歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ
創業1952年8月、東京都中央区で日本真空技術株式会社が「各種真空装置の輸入販売」を目的に資本金600万円で設立された。当時の日本にはまだ半導体もディスプレイもなく、真空技術は研究室の応用が主だったが、創業者は社名そのものに「真空」を掲げ、輸入販売を入口に国産化へ向かった。1955年に大森工場で装置製造を始め、翌年に東洋精機真空研究所を合併、真空ポンプや化学装置の規格品づくりへ移り、創業4年で輸入商社から国産メーカーへ転じた。1962年には材料・計測機器まで自前で揃え、真空という単一テーマに集中する専業の体制を敷いた。
決断1990年5月、静岡県裾野市に富士裾野工場を新設し、半導体製造装置に本格参入した。それまで手がけてきた真空ポンプや科学装置は装置単価も顧客の投資額も小さく、研究開発寄りの市場だったが、半導体製造装置は両者が桁違いの規模で、別スケールの工場機能を要した。専業の対象を、研究室規模の応用から成長産業の量産設備へ広げる判断である。1995年以降は韓国・中国・台湾へ生産販売網を厚く張り、2001年に商号を株式会社アルバックへ変更しULVACブランドへ統一、2004年には東証一部へ上場した。
API for AI Agents — 静的アセットのJSONで取得可能。API実行の認証不要
| Method | Path | 概要 | アルバック(証券コード6728)のURL | API仕様書 |
|---|---|---|---|---|
| GET | https://the-shashi.com/api/companies.json | 全社一覧 + 公開エンドポイント目録 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/manifest.json | リソース目録 + プロファイル | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/history.json | 歴史概略 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/timeline.json | 沿革 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/executives.json | 役員 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/shareholders.json | 大株主 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/financials.json | 財務三表 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/financials-longterm.json | 長期業績 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/segments.json | 事業セグメント | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/workforce.json | 従業員 | openapi.yaml |
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
1952年〜1990年 真空技術専業の輸入販売から国産化への転換と高度成長期の事業基盤確立
「真空」を社名に冠した輸入商社が10年で国産専業メーカーへ
1952年8月、東京都中央区において日本真空技術株式会社が設立された。設立目的は「各種真空装置の輸入販売」で、資本金は600万円の小規模な出発であった[1][2]。創業期の日本産業界には半導体・ディスプレイ・電子部品といった現在の真空応用領域はまだ存在せず、真空技術は研究室レベルの応用が主であった。日本真空技術は黎明期の真空装置市場に対し、まず米国・欧州からの装置輸入販売で事業を立ち上げた。社名に「真空」を冠した日本最初の専業メーカーで、この選択が以後70年以上にわたる事業の方向性を定めた。
設立から3年弱の1955年4月、大森工場を新設して国産装置の製造に着手した[3]。輸入販売から国産設計・製造への転換である。続く1956年11月には株式会社東洋精機真空研究所を合併し、尼崎工場として真空化学装置・真空ポンプの規格品製造を始めた[4]。1961年7月には真空冶金事業を開始、1962年9月に真空材料株式会社、同年10月に熱分析機器メーカー真空理工株式会社を設立し、周辺領域へ事業を広げた[5][6]。創業10年で、輸入商社から国産化を経て、材料・計測機器までを擁する真空技術専業グループへ発展した。
