1951年〜 「医学と工学の結合」を理念に創業──補聴器で食いつなぎ世界初を世に出す
- 1951年 日本光電工業を設立し医理学機器・電気光関連機器の研究製造を開始
- 1952年 本社・工場を新宿区西落合へ移転
- 1958年 主要部品の真空管からトランジスタへの置き換えと、小型ME機器への転換 補聴器で食いつないできた創業7年目の会社は、なぜ主力機器の中身を総取り替えしたか
- 1961年 東京証券取引所二部に上場
戦時下の技術者が掲げた「医学と工学の結合」
創業者の荻野義夫氏は早稲田大学理工学部で電気工学を学び、戦時中は陸軍科学研究所でテレビジョンや光電話の研究開発にあたった技術将校だった。終戦で兵器開発の職を失った荻野氏は、医学と電子工学を結びつける事業に将来を見いだす。1951年8月、医療関係に顔の広い陸軍軍医出身の松崎陽氏を初代社長に迎え、わずか12名で東京都文京区に日本光電工業を設立した。会社設立の目的に医理学機器と電気・光関連機器の研究製造を掲げ、医学と工学の結合という理念を骨格に据えた医療電子機器専業メーカーの源流である。 [1][2][3]
- 電子技術で病魔に挑戦──日本光電40年のあゆみ(日本光電工業, 1993)
- [1]創業者は荻野義夫、早稲田大学で電気工学を学び戦時中は陸軍科学研究所でテレビジョン・光電話を研究した技術将校
- [3]初代社長は医療関係に顔の広い陸軍軍医出身の松崎陽(社長の実務は荻野義夫が代行)
- 日本光電工業 有価証券報告書【沿革】
- [2]1951年8月 東京都文京区に12名で日本光電工業を設立、医理学機器・電気光関連機器の研究製造を目的とする
資金面では、陸軍科学研究所で光電話研究の先任だった野村恭雄氏が物心両面で支え、後に日本光電の生みの親とも呼ばれた。社名は、荻野氏が大学や研究所で扱った光電効果や電子光学にちなみ、発起人の話し合いから「光電」に「日本」と「工業」を冠して決めた。社長の実務は荻野氏が代行し、自らの土地家屋に加え親族や知人の不動産まで借入の担保に差し入れて運転資金を工面する綱渡りの船出だった。補聴器の製造販売を糊口の手段にしながら、本来の目的である医用電子機器の開発に少しずつ資源を割く創業期が始まった。 [4][5]
- 電子技術で病魔に挑戦──日本光電40年のあゆみ(日本光電工業, 1993)
- [4]野村恭雄(陸軍科学研究所で荻野の光電話研究の先任・東京帝大理学部卒の陸軍少将)が物心両面で支援し「日本光電の生みの親」と呼ばれた
- [5]社名「日本光電工業」は光電効果・電子光学にちなみ「光電」に「日本」「工業」を冠して命名
- 電子技術で病魔に挑戦──日本光電40年のあゆみ(日本光電工業, 1993)
- [1]創業者は荻野義夫、早稲田大学で電気工学を学び戦時中は陸軍科学研究所でテレビジョン・光電話を研究した技術将校
- [3]初代社長は医療関係に顔の広い陸軍軍医出身の松崎陽(社長の実務は荻野義夫が代行)
- [4]野村恭雄(陸軍科学研究所で荻野の光電話研究の先任・東京帝大理学部卒の陸軍少将)が物心両面で支援し「日本光電の生みの親」と呼ばれた
- [5]社名「日本光電工業」は光電効果・電子光学にちなみ「光電」に「日本」「工業」を冠して命名
- 日本光電工業 有価証券報告書【沿革】
- [2]1951年8月 東京都文京区に12名で日本光電工業を設立、医理学機器・電気光関連機器の研究製造を目的とする
補聴器で糊口をしのぎ生んだ世界初の医用電子機器
創業当初の収入源は、トリオ電気研究所から引き継いだ「トリオ補聴器」の製造販売だった。1949年制定の身体障害者福祉法で国庫補助の対象となった補聴器に経営の重点を置き、各県との契約や試聴テストで販路を広げたが、米軍放出部品を使う装置は性能が不安定で、現地調整に工具一式を持ち歩く労力の重い商いだった。1952年8月にトリオ補聴器が厚生大臣賞を受けて販路は東京都など全国へ広がったものの、福祉法頼みでは利益が伸びず、補聴器で糊口をしのぎながら本来の医用電子機器の開発に資源を振り向けた。 [6][7]
- 電子技術で病魔に挑戦──日本光電40年のあゆみ(日本光電工業, 1993)
- [6]創業当初の収入源はトリオ電気研究所から引き継いだ「トリオ補聴器」の製造販売(1949年制定の身体障害者福祉法で国庫補助対象)
- [7]1952年8月 トリオ補聴器が「全国身体障害者補装具展」で厚生大臣賞を受賞し販路が全国に拡大
本来の目的である医用電子機器では、設立4か月後の1951年12月に世界初の8チャンネル全交流直記式脳波装置ME-1Dを完成させ、翌1952年に国立下総療養所へ納めた。電池式が常識だった脳波計を商用交流で連続記録できるようにした成果である。並行して1951年11月には、恩師である植村操慶大教授の依頼から世界初の電気眼底(脳内)血圧計CAP METERを試作し、特許第1号として出願、通産大臣の発明実施化試験費の交付も受けた。糊口の補聴器と世界初の自社開発機が同居する姿が、創業期の日本光電だった。 [8][9]
