日本ゼオン の歴史

創業

1950年

創業者

※古河電気工業+横浜護謨+日本軽金属

創業地

東京都中央区銀座西

直近売上高(2026/3)

4,120億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1950年に、外資の資本と技術を受け入れてまで塩化ビニルの国産化に踏み切ったのか
A 遊休設備とカーバイドを事業へ変える手段として、外国技術が最も確実だったためである。終戦後に設備を平和産業へ転換した日本軽金属は、原料と電力の双方で好条件を持つ塩化ビニルに狙いを定め、古河電気工業と横浜護謨を誘って1950年4月に日本ゼオンを設立した。最優秀の品質を国際価格で生産するには外国技術との結合が必要だという結論から、米B.F.グッドリッチ・ケミカルへ資本金の35%を割り当てて全技術を導入した。国内18社は自前技術で足りると反対したが、月産250トンの設備は既存各社の2.5倍から5倍にあたった
Q なぜ1989年に、かつて資本と技術を仰いだ米B.F.グッドリッチから特殊ゴム事業を買い取ったのか
A 輸出で守れなくなった市場を、現地生産で取りに行くほかなかったためである。1987年のダンピング提訴で米国へのニトリルゴム輸出が止まり、欧州もEC市場統合を前に現地生産が要る状況にあった。買収候補は6、7年前から検討していたが決め手を欠き、そこへグッドリッチ側から特殊ゴム部門売却の打診が届いた。総額200億円で英BPケミカルズの部門と合わせて取得し、ニトリルゴムの世界シェアは35%近くとなった。ただし米国事業は1990年から4年続けて赤字となり、初配当は1996年度までずれ込んだ
Q なぜ2000年に、社名の由来でもある創業事業の塩ビから撤退したのか
A 統合で規模を作っても、国内需要の縮小には追いつかなかったためである。日本ゼオンは1950年に塩化ビニル樹脂の専門メーカーとして設立され、社名も導入した技術の商標に由来する。1995年7月に住友化学、トクヤマとの統合会社である新第一塩ビへ事業を移したが業界の過剰は解けず、統合各社と上位企業の収益力の差はかえって広がった。2000年3月に水島工場での生産を打ち切り、50年続けた祖業を手放した。2001年度に新第一塩ビは20億円弱の営業赤字を計上している

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

1950年〜 日本軽金属の遊休設備から興した塩化ビニル専業会社(1950〜1958)

古河系3社と米国グッドリッチが持ち寄った資本と技術

日本ゼオンは1950年4月12日[1]、塩化ビニル樹脂の専門メーカーとして資本金500万円[2]で設立された。戦後日本の合弁会社としては第二号[3]だった。発起人には日本軽金属社長の草野義一氏や稲垣平太郎氏らが名を連ね[4]、創立総会は同年4月5日に日本軽金属の社内へ置いた創立事務所[5]で開かれ、本社も東京都中央区銀座西の同社内に置いた[6]。日本軽金属は終戦後ただちに設備を平和産業へ転換し、一部でカーバイドの生産を始めていた[7]が、残る遊休施設の使い道を調査していた。原料と電力の双方で好条件を持つ塩化ビニルに狙いを定め、試作と研究を続けた[8]うえで、古河電気工業と横浜護謨を誘って[9]新会社を興した。

  • 有価証券報告書
    • [1]日本ゼオンは1950年4月12日設立
    • [2]設立時の資本金は500万円
    • [6]本社を日本軽金属株式会社内(東京都中央区銀座西7の3)に設置
  • 日本産業史(日経文庫)第2巻(日本経済新聞社、1994年)「繊維-"不死鳥"よみがえる」
    • [3]戦後日本の合弁会社第二号として二十五年に「古河グループ」と「グッドリッチ」との合弁によって設立された
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本ゼオン」
    • [4]稲垣平太郎、草野義一ほか数氏が発起人となった。草野義一は当時の日本軽金属社長で、日本ゼオンの会社を代表すべき取締役に就いた
  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [5]昭和25年4月5日、日本軽金属社内の日本ゼオン創立事務所で創立総会が開催された
    • [7]日本軽金属は終戦後に設備を平和産業へ転換し、一部設備でカーバイドの生産を開始、他の遊休施設の活用を調査研究していた
    • [8]日本軽金属は原料及び電力に最も好条件を有する塩化ビニルの生産を計画し、試作・研究を続けた
    • [9]古河電工、横浜護謨とともに設立した

新会社は国内の資源と外国の技術を結び付けることを設立の前提[10]に置いた。最優秀の品質を国際価格で生産するには優秀な外国技術との結合が必要だという結論[11]に達し、塩化ビニル樹脂で米国第一級の技術を持つB.F.グッドリッチ・ケミカル[12]と折衝を重ねて、外資法に基づく国内手続を終えた1951年1月に契約へ調印[13]した。日本ゼオンは塩化ビニル及び塩化ビニリデンの製造、可塑剤D.O.P.の調製など一連の特許の実施権[14]を得たほか、工場の設計から運転に至る指導監督と技術情報の提供[15]も受けた。グッドリッチの登録商標「GEON」を日本で登録する権利[16]も与えられ、これが社名の由来となった。

  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [10]この国内資源と優秀なる外国技術との結合が目的達成には最も適切な方策であるとして、米国第一流の技術を有するグッドリッチ・ケミカル会社と提携し、P.V.C.及びその関係品に対する全技術を導入することを前提として、昭和25年4月資本金500万円の会社を設立した
    • [14]塩化ビニール及び塩化ビニーリジンの製造、D.O.P.可塑剤の調製ほかグ社特許の実施権を得た
    • [15]工場及び設備の設計・建設・運転に関する指導監督、あらゆる技術的情報の提供を受ける
    • [16]グ社の登録商標「GEON」を日本で登録する権利を与えられる
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本ゼオン」
    • [11]最優秀の品質を国際価格で生産するには優秀な外国技術との結合が是非とも必要であるとの結論によったもの
    • [12]国際的有名商品GEON塩化ビニールのメーカーで米国第一流の技術を有するBFグッドリッチ・ケミカル会社
    • [13]外資法に基づく許可等の国内手続を完了し、昭和26年1月に正式に契約調印を行った

対価としてロイヤリティは製品販売の日から1年目が売上高の1.5%、2年目が2%、3年目以降は3%[17]と定め、グッドリッチには資本金の35%にあたる株式[18]を割り当てた。英文社名はThe Japanese Geon Co., Ltd.とし、その頭文字JとGを組み合わせた図案を創立時から社章[19]に用いた。工場は日本軽金属の蒲原工場の敷地内に、カセイソーダ工場と隣り合わせて建設[20]した。原料と用役はすべて日本軽金属から受ける計画で、アセチレンガスは同社のカーバイドから、塩素と水素はカセイソーダ工場の副産物から、電力は自家発電の余剰電力[21]を充てた。

  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [17]ロイヤリティは製品販売の日から1カ年は売上高の1.5%、2年目は2%、3年目以降は3%支払う
    • [18]グ社に対して資本金の35%の株式を割り当てる
    • [20]プラントは日本軽金属蒲原工場の中に、カセイソーダ工場に隣接して建設された
    • [21]アセチレンガスは日本軽金属蒲原工場のカーバイドより、塩素及び水素は同社カセイソーダ工場の副産物を活用し、電力も同社の自家発電による余剰電力の供給を受ける計画
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本ゼオン」
    • [19]英文社名The Japanese Geon Co, Ltd のイニシアルの「J」と「G」をデザインしたもので、創立時より社章として使用している
  • 有価証券報告書
    • [1]日本ゼオンは1950年4月12日設立
    • [2]設立時の資本金は500万円
    • [6]本社を日本軽金属株式会社内(東京都中央区銀座西7の3)に設置
  • 日本産業史(日経文庫)第2巻(日本経済新聞社、1994年)「繊維-"不死鳥"よみがえる」
    • [3]戦後日本の合弁会社第二号として二十五年に「古河グループ」と「グッドリッチ」との合弁によって設立された
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本ゼオン」
    • [4]稲垣平太郎、草野義一ほか数氏が発起人となった。草野義一は当時の日本軽金属社長で、日本ゼオンの会社を代表すべき取締役に就いた
    • [11]最優秀の品質を国際価格で生産するには優秀な外国技術との結合が是非とも必要であるとの結論によったもの
    • [12]国際的有名商品GEON塩化ビニールのメーカーで米国第一流の技術を有するBFグッドリッチ・ケミカル会社
    • [13]外資法に基づく許可等の国内手続を完了し、昭和26年1月に正式に契約調印を行った
  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [5]昭和25年4月5日、日本軽金属社内の日本ゼオン創立事務所で創立総会が開催された
    • [7]日本軽金属は終戦後に設備を平和産業へ転換し、一部設備でカーバイドの生産を開始、他の遊休施設の活用を調査研究していた
    • [8]日本軽金属は原料及び電力に最も好条件を有する塩化ビニルの生産を計画し、試作・研究を続けた
    • [9]古河電工、横浜護謨とともに設立した
    • [10]この国内資源と優秀なる外国技術との結合が目的達成には最も適切な方策であるとして、米国第一流の技術を有するグッドリッチ・ケミカル会社と提携し、P.V.C.及びその関係品に対する全技術を導入することを前提として、昭和25年4月資本金500万円の会社を設立した
    • [14]塩化ビニール及び塩化ビニーリジンの製造、D.O.P.可塑剤の調製ほかグ社特許の実施権を得た
    • [15]工場及び設備の設計・建設・運転に関する指導監督、あらゆる技術的情報の提供を受ける
    • [16]グ社の登録商標「GEON」を日本で登録する権利を与えられる
    • [17]ロイヤリティは製品販売の日から1カ年は売上高の1.5%、2年目は2%、3年目以降は3%支払う
    • [18]グ社に対して資本金の35%の株式を割り当てる
    • [20]プラントは日本軽金属蒲原工場の中に、カセイソーダ工場に隣接して建設された
    • [21]アセチレンガスは日本軽金属蒲原工場のカーバイドより、塩素及び水素は同社カセイソーダ工場の副産物を活用し、電力も同社の自家発電による余剰電力の供給を受ける計画
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本ゼオン」
    • [19]英文社名The Japanese Geon Co, Ltd のイニシアルの「J」と「G」をデザインしたもので、創立時より社章として使用している

月産250トン設備がもたらした品質と量の優位

建設は1951年3月に着工[22]した。設計から建設、運転開始までをグッドリッチの技術で行い、1950年7月には同社の技術担当副社長W.I.バード氏が、1951年4月には技師2名が来日[23]して指導にあたった。所要資金は6億7,500万円を見込み、増資4億9,500万円のうち1億7,500万円をグッドリッチの現物出資[24]で賄った。完工は朝鮮戦争の影響で予定より遅れたものの、1952年5月下旬から正常運転[25]に入った。製品は最初からグッドリッチ製と同質のもの[26]ができ、電線業者やゴム業者へ輸入品を供給してきた段階から自社製品販売の段階に移った[27]

  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本ゼオン」
    • [22]昭和26年3月に蒲原工場の建設に着手した
    • [27]電線業社並びにゴム業社等の要望にこたえグ社製各種GEON P・VCを輸入してきたが、蒲原工場の生産開始により自社製品販売の段階に入った
  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [23]グ社から25年7月技術担当副社長W.I.バード氏、26年4月技師2名が来日指導にあたった
    • [24]所要資金は6億7,500万円、増資額4億9,500万円よりグ社現物出資分1億7,500万円
    • [25]完工は朝鮮事変の影響を受けて予定より若干遅れたが、27年5月下旬から正常運転にはいった
    • [26]製品は最初からアメリカのグ社製品と全く同質のものができた

蒲原工場は1952年5月に月産250トンの設備として完成[28]した。当時の日本のプラスチック業界は塩ビの生産が始まったばかりで、月産50トンから100トン規模の会社が数社あるにすぎず、品質も劣っていた[29]。そこへ既存各社の2.5倍から5倍にあたる月産250トンの体制が現れたため業界の注視を集め、品質の高さも加わって[30]、後年、古我周二社長がゼオン旋風という語で振り返るほどの反響を呼んだ。設立時には国内の塩ビメーカー18社から猛烈な反対を受けた[31]。日産60トンが最高能力という小規模生産体制のなかへ、一社で予定国内総生産能力の半分にもなる規模の企業が入ることが脅威[32]と受け止められた。塩ビ工業は国内技術で達成できる産業であり、導入技術を認めれば国内の研究意欲が減退する[33]というのが反対の論拠だった。

