1973年〜 延岡の個人薬局から九州制覇までの助走と業態創造
コスモス薬品の業績推移
- 1973年 宇野回天堂薬局を創業
- 1983年 コスモス薬品を設立
- 1987年 初の郊外型店舗・平原店を開店
- 1990年 調剤薬局運営のためなの花薬局を設立
- 1993年 小商圏型メガドラッグストアという業態の創造 大型店は大商圏に、という常識をなぜ裏返したのか——小さな町に食品まで積んだ大きな箱を置く業態設計
- 2003年 ポイント還元を廃止しEDLPに転換
- 2004年 九州の外へ ― 全国展開を開始
20年の助走が生んだ小商圏型メガドラッグストア
宇野正晃氏は調剤薬局の次男に生まれ[1]、東京薬科大学を卒業したのち[2]、1973年に宮崎県延岡市で宇野回天堂薬局を開業した[3]。当時は薬価が高く、調剤技術料だけで十分な利益が出た[4]。町の医師会長からは調剤薬局をいくらでも増やしてよいと言われ[5]、製薬会社からは使い切れないほどのリベートが届いた[6]が、宇野氏はこの儲け方をおかしいと考えた[7]。医師の処方に頼る調剤薬局も、スーパーに入れたテナント店も、自力で立った商売ではなかった[8]。他人に依存する限り成長は早晩止まる[9]と考え、流通業界で伸びていたドラッグストアの記事を読んで福岡へ視察に出ると、都市部にはすでに同業の店が並んでいた[10]。それでも小売業に特許はないと判断し[11]、1983年12月に有限会社コスモス薬品を設立して[12]、延岡市に岡富店(売場面積66平方メートル)[13]を開いた。
- 週刊東洋経済 2006年10月7日号
- [1]宇野正晃氏は調剤薬局の次男に生まれ、最初から独立を運命づけられていた
- [2]宇野正晃氏は東京薬科大学を卒業後、1973年に地元・宮崎県延岡市で宇野回天堂薬局を開業
- [4]当時は薬価も高く、調剤技術料だけでも十分儲かった
- [5]町の医師会長に「調剤薬局をやりたいならいくらでもやらせてやるよ」と言われた
- [6]製薬会社から使い切れないほどリベートが来ていた
- [7]宇野正晃氏は調剤薬局の収益構造を「これはおかしい」と思い始めた
- [8]医者依存の調剤薬局もスーパーのテナントも「自分の足で立っていない」と宇野正晃氏は判断した
- [9]他力本願である以上、早晩、成長の限界に突き当たると考えた
- [10]ドラッグストアの記事に目を留めて福岡へ視察に出たが、福岡の都市部にはすでに数多くのドラッグストアが店を構えていた
- [11]宇野正晃氏は「小売業には特許はない。今からでも、やれないことはない」と判断し、1983年にコスモス薬品を設立した
- コスモス薬品 有価証券報告書 第43期(2025年5月期)【沿革】
- [3]1973年2月 宇野正晃氏が宇野回天堂薬局を宮崎県延岡市に創業
- [12]1983年12月 有限会社コスモス薬品を設立
- [13]1983年12月 岡富店(延岡市・売場面積66㎡)を開店
ドラッグストア業界では、1964年にマツモトキヨシが千葉県内でチェーン化に着手[14]し、1976年には現CFSコーポレーションが日本で初めて米国流の薬のセルフ販売を導入した[15]。宇野社長が最初に手本としたのもCFS[16]だったが、薬品と化粧品だけの品ぞろえは横浜向けのモデル[17]で、過疎の進む九州では通用しなかった[18]。次に選んだのは栃木県を地盤とするカワチ薬品[19]で、宮崎から栃木や福島の店へ遠征し定点観測した[20]。牛乳などの日配食品を置けば来店頻度が上がり[21]、幹線道路沿いの大型店は住宅街から離れるぶん必ずしも有利ではない[22]。試行錯誤の末に、小商圏に大型店を置く小商圏型メガドラッグストア[23]という答えを出した。1987年11月の平原店(165平方メートル)[24]、1993年12月の浮之城店(宮崎市・600平方メートル)[25]と広げ、1999年4月の日向店で1000平方メートル型[26]、2003年5月の人吉店で2000平方メートル型に達した[27]。
