2003年〜 持株会社を先に作って迎えた統合と、祖業2つの同時清算
コニカミノルタの業績推移:連結
- 2003年 ミノルタとの株式交換による経営統合と、持株会社コニカミノルタホールディングスの設立 情報機器で三強を追うために、なぜ祖業を抱えたまま一つになったのか——2003年の統合と「聖域」
- 2003年 統合後の全事業を6事業会社・2共通機能会社に再編、グローバル販売子会社も統合
- 2006年 カメラ事業から撤退
- 2006年 FY05に最終赤字▲543億円に転落
- 2007年 フォト事業から撤退
株式交換による統合と6事業会社への再編
2003年8月、コニカはミノルタと株式交換により経営統合し、商号をコニカミノルタホールディングス株式会社へ変更した。2000年4月に始めた情報機器分野の業務提携を経て、写真フィルムとカメラの市場が縮むなかで事務機事業へ経営資源を集めるための統合であった。統合後の2003年10月には、両社が有していた全事業を6事業会社・2共通機能会社へ再編し、情報機器とフォトイメージングの国内・米国・ドイツの販売子会社を順次1本にまとめ、情報機器の中国生産子会社も合併させている。旧コニカが高速デジタル複写機、旧ミノルタがカラーレーザープリンターを持ち、重なる販路と製品系列をどちらかへ寄せる作業が統合初年度の中心にあった。 [1][2][3][4]
- コニカミノルタ 有価証券報告書 第121期(2025年3月期)【沿革】
- [1]2003年8月 ミノルタ株式会社と株式交換で経営統合しコニカミノルタホールディングスへ商号変更
- [3]2003年10月 コニカ・ミノルタが有していた全事業を6事業会社・2共通機能会社へ再編
- [4]2003年10月に統合されたのは、情報機器の国内・米国・ドイツ販売子会社の合併、フォトイメージングの米国・ドイツ販売子会社の統合、および情報機器の中国(香港)生産子会社の合併(Konica Minolta Business Technologies Manufacturing (HK))である。中国の販売子会社Konica Minolta Business Solutions (CHINA)の設立は2005年11月にあたる
- 週刊東洋経済 2003年1月18日号
- [2]統合前の2000年から両社は事務機器で業務提携関係にあり、旧コニカは高速デジタル複写機、旧ミノルタはカラーレーザープリンターに強みを持っていた
統合の効果は、まず規模に現れた。連結売上高は2003年3月期の5,590億円から、統合が通期で寄与した2005年3月期には1兆674億円へ拡大している。週刊東洋経済が2002年決算と2005年3月期見通しを比べた売上成長率のランキングでは、コニカミノルタホールディングスが122.4%で主要企業の首位に立った。2003年9月には本社事務所を東京丸の内へ移転し、2004年4月にはフォトイメージング子会社をカメラ子会社と統合している。2004年12月には中国無錫に情報機器生産子会社Konica Minolta Business Technologies (WUXI)を設立し、生産面でも集約を進めた。 [5][6][7][8]
- コニカミノルタ 有価証券報告書(2005年3月期)
- [5]連結売上高は2003年3月期5,590億円(559,041百万円)から2005年3月期1兆674億円(1,067,447百万円)へ拡大
- 週刊東洋経済 2004年3月27日号
- [6]2002年決算と2005年決算期を比べた主要企業の売上成長率ランキングで、コニカミノルタホールディングスが122.4%で1位
- コニカミノルタ 有価証券報告書 第121期(2025年3月期)【沿革】
- [7]2003年9月 本社事務所を東京丸の内に移転/2004年4月 フォトイメージング子会社がカメラ子会社と統合
- [8]2004年12月 中国無錫に情報機器生産子会社Konica Minolta Business Technologies (WUXI)を設立
- コニカミノルタ 有価証券報告書 第121期(2025年3月期)【沿革】
- [1]2003年8月 ミノルタ株式会社と株式交換で経営統合しコニカミノルタホールディングスへ商号変更
- [3]2003年10月 コニカ・ミノルタが有していた全事業を6事業会社・2共通機能会社へ再編
- [4]2003年10月に統合されたのは、情報機器の国内・米国・ドイツ販売子会社の合併、フォトイメージングの米国・ドイツ販売子会社の統合、および情報機器の中国(香港)生産子会社の合併(Konica Minolta Business Technologies Manufacturing (HK))である。中国の販売子会社Konica Minolta Business Solutions (CHINA)の設立は2005年11月にあたる
