決断
鉱石を自前の船で運び、運賃を自社で握ることで採算を立て直した会社である。1922年に八幡製鉄所への納入価格は1トン25円から12円50銭へ半減し、2,800マイルの運賃の変動も鉱山の採算を揺さぶった。1923年にはスマトラのパレンバンで日蘭合弁の港湾・製鉄所を計画したが、9月の関東大震災で日本からの出資が見込めなくなり断念した。石原廣一郎氏は1924年に政府の低利資金250万円を得て金泉丸など3隻を買い、トレンガヌのケママン鉱山も買い取った。自社船で運んだ結果、1トン9円の納入価格でも1トン1円の利益が出るようになり、往路の空船を埋めるため1931年にはジャワ定期航路を開いた。