- 創業
- 1910年、久原鉱業所日立鉱山の修理工場で小平浪平氏が国産の電動機を作ったのが始まりである。1920年に株式会社として独立し、1929年に初代社長へ就いた小平浪平氏は、1947年の公職追放で退くまで37年にわたり事業を率いた。創業家から社長が出たのはこの1人だけで、以後は社内からの昇格が続いている。
- 登用
- 直近20年の社長は古川一夫氏から德永俊昭氏まで6人で、全員が新卒入社の生え抜きであり、外部から招いた例は一度もない。ただし本体一筋ではなく、川村隆氏は日立マクセル、中西宏明氏は日立グローバルストレージテクノロジーズ、德永俊昭氏は日立アプライアンスと、子会社の経営を任された者が本体へ戻る型が目につく。
- 任期
- 戦後の再建を率いた倉田主税氏の約15年を筆頭に、1990年代までは10年前後の政権が続いた。直近3代は東原敏昭氏が7年、小島啓二氏が4年、2025年4月に就いた德永俊昭氏が現任である。前2代は社長就任の1年から2年後にCEOを兼ねており、就任直後は試用期間に近い扱いと思われる。
- 含意
- 立て直しの局面でも社外から呼ばず、子会社に出した元幹部を呼び戻す。7873億円の赤字を出した2009年に、日立マクセル会長だった川村隆氏を会長兼社長に据えたのがその型である。指名委員4名のうち社内は会長の東原敏昭氏だけで社長は入らないが、候補を探す場所は今もグループの内側にあるように見える。
1946〜1960年・15年/生え抜き
1961〜1970年・10年/生え抜き
1971〜1979年・9年/生え抜き
1980〜1989年・10年/生え抜き
1990〜1997年・8年/生え抜き
1998〜2004年・7年/生え抜き
2005〜2007年・3年/生え抜き
2008〜2008年・1年/生え抜き
2009〜2012年・4年/生え抜き
2013〜2019年・7年/生え抜き
2020〜2023年・4年/生え抜き
德永俊昭現任
2024年〜現在・3年/生え抜き
德永俊昭
とくなが としあき
生え抜き(1990年入社)。金融システム事業などデジタル畑を歩み、日立アプライアンス社長・副社長を経て社長へ
小島啓二
こじま けいじ
生え抜き(1982年入社)。中央研究所長・日立研究所長と研究畑を歩み、副社長を経て社長へ
東原敏昭
ひがしはら としあき
生え抜き(1977年入社)。大みか電機の交通システム畑から日立パワーヨーロッパ社長・日立プラントテクノロジー社長を経て社長へ
中西宏明
なかにし ひろあき
生え抜き(1970年入社)。欧州・北米総代表など海外経験が長く、日立グローバルストレージテクノロジーズ会長兼CEOで再建を担い、副社長を経て社長へ
川村隆
かわむら たかし
生え抜き(1962年入社)。電力事業を歩み日立工場長・副社長を務めたのち本体取締役を退任し、グループ会社会長から会長兼社長として復帰
古川一夫
ふるかわ かずお
生え抜き(1971年入社)。通信機器事業の経験が長く、情報・通信グループ長から副社長を経て、重電以外の出身者として初の社長へ
庄山悦彦
しょうやま えつひこ
生え抜き(1959年入社)。国分・栃木工場長から家電・情報メディア事業本部長を歩み、副社長を経て社長へ
金井務
かない つとむ
生え抜き(1958年入社)。日立工場長から電力事業本部長を歩み、副社長を経て社長へ
三田勝茂
みた かつしげ
生え抜き(1949年入社)。1970年代後半から汎用コンピューター部門で活躍し、副社長を経て社長へ
吉山博吉
よしやま ひろきち
生え抜き(1935年入社)。副社長を経て社長へ
駒井健一郎
こまい けんいちろう
生え抜き(1925年入社)。日立工場長を経て社長へ
倉田主税
くらた ちから
生え抜き(1912年入社)。久原鉱業所日立製作所に入り、笠戸工場長・常務取締役を経て社長へ