セコム の歴史

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創業 1962年
創業者 飯田亮
創業地 東京都
創業 1962年7月7日、飯田亮氏と戸田壽一氏が東京で日本警備保障を設立した。資本金6
1962年7月7日、飯田亮氏と戸田壽一氏が東京で日本警備保障を設立した。資本金600万円、社員5名の陣容で、酒問屋の家に生まれた飯田氏は29歳だった。当時の日本では治安の維持を警察が無償で担う通念が根強く、警備を有償の商品として売る会社は存在しない。1964年10月の東京オリンピックでは選手村などの警備を単独で受注し、創業から2年で国家的行事を担っている。もっとも請け負える民間会社がほかにほとんど無かった事情もあり、翌1965年末に法人からの注文が殺到すると、人を採るだけでは応じきれない限界のほうが先に現れた。
決断 警備員の人数で決まっていた売上を、契約の件数で決まる形へ変えた。1966年6月、
警備員の人数で決まっていた売上を、契約の件数で決まる形へ変えた。1966年6月、日本初のオンライン安全システム「SPアラーム」を発売した。センサーが異常を検知して専用回線で監視センターへ通報し、駆けつけ要員が現場へ向かう仕組みで、契約が積み上がるほど1件あたりの費用は薄まる。1983年12月には日本警備保障からセコムへ商号を変更し、警備業の外へ売り先を広げる名分を得ている。1991年12月に事業を5分野へ分割して専任役員へ権限を委ね、1994年には在宅医療と訪問看護へ参入した。継続課金で貯めた現金が、規制が厚くて他業種の入りにくい産業へ入る費用を賄った。
現況 買収で加えた5事業の利益を合わせても、機械警備1つに達しない。2026年3月期の
買収で加えた5事業の利益を合わせても、機械警備1つに達しない。2026年3月期の連結売上高は1兆2,569億円、営業利益は1,603億円である。セキュリティサービスが売上6,606億円・利益1,238億円を計上し、6事業のセグメント利益1,752億円の7割をこの1事業が占めた。残る5事業は防災の1,869億円・247億円を筆頭に、BPO・ICT、メディカル、保険、地理空間情報が並ぶ。2010年代に現金管理やBPOを取得して売上高は1兆円を超えたが、取り込んだ領域は人手への依存が高く、利益は動かなかった。2024年4月に就任した吉田保幸社長が2025年5月に上限600億円の自己株式取得を決議したのは、事業を足しても1株あたりの利益を増やせなかったからである。
競合 競争の焦点は同業2社の間ではなく、警備員を採れるかどうかにある。1980年代後半
競争の焦点は同業2社の間ではなく、警備員を採れるかどうかにある。1980年代後半の日本には警備会社が約4,000社あったが、売上高100億円を超えるのは日本警備保障と綜合警備保障の2社だけであった。1981年に発売した家庭用の"マイアラーム"は市場が細く長らく赤字が続いたものの、他社が本格参入するまで約20年間ほぼ単独で営業を続け、2000年代の初めには家庭向けで8割のシェアを得ている。以後の買収は、小荷物用昇降機や集配金のように機械へ置き換えにくい人手の領域へ向かった。機械で置き換えにくい領域を買い集めたことで、賃上げに耐えられるかどうかが競争優位を決めるようになった。
長期業績の推移 1969〜2026年
セコム:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円)純利益率(%)
1997年3月期〜2026年3月期

第1章 1962年〜 「安全はタダ」の国に警備を売り、人手から機械へ切り替える

1962年〜産業として存在しない市場へ、前金で売る

1962年7月7日、飯田亮氏と戸田壽一氏は日本警備保障株式会社を東京に設立した。資本金600万円、社員5名の陣容で、飯田氏は29歳だった。当時の日本では治安の維持を警察が無償で担う通念が根強く、企業が代金を払って安全を買うという発想は浸透していない。飯田氏は赤坂の酒問屋"岡永"の三男で、家業では代金の回収が長期にわたる。前金で対価を受け取れる業態を条件に独立先を探し、欧米で既に機能していた民間警備に行き着いた。飯田氏は独立の動機を『わたしが日本警備保障を設立した動機は、何も高邁なものはなく、何が何でも独立したいというガムシャラな独立心からである』と振り返っている。創業初年度は法人顧客の開拓が難航し、売上はごく小さい水準にとどまった。

