決断
外へ出すのが当たり前だった工程を、そのつど社内へ引き戻してきた。1955年10月に大隈鋳造を設けて鋳物を内製し、1963年には自社製のNC装置OSPを開発して機械と制御を一体で設計する体制へ移る。当時の国内では制御を専門メーカーへ委ね、工作機械メーカーは機械本体に専念する分業が広がっており、その外へ出る選択だった。開発は長く採算に乗らず、1973年のオイルショック後は1977年9月期の累積赤字が36億円に達する。1978年2月、30年在任した大隈孝一氏が引責退任し、労働組合の三役を経営会議へ入れたガラス張り経営で立て直した。2013年5月には本社工場へ一貫生産工場ドリームサイト1を建て、2022年6月に鋳物の平坂鋳工、2023年8月に部品の大川製作所を子会社に加えた。自社の機械と自社の制御で自社の工場を組むところまで内製を進めたことが、機械と制御を切り離せない製品を作る条件を残した。
1978年2月 経営情報の開示で再建
業績の推移1977 1978 1983 売上高(億円) 133 170 471 純利益率(%) 0.4 -1.8 4.7 1963年 NC装置「OSP」開発