歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ
創業1899年、西洋野菜が入りはじめた愛知県知多郡東海町で、蟹江一太郎氏がトマト栽培に着手した。当時のトマトは「赤茄子」と呼ばれ、生では売り物にならない奇野菜だった。蟹江氏は余ったトマトを腐らせる代わりに加工へ回し、1903年にトマトソースを、1908年にはケチャップを製造して売ることを選んだ。生鮮では立たない需要も、保存と流通の利く加工品なら作れる。栽培者から加工業へ転じたこの判断が、原料から加工までを自社で抱える体質を生んだ。
決断事業構造を決めたのは製品ではなく、経営の担い手を入れ替える判断だった。1996年、創業97年目にして初めて蟹江家以外から伊藤正嗣氏を社長に据え、資本と経営を分けた。続く株主10万人構想で株主を約6,000人から17万人超へ広げ、99.5%を個人とする基盤を築いた。創業家が代々握ってきた経営を、外部の個人株主と生え抜きの専門経営者へ委ねたことが、その後の「野菜の会社」へのカテゴリ拡張を支えた。
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
1899年〜1962年 トマト栽培着手から「愛知トマト」時代までの創業期
西洋野菜栽培の挑戦と加工で活路を見出した蟹江一太郎氏の起業
1899年、愛知県知多郡東海町(現・東海市)の蟹江一太郎氏[4]は、農林局技手の勧めで西洋野菜の栽培に着手し、その年に最初のトマトの発芽を見た[1]。当時の日本ではトマトは「赤茄子」と呼ばれて家庭料理にはほとんど普及しておらず、栽培しても売り物にならない奇野菜だった。蟹江氏は栽培で余ったトマトを腐らせる代わりに加工する道を選び、1903年にトマトソース(現在のトマトピューレー)の製造・販売を開始した[2]。販路開拓の苦労は語り継がれており、1908年にはトマトケチャップ・ウスターソースの製造・販売も開始して[3]加工品ラインアップを広げた。栽培から加工へ主力を移したこの判断が、後年のカゴメの食品メーカーとしての出発点となった。
1914年12月、蟹江一太郎氏は「愛知トマトソース製造合資会社」(現カゴメ㈱)を設立して[5]個人事業から法人形態へ移行した。1917年4月には「カゴメ印」(六角形の籠目模様)を商標登録し、[6]ブランドの基本形を確定させた。1919年6月に上野工場が竣工して製造設備を近代化、[7]1923年4月に愛知トマト製造株式会社へ改組した[8]。1933年8月にはトマトジュースを発売し、[9]ケチャップ・ピューレー・ジュースの三本柱が成立した。トマトジュースは戦後の日本における健康飲料の代表選手となり、カゴメの収益柱として長く機能した。蟹江一太郎氏の創業から1962年に長男・蟹江一忠氏へバトンタッチするまで約63年、[10]初代は食品業界の創業者として業界の地位を確立した。
戦中・戦後の合併再編と「愛知トマト」5社統合(1949年)
第二次大戦中の食料統制下では、愛知トマト製造㈱は周辺企業との合併・統合を進める時期に入った。1949年8月、愛知トマト製造㈱は愛知海産興業㈱・滋賀罐詰㈱・愛知商事㈱・愛知罐詰興業㈱[14]の関係5社と合併、社名を「愛知トマト株式会社」とした[11]。1949年4月の東京連絡所(現東京支店)開設、[12]1949年7月の大阪出張所(現大阪支店)開設[13]と、東京・大阪への販売拠点展開も同年に進んだ。この5社統合は、戦後の物資不足とブランド統合のなかで、カゴメ印を保有する愛知トマト製造を基幹として地域加工メーカーを束ね、より広域な食品メーカーとしての体制を整える戦略的合併だった。
戦後高度経済成長期に入った1961年4月、カゴメビル㈱(現カゴメアクシス㈱、連結子会社)を本社ビル管理会社として設立、[15]1961年7月に栃木工場(現那須工場)が竣工、[16]1962年6月に茨城工場竣工、[17]1962年7月に名古屋支店開設、[18]1962年9月に研究所開設と、[19]生産・販売・研究の3機能を1〜2年で立て続けに整備した。創業者・蟹江一太郎氏が長男・蟹江一忠氏に経営を譲ったのもこの時期にあたり、[21]創業家2代目への事業承継と、戦後型食品メーカーへの脱皮が同時に進行した。1963年4月、社名を「カゴメ株式会社」に変更、[20]商品ブランドと社名を一致させて、トマト加工品メーカーとしての対外的アイデンティティを整えた。
