1963
2月

三住商事を設立

A氏・B氏・田口弘氏の3名で共同創業

ミスミの創業者は一般的に開示されていない。創業の経緯は、高校時代の同級生3人が独立起業のために会社を設立したことに始まる。3名のなかに、田口弘氏が専務として参画しているが、設立当時は社長ではなかった(田口氏は1969年12月に社長就任)。

事業面においても金型用品や流通革命とは無縁であった。祖業は、伊藤忠商事が取り扱う「高周波自動水洗機」を販売するビジネスであった。だが、独自性はなく、商品の品質が安定しなかったことから頓挫している。

三住商事の会社設立

1963年2月に三住商事株式会社を東京都千代田区にて設立した。社名の由来は「三井・三菱・住友」を凌駕する企業を作るために、総合商社の名前に由来した社名とした。

水洗機から金型用品に転換

祖業の自動水洗機は品質が安定しなかったため、事業は軌道に乗らなかった。このため、三住商事は、共同創業者のうち一人が金型部品の業界に詳しかった(起業前に勤務経験あり・企業名不明)という経緯から、金型部品の商社に着目した。

顧客からベアリング部品の「ニードルローラ」だけ欲しいというニーズ(金型の位置決定にノックピンとして使用)を聞き出し、需要があると判断した。金型用品は、1965年に参入して田口弘氏が担当し、三住商事は業態転換をスタートさせた。

1963年
2月
自動水洗機の取扱いを開始
1965年
金型用品の取扱いを開始
証言
田口弘氏

この会社は友人3人で始めたものです。3人でやったから、あるいは、三井、三菱、住友の頭文字をとったという具合で、それほど大きな意味は持っていません。まあ、適当なことが許されたんですよね。あの頃は・・・。

最初に手掛けたのが、伊藤忠商事が発売した高周波利用の自動水洗機ですが、水が出っ放しだったりして、故障が多く、ギブアップしました。

1969
12月

田口弘氏が社長就任。生産財の流通革命を提唱

人事
田口弘氏が社長就任。実質創業者へ
田口弘氏が三住商事の社長に就任し、金型用品の販売に特化する体制を整えた。なお、株式上場直前の1993年6月時点における株主構成は、田口弘...
方針
生産財の流通革命を提唱
1969年に三住商事の社長に就任した田口弘氏は「生産財の流通革命」を提唱した。従来の生産財(部品)は、機能が同じであっても、メーカーごと...
開発
標準品の企画
三住商事は標準品を定義するために「社団法人・東京都金属プレス協会」における「金型標準化委員会」が定義した企画を採用し「標準パンチ」を市場...
方針
在庫機能をミスミが請け負う
標準化のメリットの一つとして、田口弘社長は「メーカーにおける倉庫機能の削減」を打ち出した。三住商事が標準品を「期限までに確実に納入する」...
顧客
トヨタ自動車と取引開始。メーカーと直取引へ
田口弘氏は、生産財の市場を調査するために、宮津製作所や萩原鉄工などのメーカーを訪問。現場で部品を見て、同じ機能を実現するノックピンであっ...
結果
オイルショックにより業容を拡大
1973年10月に発生したオイルショックにより、日本の製造業は苦境に陥り、コスト削減に邁進するようになった。また、単一製品の大量生産では...
詳細をよむ
1967年
1月
プレス金型用部品に特化
1969年
田口弘氏が社長就任
1970年
生産財の流通革命を提唱
1973年
トヨタ自動車との取引開始(推定)
1989年
商号を株式会社ミスミに変更
1994年
東京証券取引所第2部に株式上場
1994年
東京証券取引所第2部に株式上場
1998年
東京証券取引所第1部に株式上場
1994年6月
ユニットチーム制の組織を導入
2002年
三枝匡が社長就任。実質創業者の田口弘氏は退任

世代交代のため、実質創業者の田口弘がミスミの社長を退任し、経営改革で定評のあった三枝匡氏が社長に就任した。三枝氏は、ボストンコンサルティンググループを経て、コマツなどの改革に従事しており、V字回復のプロ経営者とも知られていた。

決算
ミスミグループ本社の業績
2003年3月期(連結)
売上高
577
億円
当期純利益
35
億円
2003年
中国への本格進出

中国メーカーの台頭を受けて、ミスミは自ら中国進出を決断。社内で「突撃計画」を策定し、1年で物流拠点、コールセンター、情報システム、カタログ発刊準備、現地中国人の採用などを目標とし、短期間で中国事業の立ち上げを試みた。

