日本ゼオン の歴史

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創業 1950年
母体 古河電気工業+横浜護謨+日本軽金属
創業地 東京都中央区銀座西
創業
1950年4月、終戦で余った設備とカーバイドを事業へ変えるため、日本軽金属が古河電気工業と横浜護謨を誘い、東京都中央区銀座西の日本軽金属本社内に資本金500万円で日本ゼオンを設立した。米B.F.グッドリッチ・ケミカルへ資本金の35%を割り当てて全技術を導入した。国内18社は自前技術で足りると反対したが、月産250トンの設備は既存各社の2.5倍から5倍にあたった。1952年に蒲原工場が塩化ビニル樹脂の生産を始め、社名も導入した技術の商標に由来する。ただし技術も原料も外から調達した出発であり、自前のものは電力と遊休設備だけだった。
決断
原料の作り方を自前化し、その原料の向かう先を替えてきた。1959年7月に川崎工場で合成ゴムの生産を始め、1965年には徳山工場でナフサ分解のC4留分からブタジエンを抽出するGPB法を実用化して原料を自給した。同じ抽出技術をC5留分へ広げ、イソプレン用のGPI法は国内3社と海外5社へ供与している。1987年のダンピング提訴で米国向けニトリルゴムの輸出が止まると、総額200億円で英BPケミカルズと米B.F.グッドリッチの特殊ゴム部門を取得し、日米欧3極の生産体制へ移った。汎用樹脂を量で競う場所からは、この時点で離れている。
現況
売上を作るのは合成ゴムだが、利益を作るのは光学フィルムである。2026年3月期の連結売上高4,120億円のうちエラストマー素材は2,218億円と過半を占めるが、セグメント利益は117億円にとどまる。売上1,242億円の高機能材料が利益224億円を計上し、全社営業利益364億円の6割を1事業で稼いだ。この事業を支えるのは、1995年に新第一塩ビへ移管し、2000年3月に水島工場での塩ビ生産を打ち切ったあとに氷見と敦賀へ広げた光学フィルムとシクロオレフィンポリマーである。祖業を手放した年に始めた投資が、現在の利益率を作っている。
競合
合成ゴムから離れる同業が続くなかで、日本ゼオンは残る側にいる。JSRは2021年にエラストマー事業をENEOSへ譲渡し、半導体材料とライフサイエンスの会社へ姿を変えた。住友化学とは溶液重合SBRを合弁で生産していたが、2024年9月に合弁を解消し、ZSエラストマー株式会社を吸収合併して単独運営へ戻した。撤退した各社が市況と原料価格の振れを理由に挙げたのに対し、日本ゼオンはC5留分の抽出技術をゴムと光学材料の双方へ効かせている。同じ留分から二つの製品系列が出ることが、汎用ゴムの沈んだ年でも利益率を保たせた。
日本ゼオン:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

設立ストーリー 日本軽金属の遊休設備から興した塩化ビニル専業会社(1950〜1958) (1950年〜)

古河系3社と米国グッドリッチが持ち寄った資本と技術

日本ゼオンは1950年4月12日[1]、塩化ビニル樹脂の専門メーカーとして資本金500万円[2]で設立された。戦後日本の合弁会社としては第二号[3]だった。発起人には日本軽金属社長の草野義一氏や稲垣平太郎氏らが名を連ね[4]、創立総会は同年4月5日に日本軽金属の社内へ置いた創立事務所[5]で開かれ、本社も東京都中央区銀座西の同社内に置いた[6]。日本軽金属は終戦後ただちに設備を平和産業へ転換し、一部でカーバイドの生産を始めていた[7]が、残る遊休施設の使い道を調査していた。原料と電力の双方で好条件を持つ塩化ビニルに狙いを定め、試作と研究を続けた[8]うえで、古河電気工業と横浜護謨を誘って[9]新会社を興した。

  • 有価証券報告書
    • [1]日本ゼオンは1950年4月12日設立
    • [2]設立時の資本金は500万円
    • [6]本社を日本軽金属株式会社内(東京都中央区銀座西7の3)に設置
  • 日本産業史(日経文庫)第2巻(日本経済新聞社、1994年)「繊維-"不死鳥"よみがえる」
    • [3]戦後日本の合弁会社第二号として25年に「古河グループ」と「グッドリッチ」との合弁によって設立された
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本ゼオン」
    • [4]稲垣平太郎、草野義一ほか数氏が発起人となった。草野義一は当時の日本軽金属社長で、日本ゼオンの会社を代表すべき取締役に就いた
  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [5]昭和25年4月5日、日本軽金属社内の日本ゼオン創立事務所で創立総会が開催された
    • [7]日本軽金属は終戦後に設備を平和産業へ転換し、一部設備でカーバイドの生産を開始、他の遊休施設の活用を調査研究していた
    • [8]日本軽金属は原料及び電力に最も好条件を有する塩化ビニルの生産を計画し、試作・研究を続けた
    • [9]古河電工、横浜護謨とともに設立した

新会社は国内の資源と外国の技術を結び付けることを設立の前提[10]に置いた。最優秀の品質を国際価格で生産するには優秀な外国技術との結合が必要だという結論[11]に達し、塩化ビニル樹脂で米国第一級の技術を持つB.F.グッドリッチ・ケミカル[12]と折衝を重ねて、外資法に基づく国内手続を終えた1951年1月に契約へ調印[13]した。日本ゼオンは塩化ビニル及び塩化ビニリデンの製造、可塑剤D.O.P.の調製など一連の特許の実施権[14]を得たほか、工場の設計から運転に至る指導監督と技術情報の提供[15]も受けた。グッドリッチの登録商標『GEON』を日本で登録する権利[16]も与えられ、これが社名の由来となった。

