持株会社化とグループ再編
1947年に制定された独占禁止法は、純粋持株会社の設立を禁じた。財閥の頂点にあった持株会社が傘下企業の株式を保有し、資金と人事を差配した仕組みの再来を防ぐためである。事業を営まず株式だけを保有する会社は、それ自体が違法とされた。旧財閥の本社は解散し、その保有株式は放出された。企業集団は戦後に再び形成されたが、頂点に持株会社は置けなかった。そこで各社は銀行と商社を中心に、互いの株式を保有し合う持ち合いと社長会で緩やかに結びついた。
禁止は半世紀続いた。その間、同業二社の統合手段は合併しかなかった。合併では存続会社と消滅会社が決まり、社名にも本店にも登記にも序列が残る。役員の数、部長職の配分、給与体系と退職金の計算、どちらの拠点を閉鎖するか。統合の実務は、いずれもどちらかの基準へ合わせる作業になる。対等を掲げても、形式上は一方が他方を吸収する。相手のある再編で交渉が止まる理由は、多くの場合、事業の中身ではなくこの序列にあった。
1990年代前半には、水平型のグループ経営を求めて持株会社の解禁を望む声が経済界から上がっていた。1997年の改正独占禁止法で解禁されると、まず動いたのは金融だった。第一勧業・富士・興銀はみずほを設立し、東京海上と日動火災は国内初の上場保険持株会社ミレアを設けた。製造業では川崎製鉄と日本鋼管がJFEホールディングスの傘下に入っている。株式移転を使えば、両社の株主は新設の親会社の株式を受け取り、二社は同時にその子会社となる。交換比率の交渉は残るが、どちらが買収されたのかを問わずに済む。社名も本店も新設の親会社に置け、事業会社は当面そのまま並存できる。
2000年代には、相手のいない再編にも転用された。セブン&アイ・ホールディングスは共同株式移転で親子上場を解消し、ソニーは事業ごとに子会社を設立する形へ移行した。事業を別会社に分ければ、損益も投資も単位ごとに切り出せる。一方、持株会社そのものには事業がなく、統括の費用だけが残る。富士電機は9年で事業会社へ再統合した。
つまりソニーと富士電機は逆の方向へ動いている。同じ制度が、複数の会社を統合するためにも、一つの会社を事業ごとに分割するためにも使われている。
財務諸表のどこを見るか
関係会社の状況を最初に開く。子会社の名称と議決権所有割合、そこに付された主要な事業の内容から、どの事業がどの法人に載ったかが分かる。次に提出会社単体の損益計算書を見る。純粋持株会社であれば売上高は関係会社からの経営管理料と受取配当金へ置き換わり、連結との差額が統括機能の費用として現れる。株式移転や会社分割は企業結合等関係の注記に共通支配下の取引として記載され、承継した資産・負債の内訳と資本剰余金の増減まで読める。セグメントの区分が子会社の区分と一致しているかも確かめたい。
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