三洋電機 の歴代社長

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1950年1960年1970年1980年1990年2000年2011年

井植歳男退任

1950年社長就任

取締役社長

井植祐郎退任

1968年社長就任

1950年取締役

井植薫退任

1971年社長就任

1950年取締役取締役社長

井植敏雅退任

2005年社長就任

1989年入社1996年取締役

佐野精一郎退任

2007年社長就任

1977年入社2005年執行役員代表取締役社長
創業社長の関係
創業

1947年1月、松下電器産業の専務だった井植歳男氏が公職追放で職を離れ、大阪府守口市に三洋電機製作所を興した。1950年4月の法人設立と同時に社長へ就き、1968年1月に会長へ退くまで18年務めている。翌1969年7月に死去したのちも、社長の座は井植姓の一族が引き継いだ。

社長登用の傾向
登用

創業から2005年まで、社長には井植姓が並ぶ。1968年と1971年に就いた2代はいずれも松下電器産業を1946年末に離れて合流した創業世代で、副社長からの昇格だった。1990年前後に電池への傾斜投資を決めた井植敏氏も同族である。2005年に就いた代は1989年入社の生え抜きだが、やはり井植姓だった。

社長任期の傾向
任期

創業者が18年、その次の代が3年で会長へ退き、以後も井植家が長く経営を握った。財務が傷んだのちの交代は速く、2005年6月に就いた代は2年で退いている。後任は2007年6月から2011年4月にパナソニックの専務役員へ移るまでの3年10か月で、会社そのものが同じ年に消えた。

いまの体制への含意
含意

同族の速い意思決定が、噴流式洗濯機や北米現地生産、電池への傾斜投資という後発の賭けを可能にした。一方でその体制は、有機ELへ320億円を投じて量産に届かなかった判断を止める側には回っていない。2005年12月の3000億円を引き受けたのが同業ではなく銀行と証券だったことに、独立を支える資本の後ろ盾の薄さが表れている。

氏名 社長在任期間 退任年は推定 在任年数 推定状況出自役職在任中の決断施策
井植歳男(1950年就任)1950〜1968年1950年就任18年退任創業家取締役社長
井植祐郎(1968年就任)1968〜1971年1968年就任3年退任創業家取締役社長
井植薫(1971年就任)1971〜2005年1971年就任34年退任創業家取締役社長決断1976年米ウォーイック社を買収1990年二次電池へ経営資源を集中2002年中国ハイアールと資本提携
井植敏雅(2005年就任)2005〜2007年2005年就任2年退任生え抜き取締役社長 兼 COO 兼 グループ長会議議長 兼 D&D経営会議議長 兼 E&E経営会議議長 兼 ホームエレクトロニクスグループ長決断2006年ゴールドマンら3,000億円増資
佐野精一郎(2007年就任)2007〜2011年2007年就任4年退任生え抜き代表取締役社長決断2011年パナソニック傘下入り

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