大隈孝一

オークマ・元取締役社長

Okuma Koichi(敬称略)

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社長就任 1948年8月
生年月日 —
学歴 東京帝国大学工学部機械工学科
出自 —
社長就任までの出自
出自

1915年に愛知県名古屋市で生まれ、1940年に東京帝国大学工学部機械工学科を出て同年4月に大隈鐵工所へ入った。母校の東京大学で機械工業論を講じたこともある技術畑で、社内では静かな学者肌と見られていた。創業家の一員で、1955年9月末の大株主には東海銀行に次ぐ2位に大隈武雄氏、4位に本人が個人として並んでいる。社長就任後は東洋組網工業(現・日東製網)と旭精機工業の社長も兼ねた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

入社から4年後の1944年10月に取締役、1946年2月に取締役副社長へ進み、1948年8月に33歳で代表取締役社長に就任した。同じ時期に役員を務めた社内出身者と比べると、村岡克巳氏は1937年の入社から取締役まで14年、長岡振吉氏は1939年から18年、兵藤正男氏は1928年から32年を要しており、孝一氏の8年は際立って短い。会社は1945年10月に大隈興業へ改称し、1951年に旧商号へ戻す途上にあった。創業家の一員としての登用だったとみられる。

在任中の主な施策
施策

1961年に技術研究所を建設して研究開発部門を厚くし、1963年には自社製NC装置OSPの開発に成功して、機械と制御を一社で設計する体制を構築した。周辺部門は本体から切り出し、1951年10月に製麺機部門を大隈機械へ、1953年8月に旭大隈工業(現・旭精機工業)を設立し、1955年10月に鋳造部門を大隈鋳造として分けている。オイルショック後の受注減で赤字が続き、1977年9月期の累積赤字は36億2,000万円に達して、1978年2月に30年務めた社長の座を退任した。 経営情報の開示で再建

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1943〜1978年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件
参考文献

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