国鉄は1984年10月9日、通信事業の企業化調査を担う日本テレコムの創立総会を開催した。資本金22億5,000万円を銀行・商社・国鉄関連企業など51社が出し、社長には前国鉄副総裁の馬渡一眞が就任した。その直前の9月、国鉄総裁の諮問機関である通信事業懇談会は、基幹回線には光ファイバーが最も有利だと中間報告した。同じ報告は、全国に線路用地を持つ国鉄を第一種電気通信事業への参入に適した担い手と位置づけた。馬渡は1986年の講演で、『光ファイバーケーブルというのが非常に有力な武器でございまして、これを敷設するに適当な全国を縦断する土地を国鉄が持っておるということが、やはり国鉄出るべしという大きな理由になっておるように思っております』と参入の理由を説明した。設立時の目標は、専用線を1986年ごろ、市外電話を1988年ごろに始め、東海道沿線から営業に入ることだった。
日本テレコムが最初に売ったのは企業向けの専用線で、1986年8月1日に東京・大阪間で始めた。許可の上では10月の開業だったが2か月繰り上げ、10〜11月に開いた長距離系の2社より先に営業に入った。市外電話は1987年9月4日に開業し、利用者は識別番号0088を回せば月々の基本料なしで使えた。開業時の料金は、東京・大阪間の3分間でNTTより25%安く設定した。中継系の新電電は両端の回線をNTTに依存するため、NTTとの接続点が利用者に近いほど割安にできた。1987年4月には接続点を7か所から14か所へ増やし、同年11月までに申し込みは65万回線に達した。
国鉄の分割民営化を前にした1986年12月、国鉄の全額出資で鉄道通信が設立され、国鉄の自営通信網と業務を引き継いだ。資本金は32億円で、社長には国鉄技師長だった坂田浩一が就任した。民間会社の日本テレコムが国鉄の財産を引き取ると資産評価の手間がかかるため、別に受け皿が作られた。鉄道通信は1987年3月に第一種電気通信事業の許可を得て、4月からJR各社向けの電話と専用線を始めた。こうして新幹線沿いの長距離網を持つ日本テレコムと、国鉄の業務網を継いだ鉄道通信という、同じ出自の2社が並んだ。分割の日程に財産承継の手続きを合わせた結果、国鉄系の通信会社が二つに分かれたとみられる。
1989年5月、鉄道通信は日本テレコムを1対1の比率で合併して商号を日本テレコムに改め、坂田浩一が社長を続けた。合併の狙いは、両社の人員と設備を一体で使い、経営の基盤を広げることに置かれた。合併前から郵政省は、同じ国鉄系の第一種事業者が2社並ぶことを気にかけていた。合併後は網の延伸と接続点の増設を進め、1992年11月には新電電で初めて全国をつなぐデジタル網を完成させた。合併後の出資はJR各社が過半を占め、1994年3月末の筆頭株主は22.7%を持つ東日本旅客鉄道だった。監督官庁の意向と設備の重複の両方が、2社を一つにまとめる方向へ働いたと推察される。
日本テレコムは1991年7月、デジタル方式の自動車・携帯電話を手がける東京デジタルホンを資本金40億円で設立した。同年11月に関西デジタルホン、1992年3月に東海デジタルホンを設け、地域ごとに別会社で参入した。使う電波は1.5GHz帯で、日本テレコム社長の坂田浩一は参入の理由を利用者に近いサービスを出すためと説明した。東京デジタルホンの株主には1994年時点で、日本テレコムを筆頭に米エアタッチ・インターナショナルやJR東日本など69社が並んだ。本業の市外電話では、1987年の開業から1992年4月までにNTTに対抗した値下げを5回重ねていた。長距離の単価が下がり続けるなかで、次の収益源を携帯に求めたのだろう。
日本テレコムは1994年9月6日に東証・大証の二部へ上場し、34,000株の公募で資本金は653億4,900万円になった。全国網を短期間で敷くための設備投資は借入金で賄っており、1994年3月期の借入金比率は66.0%だった。上場直前の1994年3月期の営業収益は2,507億4,600万円で、その88.6%を電話が占めた。坂田は上場を機に、網づくりの間に膨らんだ組織を見直し、技術陣と営業体制を組み直す方針を示した。1995年度には上場で得た資金などを返済に回し、有利子負債を1年で421億円減らした。株式の公開は、網を作り終えた後に借金を資本へ置き換える手段だったと考えられる。
東京デジタルホンは1994年4月1日、許可より3か月早く首都圏で携帯電話の営業を始めた。端末の売り切り制が始まる自由化の日に合わせた繰り上げで、関西は5月、東海は7月に続いた。東京デジタルホンの方式はエリクソン製の1.5GHz帯デジタルだけで、アナログも持つNTTドコモとは異なった。開業時の料金は新規加入料3万2,500円、月額基本料7,300円で、首都圏では4社が客を争った。郵政省への申請では、4年で単年度黒字、7年で累積赤字の解消を見込んだ。先行するドコモに対し、デジタル専業であることを売り物にするほかなかったとうかがえる。
日本テレコムは1997年10月1日、国際電話の日本国際通信(ITJ)を合併した。両社は3月に合意し、ITJ株12株に日本テレコム株1株を割り当て、合併後の社長は坂田浩一とした。引き金は1996年12月に決まったNTTの再編で、持株会社の下に分かれるNTTは国際事業にも出られるようになった。坂田は国際通信を、利益のためではなく客をつなぎ止めるのに欠かせない事業とみていた。自前の網づくりについては、『自分でこれから一生懸命設備投資をしたり、海底に光ファイバーを敷設したり、買い取ったり、海外と折衝したりでは10年ぐらいかかってしまう』とみて、合併を最善の手とした。合併で1998年3月期の売上高は4,000億円となる見込みで、DDIを抜いて新電電の中で2位に上がる計算だった。