- 電子技術で病魔に挑戦──日本光電40年のあゆみ(日本光電工業, 1993)
- [8]1951年12月 世界初の8チャンネル全交流直記式脳波装置ME-1Dを完成(会社創立4か月後)、翌1952年に国立下総療養所へ納入
- [9]1951年11月 植村操慶大教授の依頼で世界初の電気眼底(脳内)血圧計CAP METERを試作、特許第1号として出願
- 電子技術で病魔に挑戦──日本光電40年のあゆみ(日本光電工業, 1993)
- [6]創業当初の収入源はトリオ電気研究所から引き継いだ「トリオ補聴器」の製造販売(1949年制定の身体障害者福祉法で国庫補助対象)
- [7]1952年8月 トリオ補聴器が「全国身体障害者補装具展」で厚生大臣賞を受賞し販路が全国に拡大
- [8]1951年12月 世界初の8チャンネル全交流直記式脳波装置ME-1Dを完成(会社創立4か月後)、翌1952年に国立下総療養所へ納入
- [9]1951年11月 植村操慶大教授の依頼で世界初の電気眼底(脳内)血圧計CAP METERを試作、特許第1号として出願
高度成長下の躍進と1961年の東証二部上場
1956年は経済白書が「もはや戦後ではない」と記した年で、医用電子機器産業もこの頃に基盤を形づくった。同年6月、創業以来の実質的な経営者だった荻野義夫氏が正式に社長へ就き、9月には全社員に向けて経営理念「私はこう考える」を発表した。資本に乏しい会社が人の1.1倍働いて、その蓄積で理想の場を築くという考え方を社員と分かち合った。1957年に携帯型心電計、1960年に日本初の多用途監視記録装置(ポリグラフ)、1964年に世界初の生体情報モニタと、生体計測機器の国産化を社内で連続して成し遂げた。 [10][11]
- 電子技術で病魔に挑戦──日本光電40年のあゆみ(日本光電工業, 1993)
- [10]1956年6月 荻野義夫が正式に社長就任(創業以来の実質的経営者)、9月に経営理念「私はこう考える」を全社員に発表
- [11]1957年 携帯型心電計、1960年 日本初の多用途監視記録装置(ポリグラフ)、1964年 世界初の生体情報モニタを開発・販売
高度成長を支えた原動力は、真空管からトランジスタへの電子技術の転換だった。1958年に主要部品の多くをトランジスタへ置き換え、小型軽量の医用電子機器を相次いで商品化した。生産力と知名度が高まるなか、創立10周年にあたる1961年9月に資本金を5500万円へ増資し、同年11月に東京証券取引所市場第二部へ上場して、公開市場での資金調達の基盤を整えた。ME機器の専業メーカーとしては初の上場である。創立10周年の記念誌で荻野社長は、医用電子機器の総合メーカーとして一応の形が整ったと述べた。設立から10年で売上高は約30倍、従業員数は約16倍に伸びていた。 [12][13][14][15]
- 電子技術で病魔に挑戦──日本光電40年のあゆみ(日本光電工業, 1993)
- [12]1958年に主要部品の多くをトランジスタへ置き換え、小型軽量の医用電子機器を商品化(真空管→トランジスタ転換)
- [15]創立10周年(1961年)時点で設立から10年で売上高約30倍・従業員数約16倍に成長
- 日本光電工業 有価証券報告書【沿革】
- [13]1961年11月 東京証券取引所市場第二部に上場(ME専業メーカーとして初の上場)
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [14]創立10周年にあたる1961年9月に資本金を5500万円へ増資(同年11月の東証二部上場に先立つ)
- 電子技術で病魔に挑戦──日本光電40年のあゆみ(日本光電工業, 1993)
- [10]1956年6月 荻野義夫が正式に社長就任(創業以来の実質的経営者)、9月に経営理念「私はこう考える」を全社員に発表
- [12]1958年に主要部品の多くをトランジスタへ置き換え、小型軽量の医用電子機器を商品化(真空管→トランジスタ転換)
- [15]創立10周年(1961年)時点で設立から10年で売上高約30倍・従業員数約16倍に成長
- [11]1957年 携帯型心電計、1960年 日本初の多用途監視記録装置(ポリグラフ)、1964年 世界初の生体情報モニタを開発・販売
- 日本光電工業 有価証券報告書【沿革】
- [13]1961年11月 東京証券取引所市場第二部に上場(ME専業メーカーとして初の上場)
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [14]創立10周年にあたる1961年9月に資本金を5500万円へ増資(同年11月の東証二部上場に先立つ)