進藤貞和

三菱電機・元取締役社長

Shindo Sadakazu(敬称略)

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社長就任 1970年11月
生年月日 —
学歴 九州帝国大学工学部電気学科
出自 —
社長就任までの出自
出自

1934年に入社試験を受けて三菱電機へ入り、1935年4月に長崎製作所へ着任して設計課管制器係を担当した。長崎には通算34年住み、重電の設計と現場を歩いた。大久保謙氏が社長に就任した1964年11月に取締役兼重電事業部長へ選ばれ、1966年11月には常務となって技術本部長と研究本部長事務取扱を兼ね、1968年には経営情報本部長事務取扱も加わった。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1968年11月、関義長会長から次の社長にすると告げられた。三菱グループでは戦前まで社長の呼称が本社にしか認められなかったため、創業時の武田秀雄会長から数えると自分は七代目にあたる、と本人は記している。社長就任は1970年11月で、大久保謙氏の後任だった。そのころの三菱電機には家電事業をやめるのではという噂が立つほどで、就任後は全国の販売店を回り歩いた。

在任中の主な施策
施策

1971年10月、業績の悪化を受けて危機突破の全社運動"一〇一作戦"を始め、販売政策の見直しと不採算機種対策を重点に置いた。1973年9月期は1971年9月期に比べ売上高35%増、経常利益2.1倍となった。1972年4月には半導体事業部を置いて生産と販売を強めた。1975年6月に営業本部、1977年6月に重電・電子・機器・商品の4事業本部を新設し、1980年3月期の単体売上高は1兆754億円へ達した。 営業本部・4事業本部制移行

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1970〜1980年
在任中の業績
就任前(FY69)3,761億円
退任時-
変化-
就任前(FY69)9.2%
退任時-
変化-

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