日本テレコム系の携帯会社は1996年春までに、デジタルホン3社とデジタルツーカー6社の計9社で全国を受け持つ体制になった。東京デジタルホンは開業当初から全デジタルで、若い個人客を主な狙いに据えていた。1997年、東京デジタルホン社長の林義郎は、『エリアが日本全国に拡大したことと、さらにキメ細かいサービスの実現・周知徹底を目的としてJ-フォンという愛称で、より親しまれる東京デジタルホンをめざしてPRをはじめました』と愛称を掲げた事情を説明した。同年4月1日には月額基本料2,700円のエル・プランを設け、料金を下げたいという利用者の声に応えた。林は国鉄の出身で、旧日本テレコムの技術部長から1991年の東京デジタルホン設立に加わった。地域ごとに分かれた社名を、全国で通じる一つの呼び名に統一する最初の一歩だったとも読める。
1999年10月、東京デジタルホンなどデジタルホン3社とデジタルツーカー6社の計9社が、商号をそろってJ-フォンに改めた。9社は1997年にグループの呼び名をJ-PHONEに変えていたが、会社としては地域ごとに別々のままだった。東京デジタルホンは1999年春、料金メニューや新サービス、アフターサービスをグループで統一し、ブランドの重みを増す方針を掲げていた。統合前の9社は系列も異なり、端末の企画も広告も地域ごとに行っていた。商号の統一に続き、2000年5月に持株会社のジェイフォンが9社を傘下に収め、同年10月には9社を東日本・東海・西日本の3社に合併した。呼び名、商号、資本、組織の順に、地域会社を一つの会社へ寄せていったとみられる。
J-フォンは2000年時点で、ドコモ・KDDIと並ぶ三陣営のうち最も小さい16%強の市場シェアにとどまっていた。中核のJ-フォン東京は2000年3月期に売上高2697億円、経常利益530億円を計上し、累積損失を解消した。撮った写真をメールで送る写メールは、グリーンが着任する1年前に、J-フォンの経営会議で決まっていた。当時は3Gのテレビ電話が注目を集め、写真のメールは要らないとみる競合もあった。写メールの時期、J-フォンは年間200万件以上の純増を得た。2001年末の累計台数シェアは17%強の3位で、2位のKDDIのauとの差は0.4ポイントまで縮まった。支持の中心は10代から20代前半の女性だった。通信の方式で先行できない後発は、端末の使い道で若い客を集めることを選んだのだろう。
3Gの事業免許は2000年6月30日にドコモ、J-フォン、KDDIの三陣営へ交付され、どの方式でも1兆円規模の投資が要るとされた。日本テレコムはそれに先立つ1999年4月に第三者割当増資を行い、米AT&Tと英BTの出資を受け入れていた。2000年4月に立ち上げた持株会社のJ-フォンには、日本テレコムが54%、英ボーダフォン・エアタッチが26%、BTが20%を出した。三社は5月にJ-フォン9社の第三者割当増資を引き受け、約7000億円を投じた。技術方式はドコモと同じ日欧方式を採った。2000年末にはボーダフォンが日本テレコム株の15%を取得し、既存の出資先の持ち分を引き上げる方針を実地に移した。
2001年2月、ボーダフォンがAT&Tの持ち分を買い、日本テレコムの筆頭株主となる計画が明らかになった。出資比率は15%から25%か30%に上がり、JR東日本の15.1%を上回る見込みだった。日本テレコム社長の村上春雄は、1兆円に迫る3Gの投資と通信の国際化を前に、外資の資本を入れて財務を固めると決めた。村上は外資の受け入れについて、『相手先の株式を持つ資金的余力があれば、そもそも外資からの資本を受け入れる必要はない。今後の生き残りをかけて決断したことだ』という立場を取った。ボーダフォンは3月にAT&Tから株を買い取り、出資比率は25%に達した。ボーダフォンは役員4人の派遣を求めたが、会長の坂田浩一は2人と押し返した。J-フォンの持株会社でもボーダフォンとBTが並んで出資し、両社がそれぞれ日本での影響力を求める構図は2000年から指摘されていた。経営への関与をめぐる綱引きは、この時点では日本側がなお押さえていたと思われる。
ボーダフォンは2001年9月半ば、日本テレコム株の公開買付けを表明した。ドコモが3Gの本格サービスを10月に始める直前の動きだった。ボーダフォンは出資比率50%以上を原則とし、20%以下の出資と技術供与で海外に出るドコモとは逆の型を取った。ボーダフォン社長のクリス・ジェントは、『ドコモは日本では一番だが、20%以下の出資で国際展開はできない』という見方を示していた。公開買付けの結果、ボーダフォンは2001年10月に日本テレコム株の66.7%を握り、親会社となった。11月には日本テレコムの次期社長にボーダフォンのウィリアム・モローを充てる人事が決まった。J-フォンも同月に3社を1社に合併し、経営陣を一新した。
ボーダフォンは、グローバル・クロッシング・ジャパン社長だったダリル・E・グリーンを2001年11月にJ-フォン社長に据えた。グリーンは就任前に決まっていた設備投資の計画を、縮む第2世代への投資は無駄だとして半分の3000億円強に削減した。従来の計画のままでは借入が1兆円から2兆円に増え、8年続いた資金の流出も止まらなかった。ボーダフォンと日本テレコムの間で固まっていた役員人事も覆し、退任の決まっていた旧J-フォン東日本社長の林義郎を会長に迎えた。グリーンが率いたJ-フォンは、2001年11月に東日本・東海・西日本の3社を合併した1社体制だった。『企業はフリーキャッシュフローを大事にしなければいけない。たとえ1円でも黒字ならいいんです』という方針のもと、仕事の重さを点数にする職位の等級と、ポストの社内公募も入れた。