- 週刊東洋経済 2006年10月7日号
- [14]1964年にマツモトキヨシが地盤の千葉県内でチェーン化に着手
- [15]1976年に現・CFSコーポレーションが日本で初めて米国流の薬のセルフ販売を導入
- [16]宇野正晃氏が最初に手本にしたのはCFSだった
- [17]薬品と化粧品だけの品ぞろえは大都会・横浜ならではのモデルだった
- [18]CFS型の品ぞろえは過疎が進む九州では通用しなかった
- [19]次に手本に選んだのは栃木県を地盤とするカワチ薬品
- [20]宮崎から栃木や福島のカワチ薬品の店へ遠征し「定点観測」した
- [21]牛乳などの日配食品を置けば客の来店頻度が上がると学んだ
- [22]幹線道路沿いに建つ大商圏型の大型店は住宅街からやや離れており必ずしも有利ではない
- [23]試行錯誤の末に「小商圏型のメガドラッグストア」という新業態を生み出し、小商圏には小型店という常識を覆した
- コスモス薬品 有価証券報告書 第43期(2025年5月期)【沿革】
- [24]1987年11月 初の郊外型店舗 平原店(延岡市・売場面積165㎡)を開店
- [25]1993年12月 浮之城店(宮崎県宮崎市・売場面積600㎡)を開店し本格的な多店舗展開を開始
- [26]1999年4月 初の1,000㎡型店舗 日向店(宮崎県日向市)を開店
- [27]2003年5月 初の2,000㎡型メガドラッグストア 人吉店(熊本県人吉市)を開店
- 週刊東洋経済 2006年10月7日号
- [1]宇野正晃氏は調剤薬局の次男に生まれ、最初から独立を運命づけられていた
- [2]宇野正晃氏は東京薬科大学を卒業後、1973年に地元・宮崎県延岡市で宇野回天堂薬局を開業
- [4]当時は薬価も高く、調剤技術料だけでも十分儲かった
- [5]町の医師会長に「調剤薬局をやりたいならいくらでもやらせてやるよ」と言われた
- [6]製薬会社から使い切れないほどリベートが来ていた
- [7]宇野正晃氏は調剤薬局の収益構造を「これはおかしい」と思い始めた
- [8]医者依存の調剤薬局もスーパーのテナントも「自分の足で立っていない」と宇野正晃氏は判断した
- [9]他力本願である以上、早晩、成長の限界に突き当たると考えた
- [10]ドラッグストアの記事に目を留めて福岡へ視察に出たが、福岡の都市部にはすでに数多くのドラッグストアが店を構えていた
- [11]宇野正晃氏は「小売業には特許はない。今からでも、やれないことはない」と判断し、1983年にコスモス薬品を設立した
- [14]1964年にマツモトキヨシが地盤の千葉県内でチェーン化に着手
- [15]1976年に現・CFSコーポレーションが日本で初めて米国流の薬のセルフ販売を導入
- [16]宇野正晃氏が最初に手本にしたのはCFSだった
- [17]薬品と化粧品だけの品ぞろえは大都会・横浜ならではのモデルだった
- [18]CFS型の品ぞろえは過疎が進む九州では通用しなかった
- [19]次に手本に選んだのは栃木県を地盤とするカワチ薬品
- [20]宮崎から栃木や福島のカワチ薬品の店へ遠征し「定点観測」した
- [21]牛乳などの日配食品を置けば客の来店頻度が上がると学んだ
- [22]幹線道路沿いに建つ大商圏型の大型店は住宅街からやや離れており必ずしも有利ではない
- [23]試行錯誤の末に「小商圏型のメガドラッグストア」という新業態を生み出し、小商圏には小型店という常識を覆した
- コスモス薬品 有価証券報告書 第43期(2025年5月期)【沿革】
- [3]1973年2月 宇野正晃氏が宇野回天堂薬局を宮崎県延岡市に創業
- [12]1983年12月 有限会社コスモス薬品を設立
- [13]1983年12月 岡富店(延岡市・売場面積66㎡)を開店
- [24]1987年11月 初の郊外型店舗 平原店(延岡市・売場面積165㎡)を開店
- [25]1993年12月 浮之城店(宮崎県宮崎市・売場面積600㎡)を開店し本格的な多店舗展開を開始
