1952年〜 真空技術専業の輸入販売から国産化への転換と高度成長期の事業基盤確立
- 1952年 日本真空技術を創業
- 1955年 大森工場を新設し国産装置の製造に着手
- 1956年 東洋精機真空研究所を合併
- 1961年 真空冶金事業に参入
- 1963年 新生産業に吸収合併され日本真空技術に商号変更
- 1964年 Reliance Electric and Engineering Co.と共同出資で日本リライアンスを設立
- 1964年 香港万豊有限公司と共同出資でHong Kong ULVAC Co. Ltd.を設立
「真空」を社名に冠した輸入商社が10年で国産専業メーカーへ
1952年8月、東京都中央区において日本真空技術株式会社が設立された。設立目的は「各種真空装置の輸入販売」で、資本金は600万円の小規模な出発であった。創業期の日本産業界には半導体・ディスプレイ・電子部品といった現在の真空応用領域はまだ存在せず、真空技術は研究室レベルの応用が主であった。日本真空技術は黎明期の真空装置市場に対し、まず米国・欧州からの装置輸入販売で事業を立ち上げた。社名に「真空」を冠した日本最初の専業メーカーで、この選択が以後70年以上にわたる事業の方向性を定めた。 [1][2]
- アルバック 有価証券報告書【沿革】
- [1]1952年8月 東京都中央区で日本真空技術株式会社を設立(各種真空装置の輸入販売を目的)
- [2]設立時の資本金は600万円
設立から3年弱の1955年4月、大森工場を新設して国産装置の製造に着手した。輸入販売から国産設計・製造への転換である。続く1956年11月には株式会社東洋精機真空研究所を合併し、尼崎工場として真空化学装置・真空ポンプの規格品製造を始めた。1961年7月には真空冶金事業を開始、1962年9月に真空材料株式会社、同年10月に熱分析機器メーカー真空理工株式会社を設立し、周辺領域へ事業を広げた。創業10年で、輸入商社から国産化を経て、材料・計測機器までを擁する真空技術専業グループへ発展した。 [3][4][5][6]
- アルバック 有価証券報告書【沿革】
- [3]1955年4月 大森工場を新設し国産装置の製造に着手
- [4]1956年11月 株式会社東洋精機真空研究所を合併(尼崎工場として真空化学装置・真空ポンプの規格品製造)
- [5]1961年7月 真空冶金事業を開始
- [6]1962年9月 真空材料株式会社を設立/1962年10月 真空理工株式会社を設立
1963年10月、創業者個人による経営から、1929年創立の旧会社・新生産業株式会社による吸収合併へと組織を再編した。旧会社が吸収し、合併後の社名は日本真空技術株式会社のまま継続した。戦後復興期の創業企業が、戦前から続く老舗法人格との結合によって財務基盤と組織格の引き上げを図った組織変更であり、創業期の単独経営から戦後復興企業としての形を整えた。1968年5月には本社・横浜工場を神奈川県茅ヶ崎市に移転し、以後現在に至るまで本社所在地は茅ヶ崎市で固定された。東京中央区での創業から首都圏外延部への本拠地集約であり、製造拠点と本社機能の一体化を狙う立地選定だった。 [7][8][9]
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- [7]1963年10月 1929年創立の新生産業株式会社による吸収合併へ組織再編(合併後の社名は日本真空技術のまま継続)
- [8]新生産業は1929年創立の旧会社(戦前法人格)
- [9]1968年5月 本社及び横浜工場を神奈川県茅ヶ崎市に移転
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- [1]1952年8月 東京都中央区で日本真空技術株式会社を設立(各種真空装置の輸入販売を目的)
- [2]設立時の資本金は600万円
- [3]1955年4月 大森工場を新設し国産装置の製造に着手
- [4]1956年11月 株式会社東洋精機真空研究所を合併(尼崎工場として真空化学装置・真空ポンプの規格品製造)
- [5]1961年7月 真空冶金事業を開始
- [6]1962年9月 真空材料株式会社を設立/1962年10月 真空理工株式会社を設立
- [7]1963年10月 1929年創立の新生産業株式会社による吸収合併へ組織再編(合併後の社名は日本真空技術のまま継続)
- [8]新生産業は1929年創立の旧会社(戦前法人格)
- [9]1968年5月 本社及び横浜工場を神奈川県茅ヶ崎市に移転
国産化の次に選んだのは合弁による海外拠点の連続設立
1964年1月、米国Reliance Electric and Engineering Co.と共同出資で日本リライアンス株式会社を設立した。米国企業との合弁開始で、米国の真空技術・電気機器技術を国内に取り込む狙いがある。同年7月には香港万豊有限公司と共同出資でHong Kong ULVAC Co. Ltd.を設立、アジア展開の起点とした。1975年12月には北米現地法人ULVAC North America Corp.を設立、対米輸出の拠点として米国市場での販売・サービス体制を整えた。創業から25年で米国・アジアへの拠点展開を完了した。 [10][11][12]