日本テレコムは2002年8月に持株会社体制へ移り、商号を日本テレコムホールディングスに改めた。固定通信は会社分割で新設した日本テレコムに移し、携帯のJ-フォンと並ぶ子会社とした。その前の7月には、携帯のシステム事業と端末の販売代理店事業も会社分割で子会社に切り出していた。ボーダフォンは親会社でいる間、固定の日本テレコムの設備投資を大きく絞った。2003年2月には、ボーダフォンが日本テレコムの売却に向けて複数の企業と交渉していることを明らかにした。固定と携帯を別々の会社に分けた持株会社化は、固定を売れる単位にする準備を兼ねていたと推察される。
2003年8月、米投資会社リップルウッド・ホールディングスが日本テレコムの買収を発表した。日本テレコムホールディングスは固定の日本テレコムを2003年中にリップルウッドへ譲り渡した。同年10月にJ-フォンはボーダフォンに、12月に持株会社はボーダフォンホールディングスに商号を改め、携帯専業となった。グリーンはドコモに比べて信頼性と国際性で劣る点をJ-フォンの弱みとみて、世界最大の携帯会社の傘下にあることを訴えたいとしていた。端末の調達については、『3Gでは世界に1億人以上のお客がいるボーダフォンの規模を生かさないといけない』という考えを示していた。世界共通のブランドと3G端末の調達規模でドコモとの差を詰めることが、ボーダフォンが日本で置いた前提だった。
2004年6月23日付で、ボーダフォン日本法人の社長ダリル・グリーンが一身上の都合を理由に職を退いた。英ボーダフォン・グループは同年4月、オランダ法人の社長をCOOとして日本へ送り込んでいた。日本側が用意した3G向けのデータ定額制は、英国側の慎重な姿勢から発表が先送りされていた。2003年10月に始めた土日の割安通話は半年で実質値上げに転じ、テレビ電話も通話の1.8倍に戻した。2004年3月期の純増は103万9100件で、auとドコモのどちらの半分にも届かなかった。日本の売り方を知る社長が本国の方針を覆せなくなったことが、辞任の引き金になったとみられる。
2004年8月16日、ボーダフォンはNTTドコモ前副社長の津田志郎を次期社長に迎えると発表した。津田はドコモで3Gサービスの開始を指揮したが、社長人事が覆って6月に子会社の社長へ転じていた。その7月、ボーダフォンの総契約数はJ-フォン時代を含めて初めて純減に転じた。6月に募った600人の希望退職は全社員の約18%に当たり、受け付け初日に定員へ達した。2004年4〜8月の純増は12万1600件にとどまり、auの約105万件、ドコモの約82万件と開いた。津田は持株会社と事業会社の合併を経て、12月1日に新会社の社長兼CEOに就任する段取りとなった。3Gへの移行で後れを取った局面で、ドコモの3G立ち上げを率いた経歴が買われたのだろう。
2005年4月、ウィリアム・T・モローがボーダフォンの代表執行役社長に就任した。モローは2001年12月から2年間持株会社の社長を務め、ボーダフォンUKの経営を経て戻った人物だった。2004年度の純増数は8万9,300契約にとどまっていた。2005年11月には、指定した1件との通話とメールが定額になるLOVE定額を始めた。2005年度の純増は16万9,200契約に戻ったが、業界全体の純増に占める割合は3.5%だった。新規客1件の獲得費用は4万5,000円に上った。販売促進費がかさみ、経常利益は51.5%減の744億円に減少した。契約を積むたびに利益が削られる構図が、英本社に日本からの撤退を考えさせたと推察される。
2004年3月期、ボーダフォンの経常利益は33.3%減の1812億円となり、最終損益は約1000億円の赤字だった。英ボーダフォンの持株会社は同年7月、日本法人株式の公開買付けで持株比率を96.1%に高めた。この買付けには約5000億円が投じられた。10月には持株会社と事業会社を合わせてボーダフォン株式会社とし、2005年8月に東証・大証の上場を廃止した。暫定で社長を兼ねた取締役会議長ブライアン・クラークの言葉では、買付けの狙いは『(日本法人を)100%コントロールできた方が戦略を確実に素早く実行できるし、グループの相乗効果も出しやすい』というものだった。上場をやめれば少数株主への配慮は要らず、2004年の時点で一部の数字の開示も止めていた。上場を外したことで、翌年の売却は少数株主を交えず親会社の一存で決められるようになったと思われる。
2006年3月17日、ソフトバンクはボーダフォン株式会社の普通株式97.7%を英ボーダフォン側から買うと発表した。株式価値は、有利子負債と調整項目を勘案して約1.75兆円と見積もった。ボーダフォンは1,514万回線を抱え、2005年9月期の半期でEBITDA約1,528億円を生んでいた。ソフトバンク社長の孫正義は、買収後の年報で狙いを『2006年4月には、ボーダフォン(株)を買収し、顧客基盤やネットワークを一気に獲得することにより、移動体通信事業への早期参入を果たしました。』とまとめた。株式の取得は4月、ソフトバンクの完全子会社BBモバイルの公開買付けで行った。あわせて英ボーダフォンとは、端末の共同開発やコンテンツの調達で提携を結んだ。英本社から見れば、国内3位の日本で投資を続けるより、網と客を一度に現金へ換える方が理にかなったと考えられる。
