創業1949年3月、東京精密工具株式会社が資本金160万円で設立された。創業期はミシン加工用の切削工具・精密部品・治具類の製作販売から始まり、戦後復興期の繊維・機械工業向け部品需要を取り込んだ。1953年に高圧流量式空気マイクロメータの日本初工業化、1957年に差動変圧式電気マイクロメータの日本初工業化に成功し、切削工具メーカーから精密測定機器メーカーへの事業組み替えを完成させる。1962年に「東京精密」へ商号変更と同時に東証二部上場、1986年に一部指定で資本市場の主要銘柄入りを果たした。
決断1992年10月、米国のSILICON TECHNOLOGY CORPORATIONを買収して半導体ウェーハ加工装置事業へ本格進出した。創業から43年、空気マイクロメータの工業化から39年を経ての事業領域拡張で、精密測定機器(計測社)と半導体製造装置(半導体社)の2軸経営体制への入口となる戦略買収である。東京エレクトロン・アドバンテストらが先行する半導体製造装置市場で、後発の東京精密は北米企業買収によって既存技術と顧客基盤を一気に取り込む道を選んだ。1989年の西独・米国法人設立から3年でのSTC買収という展開速度は、海外販売網と海外生産能力の同時構築を狙った経営判断の表れであった。
課題吉田均会長CEOと木村龍一社長COOの二頭体制で、計測社カンパニー長出身と半導体社カンパニー長出身の二人が事業の両軸を均等に率いる構造を採用する。FY24(2025年3月期)売上1,505億円・営業利益297億円のうち半導体製造装置売上は1,135億円で、新中期経営計画では1,400億円規模への成長を目標化した。半導体市況の循環の影響を受けつつも長期的な成長軌道にあり、生成AI・データセンタ・自動車電装化を背景とする中長期の半導体需要拡大をどう取り込むかが、計測・半導体二本柱経営の次の主題となる。
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歴史概略
1949年〜1991年切削工具からマイクロメータへ ── 精密測定の専業化
戦後復興と精密測定機器メーカーの出発点
1949年3月、前身となる東京精密工具株式会社が資本金160万円で設立された。設立当初の事業は、ミシン加工用の切削工具・精密部品・治具類の製作販売である。戦後復興期の日本では、米軍進駐に伴う繊維・縫製工業の急速な立ち上がりと、復興期の機械工業の再建が同時並行で進んでおり、ミシン加工・繊維機械向けの精密部品需要が高水準で安定して存在していた。創業期の同社はこうした周辺領域から事業を始め、加工精度を極限まで追い込む「切削工具屋」としての出自を持つ。創業数年で精密測定機器メーカーへと事業を組み替えていく転換点となるのが、1953年1月の「高圧流量式空気マイクロメータ」の日本初工業化である。空気流量を介して微小な寸法差を非接触で測定する空気マイクロメータは、当時の日本では学術研究レベルにとどまっており、工業製品として商業ベースで供給する企業は存在しなかった。
東京精密工具はこの空気マイクロメータの工業化に成功し、自動車・電機・精密機器など、ミクロン単位の寸法管理を必要とする産業に納入を始めた。続いて1957年10月には「差動変圧式電気マイクロメータ」の日本初工業化にも成功する。空気式に続く電気式の量産化で、同社は精密寸法測定機器の専業メーカーとしての位置取りを明確にした。創業期の切削工具事業から、その工具を測る装置の事業へと、製品ヒエラルキーが一段上に組み替わった瞬間でもある。1962年4月には商号を東京精密工具から「東京精密」へと改称し、同年8月に東京証券取引所市場第二部に株式を上場する。創業から13年で資本市場へのデビューを果たし、戦後復興期の精密測定機器需要を取り込んだ事業立ち上げが、上場という形で外部資本の関与する企業形態へ移行した節目となった。
八王子・土浦の生産二極化と座標測定機専用工場
1963年12月に八王子工場第一期工事が完成し、1967年2月には第二期工事も完成して、東京西部の八王子に主力生産拠点を集約する体制が整った。1969年7月には茨城県土浦市に土浦工場第一期工事が完成し、八王子(東京西部)と土浦(北関東)の二極生産体制が成立する。八王子はマイクロメータ・電気マイクロメータなどの汎用精密測定機器、土浦は座標測定機(CMM = Coordinate Measuring Machine)の大型機を中心とする住み分けで、製品特性に応じた生産配置が次の20年にわたる生産インフラの基本形となった。1971年1月に八王子工場本館が完成し、本社機能も含めた生産・管理の集約が一段進む。創業期の切削工具事業から始まった同社は、この時期までに精密測定機器の専業メーカーとしての形を完全に固めることとなった。
