CP-1で実装機へ転換(1981年・FUJIの決断)

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論点 工作機械から実装機へ主力を転換するか
FUJI:業績の推移
売上高(億円)経常利益率(%)
工作機械専業から電子部品実装機への主力転換

何をなぜ決めたか:工作機械専業から電子部品実装機への主力転換

概要

自動旋盤で伸びた富士機械製造が、1978年10月の電子部品自動挿入機"BA"、1981年7月の電子部品自動装着機"CP-1"を経て、工作機械専業から電子部品実装機へ主力を移した判断。単年の号令ではなく、1970年代後半から1980年代前半にかけて製品の重みが入れ替わった。

背景

工作機械は設備投資の増減をそのまま受け、1965年の昭和40年不況では約60名の人員削減に踏み切った。1976年3月期の単体売上高は40億700万円、経常損益は2億7,600万円の赤字で、一本の事業では収益が景況に振られ続けた。

内容

旋削加工から離れて組立作業を自動化する機械へ製品を広げ、1971年6月に自動組立機を完成。1970年代に100種類を超える組立機を手がけるなかで電子部品の実装機に対象を絞り、挿入機BAは累計約850台を売った。1981年の装着機CP-1は苦情が続いたが、経営はこの部門を畳まなかった。

含意

1999年には売上の80数%以上を電子部品自動組立機が占め、表面実装分野の供給者として世界の首位に立った。工作機械も残されたが、その採算は長く戻らなかった。

いつ何が起きたか 6件
考察:畳まなかった数年が決めたもの
考察

考察:畳まなかった数年が決めたもの

単能機で出発した会社が電子部品実装機の会社になるまでに、明確な号令が下された記録は残っていない。1971年の自動組立機、1978年の挿入機、1981年の装着機と製品が一つずつ増え、そのうちの一つが伸びた。決断らしい決断があったとすれば、それは新しい機械をつくり始めた時点ではなく、苦情の絶えないCP-1と亜流という社内評価に耐えて、この部門を畳まなかった数年間にあっただろう。大津谷輝男氏が果たしたのは、開発を指示したことよりも、成果の出ない期間を見守り続けたことであった。

工作機械を捨てなかったことも、この転換の性格を示している。同社は実装機が主力になった後も自動旋盤と専用機を残し、浅井亮宥社長が語ったとおり雇用を中断せずに技術を継いだ。ただし残した側の採算は長く戻らず、2026年3月期のマシンツール事業のセグメント利益は1億700万円の赤字であった。実装機へ主力を移した判断は、捨てなかった事業の赤字と一組のまま今日に続いている。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
参考文献

参考文献

参考
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • MC journal(国際貿易・投資の総合情報誌、1999年4月号)
  • 富士機械製造50年の歩み(富士機械製造, 2009)
  • 株式会社FUJI プレスリリース(2025年6月9日)
  • FUJI 有価証券報告書【沿革】
  • 富士機械製造 会社年鑑(1986年版)
  • FUJI 有価証券報告書【セグメント情報】

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