1960年に片山一郎氏が東京都大田区で設立したユニオン化学研究所が起源。
1970年にプリント配線板用の超硬ドリルの生産を始め、研磨機など工具を製造する機械まで自社で設計してきた。自社推計でPCBドリルの世界市場の約3割を占め、売上の74%は国外向けである。
片山一郎氏は1960年12月、東京都大田区に株式会社ユニオン化学研究所を設立し、ドリルやエンドミルなど工業用超硬精密工具の試作研究を始めた。最初の製品は歯の治療に使うドリル(デンタルバー)だった。経営理念は設立当初から、良い製品を世に出し、それを通じて社会の役に立つという一点に置かれていた。片山一郎氏は創業時に4項目の「社風」を書き残し、第1に『自然を愛し人を愛し仕事を愛する』、第2に『常に世界最先端の技術の確保に努める』を掲げた。片山一郎氏の回顧では、歯科用ドリル以来の技術の核は穴開けにあり、求められる穴の径は年を追って小さくなった。細い刃物で硬い物に小さな穴を開けるという課題が、創業の時点ですでに事業の起点に置かれていたとみられる。
ユニオン化学研究所は1970年3月に本社工場を新設し、プリント配線板用の超硬ドリル(PCBドリル)の生産を始めた。PCBドリルは基板に部品を差し込む穴を開ける工具で、素材には超硬合金を用いる。基板はガラス繊維を含むため、鋼のドリルでは数個の穴で刃先がつぶれ、タングステンカーバイドなら2,000個から1万個まで開けられた。超硬合金は硬い反面で衝撃に弱く、薄い刃先に仕上げるには高い加工技術を要した。片山一郎氏は国内のハイテク産業の成長で需要が拡大すると見込み、1971年に事業の中心をPCBドリルへ移した。歯科用ドリルで培った細径の超硬加工が基板の穴開けにそのまま通じたことが、転換の決め手になったと推察される。
ユニオン化学研究所は1971年4月に工作機械製造部門を設け、刃先研磨機のドリルポインターの生産を始めた。翌5月には商号をユニオンツールに改め、PCBドリルの本格生産に入った。片山一郎氏は、ミクロン単位の精度が要るPCBドリルは汎用の工作機械では加工できず、内製なら増産体制を3カ月で整えられると考えていた。自社の専用機は自動化と小型化を方針に設計され、品質の向上と原価の低減を両立させた。溝を切るフルート研削盤は業界の他社より10年早く全自動化し、安定した品質が世界で25%のシェアにつながった。ドリルポインターは外販もされ、1989年までに国内で約1,500台、世界で1万台以上が売れた。
ユニオンツールは1976年12月、新潟県長岡市妙見町にローラーガイドの専用工場を設けた。ローラーガイドは直線運動用の軸受で、もとはPCBドリルを加工する自社の専用機のために内製した部品である。ユニオンツールは1975年に軸受の外販を始め、1993年には総売上高の20%を占めるまでになった。玉の代わりにコロを使う構造で、ボール式やニードル式より許容荷重が大きく寿命も長かった。1990年2月には米国の精密工作機械メーカーのムーアから、主要部に採用するとの内示を得た。長岡を選んだ理由は手元の資料になく、本社工場とは別に用地と人手を確保できる地方へ新事業の生産を切り出したものと思われる。
ユニオンツールは1979年7月、妙見町の工場を長岡市摂田屋町へ移し、長岡工場として新設した。1983年11月に長岡市十日町へ関連会社の大善を設立し、1985年1月に長岡南部工業団地へ第二工場、1988年12月に熱処理棟を新設した。1990年には需要の拡大と従業員の負担軽減に備え、長岡に13億円を投じてPCBドリルの生産能力を20%高める第3工場の建設を決めた。第三工場は1991年4月に長岡南部工業団地で新設された。東京の本社工場は1990年9月に大田区内で移転し、東京工場と改称した。長岡への集約は東京の工場を一度に閉じる移転ではなく、増設のたびに拡張の軸足を長岡へ移す段階的な過程だったと考えられる。
ユニオンツールは1981年3月、米国カリフォルニア州に合弁会社MEGATOOL INC.を設立し、PCBドリルの現地生産を始めた。1985年3月には台湾に子会社の台湾佑能工具股份有限公司を設け、同じくPCBドリルを現地で生産した。1989年までに米国、スイス、台湾に子会社などを設立し、海外市場への進出を進めた。当時の海外の競合は、米国のメタルリムーバルやツーロン、欧州のケマーなどだった。1989年の生産本数はユニオンツールの150万本に対し、ケマーが100万本、他社は30万〜50万本にとどまった。基板の産地である米国と台湾で現地生産に入ったことで、欧米の専業メーカーと同じ市場で規模の差を示せる位置に立ったのだろう。
片山一郎氏は数年前から株式上場を目指し、1988年11月期に売上高61億円、経常利益18億円を計上したのを機に東証二部への上場を申請した。申請は売上高が小さすぎるとして認められず、片山一郎氏は店頭登録を足場に売上高100億円の時点での再挑戦を見込んだ。ユニオンツールは1989年6月、日本証券業協会へ店頭登録した。同じ月にはスイスで販売子会社のUNION TOOL EUROPE S.A.を設立した。登録時に新株70万株を発行して28億5,100万円を調達し、借入金を返済した結果、借入金依存度は6.89%に低下した。片山一郎氏は公開の利点に良質な資金と社会的信用を挙げ、資金を設備投資と研究開発に充てる方針を示した。
PCBドリルのシェアは1990年時点で国内40数%、世界25%に達した。1993年には住友電気工業、東芝タンガロイ、三菱マテリアルの超硬工具大手3社を抑えて首位を保った。溝彫りから先端研磨までの3工程を1台でこなす自社機AD-2は、加工時間を約2分から40秒に縮め、国内月産200万本の体制を支えた。刃先だけに超硬合金を使い柄をステンレスにする加工で、1本当たり10%近い原価を削減した。1992年11月期の売上高はハイテク機器の不振で前期比17.7%減の64億7400万円となり、売上高経常利益率は17.3%だった。ユニオンツールは1994年10月にMEGATOOLを子会社とし、1995年12月には中国に佑能工具(上海)有限公司を設立した。
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事実根拠:出所(ユニオンツール)