1981年8月、土浦工場に三次元座標測定機(CMM)の専用工場が完成する。CMMはプローブで対象物の表面座標を測定し、立体形状を数値化する装置で、自動車エンジン部品・航空機部品・金型などの寸法検査に用いられる高付加価値機種である。日本国内ではミツトヨが先行していたが、東京精密は独自の機械構造とソフトウェアで差別化を図り、座標測定機事業の専用拠点を持つことで生産集中の効率を確保した。1985年10月には子会社「トーセーシステムズ」を設立してソフトウェア開発機能を独立法人化、ハードウェアとソフトウェアの両輪体制を組織的に整える。1986年9月には東京証券取引所市場第一部銘柄に指定された。1962年の二部上場から24年を経ての一部昇格は、座標測定機事業の本格的な収益寄与によって市場規模が拡大局面に入った成熟企業としての評価が反映された節目である。
西独・米国法人設立と海外市場参入
1989年は同社の海外展開元年となった年である。3月に西ドイツに TOKYO SEIMITSU EUROPE GmbH を設立して欧州拠点を構え、続いて10月には米国に TOKYO SEIMITSU AMERICA INC. を設立して米州拠点も立ち上げた。欧米2極に同年内に販売拠点を設置する展開は、当時の日本の精密機器メーカーとしては積極的な動きであり、現地のユーザー(自動車・電機メーカーの工場品質管理部門)への直販体制を一気に確立する狙いを反映している。日米貿易摩擦期にあたり、北米市場で日本製の精密測定機器に対する関税圧力が高まる局面でもあり、現地法人化することで関税回避と現地サポート強化の両方を狙う構図でもあった。
1992年10月、米国の SILICON TECHNOLOGY CORPORATION(STC)を買収する。半導体ウェーハの加工装置を手がけるSTCの買収で、東京精密は精密測定機器事業に加えて半導体製造装置事業に本格進出した。創業から43年、空気マイクロメータの工業化から39年を経て、同社は精密測定機器(計測社)と半導体製造装置(半導体社)の2軸経営体制への入口に立った形となる。1989年の欧米拠点設立から3年でのSTC買収という展開は、海外販売網の確立と並行して海外生産能力も取り込む方針の表れで、以後の同社の経営史を決定づける戦略選択であった。当時の半導体製造装置市場は東京エレクトロン・アドバンテストらが先行する寡占構造で、後発の東京精密は北米企業の買収によって既存技術と顧客基盤を一気に取り込む道を選んだ点が特徴的である。
1992年〜2010年半導体製造装置事業の成長と親子上場解消
TSK AMERICA統括と北米事業の集約
1995年4月、米国子会社の統括管理を目的として TSK AMERICA INC. を設立する。1992年のSTC買収以後、米国に複数の現地法人を抱える状態となっていたため、北米持株会社的な機能を持つ TSK AMERICA でグループ管理を統一する組織改編である。1998年1月にはこの TSK AMERICA を存続会社として米国内子会社4社を統合合併し、北米事業の効率化を一段進めた。日本の精密機器メーカーが米国市場で複数の現地法人を抱えた後、統括会社化と合併を通じて段階的に集約していくパターンは1990年代後半に各社で見られる動きだが、東京精密もこの流れに沿って買収後の北米事業の足腰を整理した。1999年2月には子会社のマイクロ・テクノロジを増資・組織変更して、ウェーハ外観検査装置の生産担当に位置付ける。半導体製造装置事業のうち「外観検査」という新領域への踏み込みであり、STCで取り込んだ加工装置事業に外観検査を加えるラインナップ拡張がここで始まっている。
1990年代後半から2000年代初頭にかけては、八王子第2工場(1997年7月完成)、東精エンジニアリングの土浦本社・工場(1999年4月完成)、八王子工場新本館(2001年3月完成)、八王子第3工場および土浦新本館(2005年3月完成)と、設備投資が連続して計画される。半導体製造装置事業の本格化に対応する生産能力の積み増しが続いた局面で、精密測定機器と半導体製造装置の両事業を支える生産拠点として八王子・土浦が同時に拡張されていく構図である。2001年6月には子会社の東精エンジニアリングが東証二部に上場し、親子上場の体制を採用する。アフターサービス事業を担う子会社の独立上場は、グループ内事業会社の自律経営を促す目的での体制設計だが、後の経営史で見直しを迫られることとなる。
