終戦直後にトヨタ自動車は経営不振に陥り、自動車部品事業を非注力分野として分離を決定。戦時中に航空機部品を製造していた刈谷工場を継承する形で「日本電装(以下、デンソー)」が設立された。
分離独立の際に「トヨタ」という名称が与えられなかったため、実質的な自動車部品事業の切り捨てであり、人員削減にも追われた。このため、当時のデンソーの社員は「トヨタを追い越してやる」と発奮したという。
なお、トヨタ自動車がデンソーの筆頭株主になったのは1960年代であり、当初の資本関係は希薄であり、名実ともにデンソーが「トヨタから見捨てられた」存在であったことを示唆している。