  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [10]この国内資源と優秀なる外国技術との結合が目的達成には最も適切な方策であるとして、米国第一流の技術を有するグッドリッチ・ケミカル会社と提携し、P.V.C.及びその関係品に対する全技術を導入することを前提として、昭和25年4月資本金500万円の会社を設立した
    • [14]塩化ビニール及び塩化ビニーリジンの製造、D.O.P.可塑剤の調製ほかグ社特許の実施権を得た
    • [15]工場及び設備の設計・建設・運転に関する指導監督、あらゆる技術的情報の提供を受ける
    • [16]グ社の登録商標「GEON」を日本で登録する権利を与えられる
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本ゼオン」
    • [11]最優秀の品質を国際価格で生産するには優秀な外国技術との結合が是非とも必要であるとの結論によったもの
    • [12]国際的有名商品GEON塩化ビニールのメーカーで米国第一流の技術を有するBFグッドリッチ・ケミカル会社
    • [13]外資法に基づく許可等の国内手続を完了し、昭和26年1月に正式に契約調印を行った

対価としてロイヤリティは製品販売の日から1年目が売上高の1.5%、2年目が2%、3年目以降は3%[17]と定め、グッドリッチには資本金の35%にあたる株式[18]を割り当てた。英文社名はThe Japanese Geon Co., Ltd.とし、その頭文字JとGを組み合わせた図案を創立時から社章[19]に用いた。工場は日本軽金属の蒲原工場の敷地内に、カセイソーダ工場と隣り合わせて建設[20]した。原料と用役はすべて日本軽金属から受ける計画で、アセチレンガスは同社のカーバイドから、塩素と水素はカセイソーダ工場の副産物から、電力は自家発電の余剰電力[21]を充てた。

  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [17]ロイヤリティは製品販売の日から1カ年は売上高の1.5%、2年目は2%、3年目以降は3%支払う
    • [18]グ社に対して資本金の35%の株式を割り当てる
    • [20]プラントは日本軽金属蒲原工場の中に、カセイソーダ工場に隣接して建設された
    • [21]アセチレンガスは日本軽金属蒲原工場のカーバイドより、塩素及び水素は同社カセイソーダ工場の副産物を活用し、電力も同社の自家発電による余剰電力の供給を受ける計画
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本ゼオン」
    • [19]英文社名The Japanese Geon Co, Ltd のイニシアルの「J」と「G」をデザインしたもので、創立時より社章として使用している
  • 有価証券報告書
    • [1]日本ゼオンは1950年4月12日設立
    • [2]設立時の資本金は500万円
    • [6]本社を日本軽金属株式会社内(東京都中央区銀座西7の3)に設置
  • 日本産業史(日経文庫)第2巻(日本経済新聞社、1994年)「繊維-"不死鳥"よみがえる」
    • [3]戦後日本の合弁会社第二号として25年に「古河グループ」と「グッドリッチ」との合弁によって設立された
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本ゼオン」
    • [4]稲垣平太郎、草野義一ほか数氏が発起人となった。草野義一は当時の日本軽金属社長で、日本ゼオンの会社を代表すべき取締役に就いた
    • [11]最優秀の品質を国際価格で生産するには優秀な外国技術との結合が是非とも必要であるとの結論によったもの
    • [12]国際的有名商品GEON塩化ビニールのメーカーで米国第一流の技術を有するBFグッドリッチ・ケミカル会社
    • [13]外資法に基づく許可等の国内手続を完了し、昭和26年1月に正式に契約調印を行った
  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [5]昭和25年4月5日、日本軽金属社内の日本ゼオン創立事務所で創立総会が開催された
    • [7]日本軽金属は終戦後に設備を平和産業へ転換し、一部設備でカーバイドの生産を開始、他の遊休施設の活用を調査研究していた
    • [8]日本軽金属は原料及び電力に最も好条件を有する塩化ビニルの生産を計画し、試作・研究を続けた
    • [9]古河電工、横浜護謨とともに設立した
    • [10]この国内資源と優秀なる外国技術との結合が目的達成には最も適切な方策であるとして、米国第一流の技術を有するグッドリッチ・ケミカル会社と提携し、P.V.C.及びその関係品に対する全技術を導入することを前提として、昭和25年4月資本金500万円の会社を設立した
    • [14]塩化ビニール及び塩化ビニーリジンの製造、D.O.P.可塑剤の調製ほかグ社特許の実施権を得た
    • [15]工場及び設備の設計・建設・運転に関する指導監督、あらゆる技術的情報の提供を受ける
    • [16]グ社の登録商標「GEON」を日本で登録する権利を与えられる
    • [17]ロイヤリティは製品販売の日から1カ年は売上高の1.5%、2年目は2%、3年目以降は3%支払う
    • [18]グ社に対して資本金の35%の株式を割り当てる
    • [20]プラントは日本軽金属蒲原工場の中に、カセイソーダ工場に隣接して建設された
    • [21]アセチレンガスは日本軽金属蒲原工場のカーバイドより、塩素及び水素は同社カセイソーダ工場の副産物を活用し、電力も同社の自家発電による余剰電力の供給を受ける計画
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本ゼオン」
    • [19]英文社名The Japanese Geon Co, Ltd のイニシアルの「J」と「G」をデザインしたもので、創立時より社章として使用している

月産250トン設備がもたらした品質と量の優位

建設は1951年3月に着工[22]した。設計から建設、運転開始までをグッドリッチの技術で行い、1950年7月には同社の技術担当副社長W.I.バード氏が、1951年4月には技師2名が来日[23]して指導にあたった。所要資金は6億7,500万円を見込み、増資4億9,500万円のうち1億7,500万円をグッドリッチの現物出資[24]で賄った。完工は朝鮮戦争の影響で予定より遅れたものの、1952年5月下旬から正常運転[25]に入った。製品は最初からグッドリッチ製と同質のもの[26]ができ、電線業者やゴム業者へ輸入品を供給してきた段階から自社製品販売の段階に移った[27]

  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本ゼオン」
    • [22]昭和26年3月に蒲原工場の建設に着手した
    • [27]電線業社並びにゴム業社等の要望にこたえグ社製各種GEON P・VCを輸入してきたが、蒲原工場の生産開始により自社製品販売の段階に入った
  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [23]グ社から25年7月技術担当副社長W.I.バード氏、26年4月技師2名が来日指導にあたった
    • [24]所要資金は6億7,500万円、増資額4億9,500万円よりグ社現物出資分1億7,500万円
    • [25]完工は朝鮮事変の影響を受けて予定より若干遅れたが、27年5月下旬から正常運転にはいった
    • [26]製品は最初からアメリカのグ社製品と全く同質のものができた