  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本ゼオン」
    • [28]二十七年五月に月産二五〇屯の設備として完成をみた
  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月「日本ゼオンの現状と将来」
    • [29]昭和27年のわが国プラスチック業界は塩ビの幕あけの時代で、月産50〜100トン規模の塩ビ会社が数社しかなく品質も著しく劣っていた
    • [30]月産250トン体制は業界でも注視の的となり、品質の優秀性も加わってゼオン旋風を巻き起こした
  • 日本産業史(日経文庫)第2巻(日本経済新聞社、1994年)「繊維-"不死鳥"よみがえる」
    • [31]日本ゼオンの誕生は国内塩化ビニールメーカーからの猛烈な反対を受けた。弱い基盤に一八社が乱立し
    • [32]わずか日産六〇トンが最高能力という小規模生産体制のなかに、一社で予定国内総生産能力の半分にもなろうという大規模企業が進出することは非常な脅威
    • [33]塩ビ工業は国内技術で達成できる産業であること、これを認めることは国内の研究意欲を減退させること、国内企業を圧迫すること
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本ゼオン」
    • [22]昭和26年3月に蒲原工場の建設に着手した
    • [27]電線業社並びにゴム業社等の要望にこたえグ社製各種GEON P・VCを輸入してきたが、蒲原工場の生産開始により自社製品販売の段階に入った
    • [28]二十七年五月に月産二五〇屯の設備として完成をみた
  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [23]グ社から25年7月技術担当副社長W.I.バード氏、26年4月技師2名が来日指導にあたった
    • [24]所要資金は6億7,500万円、増資額4億9,500万円よりグ社現物出資分1億7,500万円
    • [25]完工は朝鮮事変の影響を受けて予定より若干遅れたが、27年5月下旬から正常運転にはいった
    • [26]製品は最初からアメリカのグ社製品と全く同質のものができた
  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月「日本ゼオンの現状と将来」
    • [29]昭和27年のわが国プラスチック業界は塩ビの幕あけの時代で、月産50〜100トン規模の塩ビ会社が数社しかなく品質も著しく劣っていた
    • [30]月産250トン体制は業界でも注視の的となり、品質の優秀性も加わってゼオン旋風を巻き起こした
  • 日本産業史(日経文庫)第2巻(日本経済新聞社、1994年)「繊維-"不死鳥"よみがえる」
    • [31]日本ゼオンの誕生は国内塩化ビニールメーカーからの猛烈な反対を受けた。弱い基盤に一八社が乱立し
    • [32]わずか日産六〇トンが最高能力という小規模生産体制のなかに、一社で予定国内総生産能力の半分にもなろうという大規模企業が進出することは非常な脅威
    • [33]塩ビ工業は国内技術で達成できる産業であること、これを認めることは国内の研究意欲を減退させること、国内企業を圧迫すること

高岡への拡張と原料の自社調達への移行

生産設備はその後も拡張を続け、第2期計画で月産500トンへ増設したのち、1955年4月には月産700トンへ達した[34]。同年6月期の生産高は前期実績を25%上回る2,980トンで、総売上高は7億4,000万円と前期比23%増[35]となり、用途別の内訳は軟質用が38%、硬質用35%、電線用22%、輸出向け4%[36]だった。この間に資本金は1951年4月に2億円、同年11月に5億円[37]へ増え、1955年時点では稲垣平太郎氏が会長、岸野佐吉氏が社長を務めた[38]。生産品種の拡充にも力を入れ、懸案だったペーストレジンGEON121の国産化に成功して、富山県高岡市に新工場の建設を計画[39]した。

  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本ゼオン」
    • [34]第二期計画として月産能力500屯への増設工事を完成し、30年4月には月産能力700屯に達した
    • [35]30年6月期の生産高は前期の実績を25%上回る2,980屯、同期の総売上高は7億4千万円(前期に比し23%増)
    • [36]うち軟質用38%、硬質用35%、電線用22%、輸出向け4%
    • [37]資本金は26年4月2億円、次いで同年11月5億円となった
    • [38]会長 稲垣平太郎、社長 岸野佐吉
    • [39]懸案であったペースト・レヂンGEON121の国産化に成功し、富山県高岡市に新工場を建設計画中

高岡工場は1956年11月に完成し[40]、ペーストレジンの国産化を受けて蒲原に続く第二の塩化ビニル樹脂の生産拠点となった。原料の供給関係にも変化が生じ、塩化ビニル樹脂の生産が増えるにつれて日本軽金属のカーバイド生産では追いつかなくなり、アセチレンが供給不足に陥った[41]。日本軽金属は1955年11月末で供給を打ち切ってアセチレン発生設備一式を譲渡[42]し、日本ゼオンは1956年1月から自社でアセチレンを発生させた[43]。設立時に全量を日本軽金属から受けていた原料のうち、アセチレンだけが[44]操業開始から4年足らずで自給へ切り替わった。増産は続いたものの市況は生産過剰に傾き、1957年下期以降は操業短縮に入った[45]

  • 有価証券報告書
    • [40]1956年11月 高岡工場完成、塩化ビニル樹脂生産開始
  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [41]P.V.C.生産が増大するにつれて日本軽金属のカーバイド生産の制約によりアセチレンは供給不足気味となった
    • [42]この際、日本軽金属はアセチレン発生設備一式を同社に譲渡した
    • [43]30年11月末日をもって日本軽金属は生産を中止し、日本ゼオンは31年1月1日からアセチレンを自社で発生することになった
    • [44]当社は最初、アセチレン・塩素・水素・電力のすべてにわたって全量を供給していた。しかしP.V.C.生産が増大するにつれてアセチレンは供給不足気味となった
    • [45]その後好調に増産を重ねてきたが、市況は生産過剰の傾向となり、32年下期以降は操業短縮を余儀なくされた
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本ゼオン」
    • [34]第二期計画として月産能力500屯への増設工事を完成し、30年4月には月産能力700屯に達した
    • [35]30年6月期の生産高は前期の実績を25%上回る2,980屯、同期の総売上高は7億4千万円(前期に比し23%増)
    • [36]うち軟質用38%、硬質用35%、電線用22%、輸出向け4%
    • [37]資本金は26年4月2億円、次いで同年11月5億円となった
    • [38]会長 稲垣平太郎、社長 岸野佐吉
    • [39]懸案であったペースト・レヂンGEON121の国産化に成功し、富山県高岡市に新工場を建設計画中
  • 有価証券報告書
    • [40]1956年11月 高岡工場完成、塩化ビニル樹脂生産開始
  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [41]P.V.C.生産が増大するにつれて日本軽金属のカーバイド生産の制約によりアセチレンは供給不足気味となった
    • [42]この際、日本軽金属はアセチレン発生設備一式を同社に譲渡した
    • [43]30年11月末日をもって日本軽金属は生産を中止し、日本ゼオンは31年1月1日からアセチレンを自社で発生することになった
    • [44]当社は最初、アセチレン・塩素・水素・電力のすべてにわたって全量を供給していた。しかしP.V.C.生産が増大するにつれてアセチレンは供給不足気味となった
    • [45]その後好調に増産を重ねてきたが、市況は生産過剰の傾向となり、32年下期以降は操業短縮を余儀なくされた

1959年〜 合成ゴムの国産第1号と自社抽出技術による原料自給(1959〜1971)

  1. 1959年 川崎工場完成、合成ゴムの生産開始と中央研究所開設
  2. 1961年 東京証券取引所に上場
  3. 1965年 徳山工場完成、自社技術GPB法によるブタジエンの生産開始
  4. 1967年 塩化ビニル樹脂の生産合理化のため蒲原工場を閉鎖
  5. 1969年 水島工場完成、塩化ビニル樹脂の生産開始
  6. 1971年 水島工場に自社技術GPI法のイソプレン抽出プラント完成

グッドリッチの技術で始めた合成ゴムの国産化

1959年7月、川崎工場が完成して[46]合成ゴムの生産が始まった。グッドリッチ・ケミカルの合成ゴム製造技術を導入[47]したもので、日本での合成ゴムの国産化は、これが最初の成功となった。ただし品目は特殊ゴムに限られた[48]。1955年に山陽化学や三菱シェル・グループなど各社が合成ゴムの企業化を相次いで発表したのを受けて政府が計画間の調整に乗り出し[49]、汎用のスチレン・ブタジエンゴムは国策会社の日本合成ゴムに一本化されたためである。日本ゼオンには特殊ゴムの製造が認められ、原料のブタジエンやアクリルニトリルは他社から買い入れた[51]。当初の生産は月産700トン[52]だった。同じ1959年7月1日には中央研究所を開設し、塩ビの物性や加工応用の研究開発、需要者への技術サービス[53]にあたった。 [50]

  • 有価証券報告書
    • [46]1959年7月 川崎工場完成、合成ゴム生産開始。中央研究所開設
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本ゼオン」
    • [47]グッドリッチ・ケミカル社の合成ゴム製造技術を導入したもので、合成ゴムの国産化としてはわが国はじめての成功
    • [51]日本石油化学、東燃石油化学からブタジェン、旭ダウからスチレン、旭化成からアクリルニトリルを買い入れた
    • [53]34年7月1日に中央研究所を建設し、塩ビの物性、加工応用の研究開発など需要者への技術サービスを行なってきた
  • 日本産業史(日経文庫)第2巻(日本経済新聞社、1994年)「エネルギー産業-石油と電力の結婚」
    • [48]汎用ゴムを製造させようとした国策会社に対し、同時期に申請のあった日本ゼオンには特殊ゴムの製造を認可した。日本ゼオンの合成ゴム計画は特殊ゴムの製造に限定して川崎コンビナート内に工場が建設された
    • [49]昭和三十年、「山陽化学」(のちに協和醗酵に合併)、「三菱-シェル・グループ」「日本ゼオン」などが相次いで合成ゴムの企業化を発表した。政府はこれら計画間の調整に乗り出し
    • [50]汎用ゴムを製造させようとした国策会社に対し、同時期に申請のあった日本ゼオンには特殊ゴムの製造を認可した。日本ゼオンの合成ゴム計画は特殊ゴムの製造に限定して川崎コンビナート内に工場が建設された
  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月「日本ゼオンの現状と将来」
    • [52]合成ゴムについては当初月産700トンで出発した

合成ゴムの需要はその後伸び、新ゴム需要に占める合成ゴムの比率は1960年から1961年にかけて20%から30%だったものが、1969年には63%から64%まで上昇[54]した。この伸びに応えるため、1965年7月に[55]汎用ゴムの専門工場として徳山工場を建設[56]した。それに先立つ1961年9月には東京証券取引所へ上場[57]を果たした。塩ビ側でも設備の配置を組み替え、土地と原料の確保という制約から生産の拡大が難しくなっていた発祥の地の蒲原工場[58]を1967年3月に閉鎖して[59]、高岡工場への一工場集中量産体制へ移した[60]

  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月「日本ゼオンの現状と将来」
    • [54]昭和35〜36年で20〜30%であった合成比率が、44年で63〜64%までになっている
    • [58]塩化ビニールについても当社発祥の地である蒲原工場が土地、原料確保の問題から生産の拡大をはかることが困難となった
  • 有価証券報告書
    • [55]1965年7月 徳山工場完成、GPB法(自社技術によるブタジエン抽出技術)によるブタジエン及び合成ゴムの生産開始
    • [57]1961年9月 東京証券取引所に上場
    • [59]1967年3月 塩化ビニル樹脂の生産合理化のため蒲原工場閉鎖
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本ゼオン」
    • [56]合成ゴムに対する需要はその後急速に高まり、これに対応して汎用ゴムの専門工場として徳山工場を建設した
    • [60]42年には塩ビの体質強化もはかって蒲原工場を閉鎖し、高岡工場での一工場集中量産体制を整えた

塩ビの第二工場は瀬戸内海に面した岡山県の水島地区に置き、1969年8月に完成させて塩化ビニル樹脂の生産を始めた[61]。原料の確保のため1968年3月に山陽モノマーを設立し、資本金1億2,500万円のうち半分を日本ゼオンが、残る半分を旭化成とチッソが出資して、グッドリッチの技術によるオキシクロリネーション法で塩ビモノマーを生産する計画[62]とした。水島工場は年産3万6,000トン規模から出発[63]した。1968年時点の資本金は60億円、従業員は2,192名、1967年度の売上高は230億円を超えていた[64]

