日本光電工業の歴史
沿革
1951年に荻野義夫氏らが東京都文京区で12名で設立した会社が起源。
1951年12月に世界初の8チャンネル全交流直記式脳波装置ME-1Dを完成させ、脳波計は後に米国で7割のシェアを占めた。生体情報モニタや人工呼吸器を手がける医療機器メーカーで、売上の39%を海外で上げる。
創業期
1951年〜日本光電工業の設立とトランジスタによる小型ME機器への転換
- 日本光電工業を設立し医理学機器・電気光関連機器の研究製造を開始[1]
- 創業当初はトリオ補聴器の製造販売が唯一の収入源[2]
- 世界初の全交流直記式脳波装置を開発[2]
- 慶応大学医学部と電気眼底(脳内)血圧計MOB-1を開発[2]
- 本社・工場を新宿区西落合へ移転[1]
- 世界初の簡易聴力計MAW-1を開発[2]
- 世界初の電子管記録式心電計MC-1Cを開発[2]
- トランジスタへの転換
- 日本初の多用途監視記録装置RM-150を開発[2]
- 東京証券取引所二部に上場[1]
安定成長期
1962年〜富岡工場の設立と「危機突破2-4作戦」
- 富岡工場を設立[1]
- 日本初の医用テレメータPT-120/220を販売[2]
- 直流式心室細動除去装置を開発[2]
- 日本初の重症患者監視装置ICU-80を東北大学に納入[2]
- 初のPR映画『病魔に挑戦する』が完成[2]
- 青柳卓雄氏がパルスオキシメータの原理を発明[2]
- 心電計ECG-1201・2201が英国の専門誌で世界一の評価[2]
- 那覇市と石垣島の間で心電図電話伝送の公開実験に成功[2]
- 危機突破2-4作戦
- 福岡営業所を分離して日本光電九州を設立[3]
- イヤオキシメータOLV-5100を製品化[2]
- 全国の営業拠点を分離して販売子会社10社を設立[3]
- 世界初のテレメータ式患者監視装置WEP-6000を発売[2]
- 子会社(日本光電アメリカ)を設立[1]
- 鶴ヶ島工場を設立[1]
- 東京証券取引所一部に指定[1]
- 子会社(日本光電ヨーロッパ)を設立[1]
- 荻野和郎氏が代表取締役社長、荻野義夫氏が代表取締役会長に[2]
安定成長期
1990年〜上海合弁の設立とデフィブテックの買収
- 中国上海で合弁会社を設立(2008年完全子会社化)[1]
- 呼称を「日本光電」と決定[1]
- 川本工場を設立[1]
- 子会社を設立[1]
- NKUSラボを設立[1]
- 子会社を設立[1]
- ハローキティをプリントしたビトロードVを発売[2]
- メディネット光電医療軟件(上海)を設立[3]
- マドリッドに日本光電イベリアを設立[1]
- ソウルに日本光電コリアを設立[1]
- パリ近郊に日本光電フランスを設立[1]
- フィレンツェ子会社を設立[1]
- ベネフィックスを子会社化[1]
- 日本バイオテスト研究所を子会社化[1]
- 中国販売子会社を設立[4]
- スーラトに合弁会社スパン日本光電ダイアグノスティクスを設立[3]
- ニューロトロニクスを買収[1]
- サリーに日本光電UKを設立[1]
- グルガオンに日本光電インディアを設立[1]
- サンパウロに日本光電ブラジルを設立[1]
- ドバイに日本光電ミドルイーストを設立[1]
- ウィルミントンにリサシテーションソリューションを設立[3]
- デフィブテックを買収[1]
- バンコクにNKSバンコク(現 日本光電タイランド)を設立[1]
- コロンビアのボゴタに日本光電ラテンアメリカを設立[1]
- クアラルンプールに日本光電マレーシアを設立[1]
- ケンブリッジに日本光電イノベーションセンタを設立[1]
- 変成器事業を譲渡[5]
転換期
2015年〜国内販社11社の吸収合併と持株会社体制への移行
- 富岡生産センタ完成[1]
- オレンジメッドを設立・取得[1]
- フランクフルト近郊に日本光電ドイツを設立[1]
- メキシコシティに日本光電メキシコを設立[1]
- 所沢に総合技術開発センタを開設[1]
- 国内販売子会社11社を吸収合併[1]
- スパン日本光電ダイアグノスティクスを日本光電インディアに吸収合併[3]
- 販売代理店契約満了で迷走神経刺激装置の販売を終了[6]
- 東日本物流センタを設立[1]
- 研究用機器の一部をミユキ技研に譲渡[6]
- 藤岡事業所を閉鎖して鶴ヶ島・富岡の両事業所に移転[7]
- アンプスリーディを買収[1]
- 創立70周年[8]
- ミラノのソフトウェアチームを子会社化[1]
- 子会社を再編、持株会社体制に移行[1]
- 持株会社を商号変更し人工呼吸器事業を新会社に承継[1]
- ハノイに日本光電ベトナムを設立[1]
- 消耗品の鶴ヶ島新工場を着工[9]
- アドテック親会社のニューロアドバンスドを買収[1]
- サウジアラビアのジェッダに日本光電アラビアRHQを設立[1]
- 田村隆司氏が代表取締役を退任[10]