この創業が示すのは、公職追放という外からの力で松下を退いた専務が、譲り受けた工場設備と旧来の量産・販売ノウハウを元手に、後発から寡占へ駆け上がった経緯である。自転車用発電ランプは要素技術の差が付きにくい製品であり、競争優位を左右したのは量産の設計と流通、価格であった。松下で約29年かけて体得した現場の技法をそのまま新会社へ移せたことが、17社目の後発を3年で国内シェア約7割へ押し上げた背景にあったと推察される。
もう一つ見えてくるのは、社名"三洋"に込めた海外志向と、義兄の松下電器と国内で正面競合しない棲み分けが、創業の設計に初めから組み込まれていた点である。特許の空白を突いて噴流式洗濯機へ先行した機動力も含め、井植氏は独立企業ならではの身軽さを競争の軸に据えていた。自転車部品の一メーカーから総合家電へ転じたこの十年足らずの積み重ねが、その後の三洋電機の量産経営を支える土台になっていったといえる。