- 創業
- 1899年7月、米ウェスタン・エレクトリックとの合弁で設立された日本初の外資系合弁メーカーである。創業者の岩垂邦彦氏は社長ではなく専務取締役として27年、続いて会長を3年務めた。岩垂家から社長が出たことは一度もなく、1932年に経営を委託された住友本社から移った渡辺斌衡氏が戦後最長の政権を担っている。
- 登用
- 直近20年の社長4人はいずれも新卒入社の生え抜きで、外部から招いた例はない。伝送機器、衛星通信、金融向けIT、海外M&Aと畑は分かれ、技術系3人に対し現職だけが法学部から入って財務畑で上がった。入社から就任まで29年から40年、4人のうち3人は副社長を経ている。
- 任期
- 1990年代半ばまでは10年を超える長期政権が三代続いた。関本忠弘氏は社長を退いた後も会長として実権を保ち、防衛庁向けの過大請求事件を受けて1999年に退くまで体制は通算20年に及んだ。C&Cを掲げた成長期の実績が発言力の根拠になっていたと思われる。以後の社長は3年から6年で、直近3代は5年から6年である。
- 含意
- 2023年6月に指名委員会等設置会社へ移り、CEOの任期を置かず、指名委員会が毎年再任か退任かを判断する形になった。2026年度の続投もそこで決めている。ただし次期CEO候補を提案するのは現職CEO自身で、委員4人のうち1人は前社長の新野隆氏である。社外7人が並んでも、後継の一次案は社内から出る。
1946〜1963年・18年/外部出身
1964〜1974年・11年/生え抜き
1975〜1978年・4年/外部出身
1979〜1992年・14年/生え抜き
1993〜1997年・5年/生え抜き
1998〜2001年・4年/生え抜き
2002〜2004年・3年/生え抜き
2005〜2008年・4年/生え抜き
2009〜2014年・6年/生え抜き
2015〜2019年・5年/生え抜き
森田隆之現任
2020年〜現在・7年/生え抜き
森田隆之
もりた たかゆき
生え抜き(1983年入社)。海外部門が長く買収案件を多く手がけ、CFOを兼ねる副社長から社長へ
新野隆
にいの たかし
生え抜き(1977年入社)。国内金融業向けITシステム・サービス畑。メガバンクのシステム統合やセブン銀行のATM開発に携わり、CSO兼CIOを務めた副社長から社長へ
遠藤信博
えんどう のぶひろ
生え抜き(1981年入社)。衛星通信・モバイルネットワーク畑を歩み、取締役執行役員常務から社長へ
矢野薫
やの かおる
生え抜き(1966年入社)。伝送事業本部長など通信機器の開発畑を歩み、3度の米国駐在を経て副社長から社長へ
金杉明信
かなすぎ あきのぶ
生え抜き(1967年入社)。情報処理装置システム事業部長・C&C医療システム事業部長を経て、社内カンパニーNECソリューションズの社長から本体社長へ
西垣浩司
にしがき こうじ
生え抜き(1961年入社)。NEC初のコンピュータ部門出身社長。防衛装備品の水増し請求問題と巨額赤字への転落という危機のさなかに登板し、人員削減と不採算部門の整理を進めた
金子尚志
かねこ ひさし
生え抜き(1956年入社)。米国法人NECアメリカ社長など海外畑を歩み、専務から社長へ。関本忠弘会長との二頭体制のもとで国際標準(デファクト・スタンダード)路線を進めた
関本忠弘
せきもと ただひろ
生え抜き(1948年入社)。コンピュータ開発を担う技術屋として中央研究所長を務め、その後国内販売を指揮。専務から社長へ昇格し、14年の長期政権を築いた
田中忠雄
たなか ただお
住友総本社から1944年に日本電気へ移り、経理畑を歩んだ。副社長から社長へ昇格し、石油ショック後の4年間を担った
小林宏治
こばやし こうじ
生え抜き(1929年入社)。研究・技術畑を歩み、玉川向製造所長などを経て副社長から社長へ。社長就任時の第一声は「わが社を国際的な企業に育てたい」で、後に「C&C(コンピュータ&コミュニケーション)」を提唱した
住友本社人事部(人事二課・厚生課兼務の労働課長)から日本電気へ移った人物。公職追放で梶井剛・佐伯長生と社長が相次いで退いた戦後の混乱期に、常務から社長に昇格し17年間務めた