1963年10月、創業者個人による経営から、1929年創立の旧会社・新生産業株式会社による吸収合併へと組織を再編した[7][8]。旧会社が吸収し、合併後の社名は日本真空技術株式会社のまま継続した。戦後復興期の創業企業が、戦前から続く老舗法人格との結合によって財務基盤と組織格の引き上げを図った組織変更であり、創業期の単独経営から戦後復興企業としての形を整えた。1968年5月には本社・横浜工場を神奈川県茅ヶ崎市に移転し、以後現在に至るまで本社所在地は茅ヶ崎市で固定された[9]。東京中央区での創業から首都圏外延部への本拠地集約であり、製造拠点と本社機能の一体化を狙う立地選定だった。
国産化の次に選んだのは合弁による海外拠点の連続設立
1964年1月、米国Reliance Electric and Engineering Co.と共同出資で日本リライアンス株式会社を設立した[10]。米国企業との合弁開始で、米国の真空技術・電気機器技術を国内に取り込む狙いがある。同年7月には香港万豊有限公司と共同出資でHong Kong ULVAC Co. Ltd.を設立、アジア展開の起点とした[11]。1975年12月には北米現地法人ULVAC North America Corp.を設立、対米輸出の拠点として米国市場での販売・サービス体制を整えた[12]。創業から25年で米国・アジアへの拠点展開を完了した。
1981年10月、米国Helix Technology Corp.と共同出資でアルバック・クライオ株式会社を設立し、クライオポンプ(極低温ポンプ)事業を立ち上げた[13]。1982年1月には台湾にULVAC TAIWAN Co. Ltd.、同年11月には米国The Perkin Elmer社との共同出資でアルバック・ファイ株式会社を設立して計測分析事業を強化した[14]。1982年12月には茨城県つくば市に筑波超材料研究所を設立、1985年3月には核融合臨界プラズマ実験装置「JT-60」の真空排気系を納入し、科学装置への参入を果たした[15][16]。1987年2月には西独にULVAC GmbHを設立して欧州市場へ進出、同年9月には英文社名をULVAC JAPAN Ltd.に変更してブランドを統一した[17]。創業30〜40年で米国・台湾・欧州への拠点配置を完了し、世界市場での事業展開の素地を整えた。
富士裾野工場新設が示す半導体製造装置という別スケールの市場
1990年5月、静岡県裾野市に富士裾野工場を新設した[18]。半導体製造装置の生産体制強化を目的としたもので、創業期からの真空応用領域に半導体製造装置という成長市場を加えた転換点にあたる。1952年の創業から1980年代までのアルバックは、真空ポンプ・真空化学装置・クライオポンプ・計測分析装置・スパッタリングターゲットといった真空応用機器の専業メーカーとして事業を組み立てていた。半導体製造装置は装置単価と顧客あたり投資額が桁違いに大きい市場で、創業期からの応用領域とは異なるスケールの工場機能を必要とした。
富士裾野工場の新設は、半導体製造装置市場の規模感に対応する生産能力の確保を狙ったもので、東京都中央区創業・茅ヶ崎本社の体制に半導体製造装置の専用拠点を加えた。1990年代の日本半導体産業はDRAM市場のピークを通過しつつあったが、ロジック半導体・SoC・ファウンドリ市場の立ち上がりが続き、真空技術を中核プロセスに組み込む成膜・エッチング装置の需要は1990年から2000年にかけて拡大した。富士裾野工場は1995年以降の韓国・台湾・中国向け輸出の生産母基地としても機能し、後年のFY17(2018年6月期)売上高2,492億円・営業利益354億円のピーク水準を支える生産基盤となった。
1991年〜2010年 海外展開の本格化と「アルバック」への商号変更
韓国・中国・東南アジアへの拠点展開
1995年5月、韓国ソウル市にULVAC KOREA Ltd.を設立し、半導体・FPD(フラットパネルディスプレイ)製造装置の韓国市場への本格展開を開始した[19]。同年9月には中国寧波で寧波愛発科真空技術有限公司を設立、寧波中策動力との合弁による中国進出の出発点となった[20]。1998年1月にはシンガポールCSセンター・台湾新竹R&Dセンターを開設、アジアネットワークを拡大した[21]。創業から45年で東アジア・東南アジアの主要市場への拠点配置を完了し、真空技術専業メーカーとして世界の半導体・FPD製造装置市場の主要プレイヤーとしての地位を得た。