買収資金の中心は、買収先の資産を担保にするLBOの銀行借入1.1〜1.2兆円だった。残りは英ボーダフォン側の劣後借入1,000億円と優先株式3,000億円、ヤフーの優先株式1,200億円で埋めた。ソフトバンク本体が出したのは、普通株式の2,000億円にとどまった。2005年12月末のソフトバンク連結は純有利子負債約4,700億円を抱え、EBITDAは年1,200億円規模だった。このため借入はノンリコースとし、返済の元手をボーダフォンの年3,000億円規模のEBITDAに絞った。2006年度末の有利子負債は2兆3,944億円に膨らみ、うち約1.4兆円がノンリコースローンだった。2007年5月までに、1.45兆円の借り換えを終えた。
2006年10月1日、ボーダフォンは商号をソフトバンクモバイルに改め、ブランドもソフトバンクへ替えた。同じ10月には番号ポータビリティが始まり、新料金として予想外割を打ち出した。それでも10月の純増は2万3,800件で、番号を持ち込む転入3万1,100件を転出5万5,000件が上回った。孫は網と端末の見劣りを先に正す順序を取り、年報でその考えを『ただし、他社と競争する上で、劣後性を持っていては競争になりませんので、まずこの解消を第一の優先課題とし、是正に取り組みました。』と記した。3Gの基地局は、2007年度上期中に買収前の2倍以上の46,000局とする計画を立てた。2006年度には3G32機種を含む35機種の端末を発売した。10月には専用ポータルのYahoo!ケータイも始め、買収から12か月の純増は85万件に達した。
2007年1月、基本料月980円でソフトバンク同士の国内通話を1時から21時まで無料にするホワイトプランを始めた。端末代を通信料から切り離す割賦販売とあわせ、販売奨励金を料金へ上乗せする仕組みを改めた。ホワイトプランは開始から4か月弱で、Wホワイトを含め400万件を集めた。新規と買い換えの8割超が割賦を選んだ。割賦は最長2年の契約となるため、解約の減少が見込めた。純増全体に占める割合は2005年度の3.5%から、2006年度には14.2%へ上がった。2007年度には年間の純増数で首位に立った。自社同士の通話を無料にしたことで、1人の加入が家族や知人の加入を呼んだと推測できる。
2008年7月、ソフトバンクモバイルはアップルのiPhone 3Gを日本で発売した。孫は2008年を、携帯が通話とメールの道具からデータ中心の機械へ移る境目と見ていた。同じ年の春には、3.5インチの画面とフルキーボードを備えた922SHを投入していた。買収の目的についても、年報で『ボーダフォンを買収して携帯電話事業に参入したのは、モバイルインターネットに最適な環境を実現するためにほかなりません。』と改めて記した。3Gの基地局は、2007年度上期中に買収前の2倍以上の46,000局へ増やす計画だった。それでも2008年の年報は、基地局の増設を2008年度以降も進める課題に挙げた。契約の伸びを海外製の1機種に依存し、網の厚みでは他社を追う立場のまま、次の時期へ入ったといえる。
ソフトバンクモバイルは2010年、約6万局の基地局を2010年度中に約12万局へ倍増させる計画を発表した。2009年度下期の自社調べでは、解約理由の1位は電波の状態への不満だった。2010年3月の調査では、網に満足と答えた利用者が27%にとどまり、NTTドコモとauの51%の半分ほどだった。スマートフォンはデータ通信の量が多く、1つの基地局に負荷が集まっていた。そこで同じ範囲を複数の基地局で分けて受け持つ網へ改め、家庭や事業所には小型基地局とWi-Fiルーターを無償で配った。基地局は2010年度末に12.2万局となり、計画した数に届いた。2011年度第3四半期には18万局に達し、2年で約3倍になった。
iPhoneを国内で1社だけが扱えた2010年度、移動体通信サービスの累計契約数は前年度末から353万件、16%増えた。年間の純増契約数は2010年度と2011年度に2年続けて国内首位だった。スマートフォンの利用者はデータ通信を多く使うため、データARPUは前年度より14%伸びた。移動体通信事業の営業利益は2010年度に4,024億円となり、ボーダフォン日本法人時代の763億円の5倍を超えた。買収の際に1.36兆円あったソフトバンクモバイルの借入残高は、2011年4月末に6,270億円まで減った。iPhoneの独占が生んだ現金が、買収の借入を早く返す元手になったとみられる。
2011年10月14日にiPhone 4Sが発売され、KDDIのauも同じ機種を売り始めた。ソフトバンクモバイル社長の孫正義は併売を『iPhoneは我々の躍進の原動力であり、併売の開始は2006年に移動体通信事業に参入してから最大の難局でした。』と受け止め、100万人規模の解約を懸念した。解約は既存のiPhone利用者のごく一部にとどまり、新規の獲得も大きくは落ちなかった。独占が終わって残った不利は電波で、2.1GHz帯が主の網は障害物の裏や屋内に届きにくかった。2010年度の1契約当たりの携帯設備投資は14,900円で、NTTドコモとauを上回った。孫正義は2011年10月の決算説明会で、900MHz帯の割り当てを申請する予定を示した。