蒲原工場は1952年5月に月産250トンの設備として完成[28]した。当時の日本のプラスチック業界は塩ビの生産が始まったばかりで、月産50トンから100トン規模の会社が数社あるにすぎず、品質も劣っていた[29]。そこへ既存各社の2.5倍から5倍にあたる月産250トンの体制が現れたため業界の注視を集め、品質の高さも加わって[30]、後年、古我周二社長がゼオン旋風という語で振り返るほどの反響を呼んだ。設立時には国内の塩ビメーカー18社から猛烈な反対を受けた[31]。日産60トンが最高能力という小規模生産体制のなかへ、一社で予定国内総生産能力の半分にもなる規模の企業が入ることが脅威[32]と受け止められた。塩ビ工業は国内技術で達成できる産業であり、導入技術を認めれば国内の研究意欲が減退する[33]というのが反対の論拠だった。

  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本ゼオン」
    • [28]二十七年五月に月産二五〇屯の設備として完成をみた
  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月
    • [29]昭和27年のわが国プラスチック業界は塩ビの幕あけの時代で、月産50〜100トン規模の塩ビ会社が数社しかなく品質も著しく劣っていた
    • [30]月産250トン体制は業界でも注視の的となり、品質の優秀性も加わってゼオン旋風を巻き起こした
  • 日本産業史(日経文庫)第2巻(日本経済新聞社、1994年)「繊維-"不死鳥"よみがえる」
    • [31]日本ゼオンの誕生は国内塩化ビニールメーカーからの猛烈な反対を受けた。弱い基盤に18社が乱立し
    • [32]わずか日産60トンが最高能力という小規模生産体制のなかに、一社で予定国内総生産能力の半分にもなろうという大規模企業が進出することは非常な脅威
    • [33]塩ビ工業は国内技術で達成できる産業であること、これを認めることは国内の研究意欲を減退させること、国内企業を圧迫すること
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本ゼオン」
    • [22]昭和26年3月に蒲原工場の建設に着手した
    • [27]電線業社並びにゴム業社等の要望にこたえグ社製各種GEON P・VCを輸入してきたが、蒲原工場の生産開始により自社製品販売の段階に入った
    • [28]二十七年五月に月産二五〇屯の設備として完成をみた
  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [23]グ社から25年7月技術担当副社長W.I.バード氏、26年4月技師2名が来日指導にあたった
    • [24]所要資金は6億7,500万円、増資額4億9,500万円よりグ社現物出資分1億7,500万円
    • [25]完工は朝鮮事変の影響を受けて予定より若干遅れたが、27年5月下旬から正常運転にはいった
    • [26]製品は最初からアメリカのグ社製品と全く同質のものができた
  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月
    • [29]昭和27年のわが国プラスチック業界は塩ビの幕あけの時代で、月産50〜100トン規模の塩ビ会社が数社しかなく品質も著しく劣っていた
    • [30]月産250トン体制は業界でも注視の的となり、品質の優秀性も加わってゼオン旋風を巻き起こした
  • 日本産業史(日経文庫)第2巻(日本経済新聞社、1994年)「繊維-"不死鳥"よみがえる」
    • [31]日本ゼオンの誕生は国内塩化ビニールメーカーからの猛烈な反対を受けた。弱い基盤に18社が乱立し
    • [32]わずか日産60トンが最高能力という小規模生産体制のなかに、一社で予定国内総生産能力の半分にもなろうという大規模企業が進出することは非常な脅威
    • [33]塩ビ工業は国内技術で達成できる産業であること、これを認めることは国内の研究意欲を減退させること、国内企業を圧迫すること

高岡への拡張と原料の自社調達への移行

生産設備はその後も拡張を続け、第2期計画で月産500トンへ増設したのち、1955年4月には月産700トンへ達した[34]。同年6月期の生産高は前期実績を25%上回る2,980トンで、総売上高は7億4,000万円と前期比23%増[35]となり、用途別の内訳は軟質用が38%、硬質用35%、電線用22%、輸出向け4%[36]だった。この間に資本金は1951年4月に2億円、同年11月に5億円[37]へ増え、1955年時点では稲垣平太郎氏が会長、岸野佐吉氏が社長を務めた[38]。生産品種の拡充にも力を入れ、懸案だったペーストレジンGEON121の国産化に成功して、富山県高岡市に新工場の建設を計画[39]した。

  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本ゼオン」
    • [34]第二期計画として月産能力500屯への増設工事を完成し、30年4月には月産能力700屯に達した
    • [35]30年6月期の生産高は前期の実績を25%上回る2,980屯、同期の総売上高は7億4千万円(前期に比し23%増)
    • [36]うち軟質用38%、硬質用35%、電線用22%、輸出向け4%
    • [37]資本金は26年4月2億円、次いで同年11月5億円となった
    • [38]会長 稲垣平太郎、社長 岸野佐吉
    • [39]懸案であったペースト・レヂンGEON121の国産化に成功し、富山県高岡市に新工場を建設計画中

高岡工場は1956年11月に完成し[40]、ペーストレジンの国産化を受けて蒲原に続く第二の塩化ビニル樹脂の生産拠点となった。原料の供給関係にも変化が生じ、塩化ビニル樹脂の生産が増えるにつれて日本軽金属のカーバイド生産では追いつかなくなり、アセチレンが供給不足に陥った[41]。日本軽金属は1955年11月末で供給を打ち切ってアセチレン発生設備一式を譲渡[42]し、日本ゼオンは1956年1月から自社でアセチレンを発生させた[43]。設立時に全量を日本軽金属から受けていた原料のうち、アセチレンだけが[44]操業開始から4年足らずで自給へ切り替わった。増産は続いたものの市況は生産過剰に傾き、1957年下期以降は操業短縮に入った[45]