中国上海拠点設立と東精エンジニアリングの完全子会社化
2002年10月、中国に東精精密設備(上海)有限公司を設立し、販売・物流・保守サービス拠点として中国市場に参入した。中国の半導体産業が立ち上がり始めた時期にあたり、日系の半導体製造装置メーカーが軒並み中国進出を加速していた局面である。1989年の欧米2拠点、1992年のSTC買収による北米事業、1995〜1998年の北米統括会社設立を経て、2002年の中国進出で東京精密の海外拠点配置は欧米中の3極構造へと拡張された。2005年10月には、子会社の東精エンジニアリングを株式交換で完全子会社化し、同社の東京証券取引所上場を廃止する。2001年6月から約4年4か月続いた親子上場体制をここで解消し、グループの一体経営に戻す決断である。
親子上場解消の背景には、グループ内で生じる利益相反問題への市場の関心の高まりと、東京精密グループとしての経営機動性確保の要請があった。同時期に他の日系メーカーでも親子上場の見直しが進んでおり、東京精密のこの判断も業界全体の流れに沿うものだったといえる。2007年1月には韓国の現地法人を ACCRETECH KOREA CO. LTD. として増資・組織変更し、韓国半導体市場での販売・サービス体制を強化した。サムスン電子・SKハイニックスを擁する韓国は世界最大級のメモリ半導体生産地域で、半導体製造装置事業にとって最重要市場の一つである。2007年4月には子会社「アクレーテク・マイクロテクノロジ」を吸収合併し、ウェーハ外観検査装置事業を本体に統合してさらに事業を強化した。「ACCRETECH(アクレーテク)」は、Accurate(正確) + Technology の造語で、東京精密グループの統一ブランドとして1990年代後半から海外で使われてきた呼称である。
三鷹から八王子へ ── 本店移転と東日本拠点の再構築
2008年3月、子会社の東精エンジニアリングの土浦半導体工場が完成し、土浦地区での半導体製造装置生産能力を増強した。同年4月には土浦工場CMM棟も完成し、座標測定機事業の生産インフラも同時に強化される。半導体製造装置と精密測定機器という2大事業の両方が、土浦という単一地区での生産集中で支えられる体制が整いつつあった時期である。2009年4月には米国支店を北米地域での販売拠点として開設したが、2012年4月には支店を閉鎖して現地法人 ACCRETECH AMERICA INC. を設立し直すという法人形態の再構築を実施する。支店から現地法人への切り替えは、北米市場での営業活動の安定化と現地納税・現地サポートの効率化を目的としたもので、米国市場の重要性が一段高まったタイミングでの組織再編であった。
2010年6月、本店所在地を東京都三鷹市から八王子市へ変更する。1971年の八王子工場本館完成以来、生産機能の中核であった八王子市が、本店所在地としても東京精密の中核となる節目である。2011年6月に八王子第5工場が完成し、半導体製造装置の生産能力をさらに拡張した。創業から60年を経て、東京精密は精密測定機器と半導体製造装置の両事業を八王子(半導体・精密測定)と土浦(座標測定機・半導体)の2拠点で支える成熟企業として、本店所在地もその事業実態に合わせて移転した形である。リーマン・ショック直後の経営環境のなかでも積極的な設備投資を継続できたのは、精密測定機器事業が景気循環の波を相対的に均す役割を果たしていた点と、半導体製造装置事業の長期的な需要拡大期待が経営判断を後押しした点の両方に支えられていた。
2010年〜2025年計測・半導体二本柱経営と新中期経営計画
精密切断ブレード事業参入と電気計測分野への拡張
2012年8月、東京精密は精密切断ブレード事業を事業譲受で開始した。半導体ウェーハやセラミック部品の切断に用いられるダイヤモンドブレードは、半導体製造装置事業に隣接する周辺領域で、装置と消耗品の両方を持つことで顧客との取引深度を高める効果が期待される事業領域である。2014年9月にはタイに ACCRETECH ADAMAS (THAILAND) CO. LTD. を設立し、精密切断ブレード事業の海外生産拠点を確立する。タイ進出は同社にとって東南アジア地域での生産拠点の確保という意味を持ち、人件費の高い日本国内から、より競争力のある立地でブレードを量産する体制を整えた。2016年5月には八王子第6工場も完成し、半導体製造装置事業の生産能力を継続的に拡張していく。