- [26]1999年4月 初の1,000㎡型店舗 日向店(宮崎県日向市)を開店
- [27]2003年5月 初の2,000㎡型メガドラッグストア 人吉店(熊本県人吉市)を開店
ポイント廃止と毎日低価格販売への転換
宇野社長が尊敬した企業は、小商圏型小売業の先輩であるしまむらとトヨタ自動車、キヤノンの3社[28]である。しまむらの藤原秀次郎会長とは3〜4カ月に1度会い[29]、客に公平であれ、従業員の負担を減らせという教え[30]を受けた。特売をやめる引き金となったのは客からの投書だった[31]。共働きで平日は買い物に行く時間がなく、特売品が売り切れているのを恨めしく思う[32]という訴えを読み、宇野社長は、大事なのは価格か、いつでも安心して買い物ができることかと考え、後者を採った[33]。2001年10月、集客を目的とした安売りをやめる[34]と宣言すると、競合店に客を奪われると店長らは反発した[35]が、売り上げが落ちてもかまわないと押し切った[36]。他社が特売をやめない以上、先にやめて値引きに頼らない集客を作れば[37]、小さな商圏で顧客の忠誠心を積み上げられる[38]。宇野社長にはそうした計算があった[39]。2003年5月にはポイント還元も全廃[40]した。
- 日経ビジネス 2004年3月29日号
- [28]宇野正晃氏が尊敬する企業は、小商圏型小売業の先輩であるしまむらとトヨタ自動車、キヤノンの3社
- [31]特売廃止のきっかけは客からの投書だった
- [32]投書の内容は、共働きで平日は買い物に行く時間がなく、特売商品が売り切れているのをいつも恨めしく思う、というもの
- [33]ドラッグストアにとって大事なのは価格か、いつでも安心して買い物ができることかを問い、後者と考えた
- [34]2001年10月、宇野正晃氏は集客を目的とした安売りをやめると宣言し、日替わり特売を廃止した
- [35]社内からは「競合店に客を奪われる」と激しく反発された
- [36]宇野正晃氏は「特売廃止で売り上げが落ちるなら、それでもいい」と押し切った
- [37]他社が特売をやめない以上、先にやめて一時的な値引きに頼らない集客を実現しようとした
- [38]特売以外のサービスを磨き、小さな商圏で顧客のストアロイヤルティー(忠誠心)を高めれば最後には勝者になれると考えた
- [39]宇野正晃氏の頭には、そうした自分なりの計算があった
- [29]宇野正晃氏はしまむら会長・藤原秀次郎氏と3〜4カ月に1度面会していた
- [30]藤原秀次郎氏から「お客様に公平であれ」「従業員の負担を減らせ」という教えを受けた
- [40]2003年5月にポイント還元を全廃しEDLP(毎日低価格販売)へ転換
2002年4月、コスモス薬品は閉店時刻を夜10時から9時へ繰り上げ[41]、2003年3月にはさらに8時へ早めた[42]。競合各社が深夜営業に乗り出すなかでの短縮[43]で、狙いは従業員の士気と生産性の向上にあった[44]。後工程が前工程を支配するトヨタ自動車のかんばん方式[45]を小売業に当てはめれば、閉店時刻の厳守が営業中のむだを削る[46]と宇野社長は説明した。九州はディスカウントストアの多い地域[47]だが、価格でも全面的な競争は避けた[48]。パート従業員に尋ねると、店がきれいなら価格差5%以内で買うと答えた[49]。チラシの販促費を抑えたぶんは人件費に回し[50]、1店に13〜15人の店員を置いた[51]。標準店舗の売場面積2000平方メートルは業界平均の約4倍[52]にあたり、通路を広く取って商品をブランドごとに大量に並べた[53]。2004年11月、東京証券取引所マザーズ市場に上場[54]した。
- 日経ビジネス 2004年3月29日号
- [41]2002年4月に閉店時間を夜10時から9時に繰り上げた
- [42]2003年3月に閉店時間を夜9時から8時へさらに繰り上げた
- [43]競合店が相次いで深夜営業に乗り出すなかでの営業時間短縮だった
- [44]営業時間の短縮は従業員の士気を高め、生産性を向上させるのが目的