  • 有価証券報告書
    • [40]1956年11月 高岡工場完成、塩化ビニル樹脂生産開始
  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [41]P.V.C.生産が増大するにつれて日本軽金属のカーバイド生産の制約によりアセチレンは供給不足気味となった
    • [42]この際、日本軽金属はアセチレン発生設備一式を同社に譲渡した
    • [43]30年11月末日をもって日本軽金属は生産を中止し、日本ゼオンは31年1月1日からアセチレンを自社で発生することになった
    • [44]当社は最初、アセチレン・塩素・水素・電力のすべてにわたって全量を供給していた。しかしP.V.C.生産が増大するにつれてアセチレンは供給不足気味となった
    • [45]その後好調に増産を重ねてきたが、市況は生産過剰の傾向となり、32年下期以降は操業短縮を余儀なくされた
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本ゼオン」
    • [34]第二期計画として月産能力500屯への増設工事を完成し、30年4月には月産能力700屯に達した
    • [35]30年6月期の生産高は前期の実績を25%上回る2,980屯、同期の総売上高は7億4千万円(前期に比し23%増)
    • [36]うち軟質用38%、硬質用35%、電線用22%、輸出向け4%
    • [37]資本金は26年4月2億円、次いで同年11月5億円となった
    • [38]会長 稲垣平太郎、社長 岸野佐吉
    • [39]懸案であったペースト・レヂンGEON121の国産化に成功し、富山県高岡市に新工場を建設計画中
  • 有価証券報告書
    • [40]1956年11月 高岡工場完成、塩化ビニル樹脂生産開始
  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [41]P.V.C.生産が増大するにつれて日本軽金属のカーバイド生産の制約によりアセチレンは供給不足気味となった
    • [42]この際、日本軽金属はアセチレン発生設備一式を同社に譲渡した
    • [43]30年11月末日をもって日本軽金属は生産を中止し、日本ゼオンは31年1月1日からアセチレンを自社で発生することになった
    • [44]当社は最初、アセチレン・塩素・水素・電力のすべてにわたって全量を供給していた。しかしP.V.C.生産が増大するにつれてアセチレンは供給不足気味となった
    • [45]その後好調に増産を重ねてきたが、市況は生産過剰の傾向となり、32年下期以降は操業短縮を余儀なくされた

グッドリッチの技術で始めた合成ゴムの国産化

1959年7月、川崎工場が完成して[46]合成ゴムの生産が始まった。グッドリッチ・ケミカルの合成ゴム製造技術を導入[47]したもので、日本での合成ゴムの国産化は、これが最初の成功となった。ただし品目は特殊ゴムに限られた[48]。1955年に山陽化学や三菱シェル・グループなど各社が合成ゴムの企業化を相次いで発表したのを受けて政府が計画間の調整に乗り出し[49]、汎用のスチレン・ブタジエンゴムは国策会社の日本合成ゴムに一本化されたためである。日本ゼオンには特殊ゴムの製造が認められ[50]、原料のブタジエンやアクリルニトリルは他社から買い入れた[51]。当初の生産は月産700トン[52]だった。同じ1959年7月1日には中央研究所を開設し、塩ビの物性や加工応用の研究開発、需要者への技術サービス[53]にあたった。

  • 有価証券報告書
    • [46]1959年7月 川崎工場完成、合成ゴム生産開始。中央研究所開設
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本ゼオン」
    • [47]グッドリッチ・ケミカル社の合成ゴム製造技術を導入したもので、合成ゴムの国産化としてはわが国はじめての成功
    • [51]日本石油化学、東燃石油化学からブタジェン、旭ダウからスチレン、旭化成からアクリルニトリルを買い入れた
    • [53]34年7月1日に中央研究所を建設し、塩ビの物性、加工応用の研究開発など需要者への技術サービスを行なってきた
  • 日本産業史(日経文庫)第2巻(日本経済新聞社、1994年)「エネルギー産業-石油と電力の結婚」
    • [48]汎用ゴムを製造させようとした国策会社に対し、同時期に申請のあった日本ゼオンには特殊ゴムの製造を認可した。日本ゼオンの合成ゴム計画は特殊ゴムの製造に限定して川崎コンビナート内に工場が建設された
    • [49]1955年、「山陽化学」(のちに協和醗酵に合併)、「三菱-シェル・グループ」「日本ゼオン」などが相次いで合成ゴムの企業化を発表した。政府はこれら計画間の調整に乗り出し
    • [50]汎用ゴムを製造させようとした国策会社に対し、同時期に申請のあった日本ゼオンには特殊ゴムの製造を認可した。日本ゼオンの合成ゴム計画は特殊ゴムの製造に限定して川崎コンビナート内に工場が建設された
  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月
    • [52]合成ゴムについては当初月産700トンで出発した

合成ゴムの需要はその後伸び、新ゴム需要に占める合成ゴムの比率は1960年から1961年にかけて20%から30%だったものが、1969年には63%から64%まで上昇[54]した。この伸びに応えるため、1965年7月に[55]汎用ゴムの専門工場として徳山工場を建設[56]した。それに先立つ1961年9月には東京証券取引所へ上場[57]を果たした。塩ビ側でも設備の配置を組み替え、土地と原料の確保という制約から生産の拡大が難しくなっていた発祥の地の蒲原工場[58]を1967年3月に閉鎖して[59]、高岡工場への一工場集中量産体制へ移した[60]

  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月
    • [54]昭和35〜36年で20〜30%であった合成比率が、44年で63〜64%までになっている
    • [58]塩化ビニールについても当社発祥の地である蒲原工場が土地、原料確保の問題から生産の拡大をはかることが困難となった
  • 有価証券報告書
    • [55]1965年7月 徳山工場完成、GPB法(自社技術によるブタジエン抽出技術)によるブタジエン及び合成ゴムの生産開始
    • [57]1961年9月 東京証券取引所に上場
    • [59]1967年3月 塩化ビニル樹脂の生産合理化のため蒲原工場閉鎖
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本ゼオン」
    • [56]合成ゴムに対する需要はその後急速に高まり、これに対応して汎用ゴムの専門工場として徳山工場を建設した
    • [60]42年には塩ビの体質強化もはかって蒲原工場を閉鎖し、高岡工場での一工場集中量産体制を整えた

