クミアイ化学工業の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

組合の工場を、全購連の販路に乗る全国向けの農薬メーカーへ変えた会社である。1952年に米国のACC社からパラチオンとマラソンの技術を導入し、1953年から1954年にかけて寿町・永楽町・袖師町に分かれていた本社と工場を清水市渋川の1か所にまとめた。1954年10月には愛媛県経済連の閉鎖中の農薬工場を買収して今治工場とし、県外での生産に着手した。1956年2月には全購連から専務取締役ら3人の出向を受け入れ、農協向けの生産と出荷を計画に沿って進める体制に入った。1962年には商号をイハラ農薬に改め、株式の市場性と資金調達の容易化を目的として、同年11月に東京証券取引所第二部へ上場した。

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