時代の波に乗った部品更新として片づけるのは、この転換を軽く見すぎている。1958年の日本光電工業は従業員83名、前々期に初の黒字390万円を出したばかりの会社で、主力の心電計も脳波計も真空管を前提に組まれていた。その中身を入れ替える判断は、既存の設計を捨てる作業に等しい。同じ年に初の3カ年計画を掲げ、技術部と設計部を分ける組織へ改めた事実に、荻野義夫社長がこれを部品ではなく設計の問題とみていたことがうかがえる。
もっとも、判断がすぐ果実を生んだわけではない。置き換えの成功から心電計MC-1TRの発売までは2年近くを要し、高感度の前置増幅器など一部には真空管が残った。量産化そのものは社外で進んだ変化でもある。それでも、電池を必要としない較正電圧回路や記録用ガルバノメータの小型化は、この作り直しからしか生まれなかったといえる。外から来た部品をどれだけ早く自社の設計へ引き込むか——1958年の転換は、その速度が問われた例といえる。