  • 有価証券報告書
    • [61]1969年8月 水島工場完成、塩化ビニル樹脂生産開始
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本ゼオン」
    • [62]本年三月山陽モノマー(資本金一億二五〇〇万円、同社五〇%、旭化成、チッソ五〇%の共同出資)を設立して、グッドリッチの技術によるオキシクロリネーション法で塩ビモノマーの生産を計画
    • [63]水島工場は年産三万六〇〇〇トン規模から出発する計画
    • [64]資本金六〇億円、従業員二一九二名、四二年度の売り上げは二三〇億円を突破
  • 有価証券報告書
    • [46]1959年7月 川崎工場完成、合成ゴム生産開始。中央研究所開設
    • [55]1965年7月 徳山工場完成、GPB法(自社技術によるブタジエン抽出技術)によるブタジエン及び合成ゴムの生産開始
    • [57]1961年9月 東京証券取引所に上場
    • [59]1967年3月 塩化ビニル樹脂の生産合理化のため蒲原工場閉鎖
    • [61]1969年8月 水島工場完成、塩化ビニル樹脂生産開始
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本ゼオン」
    • [47]グッドリッチ・ケミカル社の合成ゴム製造技術を導入したもので、合成ゴムの国産化としてはわが国はじめての成功
    • [51]日本石油化学、東燃石油化学からブタジェン、旭ダウからスチレン、旭化成からアクリルニトリルを買い入れた
    • [53]34年7月1日に中央研究所を建設し、塩ビの物性、加工応用の研究開発など需要者への技術サービスを行なってきた
    • [56]合成ゴムに対する需要はその後急速に高まり、これに対応して汎用ゴムの専門工場として徳山工場を建設した
    • [60]42年には塩ビの体質強化もはかって蒲原工場を閉鎖し、高岡工場での一工場集中量産体制を整えた
    • [62]本年三月山陽モノマー(資本金一億二五〇〇万円、同社五〇%、旭化成、チッソ五〇%の共同出資)を設立して、グッドリッチの技術によるオキシクロリネーション法で塩ビモノマーの生産を計画
    • [63]水島工場は年産三万六〇〇〇トン規模から出発する計画
    • [64]資本金六〇億円、従業員二一九二名、四二年度の売り上げは二三〇億円を突破
  • 日本産業史(日経文庫)第2巻(日本経済新聞社、1994年)「エネルギー産業-石油と電力の結婚」
    • [48]汎用ゴムを製造させようとした国策会社に対し、同時期に申請のあった日本ゼオンには特殊ゴムの製造を認可した。日本ゼオンの合成ゴム計画は特殊ゴムの製造に限定して川崎コンビナート内に工場が建設された
    • [49]昭和三十年、「山陽化学」(のちに協和醗酵に合併)、「三菱-シェル・グループ」「日本ゼオン」などが相次いで合成ゴムの企業化を発表した。政府はこれら計画間の調整に乗り出し
    • [50]汎用ゴムを製造させようとした国策会社に対し、同時期に申請のあった日本ゼオンには特殊ゴムの製造を認可した。日本ゼオンの合成ゴム計画は特殊ゴムの製造に限定して川崎コンビナート内に工場が建設された
  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月「日本ゼオンの現状と将来」
    • [52]合成ゴムについては当初月産700トンで出発した
    • [54]昭和35〜36年で20〜30%であった合成比率が、44年で63〜64%までになっている
    • [58]塩化ビニールについても当社発祥の地である蒲原工場が土地、原料確保の問題から生産の拡大をはかることが困難となった

ブタジエン抽出のGPB法と外国技術からの自立

川崎工場では合成ゴムの主原料であるブタジエンを他社から購入していた[65]が、自社での抽出技術の開発が進んだ。ナフサ分解によるエチレン生産の過程で副生するC4留分からブタジエンを抽出するGPB法は、海外で開発された方法にくらべて経費が安く、純度も高い[66]。生産技術に関する大河内記念生産特賞[67]を受けた。徳山工場ではこの方法で年産4万5,000トンの自己抽出[68]を行った。ナフサから塩ビモノマーを得るGPA法も開発し、高岡工場をカーバイドから石油原料へ転換して、原料の絶対量の確保と生産合理化[69]を進めた。

  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本ゼオン」
    • [65]川崎工場ではブタジエンを他から供給を受けていたが、この開発で徳山工場では年産四万五〇〇〇トンの自己抽出を行なっている
    • [66]GPB法はナフサ分解によるエチレン生産過程で副生するC4オレフィン中のブタジエンを抽出する技術。海外で開発された方法にくらべても経費が安く、ブタジェンの純度も高い
    • [67]GPB法は生産、技術に関する最高の賞"大河内記念生産特賞"を受けた
    • [68]徳山工場では年産四万五〇〇〇トンの自己抽出を行なっている
    • [69]GPA法はナフサから塩ビモノマーを得る新しいプロセス。この方法を使って高岡工場は石油源へ転換し、原料の絶対量確保と生産合理化をはかっている

技術と資本の両面で、グッドリッチへの依存は段階的に解けた[70]。塩化ビニルの技術契約は1966年に終了[71]し、以後は自社の技術で続けた。合成ゴムについても汎用ゴムの契約が1972年に満期を迎えることが決まっており[72]、それ以降は塩ビと同様に自社技術で進める方針だった。資本の面でも、創立当初35%を占めていたグッドリッチの出資は1970年に20%へ減り、1971年初めの時点では完全な日本資本の会社[73]になっていた。GPA法、GPB法、GPI法という一連のGP技術[74]の開発は、この期間に重ねられたものである。

  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月「日本ゼオンの現状と将来」
    • [70]塩化ビニールについては1966年に技術契約が終了して、その後は当社独自の展開をはかっている。創立当初グッドリッチの資本は35%を占めていたが、漸次減少して昨年で20%、現在では完全な日本資本の会社となっている
    • [71]塩化ビニールについては1966年に技術契約が終了して、その後は当社独自の展開をはかっている
    • [72]合成ゴムについても汎用ゴムとしての契約が72年に満期となるので、それ以降は塩ビ同様当社独自の技術を展開する
    • [73]創立当初グッドリッチの資本は35%を占めていたが、漸次減少して昨年で20%、現在では完全な日本資本の会社となっている
    • [74]GPA法、GPB法、GPI法など一連のGP〔Geon Process〕技術の開発に努力している

自社技術は輸出商品にもなった。GPB法は国内で千葉ブタジエン、東燃石油化学、岡山ブタジエンの3社に供与[76]し、海外ではソ連、オランダ、米国など有力化学会社5社と技術契約[77]を結んだ。1971年初めの時点ではハンガリーとスペインの化学会社とも交渉が続いており[78]、これによって海外の有力企業との連携も深まった。イソプレンモノマーの抽出技術であるGPI法は世界でも経済性の高い抽出法と評され、国内をはじめ各国から技術供与の要請が相次いだ[79]。設立時にロイヤリティを払う側だった会社[80]が、20年ほどで受け取る側に回った[81][75]

  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月「日本ゼオンの現状と将来」
    • [75]幸いにして当社のGPB法は海外に技術輸出されており、海外の有力企業との連携も深まっている
    • [76]GPB法の技術については、国内では千葉ブタジエン、東燃石油化学、岡山ブタジエンに供与している
    • [77]海外ではソ連、オランダ、アメリカ等の有力化学会社5社と技術契約をした
    • [78]現在もハンガリー、スペインの化学会社と交渉中である
    • [79]イソプレンモノマーの抽出技術であるGPI法もすでに国内をはじめ各国から非常な注目を集め、その技術供与の要請が相次いできている
    • [81]昨年4月には、当社は創立20周年を迎えた。イソプレンモノマーの抽出技術であるGPI法もすでに国内をはじめ各国から非常な注目を集め、その技術供与の要請が相次いできている
  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [80]ロイヤリテーは、製品販売の日から1カ年は売上高の1.5%、2年目は2%、3年目以降は3%支払う
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本ゼオン」
    • [65]川崎工場ではブタジエンを他から供給を受けていたが、この開発で徳山工場では年産四万五〇〇〇トンの自己抽出を行なっている
    • [66]GPB法はナフサ分解によるエチレン生産過程で副生するC4オレフィン中のブタジエンを抽出する技術。海外で開発された方法にくらべても経費が安く、ブタジェンの純度も高い
    • [67]GPB法は生産、技術に関する最高の賞"大河内記念生産特賞"を受けた
    • [68]徳山工場では年産四万五〇〇〇トンの自己抽出を行なっている
    • [69]GPA法はナフサから塩ビモノマーを得る新しいプロセス。この方法を使って高岡工場は石油源へ転換し、原料の絶対量確保と生産合理化をはかっている
  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月「日本ゼオンの現状と将来」
    • [70]塩化ビニールについては1966年に技術契約が終了して、その後は当社独自の展開をはかっている。創立当初グッドリッチの資本は35%を占めていたが、漸次減少して昨年で20%、現在では完全な日本資本の会社となっている
    • [71]塩化ビニールについては1966年に技術契約が終了して、その後は当社独自の展開をはかっている
    • [72]合成ゴムについても汎用ゴムとしての契約が72年に満期となるので、それ以降は塩ビ同様当社独自の技術を展開する
    • [73]創立当初グッドリッチの資本は35%を占めていたが、漸次減少して昨年で20%、現在では完全な日本資本の会社となっている
    • [74]GPA法、GPB法、GPI法など一連のGP〔Geon Process〕技術の開発に努力している
    • [75]幸いにして当社のGPB法は海外に技術輸出されており、海外の有力企業との連携も深まっている
    • [76]GPB法の技術については、国内では千葉ブタジエン、東燃石油化学、岡山ブタジエンに供与している
    • [77]海外ではソ連、オランダ、アメリカ等の有力化学会社5社と技術契約をした
    • [78]現在もハンガリー、スペインの化学会社と交渉中である
    • [79]イソプレンモノマーの抽出技術であるGPI法もすでに国内をはじめ各国から非常な注目を集め、その技術供与の要請が相次いできている
    • [81]昨年4月には、当社は創立20周年を迎えた。イソプレンモノマーの抽出技術であるGPI法もすでに国内をはじめ各国から非常な注目を集め、その技術供与の要請が相次いできている
  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
    • [80]ロイヤリテーは、製品販売の日から1カ年は売上高の1.5%、2年目は2%、3年目以降は3%支払う

イソプレンゴムの企業化と生産拠点の再配置

1968年、天然ゴムに分子構造と性質が最も近いとされるポリイソプレンゴムについて、国産第1号として企業化の認可[82]を得た。天然ゴムの価格は伝統的に上下動が激しく[83]、これに対抗する国産化には綿密な経済的見通しが要る。検討を重ねたうえで1970年末に国産化を決め、水島で工場の建設に着手[84]した。原料となるイソプレンモノマーの抽出にはGPI法を用いる[85]。C5留分からのイソプレンの抽出率は15%から16%と少なく、これだけではコストが高くつく[86]ため、同量含まれるシクロペンタジエンを併せて抽出することに成功して価格の引き下げを可能にした[87]。ポリマーについては米国アメリポール社の技術に自社の開発技術を併用する形[88]を採った。

  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月「日本ゼオンの現状と将来」
    • [82]IRは分子構造・性質が天然ゴムに最も近いと言われるが、当社は昭和43年に国産第1号として企業化の認可を得た
    • [83]天然ゴムの価格は伝統的に上下運動が激しい。このような天然ゴムに対応していくIRの企業化には綿密な経済的見通しをたてる必要がある
    • [84]昨年暮に国産化を決定して、現在工場の建設に着手している
    • [85]IRの原料となるイソプレンモノマーの抽出技術はGPI法といっているが、これは、ナフサ分解によってエチレンを製造する際に副生するC5留分からイソプレンを抽出する当社独自の技術である
    • [86]C5留分からのイソプレンは15〜16%と少量で、それ以上の抽出には限界があり、イソプレンモノマーのコストは高くつく
    • [87]イソプレンと等量に含まれているシクロペンタジエンをC5留分から合せて抽出することに成功し、イソプレンモノマーの価格の引下げが可能となった
    • [88]ポリマーについては米国アメリポール社の技術に、自己開発技術を併用させることになっている

1971年初めの時点で資本金は60億円、使用総資本は576億円[89]に達していた。塩化ビニルでは業界の生産量第1位で、高岡工場のモノマーとポリマーの生産能力が年産12万から13万トン、前年末に第3期工事を終えた水島工場が年産8万から9万トン[90]に達した。合成ゴムは川崎工場が年産約5万トン、徳山工場がSBR約15万トンとBR約3万トンで、総能力は23万トン[91]となった。売上高は1970年3月期が180億円、同年9月期が193億円で、1972年3月期には240億円[92]を見込んでいた。ポリイソプレンゴムへの投資は約80億円[93]を予定していた。

