佐藤彦八社長が1971年末の講演で示したのは、磁器コンデンサの売上構成比45%を今後30%以下へ下げるという、祖業をみずから縮小させる数値目標であった。撤退ではなく比率の設計として語られている。単価は1個1円60銭程度、たばこ1本の半値以下まで低下していた。どの部門でも利益が出る状態を衰退の兆しとみなし、利益の出ない部門を五つ抱えていた同氏にとって、主力事業の縮小は矛盾ではなかったのだろう。
ただ、方針を掲げた直後の成績は芳しくなかった。1975年2月期の売上高は106億円へ落ち、経常損益は7億円の赤字を計上し、1978年には希望退職者200名の募集に至った。製品を増やしても、輸出の比重が重い会社が景気と為替の振れから逃れることはなかった。それでも材料から設計し直す姿勢は1984年のニッケル電極MLCCに実を結ぶ。何を作るかより、どの材料まで自前で握るかを先に決めた点に、この方針の射程があったといえる。