1963年〜2019年 「トマトの会社」から株主10万人構想へ転換した近代化期
海外原料調達の開始とブランド構築(1967〜1995)
1967年10月、カゴメは台湾可果美股份有限公司(現連結子会社)を合弁・設立し、海外トマト原料調達に着手した[22]。日本国内のトマト栽培は気候・コスト面で限界があり、加工用トマトの主産地である地中海沿岸・北米・台湾等から原料を調達する体制を作る必要があった。海外調達を1960年代末に立ち上げたのは、加工食品メーカーとして原料の安定確保を経営の基盤に据える先見的判断だった。1968年7月の富士見工場竣工、[23]1971年3月のカゴメ興業㈱(カゴメ物流サービス㈱、2019年F-LINE㈱に統合)の物流子会社設立、[24]1972年4月の東京本部(現東京本社)開設と、[25]生産・物流・販売の総合体制を1960〜70年代で完成させた。
1976年11月にカゴメは名古屋証券取引所市場第二部に株式上場、[26]1978年9月に名古屋一部へ指定替、[27]1978年11月に東京証券取引所市場第一部に上場と、[28]創業から79年を経て上場企業となった。1983年5月にブランドマークを変更[29](六角形の中央にKAGOMEロゴを配置する現行デザインへ)、1991年6月に東京本部を東京本社に改称して2本社制(東京・名古屋)に移行と、[30]商標・組織の近代化を続けた。1995年2月、野菜飲料「野菜生活100」を発売、[31]これがトマトジュース以来の同社の主力カテゴリ拡張となり、「トマト以外の野菜」を扱う飲料カテゴリへ事業領域を広げた。
1998年1月にはKAGOME INC.(現連結子会社、米国カリフォルニア州)を設立して米国市場へ本格進出、[32]同年7月に現在地(東京都中央区日本橋浜町三丁目21番1号日本橋浜町Fタワー)に東京本社を移転と、[33]グローバル化と本社機能の近代化を同時に実行した。1995年の「野菜生活100」発売から2000年前後にかけては、カゴメは「トマト加工品メーカー」から「野菜飲料メーカー」へカテゴリを広げる過渡期にあった。
株主10万人構想と初のサラリーマン社長就任(1996〜2002)
1996年、カゴメは初の「サラリーマン社長」として伊藤正嗣氏を社長に登用した[34]。創業家・蟹江家以外からの社長就任は、1899年の創業から97年目の出来事だった。それまで第2代・蟹江一忠氏(1962〜1979)、第3代・小島要治氏(1979〜1982)、第4代・蟹江英吉氏(1982〜1991)、第5代・蟹江嘉信氏(1991〜1996)と、[35]第3代の小島氏を除いては基本的に蟹江家が社長を担ってきた経営構造を、ここで断ち切った。伊藤正嗣氏の就任は、「資本と経営の分離」を実践する戦略的決断であり、後年の日経リスキリング 2018年5月8日では「『開かれたカゴメ』へ サラリーマン社長たちの改革魂」として、伊藤氏・喜岡氏・西氏の3代続いた非創業家社長の改革が回顧されている。
2000年1月、カゴメは企業理念「感謝」「自然」「開かれた企業」を発表した[36]。「開かれた企業」は伊藤氏の主軸テーマで、株主との対話を経営の中核に据える発想だった。これに続く「株主10万人構想」(1999年〜)は、第7代社長・喜岡浩二氏(2002〜2009)[37]と寺田直行氏(2014〜2019、第9代)[38]の時代を通じて両氏が引き継いだ。寺田氏は日経リスキリング 2018年5月8日で「10万人構想を打ち出す前の株主数は約6000人。うち総会に出席するのは120人ぐらいしかいませんでした[39]」と振り返り、株主数を約6,000人から17万人超まで拡大、99.5%を個人株主、[40]約半数を女性株主とする独特の株主構造を整えた。これは食品メーカーとしてのブランド構築と資本政策を一体化する、創業家経営とは異なる「市場との対話を経営に組み込む」スタイルだった。
「トマトの会社」から「野菜の会社」への寺田時代(2014〜2019)
2014年、寺田直行氏が第9代社長に就任した[41]。寺田氏はダイヤモンド・チェーンストア 2017年9月15日で「トマトの会社から、野菜の会社に。」「多様な選択肢を提供し、野菜不足をゼロにする」というスローガンを掲げた。「健康志向の多様化を先取りできた」(同記事)という認識のもと、野菜飲料・野菜サラダ・野菜サプリ等のラインアップを拡張、「カゴメ=トマト」の旧イメージから「野菜全般を扱う会社」へブランドの間口を広げた。財務面でもFY15(2015年12月期)から会計基準をJGAAPからIFRSへ移行、海外事業との会計整合性を高めた。