  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月「日本ゼオンの現状と将来」
    • [89]現在の資本金は60億円、使用総資本は576億円である
    • [90]塩化ビニールについては当業界で生産量第1位の実績。高岡工場のモノマー、ポリマー各々の生産能力が年産約12〜13万トン、水島工場は年間8〜9万トン
    • [91]現在の生産能力は川崎工場が年産約5万トン、徳山工場はSBR約15万トン、BR約3万トンで、総能力は23万トン
    • [92]売上げは45年3月期が180億円、45年9月期が193億円、47年3月期は240億円を予定
    • [93]このプロジェクトへの投資は約80億円を予定している

生産拠点をどこに広げるかも課題になっていた。高岡は塩ビ、水島は塩ビとイソプレンゴム、徳山は汎用ゴム、川崎は特殊ゴムと各種ラテックス[95]と役割が分かれていたが、いずれの工場も現在地では設備拡張の余地がほとんどなく、公害問題を併せて考えると本州での規模拡大には難点が多かった[96]。そこで苫小牧に約10万坪の土地を購入[97]した。1970年には日本軽金属、北海道曹達、旭電化工業との4社で苫小牧ソーダを設立[98]した。アルミナ生産に必要な苛性ソーダを日本軽金属へ供給すると同時に、併産される塩素を塩ビ原料として長期に確保する狙い[99]があった。苫小牧工場では第1期としてEDCを年産6万トン計画し、高岡と水島で外部から買っていた分を置き換える構想で、1971年9月頃の着工、翌年9月の稼働開始を目標[100]に置いた。水島のGPIプラントは1971年11月に完成[101]した。 [94]

  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月「日本ゼオンの現状と将来」
    • [94]各工場とも現在地では設備拡張の余地はほとんどないほか、最近の公害問題を合せて考えると、本州での企業規模の拡大には問題が多く、今回の苫小牧進出計画となった
    • [95]高岡が塩ビ、水島が塩ビとイソプレンゴム、徳山が汎用ゴム、川崎が特殊ゴムと各種ラテックスを各々手掛けている
    • [96]各工場とも現在地では設備拡張の余地はほとんどないほか、最近の公害問題を合せて考えると本州での企業規模の拡大には問題が多い
    • [97]当社ではすでに同地に約10万坪の土地を購入している
    • [98]昨年、日本軽金属、北海道曹達、旭電化工業、当社の4社で苫小牧ソーダを設立した
    • [99]アルミナの生産には苛性ソーダが必要であり、これを大量に供給するために設立。一方、苛性ソーダの生産から同時に塩素が併産される。当社はかねてから塩ビの原料となる塩素を長期安定的に確保したいと望んでいた
    • [100]苫小牧工場では第1期として当面EDC年産6万トンを計画しており、高岡、水島で現在外買しているEDCを苫小牧のそれに置替えたい。工場は今年9月頃着工、来年9月稼動開始を目標にしている
  • 有価証券報告書
    • [101]1971年11月 水島工場にGPI(自社技術によるイソプレン等抽出技術)プラント完成
  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月「日本ゼオンの現状と将来」
    • [82]IRは分子構造・性質が天然ゴムに最も近いと言われるが、当社は昭和43年に国産第1号として企業化の認可を得た
    • [83]天然ゴムの価格は伝統的に上下運動が激しい。このような天然ゴムに対応していくIRの企業化には綿密な経済的見通しをたてる必要がある
    • [84]昨年暮に国産化を決定して、現在工場の建設に着手している
    • [85]IRの原料となるイソプレンモノマーの抽出技術はGPI法といっているが、これは、ナフサ分解によってエチレンを製造する際に副生するC5留分からイソプレンを抽出する当社独自の技術である
    • [86]C5留分からのイソプレンは15〜16%と少量で、それ以上の抽出には限界があり、イソプレンモノマーのコストは高くつく
    • [87]イソプレンと等量に含まれているシクロペンタジエンをC5留分から合せて抽出することに成功し、イソプレンモノマーの価格の引下げが可能となった
    • [88]ポリマーについては米国アメリポール社の技術に、自己開発技術を併用させることになっている
    • [89]現在の資本金は60億円、使用総資本は576億円である
    • [90]塩化ビニールについては当業界で生産量第1位の実績。高岡工場のモノマー、ポリマー各々の生産能力が年産約12〜13万トン、水島工場は年間8〜9万トン
    • [91]現在の生産能力は川崎工場が年産約5万トン、徳山工場はSBR約15万トン、BR約3万トンで、総能力は23万トン
    • [92]売上げは45年3月期が180億円、45年9月期が193億円、47年3月期は240億円を予定
    • [93]このプロジェクトへの投資は約80億円を予定している
    • [94]各工場とも現在地では設備拡張の余地はほとんどないほか、最近の公害問題を合せて考えると、本州での企業規模の拡大には問題が多く、今回の苫小牧進出計画となった
    • [95]高岡が塩ビ、水島が塩ビとイソプレンゴム、徳山が汎用ゴム、川崎が特殊ゴムと各種ラテックスを各々手掛けている
    • [96]各工場とも現在地では設備拡張の余地はほとんどないほか、最近の公害問題を合せて考えると本州での企業規模の拡大には問題が多い
    • [97]当社ではすでに同地に約10万坪の土地を購入している
    • [98]昨年、日本軽金属、北海道曹達、旭電化工業、当社の4社で苫小牧ソーダを設立した
    • [99]アルミナの生産には苛性ソーダが必要であり、これを大量に供給するために設立。一方、苛性ソーダの生産から同時に塩素が併産される。当社はかねてから塩ビの原料となる塩素を長期安定的に確保したいと望んでいた
    • [100]苫小牧工場では第1期として当面EDC年産6万トンを計画しており、高岡、水島で現在外買しているEDCを苫小牧のそれに置替えたい。工場は今年9月頃着工、来年9月稼動開始を目標にしている
  • 有価証券報告書
    • [101]1971年11月 水島工場にGPI(自社技術によるイソプレン等抽出技術)プラント完成

1972年〜 特殊ゴムでの世界展開と塩ビ事業からの後退(1972〜1999)

  1. 1981年 加工品事業部門をゼオン化成として分離・独立
  2. 1984年 高岡工場で水素化ニトリルゴムの生産開始
  3. 1988年 米国にZeon Chemicals Texasを設立し現地生産開始
  4. 1989年 英国BP Chemicalsのニトリルゴム部門を買収
  5. 1989年 英BPケミカルズと米B.F.グッドリッチの特殊ゴム部門の取得、日米欧3極生産体制の構築 汎用品で戦うか、小さな市場に特化して世界を取るか——ダンピング提訴で輸出を絶たれた米国への再進出
  6. 1990年 水島工場でシクロオレフィンポリマーの生産開始
  7. 1995年 塩ビ事業を切離し新第一塩ビへ移管

社員出身の社長が掲げた高い技術目標

1979年6月、大西三良氏が社長に就任[102]した。それまでの社長は出資したグループ各社からの派遣が続いており、前任の島村道彦氏は第一勧業銀行の出身[103]である。大西氏は1942年10月に横浜護謨製造へ入社し、1944年8月にシンガポールのブキテマ工場長[104]を務めたのち、設立から間もない1951年3月に日本ゼオンへ移った[105]。企画室長、社長室長、ゴム事業部長を経て1969年に常務、1973年に専務、1974年に副社長[106]となっており、社員出身の社長はこれが初めてだった。就任時は創業30周年を翌年に控えていた[107]

  • 日経ビジネス 1979年12月3日号「新社長登場 大西三良氏(日本ゼオン)」
    • [102]54年6月に第一勧銀出身の島村道彦前社長(現会長)から社長職をバトンタッチ
    • [103]これまでの社長人事はグループからの輸入が続いたが、大西さんの昇格でようやく社員出身のプロパー社長が誕生した
    • [104]17年10月 横浜護謨製造(現横浜ゴム)に入社、19年8月 シンガポールのブキテマ工場長に就任
    • [105]26年3月に設立後間もない日本ゼオンに移る
    • [106]38年3月 企画室長、42年6月 社長室長、43年7月 ゴム事業部長、44年5月 常務、48年5月 専務、49年11月 副社長に就任
    • [107]来年4月に創業30周年を迎える

大西社長は、創業からの30年が順調に過ぎたために社内が精神的に甘くなっている[108]と見ていた。今後の30年の発展には高い目標を立てなければならない[109]として、達成の難しい水準に目標を置き、そこへ人と資金を惜しみなく投じる[110]方針を示した。資源のない日本が伸びるには技術開発力が要る[111]という判断が背景にあり、重点目標の一つに天然ゴムに代わる合成ゴムの開発[112]を挙げた。ハンディキャップ20で満足していれば実力は落ちるとゴルフにたとえ、40歳や50歳になってプロになれというほどの目標[113]だと語った。できないことをやらなければ国も企業も立ち行かない[114]というのが理由だった。

  • 日経ビジネス 1979年12月3日号「新社長登場 大西三良氏(日本ゼオン)」
    • [108]ウチはこの30年間、大体順調にやってきたので精神的に甘くなっている面がある
    • [109]今後の30年間の発展のためには高い目標を立てなければダメです
    • [110]技術力をつけるには不可能と思えるような高い目標を設定し、それに惜しみなく人と金を投入してやることが必要です
    • [111]これから資源のない日本が伸びて行くには技術開発力をつけねばなりません
    • [112]ウチでは重点目標の一つとして天然ゴムにかわる天然合成ゴムの開発に取り組んでいます
    • [113]ハンデ20で満足していると実力が段々落ちて行きます。40か50歳になってプロになれというようなもの
    • [114]でも出来ないことをやらなければ国も企業も食っていけませんから

1981年8月、加工品事業部門をゼオン化成として分離・独立[115]させた。1984年4月には高岡工場で水素化ニトリルゴムの生産を始めた[116]。世界に先駆けた商業生産で、製造特許を押さえていたため競合が現れず、国産車を中心にタイミングベルトへの採用が急増[117]した。素材の価格は1キログラムあたり5,000円から6,000円[118]で、耐油性特殊ゴム全体でみても汎用のスチレン・ブタジエンゴムの2倍から20倍だった。それでも燃料ホースやタイミングベルトのような重要保安部品では、部品が原因のリコールが何十億円という損失につながる[119]ため、コストより信頼性が優先される。

  • 有価証券報告書
    • [115]1981年8月 加工品事業部門をゼオン化成株式会社として分離・独立
    • [116]1984年4月 高岡工場にて、水素化ニトリルゴムを生産開始
  • 日経ビジネス 1990年8月27日号「日本ゼオン 技術特化で自動車部品の世界制覇もくろむ」
    • [117]1984年に日本ゼオンが世界に先駆けて商業生産に成功した水素化ニトリルゴム。国産車を中心にタイミングベルトへの採用が急増。製造特許をがっちり押さえているため、現状では敵なし
    • [118]素材ベースで1キログラム当たり5000〜6000円する水素化ニトリルゴム。特殊ゴムはSBR比で2〜20倍も高価
    • [119]燃料ホースやタイミングベルトのような「重要保安部品」は対象外。「重保」が原因でリコールが生じれば何十億円という損失につながる
  • 日経ビジネス 1979年12月3日号「新社長登場 大西三良氏(日本ゼオン)」
    • [102]54年6月に第一勧銀出身の島村道彦前社長(現会長)から社長職をバトンタッチ
    • [103]これまでの社長人事はグループからの輸入が続いたが、大西さんの昇格でようやく社員出身のプロパー社長が誕生した
    • [104]17年10月 横浜護謨製造(現横浜ゴム)に入社、19年8月 シンガポールのブキテマ工場長に就任
    • [105]26年3月に設立後間もない日本ゼオンに移る
    • [106]38年3月 企画室長、42年6月 社長室長、43年7月 ゴム事業部長、44年5月 常務、48年5月 専務、49年11月 副社長に就任
    • [107]来年4月に創業30周年を迎える
    • [108]ウチはこの30年間、大体順調にやってきたので精神的に甘くなっている面がある
    • [109]今後の30年間の発展のためには高い目標を立てなければダメです
    • [110]技術力をつけるには不可能と思えるような高い目標を設定し、それに惜しみなく人と金を投入してやることが必要です
    • [111]これから資源のない日本が伸びて行くには技術開発力をつけねばなりません
    • [112]ウチでは重点目標の一つとして天然ゴムにかわる天然合成ゴムの開発に取り組んでいます
    • [113]ハンデ20で満足していると実力が段々落ちて行きます。40か50歳になってプロになれというようなもの
    • [114]でも出来ないことをやらなければ国も企業も食っていけませんから
  • 有価証券報告書
    • [115]1981年8月 加工品事業部門をゼオン化成株式会社として分離・独立
    • [116]1984年4月 高岡工場にて、水素化ニトリルゴムを生産開始
  • 日経ビジネス 1990年8月27日号「日本ゼオン 技術特化で自動車部品の世界制覇もくろむ」
    • [117]1984年に日本ゼオンが世界に先駆けて商業生産に成功した水素化ニトリルゴム。国産車を中心にタイミングベルトへの採用が急増。製造特許をがっちり押さえているため、現状では敵なし
    • [118]素材ベースで1キログラム当たり5000〜6000円する水素化ニトリルゴム。特殊ゴムはSBR比で2〜20倍も高価
    • [119]燃料ホースやタイミングベルトのような「重要保安部品」は対象外。「重保」が原因でリコールが生じれば何十億円という損失につながる