- [7]2003年9月 本社事務所を東京丸の内に移転/2004年4月 フォトイメージング子会社がカメラ子会社と統合
- [8]2004年12月 中国無錫に情報機器生産子会社Konica Minolta Business Technologies (WUXI)を設立
- 週刊東洋経済 2003年1月18日号
- [2]統合前の2000年から両社は事務機器で業務提携関係にあり、旧コニカは高速デジタル複写機、旧ミノルタはカラーレーザープリンターに強みを持っていた
- コニカミノルタ 有価証券報告書(2005年3月期)
- [5]連結売上高は2003年3月期5,590億円(559,041百万円)から2005年3月期1兆674億円(1,067,447百万円)へ拡大
- 週刊東洋経済 2004年3月27日号
- [6]2002年決算と2005年決算期を比べた主要企業の売上成長率ランキングで、コニカミノルタホールディングスが122.4%で1位
統合後の統治と、一から作り直した人事制度
統合に先立ち、コニカは持株会社化と委員会等設置会社への移行を済ませていた。新会社はその機関設計を引き継ぎ、監査・指名・報酬の3委員会をいずれも社外取締役が過半数を占め、委員長も社外が務める形で運営している。統合後の取締役会は旧コニカ・旧ミノルタ・社外がそれぞれ4名の構成で、社外取締役には藤原菊男氏(島津製作所相談役)、片田哲也氏(小松製作所特別顧問)、井上礼之氏(ダイキン工業会長)、中山悠氏(明治乳業会長)と、他業界の社長経験者が並んだ。岩居文雄社長は、社外取締役がいずれもコニカミノルタと関係のない企業の出身で責任感も強く、経営に緊張感が生まれたことが統合を進めるうえでうまく作用したと述べている(週刊東洋経済 2005/3/5)。 [9][10][11]
- コニカミノルタ 有価証券報告書 第121期(2025年3月期)【沿革】
- [9]コニカは統合前の2003年4月に純粋持株会社制へ、同年6月に委員会等設置会社(社外取締役を過半数・委員長とする監査・指名・報酬の3委員会)へ移行しており、8月の統合後もその機関設計が引き継がれた
- 週刊東洋経済 2005年3月5日号
- [10]統合後の取締役会は旧コニカ4名・旧ミノルタ4名・社外取締役4名で構成され、社外取締役は藤原菊男(島津製作所相談役)、片田哲也(小松製作所特別顧問)、井上礼之(ダイキン工業会長)、中山悠(明治乳業会長)
- [11]岩居文雄社長は、社外取締役がいずれも当社と関係のない企業の出身で責任感が強く、経営に緊張感が生まれたことが統合を進めるにあたってうまく作用した面があると述べた
岩居文雄社長はこの機関設計について、「私には人事権も、給料を決める権限もありません。一方で指名委員会は、私をいつでも替えることができる」と語っている(週刊東洋経済 2005/3/5)。人事制度は両社の制度を接ぐのではなく一から作り直し、賃金水準を高い側へ揃えることもしなかった。掲げた人事理念は「過去の成功体験を一切捨て、つねに変革する人を尊重する」で、両社のいいとこ取りを避ける方針を明示している。管理職に続いて2005年4月には一般社員の制度も統合され、この時点で人員は2年前に比べて3,000人以上減っていた。 [12][13][14]
- 週刊東洋経済 2005年3月5日号
- [12]岩居文雄社長は委員会等設置会社について「私には人事権も、給料を決める権限もありません。一方で指名委員会は、私をいつでも替えることができる」と述べた
- [13]人事制度は一から作り、賃金水準を高いほうに寄せることはしなかった。人事理念は「過去の成功体験を一切捨て、つねに変革する人を尊重する」で、両社のいいとこ取りをしない方針をとった
- [14]2005年4月に一般社員の人事制度を統合。人員は2年前と比べて3,000人以上減少していた
- コニカミノルタ 有価証券報告書 第121期(2025年3月期)【沿革】
- [9]コニカは統合前の2003年4月に純粋持株会社制へ、同年6月に委員会等設置会社(社外取締役を過半数・委員長とする監査・指名・報酬の3委員会)へ移行しており、8月の統合後もその機関設計が引き継がれた
- 週刊東洋経済 2005年3月5日号
- [10]統合後の取締役会は旧コニカ4名・旧ミノルタ4名・社外取締役4名で構成され、社外取締役は藤原菊男(島津製作所相談役)、片田哲也(小松製作所特別顧問)、井上礼之(ダイキン工業会長)、中山悠(明治乳業会長)
- [11]岩居文雄社長は、社外取締役がいずれも当社と関係のない企業の出身で責任感が強く、経営に緊張感が生まれたことが統合を進めるにあたってうまく作用した面があると述べた
