- 創業
- 1934年1月、大日本セルロイドが写真フィルム部門を分社し、資本金300万円・従業員340名で富士写真フイルムが発足した。個人の創業者はいない。初代社長は親会社の専務から移った浅野修一氏で、9年務めて退いている。以後、創業家の社長は一人も出ていない。
- 登用
- 直近20年の社長は古森重隆氏から後藤禎一氏まで4人で、全員が新卒入社の生え抜きである。外部から招いた社長は確認できない。入社から社長就任までは37年から39年に収まり、出身は営業・技術・経理・医療機器と分かれていて、特定の部門が椅子を独占してはいない。
- 任期
- 中興の祖は古森重隆氏で、2000年に社長、2003年にCEO、2012年から会長CEOと肩書を変えながら2021年6月まで21年トップに座った。その間の社長は中嶋成博氏が4年、助野健児氏が5年で退いている。社長とCEOが別人だった9年間である。現社長の後藤禎一氏は在任5年を超えた。
- 含意
- トップを長く据えたのは、写真フィルムの消滅という存亡を賭けた事業転換に時間が要ったためと思われる。後継を扱う指名報酬委員会は2018年に置かれた諮問機関で、審議の結果を取締役会に報告するだけである。2026年1月からは現職社長の後藤禎一氏自身が委員に入った。
歴代社長1943年195019601970198019902000201020202026年
1943〜1958年・16年/生え抜き
1959〜1969年・11年/生え抜き
1970〜1978年・9年/生え抜き
1979〜1994年・16年/生え抜き
1995〜1998年・4年/生え抜き
1999〜2010年・12年/生え抜き
2011〜2014年・4年/生え抜き
2015〜2019年・5年/生え抜き
後藤禎一現任
2020年〜現在・7年/生え抜き
後藤禎一
ごとう ていいち
生え抜き(1983年入社)。メディカルシステム事業部長などヘルスケア畑を歩み、取締役を経て社長へ
助野健児
すけの けんじ
生え抜き(1977年入社)。経理畑を歩み、取締役を経て社長へ
中嶋成博
なかじま しげひろ
生え抜き(1973年入社)。足柄工場の技術畑から蘭フジフォトフィルム社長・富士フイルムヨーロッパ社長を経て社長へ
古森重隆
こもり しげたか
生え抜き(1963年入社)。印刷材料や記録メディアの営業畑を歩み、富士フイルムヨーロッパ社長を経て本体社長へ
宗雪雅幸
むねゆき まさゆき
生え抜き(1959年入社)。専務取締役を経て社長へ
大西實
おおにし みのる
生え抜き(1948年入社)。感光材料の国内営業畑を歩み、社長・会長として20年以上にわたり経営を主導した
平田九州男
ひらた くすお
生え抜き(1934年入社)。設立の年に入社し、取締役・常務・専務を経て社長へ
小林節太郎
こばやし せつたろう
岩井商店(現・双日)に1923年入社。大日本セルロイドを経て1934年の富士写真フイルム設立に参画し、富士写真光機社長・富士ゼロックス初代社長も務めた
春木栄
はるき さかえ
大日本セルロイドの写真乳剤研究者として1923年に入社し、1934年の富士写真フイルム設立に伴い転籍。2代目社長として戦中・戦後を率いた