2010年7月にはKagome Australia Pty Ltd.(現連結子会社、オーストラリア・ビクトリア州)およびその連結子会社2社を設立、[42]海外農業の自社運営を拡大した。寺田時代の業績はFY14(2014年12月期)売上1,594億円・経常利益50億円から、FY18(2018年12月期)売上2,099億円・営業利益122億円へ拡大、利益率の改善が継続した。メディアからも開かれたカゴメへ向けたサラリーマン社長たちの改革と評されたとおり、寺田時代は伊藤氏・喜岡氏・西氏と続いた非創業家社長の改革を完成させた時期となった。
2020年〜2026年 山口聡氏在任中の「野菜の会社」グローバル化と奥谷晴信氏への承継
山口聡氏在任中の中期計画策定とインゴマー買収(2020〜2025)
2020年1月、山口聡氏が第10代社長に就任した[43]。山口氏は技術畑出身で、就任時のインタビュー日本経済新聞 2019年9月30日で「人口減で食品業界も淘汰が進む。(トマトだけではない)『野菜の会社』を目指し、持続的な成長につなげる」「アジアでの野菜飲料が伸びており、さらに健康を打ち出していきたい」と述べた。山口氏の任期は寺田氏が掲げた「野菜の会社」を技術・サプライチェーン・海外展開で具体化する6年間となった。
2017年12月にKagome Senegal Sarl(現連結子会社)設立、[44]2022年9月にDXAS Agricultural Technology Lda(連結子会社、ポルトガル)設立と、[45]アフリカ・欧州拠点も追加した。2024年1月の最大の動きは、Ingomar Packing Company, LLC(米国カリフォルニア州の加工用トマト最大手の一つ)の持分追加取得による連結子会社化である[46]。これにより米国西海岸の加工用トマト原料の確保と加工拠点を自社で抱える体制が完成し、米国市場の存在感が増した。FY24(2024年12月期)の売上3,069億円・営業利益362億円・純利益250億円は前年比で増加し、インゴマー連結効果が業績を押し上げた。
2026年1月奥谷晴信氏社長就任と「2035年に農から食までの技術革新リード」ビジョン
2025年9月29日、カゴメは2026年1月1日付で奥谷晴信氏(常務執行役員)を新社長に、山口聡氏を会長に異動する人事を発表した[47](日本経済新聞 2025年9月29日)。日本経済新聞 2025年12月9日では奥谷氏について「海外成長が使命」「買収先からも厚い信頼」と紹介、米国インゴマー社の経営統合を主導した実績が次期社長選任の理由として伝えられた。奥谷氏は公式 社長メッセージで「1899年の創業以来、カゴメグループは『野菜と果実のおいしさや栄養を活かしたものづくり』を強みとしてきた」「2035年に目指す姿を『農から食にわたる技術革新をリードし、自然の可能性を共に拓く会社』と設定した」と述べ、技術革新と海外成長の二本柱を経営の主軸に据えた。
奥谷氏は日本経済新聞 2025年12月9日で「海外成長をさらに加速させていくことが大きな役割、使命だ」と述べ、米国インゴマー社買収後の海外事業統合をさらに進める意欲を示した。2025年12月期はFY25(2025年12月期)売上2,943億円・営業利益226億円・純利益148億円と、FY24のインゴマー初年度寄与の反動と為替・原料コスト変動で減益となったが、海外事業の利益貢献は構造的に底上げされた段階にある。
奥谷氏の2026年期は、創業127年の老舗食品メーカーがインゴマー社統合[48]というM&Aの統合後を切り盛りする初年度であり、「2035年・農から食までの技術革新リード」を実行に移すロードマップの起点に当たる。1899年の蟹江一太郎氏による西洋野菜栽培の挑戦から始まったカゴメは、[49]ちょうど127年経過した時点で、日本のトマト加工品メーカーから「グローバル農業×食品技術×日本ブランド」企業へ自己定義を更新しようとしている。「開かれた企業」を企業理念に据えた個人株主中心のガバナンスと、海外M&Aによる事業構造変革を両立できるかが、奥谷時代の主要テーマである。