日本ゼオン 英BPケミカルズ特殊ゴム買収 米社の同事業取得と併せた日米欧3極生産体制の構築

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時期 1989年3月
論点 海外生産体制と事業の特化
何をなぜ決めたか
概要

1989年、日本ゼオンが英BPケミカルズのニトリルゴム部門と米B.F.グッドリッチの特殊ゴム事業を総額200億円で相次いで買収し、耐油性特殊ゴムで日米欧3極の生産体制を構築した経営判断。

背景

1987年のダンピング提訴で米国向けのNBR輸出が止まり、欧州もEC市場統合を控えて現地生産が要る状況にあった。汎用品では欧米大手に対し競争劣位に立つという滝澤毅社長の見切りが前提にあった。

内容

1989年3月にZeon Chemicals Europeを英国に設立してBPケミカルズのニトリルゴム部門を買収、9月にZeon Chemicals USAを設立し翌10月にグッドリッチの特殊ゴム事業を買収した。日米欧の年産能力は合計8万9,000トンとなり、NBRで世界シェア35%近くの首位に立った。

含意

買収相手のB.F.グッドリッチは日本ゼオンのかつての親会社、BPケミカルズもグッドリッチが資本参加していた企業であった。買収後の米国事業は1990年から1993年まで赤字が続き、品質と従業員教育の立て直しに時間を要した。

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筆者の見解
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小さな市場を取るために、大きな金額を払う

買収に投じた200億円は、当時の日本ゼオンの経常利益88億円の2倍を超える。それでも滝澤毅社長は参入に踏み切った。汎用品で勝負しても勝てないという見切りと、1,000万台単位の需要を押さえれば特化分野でも事業として立つという持論は、同じ判断の表と裏である。その判断のもとでは、耐油性特殊ゴムの市場が小さいことは弱みではなく、むしろ入り込める条件と映っていた。NBRの世界総生産量は汎用SBRの14分の1しかなく、この大きさなら欧米の大手が本腰を入れて取りに来ることはない。

ただし、買収後の出費は、買収前に見込んだ枠に収まらなかった。滝澤毅社長は、体質の転換には4、5年かかると見ていた。実際には米国事業は1990年から1993年まで赤字で、見込んだ期間はそのまま赤字の年月になった。その間にサービスセンターの設立と設備更新が重なり、資本投下額は200億円を上回っている。雇用を維持するとしていた約束は1993年から翌年にかけて取り下げられ、従業員は470人から390人に減った。買うかどうかの判断と、買った工場を作り直す費用は、分けて見積もるべきものだった。

Yutaka Sugiura, 2026年8月

業績の推移
同じ問いに直面した会社

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買収による現地生産の獲得1989年大塚HD経営権の取得による健康食品ブランド「ネイチャーメイド」の獲得国際化と事業の多角化
1990年日本精工現地最大の軸受メーカーの取り込みと、中国・ポーランドへの生産拠点の設置欧州事業の規模と世界順位
1990年アンリツ米国拠点の取り込みによる計測器事業のグローバル化への踏み出し国内依存からの脱却と海外計測ビジネスの足場づくり
2001年ニッスイ1億7500万ドルで米国首位ブランドを買った前例なき北米進出輸出中心の海外戦略と現地ブランド保有
1977年日本ガイシ欧州生産拠点NGKボドゥールの発足による現地生産体制の獲得欧州市場への参入と海外現地生産
技術優位を軸とした選択と集中2009年ジェイテクト2期連続赤字のさなかに踏み切った同業からの事業買収軸受事業の品揃えとグローバル生産体制
2017年高砂熱学工業空調専業としての「熱学」特化とクリーンルーム技術の内製化事業領域の特化と技術の内製化
1993年第一製薬自社開発の合成抗菌剤による、輸出を通じた海外売上の拡大新薬の創出と海外展開
1994年イビデン勝負どころを一顧客に絞り込んだプロジェクトへの経営資源の一点集中事業転換と資源集中
1984年東京応化工業塩化ビニールなど大型市場への不参入と、狭い分野への資源の絞り込み事業領域の絞り込みと研究開発費の配分
参考文献
出典・参考
  • 日経ビジネス 1990年8月27日号
  • 日経ビジネス 1993年10月11日号
  • 日経ビジネス 1998年9月21日号
  • 日本ゼオン 有価証券報告書【沿革】

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