日米欧3極体制を築いた特殊ゴム部門の買収

海外生産へ踏み切る事情は二つあった。1987年にダンピング問題で提訴されて米国へのNBR輸出が止まり[121]、欧州ではEC市場統合を前に現地生産を立ち上げる必要[122]が生じた。米国での買収は6、7年前から検討して数社を候補に挙げていたが決め手を欠いていたところ、B.F.グッドリッチの側から特殊ゴム部門売却の打診があった[123]。1989年3月に英国へZeon Chemicals Europeを設立してBPケミカルズのニトリルゴム部門を買収[124]し、4月1日から業務を始めた。同年9月には米国にZeon Chemicals USAを設立し、翌10月にB.F.グッドリッチの特殊ゴム事業を買い取った[125]。米国では前年7月にZeon Chemicals Texasを設立[126]しており、1990年春には水素化ニトリルゴムの自社プラントがヒューストンで稼働した[127][120]

  • 日経ビジネス 1990年8月27日号「日本ゼオン 技術特化で自動車部品の世界制覇もくろむ」
    • [120]BFグッドリッチの特殊ゴム部門を買収した背景には、87年にダンピング問題で提訴され、米国へのNBR輸出がストップしたという事情もある。欧州の場合はEC市場統合の前に現地生産をスタートさせる必要があった
    • [121]87年にダンピング問題で提訴され、米国へのNBR輸出がストップ
    • [122]欧州はEC市場統合の前に現地生産をスタートさせる必要
    • [123]米国での買収は6、7年前から考えており、具体的な候補として数社を検討。グッドリッチ側から特殊ゴム部門の売却を打診され「渡りに船」と買収に応じた
    • [127]米国ヒューストンに建設中だった水素化ニトリルゴムの自社製造プラントが今春稼働を始めた
  • 有価証券報告書
    • [124]1989年3月 Zeon Chemicals Europe Limitedを英国に設立、英国BP Chemicals社のニトリルゴム部門を買収
    • [125]1989年9月 Zeon Chemicals USA,Inc.を米国に設立。翌月、米国B.F.Goodrich社の特殊ゴム事業を買収
    • [126]1988年7月 Zeon Chemicals Texas Inc.を米国に設立、水素化ニトリルゴムを現地生産

買収の総額は200億円[128]だった。これによりNBRの世界シェアは35%近くとなり、耐油性特殊ゴムで最大手[129]となった。生産能力は日本ゼオンの川崎・高岡・徳山3工場が4万5,000トン、米国のルイビル・ハティスバーグ・ヒューストン3工場が3万4,000トン、英国工場が1万トン[130]で、合計8万9,000トンとなった。1990年3月期の売上高1,180億円に占める合成ゴムの割合は約62%で、耐油性特殊ゴムの売上高はさらにその半分にとどまるものの、経常利益88億円の半分近く[131]を稼いだとみられていた。

  • 日経ビジネス 1990年8月27日号「日本ゼオン 技術特化で自動車部品の世界制覇もくろむ」
    • [128]総額200億円を投じた今回の買収
    • [129]NBRでは世界シェアの35%近くを押さえるトップ企業に躍り出た
    • [130]日本ゼオン 総生産量4万5000トン(川崎・高岡・徳山)、ゼオン・ケミカルズ・USA 総生産量3万4000トン(ルイビル・ハティスバーグ・ヒューストン)、ゼオン・ケミカルズ・ヨーロッパ 総生産量1万トン
    • [131]前3月期の同社の売上高1180億円に占める合成ゴムの割合は約62%。耐油性特殊ゴムの売り上げはさらにその半分だが、利益面では経常利益88億円の半分近くを稼ぎ出していると見られる

汎用品では欧米企業に対抗できないという判断があった。規模でも体力でも劣る日本の化学会社が海外へ出るには用途と機能を絞り込むほかなく[133]、特化するほど市場は小さくなるが、1,000万台単位の自動車市場があれば成り立つ[134]と見ていた。買収した2部門はいずれも本体の事業戦略の変更で冷遇され、設備投資も行われず従業員の士気も落ちていた[135]。かつて資本と技術を仰いだ相手から事業を買い取った[136]ことで、日本ゼオンは出資を受ける側から買う側へ立場を替えた。BPケミカルズもかつてグッドリッチが資本参加していた会社[137]である。ただし米国事業は1990年から1993年まで4年続けて赤字となり、雇用は守るとしていた当初の方針に反して従業員を470人から390人へ減らした[138]。初めて配当を出したのは1996年度で、追加投資を含めた資本の投下は200億円[139]を超えた。 [132]

  • 日経ビジネス 1990年8月27日号「日本ゼオン 技術特化で自動車部品の世界制覇もくろむ」
    • [132]根底にあるのは、欧米企業に比べて規模も体力も劣る日本の化学メーカーが世界に打って出るには、「汎用品で勝負していたのでは駄目」(滝澤社長)という見切りである
    • [133]「汎用品で勝負していたのでは駄目」(滝澤毅社長)。欧米企業に比べ規模も体力も劣る日本の化学メーカーが世界に出るには、用途・機能を絞り込むしかない
    • [134]「1000万台単位のまとまった市場があれば、特化した分野でも十分やっていける」(滝澤毅社長)
    • [135]BFグッドリッチもBPケミカルズも本体の事業戦略変更に伴い特殊ゴム部門は冷遇され、設備投資も行われず従業員の士気も低下しがちだった
    • [136]買収相手となったBFグッドリッチは同社のかつての親会社。一方BPケミカルズは以前グッドリッチが資本参加しており、いずれも日本ゼオンゆかりの企業
    • [137]BFグッドリッチは同社のかつての親会社。BPケミカルズは以前グッドリッチが資本参加しており、"異母兄弟"にあたる
  • 日経ビジネス 1998年9月21日号「日本ゼオン 国際ニッチ戦略で生き残り 特殊ゴム、M&Aで首位固め」
    • [138]特に米国では90年から93年まで赤字が続く。93〜94年には買収当時の「雇用は守る」という公約を破って、従業員数も470人から390人まで削減した
    • [139]追加投資分も含め米、欧合わせて200億円を超える資本投下は同社にとってやや負担が重かった。初の配当は96年度からだった
  • 日経ビジネス 1990年8月27日号「日本ゼオン 技術特化で自動車部品の世界制覇もくろむ」
    • [120]BFグッドリッチの特殊ゴム部門を買収した背景には、87年にダンピング問題で提訴され、米国へのNBR輸出がストップしたという事情もある。欧州の場合はEC市場統合の前に現地生産をスタートさせる必要があった
    • [121]87年にダンピング問題で提訴され、米国へのNBR輸出がストップ
    • [122]欧州はEC市場統合の前に現地生産をスタートさせる必要
    • [123]米国での買収は6、7年前から考えており、具体的な候補として数社を検討。グッドリッチ側から特殊ゴム部門の売却を打診され「渡りに船」と買収に応じた
    • [127]米国ヒューストンに建設中だった水素化ニトリルゴムの自社製造プラントが今春稼働を始めた
    • [128]総額200億円を投じた今回の買収
    • [129]NBRでは世界シェアの35%近くを押さえるトップ企業に躍り出た
    • [130]日本ゼオン 総生産量4万5000トン(川崎・高岡・徳山)、ゼオン・ケミカルズ・USA 総生産量3万4000トン(ルイビル・ハティスバーグ・ヒューストン)、ゼオン・ケミカルズ・ヨーロッパ 総生産量1万トン
    • [131]前3月期の同社の売上高1180億円に占める合成ゴムの割合は約62%。耐油性特殊ゴムの売り上げはさらにその半分だが、利益面では経常利益88億円の半分近くを稼ぎ出していると見られる
    • [132]根底にあるのは、欧米企業に比べて規模も体力も劣る日本の化学メーカーが世界に打って出るには、「汎用品で勝負していたのでは駄目」(滝澤社長)という見切りである
    • [133]「汎用品で勝負していたのでは駄目」(滝澤毅社長)。欧米企業に比べ規模も体力も劣る日本の化学メーカーが世界に出るには、用途・機能を絞り込むしかない
    • [134]「1000万台単位のまとまった市場があれば、特化した分野でも十分やっていける」(滝澤毅社長)
    • [135]BFグッドリッチもBPケミカルズも本体の事業戦略変更に伴い特殊ゴム部門は冷遇され、設備投資も行われず従業員の士気も低下しがちだった
    • [136]買収相手となったBFグッドリッチは同社のかつての親会社。一方BPケミカルズは以前グッドリッチが資本参加しており、いずれも日本ゼオンゆかりの企業
    • [137]BFグッドリッチは同社のかつての親会社。BPケミカルズは以前グッドリッチが資本参加しており、"異母兄弟"にあたる
  • 有価証券報告書
    • [124]1989年3月 Zeon Chemicals Europe Limitedを英国に設立、英国BP Chemicals社のニトリルゴム部門を買収
    • [125]1989年9月 Zeon Chemicals USA,Inc.を米国に設立。翌月、米国B.F.Goodrich社の特殊ゴム事業を買収
    • [126]1988年7月 Zeon Chemicals Texas Inc.を米国に設立、水素化ニトリルゴムを現地生産
  • 日経ビジネス 1998年9月21日号「日本ゼオン 国際ニッチ戦略で生き残り 特殊ゴム、M&Aで首位固め」
    • [138]特に米国では90年から93年まで赤字が続く。93〜94年には買収当時の「雇用は守る」という公約を破って、従業員数も470人から390人まで削減した
    • [139]追加投資分も含め米、欧合わせて200億円を超える資本投下は同社にとってやや負担が重かった。初の配当は96年度からだった

医療分野への進出と塩ビ事業の切離し

多角化の試みは医療分野にも及んだ。東京大学の渥美和彦教授から1980年に共同研究の打診を受け、塩化ビニルペーストを使う補助人工心臓の開発に着手[141]した。同教授はすでに動物実験の段階まで研究を進めていた[142]。1986年に開発へこぎつけて厚生省へ承認を申請したが、症例が60例なければ受け付けられないとして退けられ[143]、症例を集めたうえで1989年3月に再申請し、1990年1月に承認を得た[144]。開発には40億円と10年を要した[145]ものの、補助人工心臓を必要とする患者は年間1万5,000件の心臓手術の1%にも満たず、投資は回収できなかった[146][140]

  • 日経ビジネス 1991年4月15日号「日本ゼオンの体外型ペースメーカー」
    • [140]80年、東京大学の渥美和彦教授からゼオンに「補助人工心臓の共同研究を一緒にやってくれないか」との打診があった
    • [141]80年、東京大学の渥美和彦教授からゼオンに「補助人工心臓の共同研究を一緒にやってくれないか」との打診。渥美教授はゼオンの塩化ビニールペーストを使った人工補助心臓を研究していた
    • [142]渥美教授は、ゼオンの塩化ビニールペーストを使った人工補助心臓を研究しており、すでに動物実験の段階までたどりついていた
    • [143]6年後の86年にようやく開発に成功し、厚生省へ承認申請。厚生省は「症例が60例なければ受け付けられない」と突っぱねた
    • [144]症例を集めるためさらに2年、89年3月に再申請、90年1月に厚生省の承認
    • [145]補助人工心臓の開発には40億円と10年の歳月を費やしている
    • [146]日本全国で1年間に行われる心臓手術は約1万5000件。補助人工心臓を必要とする患者は極めて少なく1%にも満たない。「40億円の投資は回収不可能だった」(木下敬之助取締役)

この技術は別の製品へ転用された。1990年7月、日本企業として初めて体外型ペースメーカーの生産を始めた[148]。心電を測定して機械を作動させる仕組みが補助人工心臓と共通していた[149]ため、実際の開発期間は半年で済んだ。重さ40グラム、価格はカテーテルとのセットで10万円と従来品の5分の1から10分の1[150]に抑えた使い捨て型で、寿命は3日間に限った。ただし病院は装着手術の技術料で採算を取る構造にあり、販売業者が埋め込み型を売るために体外型を無償で病院へ供与している実態[151]もあって、販売は数百台にとどまった[152][147]

