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  "title": "直近の動向と展望",
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      "title": "機械警備の利益で複数の収益柱を育てられるか（筆者所感）",
      "text": "セコムの60年を貫いたのは、人手で警備するのではなく機械で安全を売るという、創業期の発想を原型にした経営の型だった。1962年に飯田亮と戸田壽一が東京で創業した時点では、「安全はタダ」という社会通念のもと民間警備の業態自体が存在せず、家業の酒問屋から離れて前金で代金が取れる業態を選んだ飯田の判断が、社会的に未開拓だった警備市場との出会いを生んだ。1964年の東京オリンピック選手村警備の単独受注で社会的認知を広げ、1965年に法人からの警戒注文が殺到した時点で人手依存の限界が見えた。1966年6月のSPアラーム発売は、センサーが異常を検知し通信回線で監視センターに通報し駆けつけ要員が現場へ向かう仕組みで、契約数が増えるほど初期投資が薄まるストック収益型のビジネスを警備業界で初めて成立させた。\n\nこの機械警備モデルへの確信を試したのが、1968年12月の東京府中3億円事件である。無人警備では犯行を防げないという批判が一部で出たなかで、飯田は1969年に「今後は無人警備以外の注文をとるな」と社内に指示し、巡回警備の主流から離れて機械警備一本へ賭けを通した。1974年時点で全国250カ所の警報基地、従業員3,300人、年30%超の成長率という数字は、機械警備が市場で受け入れられた証であり、1974年6月東証二部、1978年5月一部指定への到達も、この賭けの帰結である。1983年12月の「セコム」への社名変更で飯田が掲げた「社会システム産業」への転身宣言は、警備業の枠を越えて1991年の在宅医療、1998年の保険、2001年の自由診療保険「メディコム」、2006年の能美防災へ事業領域を広げる地ならしになった。\n\n機械警備のストック収益が新領域への参入原資を生む二重構造は、セコムの財務プロファイルを長く決めてきた。FY18にセキュリティサービス事業の営業利益は1,141億円で連結営業利益1,302億円の87%を占め、多角化事業は売上を伸ばしてもセキュリティのような高い利益率には届かなかった。2012年のアット東京、2017年のTMJ、2023年のアルテリア・ネットワークス資本参加で買収による売上拡大を続けたが、FY24の連結売上高1兆1,999億円に対し営業利益1,442億円とFY19の1,428億円からほぼ横ばいで、M&Aによる売上拡大が利益成長に直結していない。2024年4月就任の吉田保幸社長は3年連続のベースアップと東南アジアでの積極展開に動いている。機械警備で稼いだ利益を周辺領域の採算改善とAI警備・処遇改善に振り向けて、複数の収益柱を持つ社会システム産業へ移れるかが問われている。",
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