この創業が示すのは、著名な個人創業者に始まる物語ではなく、母体である大日本セルロイドの支持体技術と資本、そして国策の助成金を土台に、写真フィルム部門が独立した法人格を得た経緯である。乳剤化学と精密塗布という写真専業の技術文化を、セルロイド本業から切り離して独立採算で磨く判断が、専業メーカーの出発を支えていたと読める。
もう一つ見えてくるのは、創業からの十数年が輸入代替という一貫した課題のもとにあった点である。米コダック・独アグファに追いつけずに累積赤字を抱えた初期の苦しさは、1939年の事業法施行と戦時の輸入遮断によって国産へ需要が振り向けられ、量産の技術を磨く時間へと転じていったのだろう。特定の個人の決断よりも、母体の技術・国の政策・戦時の需要という外の条件が重なり合って、写真専業メーカーの初期十年を形づくっていったといえる。