ソフトバンクモバイルは2012年3月1日、900MHz帯の割り当ての認可を受けた。孫正義は2004年の800MHz帯の再編の時から、『移動体通信サービスに最も適した700〜900MHz帯の周波数“プラチナバンド”の割り当てを希望し続けてきました。』と振り返った。自社の実験では、800MHz帯の電波は2.1GHz帯の3倍の範囲を覆い、障害物の裏にも回り込んだ。900MHz帯のサービスは2012年7月25日に始まった。連結設備投資の計画は2011〜2013年度の3年で1.55兆円に積み増され、2012年度は移動体通信事業だけで5,000億円を投じるとした。900MHz帯の基地局は2013年1月に1.6万局を超え、申請した計画を前倒しして増やした。
親会社のソフトバンクは2012年10月1日、イー・アクセスを株式交換で傘下に入れる手続きを公表した。株式交換比率の算定では、販売力の強化とバックボーン網の共用でイー・アクセスの利益が大きく伸びる計画を前提に置いた。2012年10月の決算説明会では、両社とウィルコムを単純に合算した連結EBITDAがNTTドコモを上回ると示した。2013年1月には、iPhone 5などを1.7GHz帯のLTEに順次対応させる方針を掲げた。2013年6月末でソフトバンクはイー・アクセス株の99.59%を持ち、議決権の比率は33.29%だった。狙いは顧客数より、LTEに使える周波数と網の上乗せにあったのだろう。
親会社のソフトバンクは2012年10月15日、米Sprint Nextelの株式の70%を201億ドルで取得することで合意した。内訳は既存株の買い取り121億ドルと、Sprintが新たに出す株式80億ドルだった。ソフトバンク社長の孫正義は、買収の動機を『国内の通信市場が成熟する中でも成長し続けていくため、リスクを負ってSprint Corporation(以下「スプリント」)を買収し、米国の通信市場へ進出しました。』と説明した。両社を合わせた2012年1〜6月期の移動体の売上高は3.3兆円で、世界3位の規模になる計算だった。純有利子負債のEBITDA倍率は買収前の1.4倍から2.7倍へ上がるが、ボーダフォン日本法人買収時の5.6倍を下回ると示した。2013年4月にはDISHの対抗提案に対し、2013年7月の買収完了を予定どおり目指すと説明した。
ソフトバンク傘下のイー・アクセスとウィルコムは2013年12月3日、合併の基本合意書を結んだ。両社は2013年1月から互いの専売店で商品を扱っており、経営資源をより効率よく使うことを合併の目的に掲げた。2013年9月末の契約数はイー・アクセスが約440万、ウィルコムが約570万で、合わせて1,000万を超える計算だった。効力発生日は2014年4月1日の予定から6月1日へ延びた。2014年3月には、合併後の会社をヤフーが3,240億円で取得し、ワイモバイルの名でスマートフォン向けの通信を売る計画が出た。ヤフーへの移管は協議の末に取りやめとなった。ソフトバンクの名を使わない受け皿を別に持つことで、料金の安さを求める客を本体と分けて取り込めるようになったと推察される。
2013年度の連結売上高はSprintなどの連結で6兆6,667億円となり、前年度の2倍を超えた。子会社の支配獲得に1兆6,635億円を払い、フリー・キャッシュ・フローは1兆8,579億円の赤字だった。Sprintの網は『過去数年間にわたって、スプリントはネットワークに対する設備投資が十分にできておらず、そのツケが回ってきています。』という状態で、立て直しにはなお投資が要った。一方で国内の移動通信事業のセグメント利益は6,090億円となり、前年度の5,171億円から18%増えた。純増契約数は2010年度から4年続けて国内首位だった。連結営業利益1兆854億円には、ガンホーとウィルコムの子会社化に伴う一時的な利益2,539億円が含まれていた。米国の買収と投資を国内の携帯の利益で支える役割が、この時期に国内通信会社に定まったと思われる。
2015年4月1日、ソフトバンクモバイルはソフトバンクBB、ソフトバンクテレコム、ワイモバイルの3社を吸収合併した。4社はそれまで、携帯、ブロードバンド、固定電話とデータ通信、Y!mobileの携帯を別々の会社で受け持っていた。取締役会が掲げた狙いは、4社で分け持っていた回線や売り場を一つの会社の資産とし、国内通信で競う力を高めることだった。携帯の看板はソフトバンクとY!mobileの二つを残し、合併後の社長には宮内謙が就任する体制を組んだ。合併後の新会社の議決権は、当時の親会社ソフトバンクが間接所有を含め99.99%を握った。光回線の契約は2015年度末に172万件へ増え、携帯との組み合わせ販売で解約率を下げる方針が示された。
合併から3カ月後の2015年7月、ソフトバンクモバイルは商号をソフトバンクに改めた。同じ月、それまでソフトバンクを名乗っていた親会社は、商号をソフトバンクグループに変えた。合併を決めた時点では、存続会社の商号はソフトバンクモバイルのまま据え置く予定だった。その新会社の事業は、携帯の通信と端末の販売に加え、固定通信とインターネット接続まで広がっていた。宮内謙は後年、2015年にこの会社の社長となり、国内の通信事業を任されたと記した。社名から携帯の一語を外したのは、固定と携帯を一社で売る姿を名前でも示し、持株会社となった親会社と役割を分けるためだったとみられる。
