井植歳男

三洋電機・元取締役社長

(敬称略)

Iue Toshio(1901年生まれ)

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生年月日 1901年1月1日
学歴
出自
出自
1918年3月に松下電器製作所へ入所し、1935年12月に松下電器産業の専務取締役となった。松下幸之助氏の妻の弟にあたり、創業時から約30年にわたって専務を務めている。連合国軍総司令部による財閥解体で公職追放の対象となり、1946年12月に同社を退社した。1947年1月、大阪府守口で三洋電機製作所を個人経営で創業し、松下から譲り受けた兵庫県の北条工場で自転車用発電ランプと携帯ランプの製造に着手した。
抜擢
1950年4月、資本金2,000万円で三洋電機株式会社を設立し、個人経営を法人へ改めると同時に取締役社長へ就いた。国内17社目の後発参入でありながら、自転車用発電ランプの国内シェアは1950年に約70%へ達していた。設立時の取締役には弟の井植祐郎氏が総務部長、井植薫氏が資材部長として並び、松下電器産業から移った後藤清一氏が北条製造所長を務めた。創業者が社長を執り、弟2人が管理と資材を分け持つ同族の布陣がこの時点で固まったとみられる。
施策
1951年にラジオの生産を始め、1952年には積水化学工業と組んで国内初のプラスチック製ラジオを1万円未満で売り出した。1953年8月、英国フーバー社の噴流式が日本の住環境に適すと見て国内初の噴流式洗濯機を約2万8,000円で発売し、競合の約半額という値付けで月産30台から1年余りで月産1万台へ伸ばしている。1954年4月に大阪証券取引所、同年12月に東京証券取引所へ上場した。1959年7月には人件費が関西より約3割安い群馬県大泉町に東京三洋電機を設立し、生産を別法人へ分けた。
評価
執筆予定
就任前(FY49)3億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料

  • 日本企業要覧 1961年版 経歴・出身地・生年
  • 日本企業要覧 1969年版 経歴
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968) 出自・経歴

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