  • 日経ビジネス 1991年4月15日号「日本ゼオンの体外型ペースメーカー」
    • [147]ペースメーカーは補助人工心臓の心電測定技術をほとんどそのまま使うことができた。当初は無駄になると思えた40億円の投資がペースメーカーでよみがえった
    • [148]日本ゼオンは1990年7月、日本企業として初めてペースメーカーの生産に乗り出した
    • [149]補助人工心臓とペースメーカーはいずれも患者の心電を測定し心臓の状態に応じて機械を作動させるという共通点があり、ペースメーカーは補助人工心臓の心電測定技術をほとんどそのまま使うことができた。「実際に開発に要したのは半年に過ぎなかった」
    • [150]重さは40グラムと軽い。価格はカテーテルとのセットでこれまでの製品の5分の1から10分の1に当たる10万円に抑えた
    • [151]医師が患者にペースメーカーを取りつける手術では9万円の技術料を健康保険に請求できる。販売業者は埋め込み型のほうが利益が大きく、埋め込み型の販促のため体外型を事実上無償で病院に供与していることが多い
    • [152]販売実績は「数百台程度としか言えない」(木下取締役)

1990年11月には水島工場でシクロオレフィンポリマーのプラントが生産を始めた[153]。1993年6月、中野克彦氏が社長に就任[154]した。1956年に入社し、常務時代には水素化ニトリルゴムの市場開拓を担当して、同じ製品で安値攻勢をかけてきたドイツのバイエルに対抗した[155]経歴を持つ。同年9月中間期の経常損益は19億円の赤字[156]だった。1995年7月には塩ビ事業を切り離し、住友化学、トクヤマとの統合会社である新第一塩ビへ移管[157]した。その後も1996年4月に米沢工場、同年5月にタイ、1997年12月にシンガポールへ拠点を設け[158]、1998年5月にはダウ・ケミカルと低燃費タイヤ向けの合成ゴムで提携した[159]。1997年度は合成ゴム事業が営業利益118億円を稼いだ一方、それ以外の新規事業は売上480億円に対して営業赤字15億円[160]だった。

  • 有価証券報告書
    • [153]1990年11月 水島工場にてシクロオレフィンポリマープラントが生産開始
    • [157]1995年7月 塩ビ事業を切離し、新第一塩ビ株式会社へ移管
    • [158]1996年4月 米沢市に精密化学品の米沢工場を設立。1996年5月 Zeon Chemicals (Thailand) Co., Ltd.をタイに設立。1997年12月 Zeon Asia Pte Ltdをシンガポールに設立
  • 日経ビジネス 1993年10月11日号「新社長登場 中野克彦氏[日本ゼオン]」
    • [154]93年6月社長就任。1933年10月東京都生まれ、56年4月日本ゼオン入社、81年6月取締役、85年6月常務、89年6月専務
    • [155]常務時代に水素化ニトリルゴムという高機能ゴムの市場開拓を担当していたころ、ドイツのバイエルが同じ商品で日本に安値攻勢をかけてきた
    • [156]9月中間期の経常損益は、19億円の赤字と業績は厳しい
  • 日経ビジネス 1998年9月21日号「日本ゼオン 国際ニッチ戦略で生き残り 特殊ゴム、M&Aで首位固め」
    • [159]ゼオンは今年5月、米大手化学会社、ダウ・ケミカルと次世代のタイヤ向け合成ゴムの分野で提携した。新技術で製造すると、より転がり抵抗の少ない低燃費タイヤがつくりやすくなる
    • [160]97年度の連結決算で既存の合成ゴム、合成樹脂を除く事業は売り上げ480億円あったが、営業利益は合成ゴム事業が118億円を稼いだのに対し、新規事業は15億円の赤字だった
  • 日経ビジネス 1991年4月15日号「日本ゼオンの体外型ペースメーカー」
    • [140]80年、東京大学の渥美和彦教授からゼオンに「補助人工心臓の共同研究を一緒にやってくれないか」との打診があった
    • [141]80年、東京大学の渥美和彦教授からゼオンに「補助人工心臓の共同研究を一緒にやってくれないか」との打診。渥美教授はゼオンの塩化ビニールペーストを使った人工補助心臓を研究していた
    • [142]渥美教授は、ゼオンの塩化ビニールペーストを使った人工補助心臓を研究しており、すでに動物実験の段階までたどりついていた
    • [143]6年後の86年にようやく開発に成功し、厚生省へ承認申請。厚生省は「症例が60例なければ受け付けられない」と突っぱねた
    • [144]症例を集めるためさらに2年、89年3月に再申請、90年1月に厚生省の承認
    • [145]補助人工心臓の開発には40億円と10年の歳月を費やしている
    • [146]日本全国で1年間に行われる心臓手術は約1万5000件。補助人工心臓を必要とする患者は極めて少なく1%にも満たない。「40億円の投資は回収不可能だった」(木下敬之助取締役)
    • [147]ペースメーカーは補助人工心臓の心電測定技術をほとんどそのまま使うことができた。当初は無駄になると思えた40億円の投資がペースメーカーでよみがえった
    • [148]日本ゼオンは1990年7月、日本企業として初めてペースメーカーの生産に乗り出した
    • [149]補助人工心臓とペースメーカーはいずれも患者の心電を測定し心臓の状態に応じて機械を作動させるという共通点があり、ペースメーカーは補助人工心臓の心電測定技術をほとんどそのまま使うことができた。「実際に開発に要したのは半年に過ぎなかった」
    • [150]重さは40グラムと軽い。価格はカテーテルとのセットでこれまでの製品の5分の1から10分の1に当たる10万円に抑えた
    • [151]医師が患者にペースメーカーを取りつける手術では9万円の技術料を健康保険に請求できる。販売業者は埋め込み型のほうが利益が大きく、埋め込み型の販促のため体外型を事実上無償で病院に供与していることが多い
    • [152]販売実績は「数百台程度としか言えない」(木下取締役)
  • 有価証券報告書
    • [153]1990年11月 水島工場にてシクロオレフィンポリマープラントが生産開始
    • [157]1995年7月 塩ビ事業を切離し、新第一塩ビ株式会社へ移管
    • [158]1996年4月 米沢市に精密化学品の米沢工場を設立。1996年5月 Zeon Chemicals (Thailand) Co., Ltd.をタイに設立。1997年12月 Zeon Asia Pte Ltdをシンガポールに設立
  • 日経ビジネス 1993年10月11日号「新社長登場 中野克彦氏[日本ゼオン]」
    • [154]93年6月社長就任。1933年10月東京都生まれ、56年4月日本ゼオン入社、81年6月取締役、85年6月常務、89年6月専務
    • [155]常務時代に水素化ニトリルゴムという高機能ゴムの市場開拓を担当していたころ、ドイツのバイエルが同じ商品で日本に安値攻勢をかけてきた
    • [156]9月中間期の経常損益は、19億円の赤字と業績は厳しい
  • 日経ビジネス 1998年9月21日号「日本ゼオン 国際ニッチ戦略で生き残り 特殊ゴム、M&Aで首位固め」
    • [159]ゼオンは今年5月、米大手化学会社、ダウ・ケミカルと次世代のタイヤ向け合成ゴムの分野で提携した。新技術で製造すると、より転がり抵抗の少ない低燃費タイヤがつくりやすくなる
    • [160]97年度の連結決算で既存の合成ゴム、合成樹脂を除く事業は売り上げ480億円あったが、営業利益は合成ゴム事業が118億円を稼いだのに対し、新規事業は15億円の赤字だった

2000年〜 創業事業の塩ビ撤退と高機能材料への組み替え(2000〜2026)

日本ゼオンの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2000年 塩化ビニル事業の新第一塩ビへの移管と、水島工場での生産打ち切りによる祖業からの撤退 社名の由来となった祖業を、いつ、どの順序で手放すか——設備過剰が解けない業界での離脱
  2. 2001年 光学フィルム工場としてオプテス高岡製造所が完成
  3. 2003年 会社分割でDCPD-RIM事業部門をRIMTECへ譲渡
  4. 2005年 本社を千代田区丸の内の現在地に移転
  5. 2015年 徳山工場にカーボンナノチューブ製造プラントが竣工
  6. 2017年 住友化学とのS-SBR統合会社ZSエラストマーが営業開始
  7. 2024年 住友化学とのS-SBR合弁を解消しZSエラストマーを吸収合併

50年続けた塩ビからの撤退と光学フィルムへの投資

2000年3月、水島工場での塩ビ生産を打ち切って塩ビ事業から撤退[161]した。創業以来の主力事業を50年で手放した。1950年の設立は塩化ビニル樹脂の国産化そのものが目的であり、社名も導入先の商標に由来していた。塩ビ業界では1995年に日本ゼオン、住友化学、トクヤマによる新第一塩ビが、1996年に東ソー、三井化学、電気化学による大洋塩ビが事業統合会社として発足[163]していたが、国内需要の縮小で過剰は解消しなかった。統合各社と上位企業との収益力の差はかえって広がり、2001年度に新第一塩ビは20億円弱の営業赤字[164]を計上した。 [162]

  • 有価証券報告書
    • [161]2000年3月 水島工場での塩ビ生産を打ち切り、塩ビ事業から撤退
  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月「日本ゼオンの現状と将来」
    • [162]当社は昭和25年に、古河電気工業、日本軽金属、横浜ゴムの3社の資本と米国B.F.グッドリッチ・ケミカル社の資本・技術の参加のもとに、わが国初の塩化ビニールの生産を目的として設立された
  • 週刊東洋経済 1999年9月4日号「過剰 三菱化学、東亞合成の事業統合でも道半ば 塩ビの見えない終着点」
    • [163]塩ビ業界では事業統合会社として、95年に新第一塩ビ(日本ゼオン、住友化学、トクヤマ)、96年に大洋塩ビ(東ソー、三井化学、電気化学)が発足した
  • 週刊東洋経済 2002年8月10日号「化学業界 国内需要縮小で始まった"生き残り再編"第2幕」
    • [164]一位企業と四位以下のヴイテック、新第一塩ビなどとの収益力格差は拡大している。前01年度に新第一塩ビは二〇億円弱の営業赤字

塩ビに代わる柱として光学フィルムに投資した。2000年7月に東京材料を中核商社としてグループに入れ[166]、2001年12月にはオプテスの高岡製造所[167]を建てている。2003年6月に古河直純氏が社長に就任[168]し、同年9月には会社分割でDCPD-RIM事業部門をRIMTECへ譲渡[169]した。2005年3月には本社を千代田区丸の内の現在地へ移した[170]。光学フィルムの拠点は2007年9月に富山県氷見市の氷見製造所、2013年3月に福井県敦賀市の敦賀製造所と広がった[171]。2019年4月にはオプテスから佐野工場を分社化してゼオンオプトバイオラボを設立し、2022年1月にはオプテスとゼオンナノテクノロジーを吸収合併[172]している。 [165]

  • 有価証券報告書
    • [165]2000年7月 東京材料株式会社を中核商社として、グループ会社化。2001年12月 光学フィルムの工場として、株式会社オプテス高岡製造所完成
    • [166]2000年7月 東京材料株式会社を中核商社として、グループ会社化
    • [167]2001年12月 光学フィルムの工場として、株式会社オプテス高岡製造所完成
    • [168]古河直純は平成15年6月に当社取締役社長に就任
    • [169]2003年9月 会社分割によりDCPD-RIM事業部門をRIMTEC株式会社に譲渡
    • [170]2005年3月 本社を現住所に移転
    • [171]2007年9月 富山県氷見市に光学フィルム工場として、株式会社オプテス氷見製造所完成。2013年3月 福井県敦賀市に光学フィルム工場として、株式会社オプテス敦賀製造所完成
    • [172]2019年4月 株式会社オプテスから佐野工場を分社化し、ゼオンオプトバイオラボ株式会社を設立。2022年1月 株式会社オプテス、ゼオンナノテクノロジー株式会社を吸収合併

連結の売上高は2002年3月期の1,912億円から2008年3月期には3,029億円[173]まで伸びた。撤退の負担が残る2002年3月期の当期純利益は0.3億円にとどまった[174]。ただし金融危機の影響で2009年3月期の経常利益は38億円へ落ち込み、2010年3月期の売上高は2,259億円[175]まで下がった。その後は2011年3月期に売上高2,704億円、経常利益336億円[176]へ戻した。塩ビを手放した時点の主力は合成ゴム[177]で、光学フィルムとシクロオレフィンポリマーを含む高機能材料が売上を伸ばすのは、これ以降である。