2001年7月、商号を株式会社アルバックへ変更した。英文社名はULVAC Inc.とし、日本語社名と英文社名の整合を取った[22]。創業から49年で「日本真空技術」という創業期の社名から、グローバルブランド「アルバック」への商号統一を果たした。1987年9月に英文社名をULVAC JAPAN Ltd.へ変更して以来、海外拠点ではULVACブランドが先行していたが、日本語の正式社名は「日本真空技術」のまま残っていた[23]。商号変更は、創業期の輸入商社・国産メーカーから、海外売上の比重を増すグローバル真空技術メーカーへと自己定義を改める区切りにあたり、半導体・FPD製造装置の輸出拡大期に日本語社名を世界共通ブランドへ揃える組織判断だった。
計測子会社の完全子会社化と中国本格生産
2002年12月、アルバック・ファイ株式会社(1982年設立、米国Physical Electronicsとの合弁)[25]の米国側保有株式50%を取得し、100%子会社化を完了した[24]。計測分析事業の完全子会社化により、表面分析装置事業(XPS、Auger、SIMS等)を独自ブランドで展開する体制を整えた。1982年の合弁設立から20年を経て、計測分析事業を真空装置事業の周辺領域から独自の収益単位へ位置づけ直す組織判断にあたる。2003年7月には愛発科真空技術(蘇州)有限公司を設立し、中国の生産工場として中国市場での生産・販売体制を整えた[26]。中国半導体・FPD産業の成長を直接取り込む拠点配置である。
1995年5月のULVAC KOREA Ltd.設立、同年9月の寧波愛発科真空技術有限公司設立に続く愛発科真空技術(蘇州)の設立は、韓国・中国における半導体・FPD製造装置市場への直接対応を拠点配置の面から固める動きで、1998年1月のシンガポールCSセンター・台湾新竹R&Dセンター開設と合わせ、創業から50年で東アジア・東南アジアの主要市場への拠点配置を完了した[27]。アルバック・ファイの完全子会社化と蘇州工場の設立は、2001年7月の商号変更で「ULVAC」ブランドへの統一を済ませた直後の時期にあたり、グローバル展開のための組織・拠点・ブランドの3点を揃える動きだった。
東証一部上場で得た資本を5年間の積層投資にどう振り向けたか
2004年4月、東京証券取引所市場第1部に株式を上場した[28]。創業から52年、商号変更から3年での上場で、創業期の真空装置輸入商社から、グローバル真空技術メーカーとして公開市場へ移行した節目にあたる。上場と前後して、2005年4月に富士通ヴィエルエスアイ株式会社よりFPD設備事業を譲り受け、2005年11月に英国Cambridge Display TechnologyからLitrex Corporation株式を取得してインクジェット技術を獲得、2005年12月に台湾でULVAC Taiwan Manufacturing Corporationを設立してFPD製造装置の生産拠点を整えた[29][30][31]。上場直後の企業買収と生産拠点拡張が、半導体・FPD製造装置メーカーとしての事業構成を厚くした。
2006年8月には精密ステージ製造のシグマテクノス株式会社の株式70%を取得、2006年11月に愛知工場を新設してFPD製造装置の生産能力を拡充した[32][33]。2007年6月にULVAC India Branchを設立してインド市場へ進出、2009年4月には愛発科電子材料(蘇州)有限公司を設立してスパッタリングターゲット製造を始めた[34][35]。半導体・FPD製造装置の主力事業に、材料・部品・サービスの周辺事業を組み合わせた事業構成が形をなした。上場後5年間で、装置の主力事業と材料・部品事業の双方で拡張投資が積み上がった。
2010年1月、資本金を134億68百万円から208億73百万円へ、74億円増資した[36]。リーマンショック後の事業基盤強化と将来投資のための資本拡充である。FY09(2010年6月期)の連結売上高は2,218億円・経常利益84億円、FY10(2011年6月期)は2,320億円・経常利益14億円と、市場調整のなかで売上高は2,000億円台を維持したが収益性は低下した。同年10月にはアルバックマテリアル株式会社を吸収合併してグループ会社を集約した[37]。増資と吸収合併は、上場後5年間の積層投資を財務面・組織面で受け止め直す動きで、続くFY11(2012年6月期)に純損失500億円へ下振れする直前の組織整備にあたる。
2011年〜2025年 半導体・FPD製造装置の世界市場展開とSiCパワー半導体・EV電池への先行投資
FY11-FY13──リーマン後の調整期と2期連続純損失
