C&C構想の提唱——コンピュータと通信の融合という全社ビジョン
通信・半導体・コンピュータを個別に世界トップへ育てる資源はない——小林宏治会長は多角化をどう一つのビジョンで束ねようとしたか
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- 概要
- 1977年10月、米アトランタの通信展「インテルコム'77」の基調講演で、小林宏治会長がC&C(コンピュータと通信の融合)を世界へ提唱した経営判断。通信機・半導体・コンピュータの多角化を一つの事業ビジョンに束ね、1970年代末から1980年代にかけて全社へ定着させた。
- 背景
- 通信機・半導体・コンピュータのそれぞれで世界トップを個別に狙うには経営資源が足りず、各個撃破は現実的でなかった。デジタル化によってコンピュータと通信が技術的に融合へ向かうという洞察が、C&Cの土台にあった。
- 内容
- コンピュータ(C)と通信(C)が融合するという技術認識のもと、事業領域間の相乗効果を狙うC&Cを一枚看板に掲げた。1979年の創立80周年を「C&C元年」と定めて全社へ浸透させ、多角化と全社ブランドを一つの主張で束ねた。
- 含意
- C&Cは半導体・PC・通信を横断する多角化に一貫した意味を与え、1985年の半導体世界首位や理工系人気企業1位を後押しした。一つのビジョンが多角化企業をどう束ねうるかを示す事例といえる。
一つのビジョンが多角化に与える意味
この判断の中心にあるのは、多角化した事業をどう一つの意味でまとめるか、という問いだった。通信機・半導体・コンピュータのどれをとっても単独で世界の頂点を狙う体力はなく、日本電気はそれぞれを別々に育てる道を選べなかった。小林宏治会長がC&Cという三文字に込めたのは、事業を足し算で並べるのではなく、コンピュータと通信の融合という一本の技術観で掛け合わせるという発想だった。個々の製品や技術がたがいを引き上げる関係を、社員にも顧客にも投資家にも同じ言葉で語れるようにした点に、この提唱の働きがあったとみることができる。
もっとも、一つのビジョンが多角化を導く力は、時代とともに試されていく。1980年代にC&Cが与えた説明は、半導体もPCも通信も伸びるあいだは事業を束ねる力を持ったが、1990年代以降に各分野の採算が分かれると、同じ看板が事業の絞り込みを鈍らせる面も抱えた。それでも、資源の限られた企業が世界と向き合うとき、個々の事業を貫く一本の論理をどう持つかという課題は、いまも形を変えて残っている。C&Cは、多角化した会社が自らの広がりに意味を与えようとした試みとして、後の経営が繰り返し立ち返る参照点になったとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
三分野を個別に世界トップへ、という無理
1970年代の日本電気は、電電公社向けの通信機を収益の柱としながら、半導体と電子計算機へ事業を広げていた。1961年には事業部制を敷き、1975年には中央研究所を構えて、半導体・コンピュータ領域への投資を年ごとに増やしていた。各分野には、コンピュータの米IBMや欧州の通信機大手のように、日本電気を上回る規模の先行企業が構えていた。もっとも、通信機・半導体・コンピュータのそれぞれで世界の先頭を単独で狙うには、当時の事業規模では経営資源が到底足りなかった。三つの分野を個別に世界トップへ押し上げる構想は、資金と人材の面から現実味を欠いていた[1]。
融合という技術洞察と、延長線上への疑い
事業環境の見通しにも転機があった。デジタル技術の進展によって、それまで別々に発展してきたコンピュータと通信は、同じ土台のうえで融合へ向かうという技術認識が生まれていた。小林宏治会長は後年、高度成長期のような伸びをこの先も期待するのは難しく、従来の延長線上で発想すべきではないという危機感を書き残している。規模を追うだけでは、多角化した事業の一つひとつが世界市場で埋没しかねなかった。1978年3月期の単体売上高5385億円・経常利益107億円という事業規模から、日本電気は次の成長の枠組みを描き直す必要に迫られていた[2][3]。
決断
アトランタでのC&C提唱
C&Cを世界へ向けて打ち出したのは、1977年10月に米アトランタで開かれた大規模な通信展「インテルコム'77」の基調講演だった。演壇に立った小林宏治会長は、コンピュータ(C)と通信(C)がやがて一体になるという見取り図を示した。この構想を初めて外部で語ったのはその2年前、1975年9月にスイス・ジュネーブで開いた世界電気通信会議の講演で、アトランタでの提唱はその延長にあった。1976年に社長から会長へ退いていた小林会長にとって、C&Cは多角化した日本電気を一つにまとめる旗印だった[4]。
足し算の多角化から掛け算の多角化へ
C&Cの狙いは、事業領域のあいだに相乗効果を生むことにあった。小林会長は後年、通信機・半導体・コンピュータの各分野で個別に世界トップを狙うのは経営資源の面で想像を絶する難事であり、領域間の相乗効果を生かすべきだと考えてC&Cを掲げた、と述懐している。半導体は自社のコンピュータや通信機に組み込まれ、コンピュータは通信網と結ばれる——一つの技術や製品が別の事業を押し上げる関係を、C&Cという一枚看板のもとに束ねようとした。個々の事業を足し合わせる多角化から、事業どうしを掛け合わせる多角化への読み替えだった[5]。
結果
全社運動としての定着と多角化の伸長
提唱は一度の講演で終わらず、全社の運動へと広げられた。日本電気は創立80周年にあたる1979年を「C&C元年」と定め、社内外へC&Cを知らせる活動を始めた。1983年には英文社名をNippon Electricから現在のNEC Corporationへ改め、C&Cの三文字を企業の看板に重ねた。多角化は数字にも表れ、単体売上高は1978年3月期の5385億円から1983年3月期には1兆2536億円へと、5年で2.3倍に伸びた。半導体・コンピュータ・通信を横断する事業構成に、C&Cという一貫した説明が与えられた[6][7]。
ブランドとしてのC&Cと世界首位
C&Cは、日本電気の対外的な評価も押し上げた。半導体事業は1985年に世界売上の8.2%を占めて世界首位に立ち、以後1990年代の終わりまでその座をほぼ保った。採用市場でも、理工系学生の人気企業ランキングで1981年から3年連続の首位に立ち、かつて下位に沈んでいた評価が一変した。C&Cという提案は、半導体から通信システムまで多岐にわたる事業に一つの主張を与え、好イメージを呼んだ。提唱から数年のうちに、C&Cは小林会長その人と分かちがたく結びつき、「C&Cの教祖」と称されるほど社内外へ浸透した[8][9][10]。
- 構想と決断(小林宏治 著, ダイヤモンド社, 1989)
- 強さの研究・日本電気(1983年12月26日)
- 日経ビジネス 1983年1月10日号「小林宏治[日本電気会長]"宗教心"が経営の推進力にも」
- 日経ビジネス 1983年7月25日号「編集長インタビュー 小林宏治氏(日本電気会長)C&Cは地方の時代を促進」
- 日経ビジネス 1984年10月1日号「"C&Cの教祖"小林宏治・日本電気会長 唯我独尊の経営観」
- マイナビニュース(2024年)「変革の軌跡~NECが歩んだ125年(8) 第2の創業、世界を向いた小林宏治の「C&C」宣言」
- マイナビニュース(2024年)「変革の軌跡~NECが歩んだ125年(14) 栄光と挫折の日の丸半導体史、NECが残した足跡」
- 日本電気 会社年鑑(1986年版・単体業績)
- 日本電気 有価証券報告書 第187期(2025年3月期)【沿革】