  • セコム 有価証券報告書 第63期(2025年3月期)【沿革】(当時社名 日本警備保障)
    • [1]1962年7月7日 日本警備保障株式会社を設立
  • 日経ビジネス 1973年8月6日号(日経マグロウヒル社)
    • [2]飯田亮氏 1933年生まれ(創業時29歳)
    • [3]治安維持を警察が無償で担う通念が根強く民間警備という業態が未確立
    • [4]赤坂の酒問屋「岡永」の三男に生まれ家業へ入った
    • [5]前金で代金を受け取れる業態を条件に独立先を探し民間警備という未開拓領域に行き着いた
    • [6]欧米で機能していた民間警備の事例に着目し戸田壽一氏を共同創業者に誘った
    • [7]創業初年度は法人顧客の開拓が難航し売上はごく小さい水準

1964年10月の東京オリンピックで、日本警備保障は選手村などの警備を単独で担い、創業から2年で国家的行事の警備を任された。請け負える民間警備会社がほかにほとんど存在しなかった事情も、単独受注の背景にあった。日本の警備業は同社が1962年に創業したことに始まり、東京オリンピックによって業界は一挙に拡大している。1965年末には法人からの"警戒"注文が殺到した。ところが警備員を常駐・巡回させる人手警備は、契約が増えるほど警備員を増やさねばならず、人件費が売上に比例して膨らむ。1966年末の人員は約790人まで増えており、採用が需要の伸びに追いつかなければ成長が頭打ちになる構造を抱えていた。

  • セコム 有価証券報告書 第63期(2025年3月期)【沿革】(当時社名 日本警備保障)
    • [8]1964年10月 東京オリンピックの選手村などの警備を単独で担当
  • 日経ビジネス 1973年8月6日号(日経マグロウヒル社)
    • [9]請け負える民間警備会社がほかにほとんど存在しない事情が単独受注の背景
    • [12]警備は人海作戦が必要という従来の考え方が根強く、人手警備は契約増が人件費増に直結
    • [13]1966年末の人員 約790人
  • 証券アナリストジャーナル 1998年6月号(36巻7号)
    • [10]日本の警備業は日本警備保障の昭和37年創業に始まり東京オリンピックで一挙に拡大
  • 読売新聞(1965年12月23日)
    • [11]1965年末 法人からの「警戒」注文が殺到
参考文献[1]-[13]
  • セコム 有価証券報告書 第63期(2025年3月期)【沿革】(当時社名 日本警備保障)
    • [1]1962年7月7日 日本警備保障株式会社を設立
    • [8]1964年10月 東京オリンピックの選手村などの警備を単独で担当
  • 日経ビジネス 1973年8月6日号(日経マグロウヒル社)
    • [2]飯田亮氏 1933年生まれ(創業時29歳)
    • [3]治安維持を警察が無償で担う通念が根強く民間警備という業態が未確立
    • [4]赤坂の酒問屋「岡永」の三男に生まれ家業へ入った
    • [5]前金で代金を受け取れる業態を条件に独立先を探し民間警備という未開拓領域に行き着いた
    • [6]欧米で機能していた民間警備の事例に着目し戸田壽一氏を共同創業者に誘った
    • [7]創業初年度は法人顧客の開拓が難航し売上はごく小さい水準
    • [9]請け負える民間警備会社がほかにほとんど存在しない事情が単独受注の背景
    • [12]警備は人海作戦が必要という従来の考え方が根強く、人手警備は契約増が人件費増に直結
    • [13]1966年末の人員 約790人
  • 証券アナリストジャーナル 1998年6月号(36巻7号)
    • [10]日本の警備業は日本警備保障の昭和37年創業に始まり東京オリンピックで一挙に拡大
  • 読売新聞(1965年12月23日)
    • [11]1965年末 法人からの「警戒」注文が殺到

第2章 1978-1990 (気が向いたら執筆します!) 家庭用「マイアラーム」とアジア合弁、セコムへの改称

第3章 1991-2005 (気が向いたら執筆します!) 5分野への組織改革と在宅医療・損害保険への進出、ココセコム

第4章 2006-2015 (気が向いたら執筆します!) 能美防災とアット東京の子会社化、PFI刑務所とインドの病院

第5章 2016-2026 (気が向いたら執筆します!) 相次ぐ社長交代とセコムドローン・AI警備、セノン買収

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歴史年表 1962〜2024年

セコムの沿革1962〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1962〜1977年「安全はタダ」の国に警備を売り、人手から機械へ切り替える創業——巡回ガードマンから日本初のオンライン警備「SPアラーム」