FY11(2012年6月期)の連結売上高は1,968億円、経常損失65億円、純損失500億円と、リーマンショック後の市場縮小と固定費の重さが業績を直撃した。FY12(2013年6月期)も売上高1,634億円・純損失38億円、FY13(2014年6月期)売上高1,739億円・純利益115億円と、3期にわたる業績下振れ期を経た。アルバックは事業ポートフォリオの再整理を進め、不採算事業の縮小・撤退と、半導体・FPD製造装置の核事業への集中を強化した。当時の社長・小日向久治氏(FY11〜FY15)は代表取締役執行役員社長制下で市場調整期を担当し、技術系専業メーカーとしての事業の根幹を維持した[38]。
FY11の純損失500億円は、2010年1月に134億円から208億円へ拡充した自己資本(増資額74億円)を1期で取り崩す規模で、上場後5年間の積層投資が市場縮小のなかで減損として表面化した[39]。半導体・FPD製造装置の設備投資需要が後退し、拡張してきた生産能力が固定費負担として収益を圧迫した。アルバックは2012年から2014年にかけて国内製造拠点の集約と海外子会社の再編を進め、不採算事業の縮小・撤退と半導体・FPD製造装置の核事業への集中を強化することで、FY13で純利益115億円までの回復軌道を引いた。装置事業の循環的な収益変動を生産体制の見直しで吸収する、その後の事業設計の出発点にあたる。
中国半導体投資が作ったピークと2期で半減した装置事業の振れ幅
FY15(2016年6月期)売上高1,924億円・営業利益179億円、FY16(2017年6月期)売上高2,318億円・営業利益295億円、FY17(2018年6月期)売上高2,492億円・営業利益354億円と、中国半導体投資の本格化を受けて業績は急回復した。FY17は売上高・営業利益ともにアルバック創業以来の最高水準で、半導体製造装置の中国向け輸出が業績拡大の中核を担った。岩下節生社長(FY16就任)は中国事業統括の経験を生かし、半導体・FPD製造装置の海外売上比率拡大を主導した[40]。1995年9月設立の寧波愛発科真空技術と2003年7月設立の愛発科真空技術(蘇州)を中核とする中国生産・販売網が、SMIC・YMTC・CXMT等の中国半導体メーカー設備投資の立ち上がりを直接受けた。
FY18(2019年6月期)売上高2,207億円・営業利益238億円、FY19(2020年6月期)売上高1,854億円・営業利益160億円と、半導体・FPD設備投資の調整を受けて業績は後退した。半導体製造装置市場のシリコンサイクル変動と、FPD製造装置市場の有機EL投資鈍化が直撃した。FY17ピークから2期で売上高は638億円減(▲25.6%)、営業利益は194億円減(▲54.8%)と、装置事業の振れ幅の大きさが数字に表れた。2018年7月には合肥で愛発科成膜技術(合肥)有限公司を設立し、FPD用マスクブランクス材料の現地供給体制を加えた[41]。
一方で真空応用事業(材料・部品・サービス)はFY19売上306億円・営業利益16億円と相対的に安定し、装置事業の変動を緩和する役割を果たした。真空機器事業・真空応用事業の2本柱が、市場調整期に収益の振れを抑える意義を持った。岩下社長はFY18〜FY19の調整期に、固定費削減よりも次世代装置(SiCパワー半導体・EV電池・有機EL)への先行投資配分を優先し、研究開発費を維持する方針を採った。装置事業の循環的な変動を、材料・部品事業の安定収益と次世代装置への投資継続で受け止める設計だった。
コロナ後の回復局面で何に先行投資したか
FY20(2021年6月期)売上高1,830億円・営業利益172億円、FY21(2022年6月期)売上高2,412億円・営業利益301億円、FY22(2023年6月期)売上高2,275億円・営業利益199億円、FY23(2024年6月期)売上高2,611億円・営業利益298億円、FY24(2025年6月期)売上高2,512億円・営業利益265億円と、コロナ禍後の半導体投資回復を受けて業績は高水準を維持している。2018年7月設立の愛発科成膜技術(合肥)有限公司を中核に、中国FPD用マスクブランクス材料事業を強化、SiCパワー半導体・EV電池・有機EL向け装置の投資を継続している[42]。
FY24時点の事業セグメントは真空機器事業(売上1,991億円・営業利益219億円)と真空応用事業(売上521億円・営業利益45億円)の2区分で、真空機器事業が全社売上の8割を占める。海外売上比率は8割を超え、中国・韓国・台湾・東南アジアの半導体・FPD産業向けが収益の中核を担う構造である。創業から70年を経たアルバックは、半導体・FPD製造装置の循環的な需要変動を真空応用事業(材料・部品・サービス)の安定収益で吸収しつつ、SiCパワー半導体・EV電池・有機ELという次世代装置の開発原資をシリコンサイクルの底でも削らない、真空技術専業メーカーとしての事業設計を採っている[43]。