三宅正男

沖電気工業・元取締役社長

Miyake Masao(敬称略)

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社長就任 1978年4月
生年月日 —
学歴 東京帝国大学工学部
出自 —
社長就任までの出自
出自

1978年4月、山本正明氏の後任として取締役社長に就任した。1982年5月に橋本南海男氏へ社長を渡して会長へ退き、その翌月に死去している。社内を長く歩いた役員ではなく、就任の前年に社外から迎えられたばかりだったとみられる。

社長に選ばれた経緯
抜擢

就任前年度の1978年3月期は単体売上高1278億円に対して経常損益が5億円の赤字で、1976年3月期の23億円、1977年3月期の5億円と経常利益が細り続けた末の赤字だった。就任した年の8月に経営会議が"経営体質改善計画"を策定し、10月には1500人の希望退職を募集する。前任の山本正明氏は、安定成長への回復を見込んで雇用を保とうとしたことが裏目に出たとのちに語っている。

在任中の主な施策
施策

半導体がなければエレクトロニクス産業は立ち行かず、部品を収める箱だけを作る中身のない会社になれば存立の意味がなくなる——宮崎沖電気を設けたころの三宅氏はそう考えていた。組織面では1979年4月にSBU体制へ移り、事業部を電子通信・情報処理・電子デバイスの3つにまとめ直した。64キロビットDRAMの開発は1980年4月である。同年10月には米国でオキ・セミコンダクターを、11月には宮崎沖電気を立ち上げ、半導体に本格的な資金を振り向けた。業績も上向き、単体売上高は1978年3月期の1278億円が1982年3月期には2142億円となった。経常損益も5億円の赤字が77億円の黒字に変わった。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1941〜1982年
在任中の業績
就任前(FY77)1,278億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 1件

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