2019年は同社の事業領域拡張のもう一つの節目となる年である。2月、富士通テレコムネットワークス福島の株式取得で子会社化し、充放電試験装置の開発・製造・販売事業を取り込んで電気計測分野に進出した。電気計測分野は二次電池・電気自動車の急成長を背景に、関連装置市場が拡大していた領域で、東京精密にとっては精密測定機器事業の延長線上にある自然な拡張だった。同年11月には、米国の SCHMITT INDUSTRIES INC. のバランサ事業を買収し、米国子会社の名称を ACCRETECH SBS INC. に変更する。1992年のSTC買収以来27年ぶりの海外M&Aで、自動計測ラインナップの強化を狙った戦略買収である。半導体製造装置と精密測定機器の周辺領域(精密切断ブレード・電気計測・バランサ)への事業拡張は、コア事業の競争力強化と並行して進められた周辺シナジーの取り込み戦略であり、2010年代後半の東京精密の経営方針を象徴している。
プライム市場移行と新中期経営計画
2020年5月に土浦工場MI棟が完成、2021年3月には子会社 ACCRETECH TAIWAN CO. LTD. の新社屋完成および台湾新アプリケーションセンタを設立し、台湾事業を拡張した。TSMC・UMC を擁する台湾は世界最大の半導体ファウンドリ集積地で、半導体製造装置メーカーにとって最重要市場の一つである。台湾でのアプリケーションセンタは現地ユーザーへの装置の評価・実機検証を支援する施設で、販売・サービスから一歩踏み込んだ顧客密着型の事業展開を可能にする。2022年4月、東京証券取引所の市場区分見直しにより、東京精密は市場第一部からプライム市場へ移行した。1986年の一部指定から36年、プライム市場の選定基準である流通株式時価総額・コーポレートガバナンス基準を満たしての移行で、グローバル市場での競争力ある企業群の一角として位置づけられた。
2023年7月には埼玉県飯能市に飯能工場が完成し、八王子・土浦に続く第3の主要生産拠点として半導体製造装置事業の生産能力を一段強化する。八王子(東京西部)・土浦(茨城)・飯能(埼玉)の3拠点体制で、関東圏内での生産分散と能力増強を同時に進める設備投資である。連結売上高はFY22(2023年3月期)に1,468億円、FY23(2024年3月期)に1,347億円、FY24(2025年3月期)に1,505億円と推移しており、半導体市況の循環の影響を受けつつも長期的な成長軌道にある。FY24の営業利益は297億円で営業利益率は19.7%、ROE水準も2桁台を維持する。1949年の切削工具メーカーとしての創業から76年を経て、精密測定機器(計測社)と半導体製造装置(半導体社)の2大カンパニーが両輪で事業展開する企業として完成された姿を示している。
木村龍一社長COOと新中期経営計画
2022年4月、吉田均が代表取締役会長CEOへ移行し、木村龍一が代表取締役社長COOに昇格した。吉田会長CEOと木村社長COOの二頭体制は、計測社カンパニー長出身の吉田と半導体社カンパニー長出身の木村という、東京精密の2大事業のカンパニー長経験者が経営トップを分担する構図で、事業の両軸を均等に意識した経営運営を可能にする設計である。木村社長は半導体製造装置事業の拡大を主導しつつ、計測社との技術シナジー追求を経営方針に掲げており、両事業の技術的な相互補完を組織的に進めている。2025年3月期通期の半導体製造装置売上は1,135億円に達し、新中期経営計画では半導体製造装置を1,400億円規模へ拡張する目標が提示されている。
2025年度から開始の新中期経営計画は、前中期経営計画期(FY22〜FY24)に立ち上げた新工場(飯能工場)・新製品の成果を業績に転化するフェーズと位置づけられている。半導体製造装置市場の構造的な拡大(生成AI・データセンタ・自動車電装化を背景とする半導体需要の中長期拡大)を取り込みつつ、精密測定機器事業との技術シナジーを引き出すことが新中計の中核テーマである。創業から76年、空気マイクロメータの工業化から72年、STC買収による半導体製造装置進出から33年を経て、東京精密は計測と半導体の二本柱経営を成熟させながら、その技術シナジーを次の成長ドライバーとして経営計画に明文化する局面に至った。1949年の切削工具メーカーとしての出発から、精密測定機器の専業化、海外展開、半導体製造装置事業の本格参入を経た同社の歴史は、ニッチ領域での技術深耕を維持しつつ事業領域を段階的に拡張してきた道筋として整理できる。