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  "title": "日本光電工業の歴史概略",
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      "start_year": 1951,
      "end_year": 1988,
      "main_title": "国産医療電子機器の創業──脳波計から始まった専業メーカー",
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        {
          "title": "世界初の8チャンネル脳波計と1951年の創業",
          "text": "1951年8月、東京都文京区駒込坂下町に日本光電工業株式会社が設立された。創業者は荻野義夫で、医理学機器と電気・光関連機器の研究製造を目的とした医療電子機器専業メーカーの源流である。1951年の創業と並走して世界初の8チャンネル全交流直記式脳波装置ME-1Dを開発し、特許を取得した。脳波計の国産化は、戦後復興期の日本医療機器産業が欧米製品依存から自国製品へ転換する象徴的な技術成果であり、設立当初から「生体計測機器の専業メーカー」というアイデンティティを世に示す技術成果でもあった（出所：有価証券報告書／日本光電沿革ページ）。\n\n1952年7月、本社・工場を東京都新宿区西落合に移転し、新宿区を本拠地とする現在まで続く立地が定まった。1957年に携帯型心電計MC-2H、1960年に日本初の多用途監視記録装置（ポリグラフ）、1964年に世界初の生体情報モニタを開発・販売と、設立後10年余で「生体計測機器の国産化」を一つの企業のなかで連続的に成し遂げた。生体計測領域への集中投資は、後に同社が脳波計で世界トップシェアを握る出発点であった。創業者荻野義夫が代表取締役会長、長男の荻野和郎が代表取締役社長として家業として経営を引き継ぐ体制が早期に固まり、技術者集団としてのアイデンティティが世代を超えて継承された。",
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              "caption": "日本光電工業の連結売上高・営業利益・経常利益・純利益の長期推移。1990年代後半の海外展開本格化から2024年度の2,254億円・営業利益207億円までの軌跡を示す。"
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        {
          "title": "上場と生産能力拡張──富岡・鶴ヶ島・川本工場の整備",
          "text": "1961年11月、東京証券取引所市場第二部に上場し、公開市場での資金調達基盤を整えた。1962年5月の富岡工場（群馬県、後の日本光電富岡）設立、1981年6月の鶴ヶ島工場（埼玉県）設立、1994年5月の川本工場（埼玉県）設立と、関東圏内の3工場体制で生産能力を拡張した。1982年1月には東証一部に指定替えされ、上場区分の昇格を経て大企業としての位置付けが整った。1961年の上場から1982年の一部指定まで21年を要した点に、医療機器専業メーカーとして堅実な事業拡大を志向した経営姿勢が表れており、急成長を志向する事業構造ではない医療機器業界特有の規制対応・薬事承認の積み重ねを基礎とした成長軌道がここに現れている。\n\n国内市場での足場固めと並行して、1979年11月に米国子会社（日本光電アメリカ、ロスアンゼルス近郊）を設立し、海外展開の起点が築かれた。1985年2月にはドイツ子会社（日本光電ヨーロッパ、フランクフルト近郊）を設立して欧州市場へ進出した。1980年代の米欧2拠点体制は、医療機器産業の世界三大市場（北米・欧州・日本）のうち2極を押さえる狙いであった。設立から30年余で、生体計測機器の国産化メーカーから米欧市場で販売するグローバル企業の片鱗を見せ始めた。脳波計から始まった単一カテゴリの専業メーカーが、世界三極の医療機器市場の販売チャネルを順次整備していく国際化の出発点が、1980年代に置かれた。",
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    "title": "サマリー",
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