1962年7月7日、東京都渋谷区桜丘町25番地で、酒問屋"岡永"三男の29歳・飯田亮氏と学習院時代の友人・戸田壽一氏が、資本金600万円・社員5名で日本警備保障株式会社を発足させた。"安全はタダ"とされた日本に民間警備という業態を持ち込み、1964年の東京オリンピック選手村警備の単独受注で信用を得て、1966年に日本初のオンライン安全システム"SPアラーム"を発売して機械警備モデルへ主力を移した。

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★★★
東京オリンピックの選手村警備を単独で担当★
人海警備から機械警備へ、日本初のオンライン安全システムによる転換

1966年6月、日本警備保障(現セコム)が日本初のオンライン安全システム"SPアラーム"を発売し、警備員を常駐・巡回させる人手警備から、センサーと通信回線で異常を検知する機械警備へ主力を移した経営判断。契約が積み上がるほど利益が残るストック型の収益構造を、警備業で初めて成立させた。

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★★★
東京証券取引所市場第二部に上場★
世界初のコンピュータ安全システムCSSを確立★★
東京電力・関西電力・中部電力との合弁で日本原子力防護システムを設立★
安全機器を自社生産するセコム工業を設立★
1978〜1990年家庭用「マイアラーム」とアジア合弁、セコムへの改称タイワンセコムと業務提携★
日本初の家庭用安全システム「マイアラーム」を発売★★
韓国三星グループとの合弁で韓国安全システムを設立★
セコムに商号変更★
セコムIS研究所を設立★
タイセコムピタキイ社を設立★
1991〜2005年5分野への組織改革と在宅医療・損害保険への進出、ココセコム小峰顕一在宅医療サービスを開始★★
小峰顕一会長個人への経営依存を解くための、専任役員制の導入と権限の分散

1991年12月1日、28期連続増収増益を続けるセコムが、グループ事業を5分野に対等分割し、それぞれに専任役員を置く大規模な組織改革を実施した経営判断。中核のセキュリティー事業を"本業"の地位から降ろし、創業者・飯田亮会長への意思決定の集中を薄めることで、新規事業の自立を促す狙いであった。

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★★★
小峰顕一在宅医療への参入と、医療機関の経営を切り分ける議論への一石

セコムが1991年に在宅医療・訪問看護へ参入し、1994年に企業による看護婦採用が厚生省に認められたことを受けて"セコム在宅医療システム"を設立、全国展開へ動いた経営判断。倒産寸前の病院再建も引き受け、医療と経営を分ける"医経分離"の論議に一石を投じた。

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★★★
小峰顕一日本初の画像センサー利用オンライン画像監視システム「セコムAX」を発売★
小峰顕一東洋火災海上保険に資本参加★★
小峰顕一移動体向けセキュリティ「ココセコム」を発売★
小峰顕一日本初の自由診療保険「メディコム」をセコム損保が発売★
2006〜2015年能美防災とアット東京の子会社化、PFI刑務所とインドの病院原口兼正能美防災を子会社化★★
原口兼正PFI刑務所「美祢社会復帰促進センター」を開設★
前田修司前田修司が代表取締役社長に就任★
前田修司アット東京を子会社化★★
前田修司インド初の日本企業経営総合病院「サクラ・ワールド・ホスピタル」を開院★
伊藤博伊藤博が代表取締役社長に就任★
伊藤博世界初の民間防犯用自律型小型飛行監視ロボット「セコムドローン」を発売★
2016〜2026年相次ぐ社長交代とセコムドローン・AI警備、セノン買収中山泰男中山泰男が代表取締役社長に就任★
尾関一郎尾関一郎が代表取締役社長に就任★
尾関一郎世界初のAIバーチャル警備システムを発売★
尾関一郎セノンを子会社化★
尾関一郎アルテリア・ネットワークスに資本参加★★
吉田保幸吉田保幸が代表取締役社長に就任★
出典・参考 4件
出典・参考
  • セコム 有価証券報告書 第63期(2025年3月期)【沿革】(当時社名 日本警備保障)
  • 日経ビジネス 1973年8月6日号(日経マグロウヒル社)
  • 証券アナリストジャーナル 1998年6月号(36巻7号)
  • 読売新聞(1965年12月23日)

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