- [12]岩居文雄社長は委員会等設置会社について「私には人事権も、給料を決める権限もありません。一方で指名委員会は、私をいつでも替えることができる」と述べた
- [13]人事制度は一から作り、賃金水準を高いほうに寄せることはしなかった。人事理念は「過去の成功体験を一切捨て、つねに変革する人を尊重する」で、両社のいいとこ取りをしない方針をとった
- [14]2005年4月に一般社員の人事制度を統合。人員は2年前と比べて3,000人以上減少していた
カメラ・フォト撤退と1,054億円の特別損失計上
2006年1月、コニカミノルタホールディングスはカメラ事業およびフォト事業からの撤退を発表した。カメラ事業は旧ミノルタの祖業に、フォト事業は旧コニカの主力事業にあたり、両社の祖業を同時に畳む決定であった。一眼レフ(αシリーズ)の資産はソニーへ売却し、ミニラボなどは事業終了とした。カメラ事業は2006年3月、フォト事業は2007年9月で終了している。岩居文雄社長は撤退の理由として、製造コストに占める比率の大きい基幹部品のCCDを半導体技術がないため内製できない点を挙げた。両事業は2005年3月期に合計90億円の営業赤字で、写真用フィルム市場は1990年代後半から年率2割の速さで縮んでいた。 [15][16][17][18]
- コニカミノルタ 有価証券報告書 第121期(2025年3月期)【沿革】
- [15]2006年1月 カメラ事業・フォト事業からの撤退を発表(カメラは2006年3月終了・フォトは2007年9月終了)
- [16]一眼レフ(αシリーズ)資産はソニーへ売却
- 週刊東洋経済 2006年2月4日号
- [17]岩居文雄社長は撤退の理由として、製造コストに占める比率が大きい基幹部品のCCDを半導体技術がないために内製できないことを挙げた
- [18]カメラ・写真用フィルムの両事業は2005年3月期で計90億円の営業赤字。写真用フィルム市場は1990年代後半以降、年率2割のペースで縮小
事業撤退で2,243名の人員削減を実施し、生産設備の減損286億円・販売拠点の整理費用等597億円・人員合理化費用171億円を含む合計1,054億円を特別損失として計上した。この結果、2006年3月期は最終赤字▲543億円に転落している。同時期の2005年1月にはコニカミノルタIJ株式会社を設立してインクジェットヘッド事業を立ち上げ、2005年10月には米Konica Minolta Graphic Imaging USAが印刷用プレートメーカーAmerican Litho Inc.を買収しており、祖業の撤退と非情報機器領域の強化とが並行して進んだ。 [19][20][21]
- コニカミノルタ 有価証券報告書(2006年3月期)
- [19]事業撤退で2,243名の人員削減・特別損失合計1,054億円(生産設備減損286億円・販売拠点整理597億円・人員合理化171億円)
- [20]2006年3月期 当期純損失▲543億円(▲54,305百万円)
- コニカミノルタ 有価証券報告書 第121期(2025年3月期)【沿革】
- [21]2005年1月 コニカミノルタIJ株式会社を設立(インクジェットヘッド事業)/2005年10月 米Konica Minolta Graphic Imaging USAが印刷用プレートメーカーAmerican Litho Inc.を買収
- コニカミノルタ 有価証券報告書 第121期(2025年3月期)【沿革】
- [15]2006年1月 カメラ事業・フォト事業からの撤退を発表(カメラは2006年3月終了・フォトは2007年9月終了)
- [16]一眼レフ(αシリーズ)資産はソニーへ売却
- [21]2005年1月 コニカミノルタIJ株式会社を設立(インクジェットヘッド事業)/2005年10月 米Konica Minolta Graphic Imaging USAが印刷用プレートメーカーAmerican Litho Inc.を買収
- 週刊東洋経済 2006年2月4日号
- [17]岩居文雄社長は撤退の理由として、製造コストに占める比率が大きい基幹部品のCCDを半導体技術がないために内製できないことを挙げた
- [18]カメラ・写真用フィルムの両事業は2005年3月期で計90億円の営業赤字。写真用フィルム市場は1990年代後半以降、年率2割のペースで縮小
- コニカミノルタ 有価証券報告書(2006年3月期)
- [19]事業撤退で2,243名の人員削減・特別損失合計1,054億円(生産設備減損286億円・販売拠点整理597億円・人員合理化171億円)
- [20]2006年3月期 当期純損失▲543億円(▲54,305百万円)