1911年〜 大阪での個人創業から伊万里工場を主拠点とする中堅造船会社へ
名村造船所の業績推移:単体
- 1911年 名村源之助個人により名村造船鉄工所を創業
- 1931年 旧村尾造船所の施設を買収し名村造船所として新発足
- 1942年 東京事務所開設
- 1949年 大阪証券取引所に株式上場
- 1949年 増資を実施
- 1961年 陸上部門に参入
- 1972年 主力造船拠点の大阪から佐賀・伊万里への移転と新工場建設 船が大型化するなか、名村造船所はなぜ創業60年の木津川筋を離れ、伊万里湾を選んだか
名村源之助の個人創業と株式会社化・上場
名村造船所の出発点は、創業者・名村源之助(1878年生まれ)が造船の現場で積んだ修業にある。父・源兵衛が私財を投じた築港事業の失敗で生家の田畑を失い、源之助は少年期から神戸の造船所(現在の川崎重工業神戸造船所)、ついで大阪鉄工所(現在の日立造船桜島工場)で鉄工として働き、造船の技術を身につけた。1911年2月、源之助は大阪・安治川河口の「源兵衛渡し」に近い上野鉄工所(現在の西区南安治川通)を発祥の地として、個人経営で名村造船鉄工所を起こした。明治末期の大阪は紡績・繊維機械の生産拠点として工業集積が進んだ地域で、舶用機械の修繕需要と小型船舶の建造需要が同時に発生していた。 [1][2][3][4][5]
- 名村造船所 有価証券報告書【沿革】
- [1]1911年2月 名村源之助が個人経営で名村造船鉄工所を創業
- [2]創業者の氏名は名村源之助
- 造船55年(名村造船所・1967年刊)
- [3]創業者 名村源之助は1878年(明治11年)生まれ
- [4]源之助は父・源兵衛の築港失敗で家産を失い、神戸の造船所(現・川崎重工業神戸造船所)と大阪鉄工所(現・日立造船桜島工場)で鉄工として造船を学んだ
- [5]発祥の地は安治川河口「源兵衛渡し」近くの上野鉄工所(現・西区南安治川通)。有報沿革の「大阪市大正区」表記は1913年の難波島移転後の所在地にあたる
1913年には大阪・難波島(後の大正区今木町)へ移って「名村造船鉄工所」の看板を掲げ、第1次世界大戦期の浦賀丸(300総トン、1915年引き渡し)を皮切りに建造船を大型化させ、1920年ごろには1,000総トン級の建造へと規模を伸ばした。1931年4月、旧村尾造船所の施設を買収して株式会社名村造船所として法人形態で新発足し、本拠を大阪市住之江区に置いた。創業から20年で個人事業から株式会社へ移行し、戦前期の大阪湾を拠点とする中堅造船所として規模を整えた。1949年6月には大阪証券取引所に株式上場(資本金8百万円)を果たし、戦後復興期の重工業として資本市場に参入した。 [6][7][8][9]
- 造船55年(名村造船所・1967年刊)
- [6]1913年 大阪・難波島(後の大正区今木町)へ移転し「名村造船鉄工所」の看板を掲げた
- [7]第1次大戦期の浦賀丸(300総トン・1915年引渡)を機に建造船を大型化し、1920年ごろ1,000総トン級に到達
- 名村造船所 有価証券報告書【沿革】
- [8]1931年4月 旧村尾造船所の施設を買収し株式会社名村造船所として新発足(本拠 大阪市住之江区)
- [9]1949年6月 大阪証券取引所に株式上場(資本金8百万円)
- 名村造船所 有価証券報告書【沿革】
- [1]1911年2月 名村源之助が個人経営で名村造船鉄工所を創業
- [2]創業者の氏名は名村源之助
- [8]1931年4月 旧村尾造船所の施設を買収し株式会社名村造船所として新発足(本拠 大阪市住之江区)
- [9]1949年6月 大阪証券取引所に株式上場(資本金8百万円)
- 造船55年(名村造船所・1967年刊)
- [3]創業者 名村源之助は1878年(明治11年)生まれ
- [4]源之助は父・源兵衛の築港失敗で家産を失い、神戸の造船所(現・川崎重工業神戸造船所)と大阪鉄工所(現・日立造船桜島工場)で鉄工として造船を学んだ