塩ビの第二工場は瀬戸内海に面した岡山県の水島地区に置き、1969年8月に完成させて塩化ビニル樹脂の生産を始めた[61]。原料の確保のため1968年3月に山陽モノマーを設立し、資本金1億2,500万円のうち半分を日本ゼオンが、残る半分を旭化成とチッソが出資して、グッドリッチの技術によるオキシクロリネーション法で塩ビモノマーを生産する計画[62]とした。水島工場は年産3万6,000トン規模から出発[63]した。1968年時点の資本金は60億円、従業員は2,192名、1967年度の売上高は230億円を超えていた[64]

  • 有価証券報告書
    • [61]1969年8月 水島工場完成、塩化ビニル樹脂生産開始
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本ゼオン」
    • [62]本年3月山陽モノマー(資本金1億2,500万円、同社50%、旭化成、チッソ50%の共同出資)を設立して、グッドリッチの技術によるオキシクロリネーション法で塩ビモノマーの生産を計画
    • [63]水島工場は年産3万6,000トン規模から出発する計画
    • [64]資本金60億円、従業員2,192名、42年度の売り上げは230億円を突破
  • 有価証券報告書
    • [46]1959年7月 川崎工場完成、合成ゴム生産開始。中央研究所開設
    • [55]1965年7月 徳山工場完成、GPB法(自社技術によるブタジエン抽出技術)によるブタジエン及び合成ゴムの生産開始
    • [57]1961年9月 東京証券取引所に上場
    • [59]1967年3月 塩化ビニル樹脂の生産合理化のため蒲原工場閉鎖
    • [61]1969年8月 水島工場完成、塩化ビニル樹脂生産開始
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本ゼオン」
    • [47]グッドリッチ・ケミカル社の合成ゴム製造技術を導入したもので、合成ゴムの国産化としてはわが国はじめての成功
    • [51]日本石油化学、東燃石油化学からブタジェン、旭ダウからスチレン、旭化成からアクリルニトリルを買い入れた
    • [53]34年7月1日に中央研究所を建設し、塩ビの物性、加工応用の研究開発など需要者への技術サービスを行なってきた
    • [56]合成ゴムに対する需要はその後急速に高まり、これに対応して汎用ゴムの専門工場として徳山工場を建設した
    • [60]42年には塩ビの体質強化もはかって蒲原工場を閉鎖し、高岡工場での一工場集中量産体制を整えた
    • [62]本年3月山陽モノマー(資本金1億2,500万円、同社50%、旭化成、チッソ50%の共同出資)を設立して、グッドリッチの技術によるオキシクロリネーション法で塩ビモノマーの生産を計画
    • [63]水島工場は年産3万6,000トン規模から出発する計画
    • [64]資本金60億円、従業員2,192名、42年度の売り上げは230億円を突破
  • 日本産業史(日経文庫)第2巻(日本経済新聞社、1994年)「エネルギー産業-石油と電力の結婚」
    • [48]汎用ゴムを製造させようとした国策会社に対し、同時期に申請のあった日本ゼオンには特殊ゴムの製造を認可した。日本ゼオンの合成ゴム計画は特殊ゴムの製造に限定して川崎コンビナート内に工場が建設された
    • [49]1955年、「山陽化学」(のちに協和醗酵に合併)、「三菱-シェル・グループ」「日本ゼオン」などが相次いで合成ゴムの企業化を発表した。政府はこれら計画間の調整に乗り出し
    • [50]汎用ゴムを製造させようとした国策会社に対し、同時期に申請のあった日本ゼオンには特殊ゴムの製造を認可した。日本ゼオンの合成ゴム計画は特殊ゴムの製造に限定して川崎コンビナート内に工場が建設された
  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月
    • [52]合成ゴムについては当初月産700トンで出発した
    • [54]昭和35〜36年で20〜30%であった合成比率が、44年で63〜64%までになっている
    • [58]塩化ビニールについても当社発祥の地である蒲原工場が土地、原料確保の問題から生産の拡大をはかることが困難となった

ブタジエン抽出のGPB法と外国技術からの自立

川崎工場では合成ゴムの主原料であるブタジエンを他社から購入していた[65]が、自社での抽出技術の開発が進んだ。ナフサ分解によるエチレン生産の過程で副生するC4留分からブタジエンを抽出するGPB法は、海外で開発された方法にくらべて経費が安く、純度も高い[66]。生産技術に関する大河内記念生産特賞[67]を受けた。徳山工場ではこの方法で年産4万5,000トンの自己抽出[68]を行った。ナフサから塩ビモノマーを得るGPA法も開発し、高岡工場をカーバイドから石油原料へ転換して、原料の絶対量の確保と生産合理化[69]を進めた。

  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本ゼオン」
    • [65]川崎工場ではブタジエンを他から供給を受けていたが、この開発で徳山工場では年産4万5,000トンの自己抽出を行なっている
    • [66]GPB法はナフサ分解によるエチレン生産過程で副生するC4オレフィン中のブタジエンを抽出する技術。海外で開発された方法にくらべても経費が安く、ブタジェンの純度も高い
    • [67]GPB法は生産、技術に関する最高の賞"大河内記念生産特賞"を受けた
    • [68]徳山工場では年産4万5,000トンの自己抽出を行なっている
    • [69]GPA法はナフサから塩ビモノマーを得る新しいプロセス。この方法を使って高岡工場は石油源へ転換し、原料の絶対量確保と生産合理化をはかっている