  • 有価証券報告書
    • [173]2002年3月期 連結売上高191,168百万円、2008年3月期 連結売上高302,9億円台
    • [174]2002年3月期 連結の親会社株主に帰属する当期純利益28百万円
    • [175]2009年3月期 連結経常利益38億円、2010年3月期 連結売上高2,259億円
    • [176]2011年3月期 連結売上高2,704億円、連結経常利益336億円
  • 日経ビジネス 1998年9月21日号「日本ゼオン 国際ニッチ戦略で生き残り 特殊ゴム、M&Aで首位固め」
    • [177]97年度の連結決算で営業利益は合成ゴム事業が118億円を稼いだのに対し、既存の合成ゴム、合成樹脂を除く新規事業は15億円の赤字だった
  • 有価証券報告書
    • [161]2000年3月 水島工場での塩ビ生産を打ち切り、塩ビ事業から撤退
    • [165]2000年7月 東京材料株式会社を中核商社として、グループ会社化。2001年12月 光学フィルムの工場として、株式会社オプテス高岡製造所完成
    • [166]2000年7月 東京材料株式会社を中核商社として、グループ会社化
    • [167]2001年12月 光学フィルムの工場として、株式会社オプテス高岡製造所完成
    • [168]古河直純は平成15年6月に当社取締役社長に就任
    • [169]2003年9月 会社分割によりDCPD-RIM事業部門をRIMTEC株式会社に譲渡
    • [170]2005年3月 本社を現住所に移転
    • [171]2007年9月 富山県氷見市に光学フィルム工場として、株式会社オプテス氷見製造所完成。2013年3月 福井県敦賀市に光学フィルム工場として、株式会社オプテス敦賀製造所完成
    • [172]2019年4月 株式会社オプテスから佐野工場を分社化し、ゼオンオプトバイオラボ株式会社を設立。2022年1月 株式会社オプテス、ゼオンナノテクノロジー株式会社を吸収合併
    • [173]2002年3月期 連結売上高191,168百万円、2008年3月期 連結売上高302,9億円台
    • [174]2002年3月期 連結の親会社株主に帰属する当期純利益28百万円
    • [175]2009年3月期 連結経常利益38億円、2010年3月期 連結売上高2,259億円
    • [176]2011年3月期 連結売上高2,704億円、連結経常利益336億円
  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月「日本ゼオンの現状と将来」
    • [162]当社は昭和25年に、古河電気工業、日本軽金属、横浜ゴムの3社の資本と米国B.F.グッドリッチ・ケミカル社の資本・技術の参加のもとに、わが国初の塩化ビニールの生産を目的として設立された
  • 週刊東洋経済 1999年9月4日号「過剰 三菱化学、東亞合成の事業統合でも道半ば 塩ビの見えない終着点」
    • [163]塩ビ業界では事業統合会社として、95年に新第一塩ビ(日本ゼオン、住友化学、トクヤマ)、96年に大洋塩ビ(東ソー、三井化学、電気化学)が発足した
  • 週刊東洋経済 2002年8月10日号「化学業界 国内需要縮小で始まった"生き残り再編"第2幕」
    • [164]一位企業と四位以下のヴイテック、新第一塩ビなどとの収益力格差は拡大している。前01年度に新第一塩ビは二〇億円弱の営業赤字
  • 日経ビジネス 1998年9月21日号「日本ゼオン 国際ニッチ戦略で生き残り 特殊ゴム、M&Aで首位固め」
    • [177]97年度の連結決算で営業利益は合成ゴム事業が118億円を稼いだのに対し、既存の合成ゴム、合成樹脂を除く新規事業は15億円の赤字だった

カーボンナノチューブと電池材料への展開

2013年6月、田中公章氏が社長に就任[178]した。同年3月には塗料メーカーのトウペを公開買付けにより子会社化[179]した。2015年11月には徳山工場にカーボンナノチューブの製造プラントを竣工[180]した。産業技術総合研究所が大量生産法を開発したことで実現したもので、それまで導電助剤など用途の限られていた素材の量産ライン[181]が稼働した。蓄電装置やタイヤ向けの採用[182]が見込まれた。2017年10月には米国にZeon Specialty Materialsを設立し、翌年1月から営業を始めた[183]。田中社長は2023年6月まで10年にわたってその職にあった[184]

  • 有価証券報告書
    • [178]田中公章は平成25年6月に当社取締役社長に就任
    • [179]2013年3月 株式会社トウペを公開買付けにより子会社化
    • [180]2015年11月 徳山工場にカーボンナノチューブ製造プラントを竣工
    • [183]2017年10月 Zeon Specialty Materials Inc.を米国に設立。2018年1月、営業開始
    • [184]田中公章は平成25年6月に当社取締役社長に就任。豊嶋哲也は2023年6月に当社取締役社長に就任
  • 週刊東洋経済 2015年11月27日号「投資の視点 次世代繊維 軽くて強い"夢の新素材"」
    • [181]導電助剤など用途先が限られてきた。しかし、産業技術総合研究所が大量生産法を開発。日本ゼオン徳山工場の量産ラインが今年11月に稼働を開始した
    • [182]日本ゼオン徳山工場の量産ラインが今年11月に稼働を開始した。今後は蓄電装置やタイヤの最先端部材などに用途が広がりそうだ

合成ゴムでは他社との共同事業に踏み込んだ。2017年4月、住友化学とS-SBR事業を経営統合してZSエラストマーが営業を開始[186]した。低燃費タイヤ向けのソリューションSBRは各社が能力を増やしていた製品で、日本ゼオンと旭化成はいずれもシンガポールで新工場を稼働[187]させていた。ただしこの統合は7年で終わり、2024年9月に住友化学との合弁を解消し、同年10月にZSエラストマーを吸収合併した[188]。アジアの拠点は2010年12月のシンガポールでの生産会社設立に続き、2011年の韓国と中国、2012年のベトナム、2015年のインド[189]へと広がった。 [185]

  • 有価証券報告書
    • [185]2017年4月 ZSエラストマー株式会社が営業開始。住友化学株式会社とS-SBR事業を経営統合
    • [186]2017年4月 ZSエラストマー株式会社が営業開始。住友化学株式会社とS-SBR事業を経営統合
    • [188]2024年10月 住友化学株式会社とのS-SBR事業合弁解消(2024年9月)、ZSエラストマー株式会社を吸収合併
    • [189]2010年12月 Zeon Chemicals Singapore、2011年2月 Zeon Korea、2011年7月 瑞翁(上海)管理有限公司、2012年2月 Zeon Manufacturing Vietnam、2015年7月 Zeon India を設立
  • 週刊東洋経済 2014年12月19日号「2015年大予測 化学 エチレンなど需給改善」
    • [187]低燃費タイヤ用の合成ゴム(ソリューションSBR)。JSRがタイで、日本ゼオンと旭化成がシンガポールで新工場を稼働させている

営業利益は2022年3月期に444億円へ達し、連結売上高3,617億円、当期純利益334億円[190]を記録した。ところが翌2023年3月期の営業利益は272億円、2024年3月期は205億円[191]まで落ちた。エラストマー素材の押し下げの主因は化成品で、水島工場の定期修繕による固定費の増加と、新型コロナウイルス下で伸びた電子商取引向け粘着剤の需要が反動で落ちたことが重なった[192]。エラストマー素材事業の営業利益は前年比で35億円減った[193]。高機能材料も2023年3月期の183億円から2024年3月期は132億円へ減り[194]、両事業がそろって落ちた。

  • 有価証券報告書
    • [190]2022年3月期 連結売上高3,617億円、営業利益444億円、当期純利益334億円
    • [191]2023年3月期 連結営業利益272億円、2024年3月期 連結営業利益205億円
    • [194]高機能材料事業のセグメント利益は2023年3月期18,296百万円、2024年3月期13,241百万円
  • 日本ゼオン アナリスト向け決算説明会 主な質疑応答記録(2024年4月25日)
    • [192]2023年度の化成品事業の業績悪化の要因は2つ。1つ目は主力の水島工場の定期修繕があったため前年度比で固定費が増えた点。2つ目は新型コロナウイルスによるe-コマース向けの粘着剤の需要増の反動により世界中での需要が弱かった点
    • [193]エラストマー素材事業全体の営業利益は前年比で35億円減少したが、押し下げの主要因は化成品である
  • 有価証券報告書
    • [178]田中公章は平成25年6月に当社取締役社長に就任
    • [179]2013年3月 株式会社トウペを公開買付けにより子会社化
    • [180]2015年11月 徳山工場にカーボンナノチューブ製造プラントを竣工
    • [183]2017年10月 Zeon Specialty Materials Inc.を米国に設立。2018年1月、営業開始
    • [184]田中公章は平成25年6月に当社取締役社長に就任。豊嶋哲也は2023年6月に当社取締役社長に就任
    • [185]2017年4月 ZSエラストマー株式会社が営業開始。住友化学株式会社とS-SBR事業を経営統合
    • [186]2017年4月 ZSエラストマー株式会社が営業開始。住友化学株式会社とS-SBR事業を経営統合
    • [188]2024年10月 住友化学株式会社とのS-SBR事業合弁解消(2024年9月)、ZSエラストマー株式会社を吸収合併
    • [189]2010年12月 Zeon Chemicals Singapore、2011年2月 Zeon Korea、2011年7月 瑞翁(上海)管理有限公司、2012年2月 Zeon Manufacturing Vietnam、2015年7月 Zeon India を設立
    • [190]2022年3月期 連結売上高3,617億円、営業利益444億円、当期純利益334億円
    • [191]2023年3月期 連結営業利益272億円、2024年3月期 連結営業利益205億円
    • [194]高機能材料事業のセグメント利益は2023年3月期18,296百万円、2024年3月期13,241百万円
  • 週刊東洋経済 2015年11月27日号「投資の視点 次世代繊維 軽くて強い"夢の新素材"」
    • [181]導電助剤など用途先が限られてきた。しかし、産業技術総合研究所が大量生産法を開発。日本ゼオン徳山工場の量産ラインが今年11月に稼働を開始した
    • [182]日本ゼオン徳山工場の量産ラインが今年11月に稼働を開始した。今後は蓄電装置やタイヤの最先端部材などに用途が広がりそうだ
  • 週刊東洋経済 2014年12月19日号「2015年大予測 化学 エチレンなど需給改善」
    • [187]低燃費タイヤ用の合成ゴム(ソリューションSBR)。JSRがタイで、日本ゼオンと旭化成がシンガポールで新工場を稼働させている
  • 日本ゼオン アナリスト向け決算説明会 主な質疑応答記録(2024年4月25日)
    • [192]2023年度の化成品事業の業績悪化の要因は2つ。1つ目は主力の水島工場の定期修繕があったため前年度比で固定費が増えた点。2つ目は新型コロナウイルスによるe-コマース向けの粘着剤の需要増の反動により世界中での需要が弱かった点
    • [193]エラストマー素材事業全体の営業利益は前年比で35億円減少したが、押し下げの主要因は化成品である

汎用ゴムの縮小と資本効率の見直し

2023年6月、豊嶋哲也氏が社長に就任[195]した。1989年4月の入社で、2013年1月に高機能樹脂・部材事業部長、2015年6月に執行役員、2020年6月に総合開発センター長[196]として常務執行役員を務めた。汎用ゴムについては、コストリーダーシップを取れない製品を見直して事業構成を変える方針[197]を掲げ、2026年度から徳山工場のエラストマー製造設備の60%を段階的に停止することを決めた。停止はE-SBRのラインから始める。一方で化成品はC5事業全体のモノマーバランスを決める事業と位置づけ、やめる選択肢は持たないとして、コスト低減と組織の見直しに着手[199]した。 [198]

  • 有価証券報告書
    • [195]豊嶋哲也は2023年6月 当社取締役社長(現任)
    • [196]豊嶋哲也 1989年4月 当社入社、2013年1月 高機能樹脂・部材事業部長、2015年6月 執行役員、2020年6月 常務執行役員 総合開発センター長
  • 日本ゼオン アナリスト向け決算説明会 主な質疑応答記録(2024年4月25日)
    • [197]汎用ゴムは足元で市況が回復しているが、コストリーダーシップを取れない製品については見直し、ポートフォリオを変えていくという基本方針は変わらない
    • [199]化成品事業は当社のC5事業全体のモノマーバランスを司る主軸事業であり、事業をやめる選択肢は今のところ持っていない。当社の自助努力で出来るコストダウン、および事業の在り方、組織の在り方等も含め、すでに改革に一部着手しつつある
  • 日本ゼオン アナリスト向け決算説明会 主な質疑応答記録(2024年10月28日)
    • [198]徳山工場のエラストマー製造設備の60%を停止することになる。2026年度以降、段階的に停止していくが、合成ゴムについてはE-SBRのラインから停止していく

