ミスミの歴史

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歴史概要
確実な納期を付加価値とした'時間戦略'に特色。駿河精機の買収により製造機能と海外事業を強化
1963
会社設立
東京都千代田区にて三住商事を設立
ベアリング等の販売を開始。1965年からは金型部品「ノックピン」を発売し、金型部品の取扱いが特色に
1973
愛知県日進に営業所を新設。トヨタとの取引強化
トヨタ自動車及びトヨタ系の企業との取引を強化するために、豊田市に隣接する愛知県日進市に中部営業所を新設。トヨタとの取引関係が、企業としてのミスミの信頼構築につながった。
1977
プレス金型用標準部品カタログを創刊
田口弘の発言(1996年・当時社長)
田口弘の発言(1996年・当時社長)
1996/3/11日経ビジネス「編集長インタビュー・田口弘」
1994
株式上場
東京証券取引所第2部に株式上場
1998
株式上場
東京証券取引所第1部に株式上場
2002
創業
キーパーソン退職
三枝匡が社長就任。実質創業者の田口弘氏は退任
世代交代のため、実質創業者の田口弘がミスミの社長を退任し、経営改革で定評のあった三枝匡氏が社長に就任した。三枝氏は、ボストンコンサルティンググループを経て、コマツなどの改革に従事しており、V字回復のプロ経営者とも知られていた。
2003
中国
中国への本格進出
中国メーカーの台頭を受けて、ミスミは自ら中国進出を決断。社内で「突撃計画」を策定し、1年で物流拠点、コールセンター、情報システム、カタログ発刊準備、現地中国人の採用などを目標とし、短期間で中国事業の立ち上げを試みた。
2004
駿河精機と経営統合(買収)
海外展開に備えて、駿河精機を経営統合(買収)して製造機能を内製化した。目的は(1)海外展開の積極化と、(2)製造現場の生産性を改善するモデルを作り込むことであった。ミスミは、従来通りに国内協力工場に対して製造を発注しつつも、製造現場の改善案を提案することで、サプライチェーン全体の効率化を目論む。駿河精機の買収により、ミスミは商社から「メーカー機能を持つ商社」に転身する。
三枝匡の発言(2007年・当時社長)
三枝匡の発言(2007年・当時社長)
2007/12日経情報ストラテジー
2010
新規事業
EC事業に参入
自社ブラント及び他社ブランドを取り扱うEC事業を開始し、流通事業に参入した。従来のミスミは自社製品(協力会社から仕入れ)のみの取り扱いであったが、他社製品も取り扱うことで業容の拡大を目論む
CEOの業績貢献
Report

2004 駿河精機と経営統合(買収)

海外展開に備えて、駿河精機を経営統合(買収)して製造機能を内製化した。目的は(1)海外展開の積極化と、(2)製造現場の生産性を改善するモデルを作り込むことであった。ミスミは、従来通りに国内協力工場に対して製造を発注しつつも、製造現場の改善案を提案することで、サプライチェーン全体の効率化を目論む。駿河精機の買収により、ミスミは商社から「メーカー機能を持つ商社」に転身する。

三枝匡の発言(2007年・当時社長)

駿河精機と経営統合、有り体に言っちゃえば買収なんですけど、したきっかけは海外展開なんです。ミスミはメーカーさんを何百社と組織化しているんですけど、ほとんどが中小企業なんですよ。海外展開をしようと思っても、一緒に付いていく体力のないところばっかりです。海外で「創って、作って、売る」をきちんとやるために、手始めに駿河さん、当時、ミスミの中では最大の協力メーカーだったんですけど、そこと一緒になったということですね。

2007/12日経情報ストラテジー