技術と資本の両面で、グッドリッチへの依存は段階的に解けた[70]。塩化ビニルの技術契約は1966年に終了[71]し、以後は自社の技術で続けた。合成ゴムについても汎用ゴムの契約が1972年に満期を迎えることが決まっており[72]、それ以降は塩ビと同様に自社技術で進める方針だった。資本の面でも、創立当初35%を占めていたグッドリッチの出資は1970年に20%へ減り、1971年初めの時点では完全な日本資本の会社[73]になっていた。GPA法、GPB法、GPI法という一連のGP技術[74]の開発は、この期間に重ねられたものである。

  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月
    • [70]塩化ビニールについては1966年に技術契約が終了して、その後は当社独自の展開をはかっている。創立当初グッドリッチの資本は35%を占めていたが、漸次減少して昨年で20%、現在では完全な日本資本の会社となっている
    • [71]塩化ビニールについては1966年に技術契約が終了して、その後は当社独自の展開をはかっている
    • [72]合成ゴムについても汎用ゴムとしての契約が72年に満期となるので、それ以降は塩ビ同様当社独自の技術を展開する
    • [73]創立当初グッドリッチの資本は35%を占めていたが、漸次減少して昨年で20%、現在では完全な日本資本の会社となっている
    • [74]GPA法、GPB法、GPI法など一連のGP〔Geon Process〕技術の開発に努力している

自社技術は輸出商品にもなった。GPB法は国内で[75]千葉ブタジエン、東燃石油化学、岡山ブタジエンの3社に供与[76]し、海外ではソ連、オランダ、米国など有力化学会社5社と技術契約[77]を結んだ。1971年初めの時点ではハンガリーとスペインの化学会社とも交渉が続いており[78]、これによって海外の有力企業との連携も深まった。イソプレンモノマーの抽出技術であるGPI法は世界でも経済性の高い抽出法と評され、国内をはじめ各国から技術供与の要請が相次いだ[79]。設立時にロイヤリティを払う側だった会社[80]が、20年ほどで受け取る側に回った[81]

  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月
    • [75]幸いにして当社のGPB法は海外に技術輸出されており、海外の有力企業との連携も深まっている
    • [76]GPB法の技術については、国内では千葉ブタジエン、東燃石油化学、岡山ブタジエンに供与している
    • [77]海外ではソ連、オランダ、アメリカ等の有力化学会社5社と技術契約をした
    • [78]現在もハンガリー、スペインの化学会社と交渉中である
    • [79]イソプレンモノマーの抽出技術であるGPI法もすでに国内をはじめ各国から非常な注目を集め、その技術供与の要請が相次いできている
    • [81]昨年4月には、当社は創立20周年を迎えた。イソプレンモノマーの抽出技術であるGPI法もすでに国内をはじめ各国から非常な注目を集め、その技術供与の要請が相次いできている
  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [80]ロイヤリテーは、製品販売の日から1カ年は売上高の1.5%、2年目は2%、3年目以降は3%支払う
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本ゼオン」
    • [65]川崎工場ではブタジエンを他から供給を受けていたが、この開発で徳山工場では年産4万5,000トンの自己抽出を行なっている
    • [66]GPB法はナフサ分解によるエチレン生産過程で副生するC4オレフィン中のブタジエンを抽出する技術。海外で開発された方法にくらべても経費が安く、ブタジェンの純度も高い
    • [67]GPB法は生産、技術に関する最高の賞"大河内記念生産特賞"を受けた
    • [68]徳山工場では年産4万5,000トンの自己抽出を行なっている
    • [69]GPA法はナフサから塩ビモノマーを得る新しいプロセス。この方法を使って高岡工場は石油源へ転換し、原料の絶対量確保と生産合理化をはかっている
  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月
    • [70]塩化ビニールについては1966年に技術契約が終了して、その後は当社独自の展開をはかっている。創立当初グッドリッチの資本は35%を占めていたが、漸次減少して昨年で20%、現在では完全な日本資本の会社となっている
    • [71]塩化ビニールについては1966年に技術契約が終了して、その後は当社独自の展開をはかっている
    • [72]合成ゴムについても汎用ゴムとしての契約が72年に満期となるので、それ以降は塩ビ同様当社独自の技術を展開する
    • [73]創立当初グッドリッチの資本は35%を占めていたが、漸次減少して昨年で20%、現在では完全な日本資本の会社となっている
    • [74]GPA法、GPB法、GPI法など一連のGP〔Geon Process〕技術の開発に努力している
    • [75]幸いにして当社のGPB法は海外に技術輸出されており、海外の有力企業との連携も深まっている
    • [76]GPB法の技術については、国内では千葉ブタジエン、東燃石油化学、岡山ブタジエンに供与している
    • [77]海外ではソ連、オランダ、アメリカ等の有力化学会社5社と技術契約をした
    • [78]現在もハンガリー、スペインの化学会社と交渉中である
    • [79]イソプレンモノマーの抽出技術であるGPI法もすでに国内をはじめ各国から非常な注目を集め、その技術供与の要請が相次いできている
    • [81]昨年4月には、当社は創立20周年を迎えた。イソプレンモノマーの抽出技術であるGPI法もすでに国内をはじめ各国から非常な注目を集め、その技術供与の要請が相次いできている
  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [80]ロイヤリテーは、製品販売の日から1カ年は売上高の1.5%、2年目は2%、3年目以降は3%支払う

イソプレンゴムの企業化と生産拠点の再配置

1968年、天然ゴムに分子構造と性質が最も近いとされるポリイソプレンゴムについて、国産第1号として企業化の認可[82]を得た。天然ゴムの価格は伝統的に上下動が激しく[83]、これに対抗する国産化には綿密な経済的見通しが要る。検討を重ねたうえで1970年末に国産化を決め、水島で工場の建設に着手[84]した。原料となるイソプレンモノマーの抽出にはGPI法を用いる[85]。C5留分からのイソプレンの抽出率は15%から16%と少なく、これだけではコストが高くつく[86]ため、同量含まれるシクロペンタジエンを併せて抽出することに成功して価格の引き下げを可能にした[87]。ポリマーについては米国アメリポール社の技術に自社の開発技術を併用する形[88]を採った。

