三菱電機自動車機器事業の会社分割による分社化と三菱電機モビリティの設立、鴻海精密工業への出資受け入れの検討

総合電機の内側で立て直すか、外部の資本と組むか——CASE下で赤字が続いた車載事業をどこに置くか

時期 2023年4月
意思決定者(推定) 漆間啓 三菱電機 執行役社長。2023年4月の執行役会議で自動車機器事業の構造改革を決議
論点 事業ポートフォリオと車載事業の体制
概要
2023年4月、三菱電機は自動車機器事業の構造改革を決議し、1年以内の分社化を表明した。2024年4月1日に会社分割で三菱電機モビリティを設立し、カーマルチメディアなど課題事業の終息と、電動化・ADASでの社外パートナーとの協業を進める経営判断。2026年4月には、鴻海精密工業への50%出資受け入れを視野に入れた検討開始の覚書にまで至っている。
背景
1989年6月に事業本部として発足した自動車機器事業は、2023年3月期に三菱電機単独売上高の22.9%を占めるまで育っていたが、収益改善が課題で赤字が続いた。CASEによる産業構造の転換が進むなか、九つの事業本部が並ぶ総合電機の手続きのままでは、電動化とADASの投資判断が間に合わなくなっていた。
内容
2023年4月24日の執行役会議で構造改革を決議。CASE関連は選択と集中のうえでパートナーとの協業、電動パワーステアリングなど強みの事業はコスト削減と価格転嫁、カーマルチメディアなど課題事業は早期終息と、三つに仕分けた。2023年10月に吸収分割を決定し、2024年4月1日に三菱電機モビリティが事業活動を開始した。
含意
2024年5月に基本合意したアイシンとの共同出資会社は同年10月に業務提携へ後退したが、社外へ開く方針は保たれた。2026年3月には子会社株の一部譲渡を検証していることが表に出て、4月には鴻海精密工業と共同運営の検討開始で合意している。いずれも検討段階であり、100%子会社という形を保つかどうかは決まっていない。
筆者の見解

切り出した先を、どこまで手放すか

分社化の理由として三菱電機が先に挙げたのは、赤字ではなく意思決定の遅さであった。2023年3月期の自動車機器事業は単独売上高の22.9%を占めたが、九つの事業本部が並ぶ総合電機の内側では、電動化とADASに要る巨額投資の順番を待つ一事業にすぎない。漆間啓社長が別法人へ切り出したのは、赤字事業を体よく外へ出すためというより、資本を受け入れる相手と向き合える単位を先に作るためだったとみられる。

アイシンとの共同出資会社は、基本合意から五カ月で業務提携へ後退した。カーマルチメディアの終息も、2024年10月の時点で実際に終息できている製品は一部にとどまると説明されている。2023年10月の開示が連結業績に与える影響は軽微と書いた組み替えは、二年半後には子会社株の一部譲渡と、鴻海精密工業への50%出資受け入れの検討にまで届いた。切り出した先をどこまで手放すのかは、本稿の時点では決まっていない。

Yutaka Sugiura, 2026年8月

背景

事業本部として立てた自動車機器

1989年6月、三菱電機は自動車機器事業本部を新設した。社内でカーエレクトロニクス部門として扱ってきた領域を事業本部格へ引き上げるもので、カーナビゲーション・エンジン制御・オルタネーターといった自動車電装品を担う経営単位となった。1993年6月には電力工業システムから半導体まで九つの事業本部を並べる体制へ再編し、自動車機器はその一角に置かれた。総合電機の縦割りのなかで車載事業を育てる構えは、以後三十年余り変わらなかった[1]

2022年、三菱電機は事業本部の上にビジネスエリア(BA)を置く経営体制へ移り、BA単位で権限を移す組み替えを進めた。自動車機器事業はインダストリー・モビリティBAに属したが、そのなかでも規模は小さくない。分社化の適時開示に載った数字では、2023年3月期の自動車機器事業の売上高は6,218億円で、三菱電機単独の売上高2兆7,121億円の22.9%を占めた。単独で見れば五分の一強を担う事業であった[2]

収益が伸びないまま迎えたCASE

規模の割に、収益は伸びなかった。新型コロナ禍による需要の不安定化と原材料高が重なり、自動車機器事業では営業赤字が続いた。カーナビゲーションを含むカーマルチメディアは収益改善の難しい課題事業に数えられ、強みとされる電動パワーステアリングでも、価格転嫁の加速や取引条件の見直しが積み残しとなっていた。稼ぐ力を欠いたまま、電動化への投資だけが先に膨らむ状態であった[3][4]

