大隈栄一
オークマ・元株式會社大隈鐵工所に改組
社長就任1898年1月
生年月日—
学歴—
出自—
経歴1898〜1946年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1898年主要役職の状況(推定含む目安)1946年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | オークマ | 1898 | 大隈麺機商会を創業・初代社長 | ||
| 1918 | 株式會社大隈鐵工所に改組 | ||||
| 1946 | 社長 退任 |
社長就任までの出自
出自
佐賀県神埼郡三田川村の出身で、郷里で岳父の鶴沢栄吉氏らと1年ほど製麺機の製造工場を営んだのち、1897年暮に名古屋へ出た。麺類の消費が盛んで中部地区の要衝にあたることを見込んで名古屋を選んだ。1898年1月、岳父から譲られた製麺機3台を売った代金300円を元手に、名古屋市東区石町3丁目で個人経営の大隈麺機商会を興す。自ら発明した製麺機械の製造販売から始め、このとき28歳だった。
社長に選ばれた経緯
抜擢
初代の社長であり、前任はいない。個人商会として20年を経た1918年7月、愛知銀行頭取の渡辺義郎氏や岡谷惣助氏らの出資を受け、資本金100万円の株式會社大隈鐵工所へ改組した。このとき常務取締役と工場長に就任したのは、1899年に佐賀から呼び寄せた同郷の村岡嘉六氏だった。外部資本が入ったあとも栄一氏は社主と呼ばれ、村岡氏が社長へ就任する1946年2月まで経営の中心にいたとみられる。
在任中の主な施策
施策
1904年、日露戦争にともなう機械需要を機に弾丸旋盤や立削盤の製造へ参入し、輸入に依存していた旋盤・形削盤・フライス盤・研磨盤の国産化を進めた。第一次世界大戦では陸軍砲兵工廠から小銃・銃弾の製造機械を受注し、1917年、ドイツから輸入していた填薬装弾機の国産化に成功する。1919年に専売局向けの煙草製造用機械、1920年に毛織機、1931年に無結節漁網機と製品を広げ、漁網機は日英米仏など8か国の特許を得た。1937年ごろから工作機械へ主力を戻し、品目は185種類に及んだ。
業績貢献
大隈栄一氏:在任中の業績貢献
売上高
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営業利益率
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ROE
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参考文献4件
- オークマ 有価証券報告書【沿革】
- 和田宏『中部財界人物伝』(中部経済新聞社, 1957年)
- 会社銀行八十年史(1955年)「大隈鉄工所」
- 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「大隈鉄工所」(1968年)