- 創業
- 1875年、田中久重氏が東京・新橋に田中製造所を開いたのが起点で、田中久重氏自身は6年後に没し、養子の田中大吉氏が芝浦製作所として継いだ。もう一方の源流である東京電気は1890年に藤岡市助氏が興している。両社が合併して東京芝浦電気が発足した1939年以降、創業家出身の社長は一人も出ていない。
- 登用
- 直近20年の7人は生え抜き5人と外部2人に割れる。生え抜きは原子力・半導体・医療機器と事業畑の出身で、入社から社長就任まで30年から40年かかっている。外部の2人は三井住友銀行副頭取から会長CEOに迎えられた車谷暢昭氏と、シーメンス日本法人社長から入社4年で社長に就いた島田太郎氏である。
- 任期
- 10年を超えて社長を務めた人は戦後一人もいない。最長は上場時の社長だった石坂泰三氏の約9年、次いで再建を託された土光敏夫氏の約7年である。直近3代は綱川智氏が二度の登板で通算4年10か月、車谷暢昭氏が社長として1年、島田太郎氏が2022年3月から4年を超えた。
- 含意
- 2003年に委員会等設置会社へ移り、法定の指名委員会が社長を選ぶ形は不正会計の12年前から整っていた。それでも2015年に社長経験者3人が相次いで退いている。制度より、目標必達を求める社内の圧力のほうが強く働いたと思われる。2023年12月の非公開化でその法定の委員会も消えた。
1948〜1957年※・約9年/外部出身
1957〜1964年※・約7年/生え抜き
1964〜1971年※・約7年/外部出身
1971〜1975年※・約4年/外部出身
1975〜1979年※・約4年/生え抜き
1979〜1985年※・約6年/生え抜き
1985〜1987年※・約2年/生え抜き
1987〜1991年※・約4年/生え抜き
1991〜1995年※・約4年/生え抜き
1995〜1999年※・約4年/生え抜き
1999〜2005年※・約6年/生え抜き
2005〜2009年※・約4年/生え抜き
2009〜2013年※・約4年/生え抜き
2013〜2015年・2年/生え抜き
2015〜2016年※・約1年/生え抜き
2016〜2018年※・2021〜2022年・通算約3年/生え抜き
2018〜2021年・3年/外部出身
2022〜2023年※・約1年/外部出身
※ 退任年を資料で確認できていない代。期間は次の代が就任した年(最終代は上場廃止年)までで、実際の在任はこれより短いことがある。
島田太郎
しまだ たろう
外部出身(2018年入社)。新明和工業・米SDRC・独シーメンス日本法人社長を経て東芝に入り、デジタル事業責任者から社長へ
車谷暢昭
くるまたに のぶあき
外部出身。三井銀行(現三井住友銀行)で副頭取まで務め、投資ファンドCVCの日本法人会長を経て会長CEOとして招かれ、2020年4月から社長CEO
綱川智
つなかわ さとし
生え抜き(1979年入社)。医療機器事業一筋で東芝メディカルシステムズ社長を経て社長へ
室町正志
むろまち まさし
生え抜き(1975年入社)。半導体畑を歩み、不適切会計問題による田中社長の辞任を受けて会長から社長を兼務
田中久雄
たなか ひさお
生え抜き(1973年入社)。資材・調達部門の出身としては初の社長
佐々木則夫
ささき のりお
生え抜き(1972年入社)。原子力事業一筋で、ウェスチングハウス買収の陣頭指揮を執って社長へ
西田厚聰
にしだ あつとし
生え抜き(1975年入社)。東芝のイラン合弁会社から1975年に本体へ移り、パソコン事業を率いて社長へ
岡村正
おかむら ただし
生え抜き(1962年入社)。計測事業部・産業計装営業部長から情報処理・制御システム事業本部長を経て社長へ
西室泰三
にしむろ たいぞう
生え抜き(1961年入社)。米国駐在14年の国際派で半導体営業統括部長として1メガビットDRAMを成功させ、「東大卒・国内派・重電出身」の慣例を破って社長へ
佐藤文夫
さとう ふみお
生え抜き(1953年電業社原動機製作所入社、水車部門の東芝への吸収合併により東芝へ)。水力発電など重電畑を歩み社長へ
青井舒一
あおい じょういち
生え抜き(1948年入社)。原子力事業本部長・重電セクター長を歴任し、東芝機械ココム違反事件による渡里社長の引責辞任を受けて登板
渡里杉一郎
わたり すぎいちろう
生え抜き(1948年入社)。府中工場・鶴見工場の生産部門から重電事業部長を経て社長へ
佐波正一
さば しょういち
生え抜き(1942年入社)。重電畑から出た初の社長
岩田弍夫
いわた かずお
生え抜き(1934年東京芝浦電気入社)。石坂泰三社長の秘書を務め、土光敏夫社長のもとで専務・副社長を経て社長へ
玉置敬三
たまき けいぞう
外部出身(1954年入社)。商工省・通商産業省で事務次官を務めたのち東芝に入り、副社長から社長へ
土光敏夫
どこう としお
外部出身。石川島播磨重工業社長から、石坂泰三会長の懇請を受けて転じた
岩下文雄
いわした ふみお
生え抜き(1917年東京電気入社)。販売畑を歩み副社長から社長へ
石坂泰三
いしざか たいぞう
外部出身(1948年入社)。逓信省から第一生命保険に転じて社長を務め、1948年に会長として東芝入りし翌年社長へ
※ 退任年を資料で確認できていない代。期間は次の代が就任した年(最終代は上場廃止年)までで、実際の在任はこれより短いことがある。