2016年7月の親会社の説明会で、国内通信の同年4〜6月期の営業利益は前年同期比11%増の2,390億円と示された。伸びを引いたのはスマートフォンと光回線で、2016年度のフリー・キャッシュ・フローは5,000億円を目標に置いた。安さを求める客にはY!mobile、大容量を使う客にはソフトバンクを当て、二つの看板で本体の料金水準を保った。2019年2月時点で、スマートフォン契約に占めるY!mobileの比率は約2割だった。2019年5月の質疑で値下げの構えを問われた会社側は、『当社は3年前から、格安スマホや大容量プランに取り組んできている。』と答え、料金は微修正で足りるとの見方を添えた。
2018年12月、ソフトバンクは東京証券取引所市場第一部に上場した。売り出されたのは親会社側の持ち株で、売出価格は1株1,500円と決まった。2019年3月末、筆頭株主のソフトバンクグループジャパンの持ち分は66.49%となった。親会社のソフトバンクグループは、この上場などを経て、世界へ投資する戦略的持株会社に移ったと位置づけた。上場記者会見の資料は、自律的で機動的な経営を速めることと、連結配当性向85%を方針の中心に掲げた。上場した2018年度の業績は、売上高3兆7,000億円、営業利益7,000億円を見込んだ。親会社は投資の元手を得て、子会社は高い配当で新しい株主を集めるという、双方の求めを一つの上場で同時に満たしたのだろう。
上場後の株価は、売出価格の1,500円を下回ったまま推移した。親会社社長の孫正義は2019年2月、その背景を『三つぐらい、ちょうど出端で残念なニュースが重なったというようなこともありましたけれども、下回った状況にある。』と説明した。同じ時期の子会社の質疑では、通信障害をめぐるエリクソンとの賠償協議を問われ、回答を控えた。ファーウェイ製機器は、数十億円相当の入れ替えを決めた一方、4Gの中国製機器は交換しない方針を示した。政府の値下げ要請には、低価格はY!mobile、超格安はLINEモバイルで受けるとして、一律の値下げを退けた。孫の言う重なった知らせは、この障害と機器の問題、料金への政府の圧力を指していたと推察される。
2019年5月8日、ソフトバンクはヤフーが発行する新株を4,565億円ですべて引き受けると決めた。持ち分は12.08%から44.64%へ上がる見込みとなり、役員の派遣も加えて、同年6月にヤフーを子会社とした。お知らせは、通信の枠を越える「Beyond Carrier」の戦略で新事業を進める要に、ヤフーとの連携を据えた。同日の質疑で、親会社が持っていたヤフーをなぜ買うのかを問われ、会社側は『兄弟と親子では関係性は全く異なる。親子になれば、ヤフーの利益が当社に入ってくるようになる。』と答えた。値下げや他社の動きを織り込み、本業の営業利益は緩やかな伸びにとどまるとの見通しも示した。2019年度には、売上高の6割以上をモバイル以外の事業が占める構成に変わった。
2019年9月12日、ヤフーはZOZO株の公開買付けと、ZOZOとの資本業務提携を決めた。創業者で筆頭株主の前澤友作は、持ち分36.76%のうち30.37%を応募する契約を結び、同日にZOZOの取締役を退いた。交渉の起点は2019年6月下旬で、ZOZOの価値を高めるなら株を手放してもよいという前澤の意向が確かめられた。ヤフーは、女性が中心の客層と撮影・採寸・原稿作成をそろえた出品の仕組みを、秋に始めるPayPayモールに生かせると判断した。買付けの上限は50.10%とし、同年11月、社名をZホールディングスに改めた旧ヤフーがZOZOを子会社とした。2019年度のeコマースの取扱高は、前期比14%増えた。
2019年12月23日、ソフトバンクはNAVER、Zホールディングス、LINEと経営統合の最終契約を結んだ。お知らせは統合の背景に、ネットの市場で米中の企業が優位に立ち、日本の企業との規模の差が開いている現状を挙げた。月間利用者6,743万人のZホールディングス側と、国内の月間利用者8,200万人のLINEが、対等の立場で経営資源を持ち寄った。宮内謙は2020年6月の株主総会で、統合後の姿を『統合後は通信・コマース・決済からSNSまで幅広い領域に強みを持つ、他に類を見ない企業グループとして他社にはまねできない未来をつくっていきます。』と描いた。同じ年の12月21日には、翌日に新しい料金サービスの発表会を開催すると告知した。ネットの規模を統合する手を打った一方で、通信料の引き下げにどう答えるかが次の局面の課題として残ったと思われる。
2021年3月、LINEとZホールディングスの経営統合が完了し、LINEはソフトバンクの子会社になった。統合後のZホールディングスは、ソフトバンクとNAVERが半分ずつ出資するAホールディングスの傘下に置かれた。4月に社長となった宮川潤一は、2021年の統合報告書で統合の意味を『LINEが当社のグループ企業となったことは、当社の「Beyond Carrier」戦略第1フェーズの最後のピースが揃ったといえ、統合の意義は非常に大きいと考えています。』と説明した。その一方で、統合に伴う無形資産の償却などが2022年3月期の営業利益を約300億円押し下げる見込みとなった。統合の直後にはLINEが個人情報の扱いで行政指導を受け、Zホールディングスはデータ管理と安全対策の強化を最優先の課題に置いた。利用者を統合する枠組みはそろったが、相乗効果より先に足元の管理を固める順番になったとみられる。