決算
ミスミグループ本社の業績
2004年3月期(連結)
売上高
695
億円
当期純利益
50
億円
2004
10月

駿河精機と経営統合(実質買収)

海外展開に備えて、上場企業だった駿河精機を経営統合(実質的にミスミによる買収)して製造機能を内製化した。2004年3月期の駿河精機は売上高139億円・純利益3.7億円。株式交換のため経営統合のため、キャッシュアウトはほぼなし。ミスミとしては持たざる経営からの大きな転換で、メーカー機能を内製化することを意味した。

目的は(1)海外展開の積極化と、(2)製造現場の生産性を改善するモデルを作り込むことであった。ミスミは、従来通りに国内協力工場に対して製造を発注しつつも、製造現場の改善案を提案することで、サプライチェーン全体の効率化を目論む。駿河精機の買収により、ミスミは商社から「メーカー機能を持つ商社」に転身する。

買収PJの責任者は高家正行氏が担当した。ところが、経営統合から1年で駿河精機の某責任者がやめるなどPMIに苦戦。高家氏が駿河精機の金型事業部長に就任し、PMIを成し遂げるべく奔走した。

2004年
10月
駿河精機との経営統合を発表
2005年
4月
ミスミグループ本社を発足(統合完了)
2007年
11月
関西生産パークを新設
新設投資額 40 億円
証言
三枝匡の発言(2007年・当時社長)

駿河精機と経営統合、有り体に言っちゃえば買収なんですけど、したきっかけは海外展開なんです。ミスミはメーカーさんを何百社と組織化しているんですけど、ほとんどが中小企業なんですよ。海外展開をしようと思っても、一緒に付いていく体力のないところばっかりです。海外で「創って、作って、売る」をきちんとやるために、手始めに駿河さん、当時、ミスミの中では最大の協力メーカーだったんですけど、そこと一緒になったということですね。

2007/12日経情報ストラテジー
決算
ミスミグループ本社の業績
2005年3月期(連結)
売上高
815
億円
当期純利益
65
億円
2008年10月
三枝氏が会長就任。高家正行氏が社長就任

三枝氏と高家氏がCo-CEOとして代表業務を担当

決算
ミスミグループ本社の業績
2009年3月期(連結)
売上高
1100
億円
当期純利益
47
億円
2010年
EC事業に参入

自社ブラント及び他社ブランドを取り扱うEC事業を開始し、流通事業に参入した。従来のミスミは自社製品(協力会社から仕入れ)のみの取り扱いであったが、他社製品も取り扱うことで業容の拡大を目論む

決算
ミスミグループ本社の業績
2011年3月期(連結)
売上高
1212
億円
当期純利益
90
億円
2010年3月
2期連続の減益。リーマンショックの影響
2011年10月
東南アジアで生産拠点を拡充
2005年
7月
駿河ベトナム第2工場を竣工
2005年
10月
駿河タイ工場を新設
2007年
2月
駿河韓国工場を新設
2011年
10月
駿河インド工場を新設
2011年
10月
駿河ベトナム第3工場を竣工
2015年
10月
駿河ベトナム第4工場を竣工
2012年10月
Connell Industrial Tool社を買収

米国の金型部品メーカーの買収を決定し、同社の株主(投資ファンド)から株式100%を164億円で取得。北米自動車メーカー(ビッグ3)との取引がある企業であり、米国の製造業向けの顧客開拓を目論む。

PMIにはミスミの高家社長も関与。買収先企業の経営陣に経営プランを提出させ、6ヶ月で統合作業の完了を目指した。

決算
ミスミグループ本社の業績
2013年3月期(連結)
売上高
1348
億円
当期純利益
99
億円
2014年6月
CEO交代(三枝氏→大野龍隆氏)

三枝CEO(当時69歳)は退任を決定。大野氏がCEOに就任

決算
ミスミグループ本社の業績
2015年3月期(連結)
売上高
2085
億円
当期純利益
142
億円
2019年3月
9期連続の増収。海外展開が軌道へ

2010年代を中心に、中国を中心とした海外展開で増収を確保。納期厳守による付加価値をグローバル展開でも訴求

決算
ミスミグループ本社の業績
2019年3月期(連結)
売上高
3319
億円
当期純利益
240
億円