- [5]発祥の地は安治川河口「源兵衛渡し」近くの上野鉄工所(現・西区南安治川通)。有報沿革の「大阪市大正区」表記は1913年の難波島移転後の所在地にあたる
- [6]1913年 大阪・難波島(後の大正区今木町)へ移転し「名村造船鉄工所」の看板を掲げた
- [7]第1次大戦期の浦賀丸(300総トン・1915年引渡)を機に建造船を大型化し、1920年ごろ1,000総トン級に到達
戦後の増資・多角化と三笠丸が示した実力
1949年から1972年にかけては段階的な増資が継続し、資本金は8百万円から1,550百万円へ約190倍に拡大した。1949年9月20百万円、1951年11月60百万円、1956年3月180百万円、1960年10月360百万円、1963年10月720百万円、1966年10月1,008百万円、1972年4月1,550百万円と、ほぼ4年に1回のペースで増資が実施され、戦後高度成長期の造船需要拡大と歩調を合わせる資本拡張が続いた。1961年9月には鉄構工場を新設し陸上部門に進出、造船以外への事業多角化を開始した。1972年12月には名和産業(現連結子会社)を設立して周辺事業の育成を始めた。 [10][11][12][13]
- 名村造船所 有価証券報告書【沿革】
- [10]資本金は8百万円から1,550百万円へ拡大(約190倍)
- [11]増資推移 1949/9 20百万・1951/11 60百万・1956/3 180百万・1960/10 360百万・1963/10 720百万・1966/10 1,008百万・1972/4 1,550百万円
- [12]1961年9月 鉄構工場を新設し陸上部門に進出(造船以外への多角化開始)
- [13]1972年12月 名和産業を設立(現連結子会社)
戦後の名村を象徴する仕事が、日本郵船向けに建造した貨物船「三笠丸」である。1955年7月に起工し1956年3月に竣工した4,100総トンの遮浪甲板型貨物船で、日本郵船のM型第1船にあたる。名村は大手造船所との見積競争を制してこの受注を獲得しており、日本郵船が大型貨物船の建造を中堅造船所へ発注した最初の事例として業界の注目を集めた。木津川筋の小さな一造船所が、最大手海運会社から大手造船所並みの優秀船を任される水準に達したことを示す画期だった。こうした実績の底流には、創業以来の「生産第一主義」、取引先に迷惑をかけないことを旨とする「信用第一主義」、そして借入による過剰投資を避ける「堅実経営」という、創業者譲りの経営の流儀があった。1967年に編まれた社史は、この伝統を「協調融和」「研究努力」「実行前進」という社是に要約している。 [14][15][16][17]
- 造船55年(名村造船所・1967年刊)
- [14]三笠丸は日本郵船向けM型第1船で4,100総トンの遮浪甲板型貨物船、1955年7月起工・1956年3月竣工
- [15]名村は大手造船所との見積競争を制して受注し、日本郵船が大型貨物船を中堅造船所へ発注した最初の事例となった
- [16]創業以来「生産第一主義」「信用第一主義」「堅実経営」を経営の柱とした
- [17]1967年の社史は伝統を社是「協調融和」「研究努力」「実行前進」に要約
- 名村造船所 有価証券報告書【沿革】
- [10]資本金は8百万円から1,550百万円へ拡大(約190倍)
- [11]増資推移 1949/9 20百万・1951/11 60百万・1956/3 180百万・1960/10 360百万・1963/10 720百万・1966/10 1,008百万・1972/4 1,550百万円
- [12]1961年9月 鉄構工場を新設し陸上部門に進出(造船以外への多角化開始)
- [13]1972年12月 名和産業を設立(現連結子会社)
- 造船55年(名村造船所・1967年刊)
- [14]三笠丸は日本郵船向けM型第1船で4,100総トンの遮浪甲板型貨物船、1955年7月起工・1956年3月竣工
