沖電気工業の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

顧客を失うたびに、この会社は工場の用途を書き換えた。電電公社への依存率は1960年代を通じて33〜45%を往復し、1980年代には宮崎・宮城・米オレゴンへDRAMの生産拠点を並べて、半導体とプリンターへ同時に投資した。ところが1988年3月期からの10年で半導体の設備投資は累計3,440億円に達し、1998年10月に篠塚勝正社長がDRAM量産からの撤退を決めた。NTTが電電4社以外からも装置を調達する方針へ転じて交換機の需要も消えると、2012年には閉鎖が取り沙汰された本庄工場を受託生産へ作り替え、田中貴金属工業の鶴岡工場を取得する側へ回った。自社製品を作る工場を他社の製品を請け負う工場へ作り替えたことが、電電公社もNTTも失った会社に生産設備を残した。

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