2021年1月、ソフトバンクの取締役会は指名委員会の提言を受け、副社長兼CTOの宮川潤一を4月1日付で社長に就けると決めた。後継者の検討は約2年前に指名委員会で始まり、2020年春から本格的な審議に入っていた。交代の時期には、LINEとZホールディングスの統合でグループの形が変わる2021年春を選んだ。宮川が選ばれた理由として、先端技術への深い知見と事業を運営する力が挙げられた。宮川自身は、前年10月に社長の宮内謙から技術で会社を率いるよう打診を受けたという。就任1期目には、値下げの影響を法人事業などの伸びで補い、増収増益を続ける目標を掲げた。
2020年12月、ソフトバンクはオンライン専用の新ブランドを2021年3月に始めると発表した。コロナ禍で、手間と費用を抑えて非対面で済むサービスを求める声が強まったことを理由に挙げた。LINEとZホールディングスの統合を機に、LINEの基盤を通信の新サービスに使う狙いもあった。2021年2月にはブランド名をLINEMOとし、3月17日から20GBを月額2,480円で出すと発表した。LINEMOはソフトバンクとワイモバイルと同じ回線を使い、契約の手続きをすべてオンラインで済ませる方式をとった。2021年5月の説明会では、既存2ブランドからLINEMOへの移動は当初の想定の範囲内と説明した。
2022年10月、ソフトバンクはPayPayを連結子会社にした。2022年5月時点の議決権はソフトバンクグループが50%、ソフトバンクとZホールディングスが25%ずつだった。両社の優先株を普通株に替えれば33%ずつとなり、子会社を通じた分と合わせて66%を握れる計算だった。宮川は同じ説明会で、PayPayを軸にグループの金融サービスを大きく育てる考えを示した。子会社化で計上した再測定益は期初の見込みを数百億円上回り、自己資本比率は16%を超える水準に上がる見込みとなった。決済の先行投資を外で支える構造から、利益も管理も自社の連結に収める構造へ移したのだろう。
2022年5月、ソフトバンクは通信料の値下げによる2022年度の減益影響を900億円と見込んだ。契約数は増えても、割安なワイモバイルへ移る利用者が多く、1人あたりの単価が下がったためと説明した。値下げで収益の構造が変わったとして、2023年度のコンシューマと法人向けの設備投資を1,000億円削減する方針をとった。2023年5月の中期経営計画について、宮川は『今回発表した中期経営計画は、2021年春の通信料値下げの影響からしっかりと回復するという意思表明だと捉えてほしい。』と位置づけた。2024年5月、コンシューマ事業は増益に転じ、宮川は当初の予定より早く改善できたと振り返った。2024年の統合報告書でも、通信料値下げの山を越えたという認識を示した。
2023年5月、ソフトバンクはグループで生成AIの活用を検討する準備企画会社を設けたと明らかにした。同年8月には日本マイクロソフトと、クラウドと生成AIを中心とする提携を発表した。11月の説明会で宮川は、海外の最先端モデルと開発を競う考えはないとしつつ、『日本独自の文化・歴史・商慣行・言い回しなどを踏まえた生成AIを国内で持ち、輸入だけに頼らない構造を作りたいと考えている。』と語った。収益は消費者向けの月額課金ではなく、企業向けの解決策と導入の支援で得る考えを示した。2023年11月には社債型種類株式を東京証券取引所に上場させ、調達した1,200億円をAI計算基盤への投資に充てた。値下げで通信の伸びが止まるなか、法人事業に載せられる次の商材を早く持ちたかったと推察される。
2024年3月、ソフトバンクはアイルランドのCubic Telecomの株式51.0%を761億円で取得し、子会社にした。Cubic Telecomは、コネクテッドカーとソフトウエアで機能を定める車に向けたIoTの基盤を世界で展開していた。宮川は、EV化と自動運転で車をソフトウエアで動かす領域が広がれば、通信がその管理と配信の要になると説明した。取得資金は国際協力銀行と国内の4行からの長期融資380億円などで賄った。ソフトバンクは2021年5月の時点で、中長期に自動運転の領域へ取り組む考えを示していた。2024年11月には、セルラーV2Xや自動運転を支えるAIの開発を進めていると述べた。
ソフトバンクは米OpenAIと組み、合弁のSB OAI Japan合同会社を通じて企業向けAIの事業に入った。中核に置いたのは、業務の流れを自動で組み立てるAIエージェント群のクリスタル・インテリジェンス(仮称)である。宮川は2025年5月、他社が扱うChatGPTの標準版の再販とは別物の、より高度な製品だと位置づけた。2025年11月の時点では試作版を社内で検証する段階で、2026年中に1,000人規模の営業体制を目指した。収益は導入の支援で得る考えで、ソフトバンクグループへの支払いは使った分に応じる従量課金を前提とした。2024年の統合報告書では、AIでコールセンターを自動化する商品をまず自社で試し、顧客企業へ広げる順序を示していた。
2024年の統合報告書で宮川は、2025年度の営業利益目標9,700億円に対し、実力では1兆円超を稼げる基盤ができたとした。それでも目標は上げず、約1,100億円を投じてAI計算基盤の計算能力を37倍に引き上げる先行投資を選んだ。2025年8月の説明会では、次の計画の中心について『AIなくして次の中期経営計画はないと考えており、AI計算基盤やAI-RANなどを中心としたAI関連のビジネスを柱としたい。』と語った。2026年2月には、AIの用途が学習から推論へ移るとみて、設備投資の速度を上げる考えを示した。同じ説明会で、AIデータセンターの投資計画は次の中期経営計画で説明するとした。2026年、ソフトバンクは2027年3月期から2031年3月期までの中期経営計画を公表した。