  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月
    • [82]IRは分子構造・性質が天然ゴムに最も近いと言われるが、当社は昭和43年に国産第1号として企業化の認可を得た
    • [83]天然ゴムの価格は伝統的に上下運動が激しい。このような天然ゴムに対応していくIRの企業化には綿密な経済的見通しをたてる必要がある
    • [84]昨年暮に国産化を決定して、現在工場の建設に着手している
    • [85]IRの原料となるイソプレンモノマーの抽出技術はGPI法といっているが、これは、ナフサ分解によってエチレンを製造する際に副生するC5留分からイソプレンを抽出する当社独自の技術である
    • [86]C5留分からのイソプレンは15〜16%と少量で、それ以上の抽出には限界があり、イソプレンモノマーのコストは高くつく
    • [87]イソプレンと等量に含まれているシクロペンタジエンをC5留分から合せて抽出することに成功し、イソプレンモノマーの価格の引下げが可能となった
    • [88]ポリマーについては米国アメリポール社の技術に、自己開発技術を併用させることになっている

1971年初めの時点で資本金は60億円、使用総資本は576億円[89]に達していた。塩化ビニルでは業界の生産量第1位で、高岡工場のモノマーとポリマーの生産能力が年産12万から13万トン、前年末に第3期工事を終えた水島工場が年産8万から9万トン[90]に達した。合成ゴムは川崎工場が年産約5万トン、徳山工場がSBR約15万トンとBR約3万トンで、総能力は23万トン[91]となった。売上高は1970年3月期が180億円、同年9月期が193億円で、1972年3月期には240億円[92]を見込んでいた。ポリイソプレンゴムへの投資は約80億円[93]を予定していた。

  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月
    • [89]現在の資本金は60億円、使用総資本は576億円である
    • [90]塩化ビニールについては当業界で生産量第1位の実績。高岡工場のモノマー、ポリマー各々の生産能力が年産約12〜13万トン、水島工場は年間8〜9万トン
    • [91]現在の生産能力は川崎工場が年産約5万トン、徳山工場はSBR約15万トン、BR約3万トンで、総能力は23万トン
    • [92]売上げは45年3月期が180億円、45年9月期が193億円、47年3月期は240億円を予定
    • [93]このプロジェクトへの投資は約80億円を予定している

生産拠点をどこに広げるかも課題になっていた。高岡は塩ビ、水島は塩ビとイソプレンゴム[94]、徳山は汎用ゴム、川崎は特殊ゴムと各種ラテックス[95]と役割が分かれていたが、いずれの工場も現在地では設備拡張の余地がほとんどなく、公害問題を併せて考えると本州での規模拡大には難点が多かった[96]。そこで苫小牧に約10万坪の土地を購入[97]した。1970年には日本軽金属、北海道曹達、旭電化工業との4社で苫小牧ソーダを設立[98]した。アルミナ生産に必要な苛性ソーダを日本軽金属へ供給すると同時に、併産される塩素を塩ビ原料として長期に確保する狙い[99]があった。苫小牧工場では第1期としてEDCを年産6万トン計画し、高岡と水島で外部から買っていた分を置き換える構想で、1971年9月頃の着工、翌年9月の稼働開始を目標[100]に置いた。水島のGPIプラントは1971年11月に完成[101]した。

  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月
    • [94]各工場とも現在地では設備拡張の余地はほとんどないほか、最近の公害問題を合せて考えると、本州での企業規模の拡大には問題が多く、今回の苫小牧進出計画となった
    • [95]高岡が塩ビ、水島が塩ビとイソプレンゴム、徳山が汎用ゴム、川崎が特殊ゴムと各種ラテックスを各々手掛けている
    • [96]各工場とも現在地では設備拡張の余地はほとんどないほか、最近の公害問題を合せて考えると本州での企業規模の拡大には問題が多い
    • [97]当社ではすでに同地に約10万坪の土地を購入している
    • [98]昨年、日本軽金属、北海道曹達、旭電化工業、当社の4社で苫小牧ソーダを設立した
    • [99]アルミナの生産には苛性ソーダが必要であり、これを大量に供給するために設立。一方、苛性ソーダの生産から同時に塩素が併産される。当社はかねてから塩ビの原料となる塩素を長期安定的に確保したいと望んでいた
    • [100]苫小牧工場では第1期として当面EDC年産6万トンを計画しており、高岡、水島で現在外買しているEDCを苫小牧のそれに置替えたい。工場は今年9月頃着工、来年9月稼動開始を目標にしている
  • 有価証券報告書
    • [101]1971年11月 水島工場にGPI(自社技術によるイソプレン等抽出技術)プラント完成
  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月
    • [82]IRは分子構造・性質が天然ゴムに最も近いと言われるが、当社は昭和43年に国産第1号として企業化の認可を得た
    • [83]天然ゴムの価格は伝統的に上下運動が激しい。このような天然ゴムに対応していくIRの企業化には綿密な経済的見通しをたてる必要がある
    • [84]昨年暮に国産化を決定して、現在工場の建設に着手している
    • [85]IRの原料となるイソプレンモノマーの抽出技術はGPI法といっているが、これは、ナフサ分解によってエチレンを製造する際に副生するC5留分からイソプレンを抽出する当社独自の技術である
    • [86]C5留分からのイソプレンは15〜16%と少量で、それ以上の抽出には限界があり、イソプレンモノマーのコストは高くつく
    • [87]イソプレンと等量に含まれているシクロペンタジエンをC5留分から合せて抽出することに成功し、イソプレンモノマーの価格の引下げが可能となった
    • [88]ポリマーについては米国アメリポール社の技術に、自己開発技術を併用させることになっている
    • [89]現在の資本金は60億円、使用総資本は576億円である
    • [90]塩化ビニールについては当業界で生産量第1位の実績。高岡工場のモノマー、ポリマー各々の生産能力が年産約12〜13万トン、水島工場は年間8〜9万トン
    • [91]現在の生産能力は川崎工場が年産約5万トン、徳山工場はSBR約15万トン、BR約3万トンで、総能力は23万トン
    • [92]売上げは45年3月期が180億円、45年9月期が193億円、47年3月期は240億円を予定
    • [93]このプロジェクトへの投資は約80億円を予定している
    • [94]各工場とも現在地では設備拡張の余地はほとんどないほか、最近の公害問題を合せて考えると、本州での企業規模の拡大には問題が多く、今回の苫小牧進出計画となった
    • [95]高岡が塩ビ、水島が塩ビとイソプレンゴム、徳山が汎用ゴム、川崎が特殊ゴムと各種ラテックスを各々手掛けている
    • [96]各工場とも現在地では設備拡張の余地はほとんどないほか、最近の公害問題を合せて考えると本州での企業規模の拡大には問題が多い
    • [97]当社ではすでに同地に約10万坪の土地を購入している
    • [98]昨年、日本軽金属、北海道曹達、旭電化工業、当社の4社で苫小牧ソーダを設立した
    • [99]アルミナの生産には苛性ソーダが必要であり、これを大量に供給するために設立。一方、苛性ソーダの生産から同時に塩素が併産される。当社はかねてから塩ビの原料となる塩素を長期安定的に確保したいと望んでいた
    • [100]苫小牧工場では第1期として当面EDC年産6万トンを計画しており、高岡、水島で現在外買しているEDCを苫小牧のそれに置替えたい。工場は今年9月頃着工、来年9月稼動開始を目標にしている
  • 有価証券報告書
    • [101]1971年11月 水島工場にGPI(自社技術によるイソプレン等抽出技術)プラント完成

