日本トムソンの社長であった寺町博氏(てらまち・ひろし)は、1970年頃に、会社資金を流用して小豆相場に投資。相場の暴落によって6億円の損失を計上し、資金の不正利用が発覚した。日本トムソンは1963年に東証2部に上場しており、寺町社長はメディアなどから「上場企業の社長にあるまじき行為」として批判され、寺町博氏は社長辞任に至った。
寺町博氏は経営者として再起を図るために、1971年に東邦精工株式会社(現THK)を設立した。
日時 | 経歴 | 備考 |
1924年 | 生まれ | 岐阜県出身 |
1942年 | 岐阜県第一工業機械科・卒業 | |
1942年 | 半田重工業・入社 | |
1948年 | 一工商会を設立 | 日本トムソンと提携(1961年) |
1960年 | 日本トムソン・社長 | |
1970年 | 日本トムソン・社長退任 | 小豆相場で失敗 |
1971年 | 東邦精工・設立(社長就任) | 現THK |
寺町博はベアリングの技術者だったこともあり、THKにおいて新製品の開発に専念。1972年に垂直方向の位置決めを正確に行うための直動システム(LMガイド)の開発に成功した。世界で初めて開発したことにより、THKは直動システムでパイオニア的な存在となった。
直動システムは、NC旋盤、工作機械、研削盤、半導体製造装置、塗装ロボットなど、精密な位置決めが必要な製造装置に組み込まれ、THKの主力製品に育った。
直動システムがどんな機械に使われているかと言いますと、NC(数値制御)旋盤、研削盤などの工作機械、半導体の製造装置、工業用のロボット、電子機器、汎用機械と並べたらキリがないくらいです。(略)
機械の運動は、回転運動と直線運動、そしてその2つの組み合わせの3パターンがあると考えていただいて結構です。一般に言うところのベアリングは回転運動の軸受です。これは1世紀前に開発され、現在では9割ほど普及しています。直動システムというのは、直線運動のベアリンングと考えてもらえればいいでしょう。直動システムは、私が約18年前に世界で初めて開発したもので、回転用ベアリングに比べてこれから伸びる商品です。
1973年に宮入パルプ製作所との共同出資により株式会社テーエチケーを設立。同社の製造部門として甲府工場を発足し、THKとしては製造部門を合弁会社を通じて運営した。
その後、販売拡大を受けてTHKは製造部門の集約を実施。1977年にテーエイチケーの甲府工場を買収し、1982年にはテーエイチケーとの吸収合併により名古屋工場・大阪工場を取得した。
THKはNCやロボット、半導体製造装置の普及とともに順調に業容を拡大し、1981年3月期に売上高113億円、経常利益21億円を達成。1983年には直動システムで国内シェア90%を確保したという。
1989年11月THKは株式の店頭公開を実施。額面50円に対して初値19,000円を記録し、日本一の株価を記録した(*時価総額ではない)。当時ファミコンブームによって注目を集めていた任天堂の株価を上回ったことで注目を集めた
1990年代を通じて寺町博が株式投資の失敗によって抱えた損失により、THKの業績が悪化。本業の直動システムの製造販売が好調な一方で、株式投資失敗による損失計上と、巨額有利子負債が重荷となった。1997年に創業者の寺町博が社長を退任し、同氏の長男である寺町彰博が社長に就任した。
自動車部品事業を強化するために、2007年5月にリズム株式会社を121億円で買収(取得による支出)。同社は旧中島飛行機浜松製作所であり、戦後は富士産業(浜松工場)としてミシンの生産に従事。高度経済成長期にはプリンス自動車(現在の日産自動車)向けの自動車部品の製造に従事していた。
米国の大手自動車部品メーカーであるTRW-DAS社から、自動車の足回り部品(リンクボールなど)を製造するTRW Automotive Inc.を493億円(取得原価)で買収。対象事業をリンケージ&サスペンション事業(従業員数約2,000名・欧米5箇所に生産開発の拠点あり)として取得した。
THKとしては、グローバル展開のために完成車メーカー向けの販路を確保し、自動車向け部品の販売拡大を意図。THKの事業ポートフォリオとしては、従来の産業用機器に加えて、新たな成長事業として「輸送用機器」の販売比率を高める方針。