アンケル・ベルクと成形機提携(1960年・日本製鋼所の決断)更新:2026/07/26論点兵器に代わる主力を何に求めるか日本製鋼所:業績の推移売上高(億円)経常利益率(%)データ出所技術導入によるプラスチック射出成形機事業の立ち上げと、一般産業機械部門の拡大何をなぜ決めたか:技術導入によるプラスチック射出成形機事業の立ち上げと、一般産業機械部門の拡大概要1960年、日本製鋼所は西ドイツのアンケル・ベルク社と小型射出成形機の技術援助契約を締結し、射出成形機事業を立ち上げた。1963年にはクラウス・マッファイ社と大型射出成形機の技術提携を締結し、小型から大型までの品揃えを整えている。背景敗戦で兵器生産を失い、1950年12月に第二会社として再出発してからも収益源は定まらなかった。1961年3月期の製品構成は鋳鍛鋼品42.4%、鋼板31.1%と素材が七割を占め、機械は17.9%にとどまっていた。内容同社は1950年に自社技術でフィルム・シート・電線被覆用の押出成形機を開発しており、樹脂を溶かす技術は持っていた。金型に射ち込んで成形品を数多く作る射出成形機は、二社からの技術導入で入口を買っている。含意一般産業機械部門の比重は1963年度の36%から1968年度に43%へ上がった。1987年には業界に先駆けて全電動射出成形機を開発し、2025年3月期には樹脂機械と成形機だけで連結売上高2,485億円の過半を占める。いつ何が起きたか8件考察:導入してきた技術と、続けてきた技術考察考察:導入してきた技術と、続けてきた技術射出成形機は買ってきた技術で始まった事業である。それでも根づいたのは、1950年に自社技術で押出成形機を開発してからの十年分の蓄積が下にあり、樹脂を溶かして形にするという工程が同社の手の内にあったからなのだろう。買えたのは金型に射ち込む部分だけで、スクリュもシリンダも制御も、その後は自前で作り替えている。1987年に全電動機を業界で最初に出したのは、導入から二十七年後であった。ただ、この判断が正しかったと言えるのは、建設機械のほうを知っているからでもある。1969年の時点で全国占有率は建設機械の20%が樹脂機械の15%を上回っており、当時どちらが本命かは決まっていなかった。東京製作所は1987年9月に閉鎖され、跡地の売却益425億円が赤字基調の決算を埋める。多角化の巧拙は、何に手を出したかよりも、伸びなかったほうをいつ撤退するかに表れるといえる。Yutaka Sugiura, 2026年7月参考文献参考文献参考証券アナリストジャーナル 1969年 小野達郎企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)日本製鋼所 有価証券報告書【沿革】日本製鋼所 会社年鑑(1957年3月期・1961年3月期・単体業績)株式会社年鑑 昭和37年版(日本製鋼所 製品部門別売上高)日本製鋼所 2025年3月期 決算説明会資料次に読む決断日本製鋼所の意思決定1931年日本製鋼所日本製鋼所輪西製鉄を分離設立製鉄・採鉱事業の切り離しと、鋳鍛鋼・兵器・産業機械への集中1931年2007年日本製鋼所日本製鋼所室蘭製作所を原子力向けに増強製鋼・鍛錬設備の増強と、原子力発電向け大型鍛鋼への傾斜2007年同じ問い:自社技術による隣接領域への展開1953年信越化学工業信越化学工業GEとの提携でシリコーン事業化技術提携を足がかりとした事業化と、肥料中心の売上構成の入れ替え1953年1970年象印マホービン象印マホービン電子ジャーの発売自社開発の製品を足がかりに、魔法瓶専業から家庭用電気製品部門への進出1970年1987年荏原製作所荏原製作所藤沢工場で真空ポンプ生産半導体製造装置分野への参入と、CMP装置の事業化1987年1957年上村工業上村工業めっき用化学品の製造開始本社に薬品部を設置しての、自社での薬品づくりへの踏み出し1957年1956年日亜化学工業日亜化学工業阿南市で蛍光体原料開発塩化カルシウムを主原料とする蛍光灯用蛍光体原料の開発と、日亜化学工業の設立1956年×出所