苦戦、1980年以降躍進
  • 証券アナリストジャーナル 30(1) 1992年1月号 別冊付録 アリアケジャパン(岡田甲子男)
    • [38]1978年に抽出部の自動化に成功し、先発メーカーの地位確立と海外進出の戦略立案が容易になった
    • [39]昭和54年2月 有明食品化工(株)に商号変更
  • 証券 47(11) 1995年11月号(新規上場会社紹介)
    • [40]日本食資工業で抽出した畜産エキスを有明食品化工で加工・販売する一次・二次加工会社の並立体制。1982年4月 外食業界へ進出しホテル・レストラン・ラーメン店向け液体スープを発売
    • [41]日本食資工業で抽出した畜産エキスを有明食品化工で加工・販売する一次・二次加工会社の並立体制。1982年4月 外食業界へ進出しホテル・レストラン・ラーメン店向け液体スープを発売

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出典・参考 5件
出典・参考
  • アリアケジャパン 有価証券報告書 FY24【沿革】
  • フードケミカル 6(7) 1990年7月号 企業ルポ「アリアケジャパン(株)」
  • 証券アナリストジャーナル 30(1) 1992年1月号 別冊付録 アリアケジャパン(岡田甲子男)
  • 月刊経済 41(3) 1994年3月号
  • 証券 47(11) 1995年11月号(新規上場会社紹介)

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