- [45]「後工程が前工程を支配する」というトヨタのカンバン方式を小売業に当てはめた
- [46]閉店時間を厳守させることが営業中のムダをなくし作業効率を高めると宇野正晃氏は説明した
- [50]EDLPでチラシなどの販促コストを抑えた分、人手をかけた店内サービスに費用を充てた
- [51]コスモス薬品は常に13〜15人の店員を店に置いた
- 週刊東洋経済 2006年10月7日号
- [47]九州の最大の特徴は激安店が多いことで、「ディスカウントストアが花盛りの地」だった
- [48]ディスカウント店と全面的に価格で勝負せず「寸止め」した
- [49]パート従業員は「これだけきれいな店なら、価格差が5%以内であれば買う」と答えた
- [52]コスモスの標準店舗の売り場面積は2000平方メートルとドラッグストア業界平均の約4倍
- [53]ぜいたくなまでに広く通路を取り、商品もブランドごとに整然と大量に陳列した
- コスモス薬品 有価証券報告書 第43期(2025年5月期)【沿革】
- [54]2004年11月 東京証券取引所マザーズ市場に上場
- 日経ビジネス 2004年3月29日号
- [28]宇野正晃氏が尊敬する企業は、小商圏型小売業の先輩であるしまむらとトヨタ自動車、キヤノンの3社
- [31]特売廃止のきっかけは客からの投書だった
- [32]投書の内容は、共働きで平日は買い物に行く時間がなく、特売商品が売り切れているのをいつも恨めしく思う、というもの
- [33]ドラッグストアにとって大事なのは価格か、いつでも安心して買い物ができることかを問い、後者と考えた
- [34]2001年10月、宇野正晃氏は集客を目的とした安売りをやめると宣言し、日替わり特売を廃止した
- [35]社内からは「競合店に客を奪われる」と激しく反発された
- [36]宇野正晃氏は「特売廃止で売り上げが落ちるなら、それでもいい」と押し切った
- [37]他社が特売をやめない以上、先にやめて一時的な値引きに頼らない集客を実現しようとした
- [38]特売以外のサービスを磨き、小さな商圏で顧客のストアロイヤルティー(忠誠心)を高めれば最後には勝者になれると考えた
- [39]宇野正晃氏の頭には、そうした自分なりの計算があった
- [41]2002年4月に閉店時間を夜10時から9時に繰り上げた
- [42]2003年3月に閉店時間を夜9時から8時へさらに繰り上げた
- [43]競合店が相次いで深夜営業に乗り出すなかでの営業時間短縮だった
- [44]営業時間の短縮は従業員の士気を高め、生産性を向上させるのが目的
- [45]「後工程が前工程を支配する」というトヨタのカンバン方式を小売業に当てはめた
- [46]閉店時間を厳守させることが営業中のムダをなくし作業効率を高めると宇野正晃氏は説明した
- [50]EDLPでチラシなどの販促コストを抑えた分、人手をかけた店内サービスに費用を充てた
- [51]コスモス薬品は常に13〜15人の店員を店に置いた
- [29]宇野正晃氏はしまむら会長・藤原秀次郎氏と3〜4カ月に1度面会していた
- [30]藤原秀次郎氏から「お客様に公平であれ」「従業員の負担を減らせ」という教えを受けた
- [40]2003年5月にポイント還元を全廃しEDLP(毎日低価格販売)へ転換
- 週刊東洋経済 2006年10月7日号
- [47]九州の最大の特徴は激安店が多いことで、「ディスカウントストアが花盛りの地」だった
- [48]ディスカウント店と全面的に価格で勝負せず「寸止め」した
- [49]パート従業員は「これだけきれいな店なら、価格差が5%以内であれば買う」と答えた
- [52]コスモスの標準店舗の売り場面積は2000平方メートルとドラッグストア業界平均の約4倍
- [53]ぜいたくなまでに広く通路を取り、商品もブランドごとに整然と大量に陳列した
- コスモス薬品 有価証券報告書 第43期(2025年5月期)【沿革】
- [54]2004年11月 東京証券取引所マザーズ市場に上場