三菱電機が公にした理由は、赤字そのものよりも意思決定の速さにあった。2023年4月24日の適時開示は、収益改善が課題であることに続けて、CASEをはじめとして産業構造が急速に転換するなかで意思決定プロセスを簡素化し、よりスピーディーな事業運営を行うためと記している。電動化とADASには市場の伸びが見込める一方で巨額の投資が要る。総合電機の全社手続きのなかで、その判断を待たせる余裕はなくなっていた[5]

決断

三つの仕分けと、分社化の決議

2023年4月24日、三菱電機は執行役会議で自動車機器事業の構造改革を決議し、同日から1年以内をめどに分社化して新会社を設立すると発表した。掲げた狙いは事業運営の効率化と事業ポートフォリオの再構築の二つで、分社化そのものが連結業績に与える影響は軽微と見込むとも添えられている。会社の外へ売るのではなく、まず別法人へ切り出して意思決定を独立させるという順序であった[6]

同時に、事業を三つに仕分けた。市場が大きく巨額投資を要するCASE関連(電動化・ADAS)は、選択と集中のうえで技術シナジーが見込めるパートナーとの協業を模索する。電動パワーステアリングなど強みが活かせる事業は、コスト削減と効率化に加えて価格転嫁を急ぎ、不採算の機種から収益の見込める機種へ資源を移す。そしてカーマルチメディアを始めとする課題事業は、早期に終息させる[7][8]

会社分割の実務と、三菱電機モビリティ

実務は半年かけて固まった。2023年10月31日、三菱電機は2024年4月1日を効力発生日として、自動車機器事業を吸収分割の方式で新設の準備会社へ承継すると決定した。100%出資子会社との簡易吸収分割にあたるため株主総会の承認は要さず、執行役会議の審議を踏まえた執行役社長・漆間啓氏の決定で実施した。承継する資産は2,561億円、負債は2,114億円と見込まれた[9]

準備会社は2023年11月1日に設立され、同月15日に吸収分割契約を結んだ。12月1日には新会社の社名を三菱電機モビリティと決め、資本金は100億円とした。2024年4月1日、三菱電機モビリティは事業活動を開始する。有価証券報告書の沿革には、自動車機器事業を会社分割により分社化し同社を設立したと記された。1989年に事業本部として立てた事業は、三十五年近くを経て別の法人になった[10][11][12]

結果

アイシンとの合弁と、その後退

社外との協業は、まず国内の同業から始まった。2024年5月24日、三菱電機と三菱電機モビリティ、アイシンの三社は、電動化事業に関する共同出資会社の設立で基本合意したと発表した。新会社はEVとPHEV向けの駆動用モーター、インバーター、これらの制御ソフトウェアの開発・生産・販売を担い、出資比率は三菱電機側が66%、アイシンが34%。三菱電機オートモーティブ・チェコの電動化事業も引き継ぐ計画であった[13]

ところが同年10月、この基本合意は解消され、業務提携契約へ移った。同月の決算説明会では、自動車機器事業をコア事業と見るのかを問う質問が出ている。三菱電機側は最適な体制についてすべての可能性を排除せずに検討する方向性に変更はないと答え、パートナー戦略にも変更はないとした。同じ席では、カーマルチメディアなどの課題事業について、実際に終息できている製品は一部だとも説明されている[14][15]

外部資本の受け入れ検討へ

2026年3月17日、三菱電機が三菱電機モビリティへの外部資本の受け入れを検討していることが表に出た。会社は、三菱電機モビリティ株の一部を事業会社やファンドに譲渡する可能性について事業価値向上などの観点から検証しているとコメントし、鴻海精密工業などが候補に浮上しているとみられると伝えられた。分社から二年足らずで、100%子会社という形そのものが検討の対象に入った[16]

2026年4月24日、三菱電機は鴻海精密工業と、自動車機器事業の共同運営を通じた戦略的提携の検討開始に関する覚書を締結した。電動化・自動運転・SDVへ協業領域を広げ、三菱電機モビリティへの50%の出資受け入れも視野に検討を始めるという内容で、この時点では検討開始の合意にとどまる。三菱電機モビリティの2024年度の売上高は6,903億円、従業員は2026年3月末で約6,400人であった[17][18]

出典・参考

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