空気マイクロメータの工業化は、新技術の開発に成功した一件として読むと、判断の性格を取り違える。切削工具屋にとって測定器は、本来は自社が削り上げた寸法を検めるための道具であって、外へ売るものではなかった。東京精密工具は1952年10月に試作を終え、翌1953年1月にそれを市販へ回す。検査の道具を商品へ裏返したところにこの判断の芯があり、1962年4月に社名から"工具"の二字が落ちたことが、その帰結を端的に示している。
もっとも、売り物が入れ替わるまでには長い時間がかかっている。市販から電気マイクロメータの工業化までに五年、社名変更までは九年を要した。その間に社長は東島好蔵氏から諫早艮三氏、高城誠氏へと替わっており、ひとりの経営者の構想として描くには無理がある。主力が移るのは宣言によってではなく、隣に置いた商品が積み重なって古い商品を追い越したときであろう。同社の1953年は、その追い越しが始まった年として読むことができる。