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- [10]1964年1月 米国Reliance Electric and Engineering Co.と共同出資で日本リライアンス株式会社を設立
- [11]1964年7月 香港万豊有限公司と共同出資でHong Kong ULVAC Co. Ltd.を設立
- [12]1975年12月 北米現地法人ULVAC North America Corp.を設立(対米輸出の拠点)
1981年10月、米国Helix Technology Corp.と共同出資でアルバック・クライオ株式会社を設立し、クライオポンプ(極低温ポンプ)事業を立ち上げた。1982年1月には台湾にULVAC TAIWAN Co. Ltd.、同年11月には米国The Perkin Elmer社との共同出資でアルバック・ファイ株式会社を設立して計測分析事業を強化した。1982年12月には茨城県つくば市に筑波超材料研究所を設立、1985年3月には核融合臨界プラズマ実験装置「JT-60」の真空排気系を納入し、科学装置への参入を果たした。1987年2月には西独にULVAC GmbHを設立して欧州市場へ進出、同年9月には英文社名をULVAC JAPAN Ltd.に変更してブランドを統一した。創業30〜40年で米国・台湾・欧州への拠点配置を完了し、世界市場での事業展開の素地を整えた。 [13][14][15][16][17]
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- [13]1981年10月 米国Helix Technology Corp.と共同出資でアルバック・クライオ株式会社を設立(クライオポンプ事業)
- [14]1982年1月 台湾にULVAC TAIWAN Co. Ltd.を設立/1982年11月 米国The Perkin Elmer社と共同出資でアルバック・ファイ株式会社を設立
- [15]1982年12月 茨城県つくば市に筑波超材料研究所を設立
- [16]1985年3月 核融合臨界プラズマ実験装置「JT-60」の真空排気系を納入
- [17]1987年2月 西独にULVAC GmbHを設立(欧州市場進出)/1987年9月 英文社名をULVAC JAPAN Ltd.に変更
- アルバック 有価証券報告書【沿革】
- [10]1964年1月 米国Reliance Electric and Engineering Co.と共同出資で日本リライアンス株式会社を設立
- [11]1964年7月 香港万豊有限公司と共同出資でHong Kong ULVAC Co. Ltd.を設立
- [12]1975年12月 北米現地法人ULVAC North America Corp.を設立(対米輸出の拠点)
- [13]1981年10月 米国Helix Technology Corp.と共同出資でアルバック・クライオ株式会社を設立(クライオポンプ事業)
- [14]1982年1月 台湾にULVAC TAIWAN Co. Ltd.を設立/1982年11月 米国The Perkin Elmer社と共同出資でアルバック・ファイ株式会社を設立
- [15]1982年12月 茨城県つくば市に筑波超材料研究所を設立
- [16]1985年3月 核融合臨界プラズマ実験装置「JT-60」の真空排気系を納入
- [17]1987年2月 西独にULVAC GmbHを設立(欧州市場進出)/1987年9月 英文社名をULVAC JAPAN Ltd.に変更
富士裾野工場新設が示す半導体製造装置という別スケールの市場
1990年5月、静岡県裾野市に富士裾野工場を新設した。半導体製造装置の生産体制強化を目的としたもので、創業期からの真空応用領域に半導体製造装置という成長市場を加えた転換点にあたる。1952年の創業から1980年代までのアルバックは、真空ポンプ・真空化学装置・クライオポンプ・計測分析装置・スパッタリングターゲットといった真空応用機器の専業メーカーとして事業を組み立てていた。半導体製造装置は装置単価と顧客あたり投資額が桁違いに大きい市場で、創業期からの応用領域とは異なるスケールの工場機能を必要とした。 [18]
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- [18]1990年5月 静岡県裾野市に富士裾野工場を新設(半導体製造装置の生産体制強化)
富士裾野工場の新設は、半導体製造装置市場の規模感に対応する生産能力の確保を狙ったもので、東京都中央区創業・茅ヶ崎本社の体制に半導体製造装置の専用拠点を加えた。1990年代の日本半導体産業はDRAM市場のピークを通過しつつあったが、ロジック半導体・SoC・ファウンドリ市場の立ち上がりが続き、真空技術を中核プロセスに組み込む成膜・エッチング装置の需要は1990年から2000年にかけて拡大した。富士裾野工場は1995年以降の韓国・台湾・中国向け輸出の生産母基地としても機能し、後年のFY17(2018年6月期)売上高2,492億円・営業利益354億円のピーク水準を支える生産基盤となった。
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- [18]1990年5月 静岡県裾野市に富士裾野工場を新設(半導体製造装置の生産体制強化)