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|---|---|---|---|---|
| 1984〜1998年国鉄系の長距離通信会社・日本テレコムと、東京デジタルホンからのデジタルホン網 | (旧)日本テレコムを設立 | ★ | ||
| 鉄道通信を設立 | ★ | |||
| 二社体制を解き、国鉄の通信網を継いだ鉄道通信を器に残して名だけを相手から受け継いだ一本化 1989年5月1日、鉄道通信は(旧)日本テレコムを吸収合併し、同日付で商号を日本テレコムへ変更した。存続したのは、日本国有鉄道の分割民営化に伴い1986年12月に資本金32億円で設立され、1987年4月に国鉄の基幹通信網を承継した鉄道通信のほうである。 消滅したのは、1984年10月に設立され1985年6月に第一種電気通信事業許可を得ていた(旧)日本テレコムで、社名だけが存続会社へ引き継がれた。器は通信網を持つ側に残し、名は先に立った側から受け取る形をとっている。 詳細を読む | ||||
| (旧)日本テレコムを吸収合併、日本テレコムに商号変更 | ★ | |||
| 東京デジタルホンを設立し携帯電話事業に参入 | ★★ | |||
| 東京証券取引所二部・大阪証券取引所二部に上場 | ★ | |||
| 東京証券取引所一部・大阪証券取引所一部に指定替え | ★ | |||
| 日本国際通信を吸収合併 | ★ | |||
| 1999〜2003年J-フォンの写メールとボーダフォンによる買収、日本テレコムの固定部門の売却まで | デジタルホン・デジタルツーカー9社がJ-フォンに商号変更 | ★ | ||
| 固定通信と携帯J-フォンが外資の傘下に入った支配権の移動 2001年、契約者数1億人超の世界最大の携帯電話会社である英ボーダフォンが、公開買付を軸とする段階取得で日本テレコムの議決権66.7%を握り、傘下の携帯電話J-フォンと国鉄由来の固定通信網を一挙に支配下に置いた経営判断。固定と携帯の双方が、世界25カ国に広がる外資の携帯戦略の内側へ組み込まれた。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 持株会社体制に移行、日本テレコムHDに商号変更 | ★ | |||
| 2004〜2008年ボーダフォンの失速と上場廃止、ソフトバンクによる買収からiPhone投入まで | 東京証券取引所一部・大阪証券取引所一部上場廃止 | ★★ | ||
| 孫正義 | 1兆6,935億円を投じたLBOによる携帯電話事業への参入 2006年3月17日、ソフトバンクとBBモバイルは英ボーダフォン側3社との間で、国内3位の携帯電話事業者ボーダフォン株式会社の買収に合意した。発表時の株式価値は約1.75兆円と算定され、4月27日、BBモバイルは公開買付けとメトロフォン・サービスの取得により発行済株式総数の99.54%を1兆6,935億円で取得した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 孫正義 | ソフトバンクモバイルに商号変更、ブランド名を「ソフトバンク」に | ★ | ||
| 2009〜2014年iPhoneで純増首位に立ったソフトバンクモバイルと、イー・アクセス買収・Sprint買収合意 | 孫正義 | イー・アクセスの取り込みと並走した「世界作戦」の展開 2012年10月、ソフトバンクは米携帯電話3位のスプリント・ネクステルの株式約70%を201億ドル(約1兆5,700億円)で取得して子会社化することで合意し、あわせて国内4位のイー・アクセスを約1,802億円で完全子会社化すると発表した。孫正義社長が"世界作戦"と呼んだ海外進出への大勝負であった。 詳細を読む | ★★★ | |
| 2015〜2020年グループ通信会社の合併とソフトバンクへの改称、再上場とヤフー・ZOZOの子会社化 | 宮内謙 | ソフトバンクBB・ソフトバンクテレコム・ワイモバイルを吸収合併 | ★ | |
| 宮内謙 | ソフトバンクに商号変更 | ★ | ||
| 宮内謙 | 通信子会社の東証一部上場と親会社による約2.6兆円の資金調達 2018年12月19日、ソフトバンクグループ(SBG)が完全子会社である国内通信事業のソフトバンク(証券コード9434)を東京証券取引所第一部に上場させ、保有株の約4割を売り出して約2兆6,000億円を調達した経営判断。1987年のNTTを上回る国内史上最大の新規株式公開であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 宮内謙 | ヤフーを子会社化 | ★★ | ||
| 宮内謙 | ZOZOを子会社化 | ★★ | ||
| 2021〜2026年LINEとPayPayの子会社化、宮川潤一体制 | 宮内謙 | LINEを子会社化 | ★★ | |
| 宮川潤一 | 宮川潤一が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 宮川潤一 | PayPayを子会社化 | ★★ | ||
| 宮川潤一 | Cubic Telecom Ltd.を子会社化 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(ボーダフォン(現ソフトバンク))