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日本ゼオンの沿革1950〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1950〜1958年日本軽金属の遊休設備から興した塩化ビニル専業会社(1950〜1958)B.F.グッドリッチ・ケミカルとの合弁による日本ゼオンの設立と塩化ビニル樹脂の国産化

1950年4月、日本軽金属・古河電気工業・横浜護謨の古河系3社が、米B.F.グッドリッチ・ケミカルから塩化ビニル樹脂の全技術を導入する前提で、資本金500万円の日本ゼオンを設立した経営判断。グッドリッチには資本金の35%にあたる株式を割り当てた。

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★★★
蒲原工場完成、塩化ビニル樹脂の生産開始
高岡工場完成、塩化ビニル樹脂の生産開始
1959〜1971年合成ゴムの国産第1号と自社抽出技術による原料自給(1959〜1971)川崎工場完成、合成ゴムの生産開始と中央研究所開設★★★
東京証券取引所に上場
徳山工場完成、自社技術GPB法によるブタジエンの生産開始★★
塩化ビニル樹脂の生産合理化のため蒲原工場を閉鎖
水島工場完成、塩化ビニル樹脂の生産開始
水島工場に自社技術GPI法のイソプレン抽出プラント完成★★
1972〜1999年特殊ゴムでの世界展開と塩ビ事業からの後退(1972〜1999)加工品事業部門をゼオン化成として分離・独立
高岡工場で水素化ニトリルゴムの生産開始★★
米国にZeon Chemicals Texasを設立し現地生産開始
英国BP Chemicalsのニトリルゴム部門を買収★★
英BPケミカルズと米B.F.グッドリッチの特殊ゴム部門の取得、日米欧3極生産体制の構築

1989年、日本ゼオンが英BPケミカルズのニトリルゴム部門と米B.F.グッドリッチの特殊ゴム事業を総額200億円で相次いで買収し、耐油性特殊ゴムで日米欧3極の生産体制を築いた経営判断。

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★★★
水島工場でシクロオレフィンポリマーの生産開始★★★
中野克彦塩ビ事業を切離し新第一塩ビへ移管★★
中野克彦米沢市に精密化学品の米沢工場を設立
2000〜2026年創業事業の塩ビ撤退と高機能材料への組み替え(2000〜2026)中野克彦塩化ビニル事業の新第一塩ビへの移管と、水島工場での生産打ち切りによる祖業からの撤退

1995年7月、日本ゼオンが塩化ビニル樹脂事業を切り離し、住友化学・トクヤマとの事業統合会社である新第一塩ビへ移管した。さらに2000年3月には水島工場での塩ビ生産を打ち切り、1950年の設立目的そのものであった祖業から撤退した。中野克彦社長の在任期にあたる。

詳細を読む
★★★
中野克彦光学フィルム工場としてオプテス高岡製造所が完成★★
古河直純会社分割でDCPD-RIM事業部門をRIMTECへ譲渡
古河直純本社を千代田区丸の内の現在地に移転
古河直純富山県氷見市にオプテス氷見製造所が完成
古河直純シンガポールにZeon Chemicals Singaporeを設立
古河直純ベトナムにZeon Manufacturing Vietnamを設立
古河直純トウペを公開買付けにより子会社化
古河直純福井県敦賀市にオプテス敦賀製造所が完成
田中公章徳山工場にカーボンナノチューブ製造プラントが竣工★★
田中公章住友化学とのS-SBR統合会社ZSエラストマーが営業開始★★
田中公章英国のZeon Chemicals Europeを清算
田中公章敦賀工場に大型テレビ用光学フィルムのラインが竣工
田中公章米国のAurora Microplatesを買収
田中公章東京証券取引所の市場区分見直しでプライム市場へ移行
田中公章米国のEdge Embossingを買収
豊嶋哲也高岡工場にCOPのリサイクルプラントが竣工
豊嶋哲也住友化学とのS-SBR合弁を解消しZSエラストマーを吸収合併★★
出典・参考
  • 有価証券報告書
  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本ゼオン」
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本ゼオン」
  • 日本産業史(日経文庫)第2巻(日本経済新聞社、1994年)「繊維-"不死鳥"よみがえる」
  • 日本産業史(日経文庫)第2巻(日本経済新聞社、1994年)「エネルギー産業-石油と電力の結婚」
  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月
  • 日経ビジネス 1979年12月3日号
  • 日経ビジネス 1990年8月27日号
  • 日経ビジネス 1991年4月15日号
  • 日経ビジネス 1993年10月11日号
  • 日経ビジネス 1998年9月21日号

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