高機能材料では投資を続けた。55インチ以上の大型テレビ向け位相差フィルムは事実上の標準[201]となっており、山口県の周南地区にシクロオレフィンポリマーの新プラントを2028年度の稼働で建設[202]し、川崎の共創イノベーション施設は2026年度の稼働を予定する。2020年10月には敦賀工場へ大型テレビ用光学フィルムの新規ラインが竣工し、2024年3月には高岡工場にシクロオレフィンポリマーのリサイクルプラント[203]を建てた。2024年1月の能登半島地震では氷見の光学フィルム工場が被災し、営業利益で約4億円、当期純利益で約18億円の影響[204]が出た。電池材料では中国で主流となったLFP系電池向けを現地生産へ移し、負極用バインダーの技術を珠海辰玉新材料科技へライセンス[205]し、合弁会社が中国国内で販売した。 [200]

  • 日本ゼオン アナリスト向け決算説明会 主な質疑応答記録(2024年10月28日)
    • [200]当社の位相差フィルムがデファクトスタンダードとなっている55インチ以上の大型TVの生産台数は将来的に増加すると見込んでいる
    • [201]当社の位相差フィルムがデファクトスタンダードとなっている55インチ以上の大型TVの生産台数は将来的に増加すると見込んでいる
  • 日本ゼオン アナリスト向け決算説明会 主な質疑応答記録(2025年4月25日)
    • [202]周南地区におけるCOP新プラントの稼働開始は2028年度
    • [205]珠海辰玉新材料科技有限公司に対して負極用バインダーの技術ライセンスを行い、合弁会社が中国国内市場で販売する。中国ではLFP系電池が主流になってきており、そちら向けには中国現地での生産化を行う
  • 有価証券報告書
    • [203]2020年10月 敦賀工場に大型TV用光学フィルム新規ライン竣工。2024年3月 高岡工場においてシクロオレフィンポリマー(COP)のリサイクルプラントを竣工
  • 日本ゼオン アナリスト向け決算説明会 主な質疑応答記録(2024年4月25日)
    • [204]地震影響は、光学フィルムを中心に影響が出ており、営業利益ベースで約4億円、当期純利益ベースで約18億円の影響

資本市場への対応も課題になった。経営陣はPBRが1倍を割る株価を問題と捉え[207]、2024年5月から100億円を枠とする自己株式の取得に入り、同年10月には枠を200億円へ広げた[208]。2024年度は配当性向が70%を超え、総還元性向は100%を超えた[209]。自社が持つ他社株式の縮減も前倒しで進め[210]、2024年3月期には投資有価証券売却益255億円を計上して、営業利益205億円を上回る当期純利益311億円[211]を確保した。株主の側でも変化が起きた。設立母体である横浜ゴムの持株比率は2022年3月期の10.59%から2024年3月期には3.61%へ下がり、2025年3月期には上位10位から外れた[213]。2025年3月期の売上高は4,206億円、営業利益は293億円[214]で、翌2026年3月期は売上高4,120億円、営業利益364億円、当期純利益362億円となった。 [206][212]

  • 日本ゼオン アナリスト向け決算説明会 主な質疑応答記録(2024年4月25日)
    • [206]現経営陣は、PBR1倍割れと現状の株価は問題と考えており、昨年出した財務戦略のさらなる磨き上げも検討している
    • [207]現経営陣は、PBR1倍割れと現状の株価は問題と考えており、昨年出した財務戦略のさらなる磨き上げも検討している
    • [208]取締役会決議による自己株式の取得枠100億円、取得期間2024年5月7日から。2024年10月28日に200億円へ増枠
    • [210]政策保有株式の縮減も前倒しで進めてきている
  • 日本ゼオン アナリスト向け決算説明会 主な質疑応答記録(2024年10月28日)
    • [209]今回配当予想を大きく引き上げた結果、今期の配当性向は70%を超え、総還元性向は100%を超える
  • 有価証券報告書
    • [211]2024年3月期 連結 特別利益の投資有価証券売却益25,506百万円、営業利益20,500百万円、親会社株主に帰属する当期純利益31,101百万円
    • [212]横浜ゴム株式会社の持株比率は2022年3月期10.59%、2024年3月期3.61%、2025年3月期は大株主上位10名に記載なし
    • [213]横浜ゴム株式会社の持株比率 FY21(2022/3)10.59%、FY23(2024/3)3.61%、FY24(2025/3)上位10名に記載なし
    • [214]2025年3月期 連結売上高4,206億円、営業利益293億円
  • 有価証券報告書
    • [195]豊嶋哲也は2023年6月 当社取締役社長(現任)
    • [196]豊嶋哲也 1989年4月 当社入社、2013年1月 高機能樹脂・部材事業部長、2015年6月 執行役員、2020年6月 常務執行役員 総合開発センター長
    • [203]2020年10月 敦賀工場に大型TV用光学フィルム新規ライン竣工。2024年3月 高岡工場においてシクロオレフィンポリマー(COP)のリサイクルプラントを竣工
    • [211]2024年3月期 連結 特別利益の投資有価証券売却益25,506百万円、営業利益20,500百万円、親会社株主に帰属する当期純利益31,101百万円
    • [212]横浜ゴム株式会社の持株比率は2022年3月期10.59%、2024年3月期3.61%、2025年3月期は大株主上位10名に記載なし
    • [213]横浜ゴム株式会社の持株比率 FY21(2022/3)10.59%、FY23(2024/3)3.61%、FY24(2025/3)上位10名に記載なし
    • [214]2025年3月期 連結売上高4,206億円、営業利益293億円
  • 日本ゼオン アナリスト向け決算説明会 主な質疑応答記録(2024年4月25日)
    • [197]汎用ゴムは足元で市況が回復しているが、コストリーダーシップを取れない製品については見直し、ポートフォリオを変えていくという基本方針は変わらない
    • [199]化成品事業は当社のC5事業全体のモノマーバランスを司る主軸事業であり、事業をやめる選択肢は今のところ持っていない。当社の自助努力で出来るコストダウン、および事業の在り方、組織の在り方等も含め、すでに改革に一部着手しつつある
    • [204]地震影響は、光学フィルムを中心に影響が出ており、営業利益ベースで約4億円、当期純利益ベースで約18億円の影響
    • [206]現経営陣は、PBR1倍割れと現状の株価は問題と考えており、昨年出した財務戦略のさらなる磨き上げも検討している
    • [207]現経営陣は、PBR1倍割れと現状の株価は問題と考えており、昨年出した財務戦略のさらなる磨き上げも検討している
    • [208]取締役会決議による自己株式の取得枠100億円、取得期間2024年5月7日から。2024年10月28日に200億円へ増枠
    • [210]政策保有株式の縮減も前倒しで進めてきている
  • 日本ゼオン アナリスト向け決算説明会 主な質疑応答記録(2024年10月28日)
    • [198]徳山工場のエラストマー製造設備の60%を停止することになる。2026年度以降、段階的に停止していくが、合成ゴムについてはE-SBRのラインから停止していく
    • [200]当社の位相差フィルムがデファクトスタンダードとなっている55インチ以上の大型TVの生産台数は将来的に増加すると見込んでいる
    • [201]当社の位相差フィルムがデファクトスタンダードとなっている55インチ以上の大型TVの生産台数は将来的に増加すると見込んでいる
    • [209]今回配当予想を大きく引き上げた結果、今期の配当性向は70%を超え、総還元性向は100%を超える
  • 日本ゼオン アナリスト向け決算説明会 主な質疑応答記録(2025年4月25日)
    • [202]周南地区におけるCOP新プラントの稼働開始は2028年度
    • [205]珠海辰玉新材料科技有限公司に対して負極用バインダーの技術ライセンスを行い、合弁会社が中国国内市場で販売する。中国ではLFP系電池が主流になってきており、そちら向けには中国現地での生産化を行う

日本ゼオンの沿革1950〜2024年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
B.F.グッドリッチ・ケミカルとの合弁による日本ゼオンの設立と塩化ビニル樹脂の国産化自前の技術で育てるか、外国技術を丸ごと買うか——塩ビ18社の反対を押しての合弁 詳細を読む★★★
蒲原工場完成、塩化ビニル樹脂の生産開始
高岡工場完成、塩化ビニル樹脂の生産開始
川崎工場完成、合成ゴムの生産開始と中央研究所開設★★★
東京証券取引所に上場
徳山工場完成、自社技術GPB法によるブタジエンの生産開始★★
塩化ビニル樹脂の生産合理化のため蒲原工場を閉鎖
水島工場完成、塩化ビニル樹脂の生産開始
水島工場に自社技術GPI法のイソプレン抽出プラント完成★★
加工品事業部門をゼオン化成として分離・独立
高岡工場で水素化ニトリルゴムの生産開始★★
米国にZeon Chemicals Texasを設立し現地生産開始
英国BP Chemicalsのニトリルゴム部門を買収★★
英BPケミカルズと米B.F.グッドリッチの特殊ゴム部門の取得、日米欧3極生産体制の構築汎用品で戦うか、小さな市場に特化して世界を取るか——ダンピング提訴で輸出を絶たれた米国への再進出 詳細を読む★★★
水島工場でシクロオレフィンポリマーの生産開始★★★
中野克彦塩ビ事業を切離し新第一塩ビへ移管★★
中野克彦米沢市に精密化学品の米沢工場を設立
中野克彦塩化ビニル事業の新第一塩ビへの移管と、水島工場での生産打ち切りによる祖業からの撤退社名の由来となった祖業を、いつ、どの順序で手放すか——設備過剰が解けない業界での離脱 詳細を読む★★★
中野克彦光学フィルム工場としてオプテス高岡製造所が完成★★
古河直純会社分割でDCPD-RIM事業部門をRIMTECへ譲渡
古河直純本社を千代田区丸の内の現在地に移転
古河直純富山県氷見市にオプテス氷見製造所が完成
古河直純シンガポールにZeon Chemicals Singaporeを設立
古河直純ベトナムにZeon Manufacturing Vietnamを設立
田中公章トウペを公開買付けにより子会社化
田中公章福井県敦賀市にオプテス敦賀製造所が完成
田中公章徳山工場にカーボンナノチューブ製造プラントが竣工★★
田中公章住友化学とのS-SBR統合会社ZSエラストマーが営業開始★★
田中公章英国のZeon Chemicals Europeを清算
田中公章敦賀工場に大型テレビ用光学フィルムのラインが竣工
田中公章米国のAurora Microplatesを買収
田中公章東京証券取引所の市場区分見直しでプライム市場へ移行
豊嶋哲也米国のEdge Embossingを買収
豊嶋哲也高岡工場にCOPのリサイクルプラントが竣工
豊嶋哲也住友化学とのS-SBR合弁を解消しZSエラストマーを吸収合併★★
出典・参考
  • 有価証券報告書
  • 日本産業史(日経文庫)第2巻(日本経済新聞社、1994年)「繊維-"不死鳥"よみがえる」
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本ゼオン」
  • 日本軽金属二十年史(1959年)「日本ゼオンの設立」
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本ゼオン」
  • 証券アナリストジャーナル 1971年2月「日本ゼオンの現状と将来」
  • 日本産業史(日経文庫)第2巻(日本経済新聞社、1994年)「エネルギー産業-石油と電力の結婚」
  • 日経ビジネス 1979年12月3日号「新社長登場 大西三良氏(日本ゼオン)」
  • 日経ビジネス 1990年8月27日号「日本ゼオン 技術特化で自動車部品の世界制覇もくろむ」
  • 日経ビジネス 1998年9月21日号「日本ゼオン 国際ニッチ戦略で生き残り 特殊ゴム、M&Aで首位固め」
  • 日経ビジネス 1991年4月15日号「日本ゼオンの体外型ペースメーカー」
  • 日経ビジネス 1993年10月11日号「新社長登場 中野克彦氏[日本ゼオン]」
  • 週刊東洋経済 1999年9月4日号「過剰 三菱化学、東亞合成の事業統合でも道半ば 塩ビの見えない終着点」
  • 週刊東洋経済 2002年8月10日号「化学業界 国内需要縮小で始まった"生き残り再編"第2幕」
  • 週刊東洋経済 2015年11月27日号「投資の視点 次世代繊維 軽くて強い"夢の新素材"」
  • 週刊東洋経済 2014年12月19日号「2015年大予測 化学 エチレンなど需給改善」
  • 日本ゼオン アナリスト向け決算説明会 主な質疑応答記録(2024年4月25日)
  • 日本ゼオン アナリスト向け決算説明会 主な質疑応答記録(2024年10月28日)
  • 日本ゼオン アナリスト向け決算説明会 主な質疑応答記録(2025年4月25日)

免責事項およびポリシー