- [15]名村は大手造船所との見積競争を制して受注し、日本郵船が大型貨物船を中堅造船所へ発注した最初の事例となった
- [16]創業以来「生産第一主義」「信用第一主義」「堅実経営」を経営の柱とした
- [17]1967年の社史は伝統を社是「協調融和」「研究努力」「実行前進」に要約
伊万里工場稼働と多角化、バブル後の収益基盤拡張
1972年10月、九州・佐賀県伊万里湾で伊万里工場の建設を起工し、1974年11月に竣工した。大阪での創業から60年以上経過して、主力造船拠点を九州西岸へ移す設備投資である。1979年10月には大阪工場の設備を売却して生産集約を進め、1982年7月には本社を大阪市住之江区から西区に移転した。1983年1月には伊万里事業所に海洋陸機工場を新設し(旧伊万里工場改称)、海洋構造物事業へ踏み込んだ。1983年7月の玄海テック設立・名村情報システム設立、1986年9月の名村エンジニアリング設立と、伊万里を中心とするグループ会社の整備が1980年代を通じて続いた。 [18][19][20][21][22][23]
- 名村造船所 有価証券報告書【沿革】
- [18]1972年10月 伊万里工場の建設を起工
- [19]1974年11月 伊万里工場竣工
- [20]1979年10月 大阪工場の設備を売却(生産集約)
- [21]1982年7月 本社を大阪市住之江区から西区に移転
- [22]1983年1月 伊万里事業所に海洋陸機工場を新設(旧伊万里工場改称)
- [23]1983年7月 玄海テック設立・名村情報システム設立/1986年9月 名村エンジニアリング設立
1988年1月には米国のモーニングダイダラスナビゲーション社を買収(現連結子会社)し、海外船舶運航事業を取り込んだ。1990年4月には名古屋営業所を開設、同年10月に事業部制を実施してグループ管理の組織化を導入した。1992年1月のメックマシナリー株式会社買収で工作機械事業に参入し、1997年8月には株式会社オリイの株式を公開買付で31.6%取得、2000年12月にはオリイとメックマシナリーが合併してオリイメックが発足した。本業の造船から派生して機械・工作機械・海運・情報システムへ広がる多角化が、1990年代を通じて続いた。一方、本業の収益貢献度では伊万里工場の造船事業が依然として中心で、多角化事業は補完的位置づけにとどまった。 [24][25][26][27][28]
- 名村造船所 有価証券報告書【沿革】
- [24]1988年1月 米国のモーニングダイダラスナビゲーション社を買収(現連結子会社)
- [25]1990年4月 名古屋営業所を開設/同年10月 事業部制を実施
- [26]1992年1月 メックマシナリー株式会社買収で工作機械事業に参入
- [27]1997年8月 株式会社オリイの株式を公開買付で31.6%取得
- [28]2000年12月 オリイとメックマシナリーが合併しオリイメックが発足
- 名村造船所 有価証券報告書【沿革】
- [18]1972年10月 伊万里工場の建設を起工
- [19]1974年11月 伊万里工場竣工
- [20]1979年10月 大阪工場の設備を売却(生産集約)
- [21]1982年7月 本社を大阪市住之江区から西区に移転
- [22]1983年1月 伊万里事業所に海洋陸機工場を新設(旧伊万里工場改称)
- [23]1983年7月 玄海テック設立・名村情報システム設立/1986年9月 名村エンジニアリング設立
- [24]1988年1月 米国のモーニングダイダラスナビゲーション社を買収(現連結子会社)
- [25]1990年4月 名古屋営業所を開設/同年10月 事業部制を実施
- [26]1992年1月 メックマシナリー株式会社買収で工作機械事業に参入
- [27]1997年8月 株式会社オリイの株式を公開買付で31.6%取得
- [28]2000年12月 オリイとメックマシナリーが合併しオリイメックが発足