イー・トレード集約によるネット証券首位の確立

米国との合弁に生まれたネット証券を、なぜ「SBI証券」の一枚看板へ束ね直したのか

更新:

時期 2006年7月
意思決定者 北尾吉孝氏 SBIホールディングス 代表取締役執行役員CEO
論点 グループ証券事業の集約とブランド統一
概要
2006年7月、SBIホールディングスは中核のイー・トレード証券をSBIイー・トレード証券へ改称し、2007年10月に対面のSBI証券を吸収合併、2008年8月には株式交換で完全子会社化した。合弁出自のネット証券を「SBI証券」の一枚看板へ束ね、ネット証券首位の体制を固めた組織再編。
背景
イー・トレード証券は1998年にソフトバンクと米E*TRADEの合弁会社が老舗の大沢証券を子会社化して生まれ、1999年10月の手数料自由化と同時期にインターネット取引を始めた。2003年にソフトバンク・インベストメント(現SBI)の傘下へ移り、低価格を武器に口座数を急伸させていた。
内容
ソフトバンクからの資本独立と同じ2006年に「SBI」を冠する商号へ改め、旧ワールド日栄証券から引き継いだ対面のSBI証券を吸収合併してネットと対面の窓口を一社に集約、ジャスダック上場を廃止して持株会社の完全子会社とした。
含意
口座数は2009年末に200万と2位の2倍以上へ達し、個人株式委託売買代金シェア35.5%の首位を固めた。手数料競争の主導権はその後も手放さず、2023年の売買手数料無料化「ゼロ革命」まで続く低価格戦略の土台となった。
筆者の見解

筆者見解

この再編は、派手な買収劇ではなく、商号変更・合併・株式交換という地味な三段階の積み重ねであった。だがその意味は小さくない。合弁の出自を持つ「イー・トレード」の名を段階的に外し、対面の店舗網を取り込み、親子上場を解いて利益を100%取り込む——ネット証券という当時まだ若い事業を、グループの背骨に据え直す作業だったとみることができる。同じ時期のソフトバンクからの資本独立と対で見ると、資本とブランドの両面で「借り物」を返した2年間であった。

集約で得た口座基盤の上に、その後のSBIのほぼすべての展開が載っている。夜間PTSの流動性も、ネット銀行への送客も、2023年に手数料を無料化してなお成り立つ収益構造も、最大の顧客基盤があって初めて描けた打ち手であった。一方で、規模が競争を終わらせるわけではないことも、無料化発表の同日に楽天証券が追随を発表した事実が示している。首位の看板を保ちながら手数料ゼロ時代の収益をどう組み立てるかという問いは、この再編から続く一本の線の先にあるといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

米E*TRADEとの合弁に始まったネット証券

SBI証券の源流は、1944年に東京・日本橋茅場町で設立された大沢証券にさかのぼる。1998年10月、ソフトバンクと米オンライン証券大手E*TRADE Groupが出資するイー・トレード株式会社がこの老舗を完全子会社とし、1999年4月にイー・トレード証券へ改称した。同年10月にはインターネット取引を開始した。株式売買委託手数料の全面自由化と重なる船出で、低価格を武器に個人投資家の口座を集める日本最初期のオンライン証券となった[1]

2003年6月、親会社のイー・トレードがソフトバンク・インベストメント(現SBIホールディングス)に吸収合併され、イー・トレード証券は北尾吉孝氏が率いる金融グループの子会社となった。ベンチャー投資のキャピタルゲインとネット証券の売買手数料を一つの上場会社の下に置く布陣で、2004年12月にはイー・トレード証券自身もジャスダック証券取引所へ株式を上場し、親子で上場する形が生まれた[2][3]

決断

「SBI」への商号統一とネット・対面の一本化

2006年7月、イー・トレード証券はSBIイー・トレード証券へ商号を改めた。翌8月には親会社ソフトバンクがSBI株をすべて売却して資本関係を解消しており、グループが独立系金融グループとして立つのと歩調を合わせ、中核証券にも「SBI」の冠が付いた。米国生まれの「イー・トレード」の名は残しつつ、ブランドの主軸をグループ共通のSBIへ移す一手であった[4][5]

2007年10月には、SBIイー・トレード証券を存続会社として、対面証券のSBI証券を吸収合併した。消滅会社側のSBI証券は、当時のソフトバンク・インベストメントが2003年に買収した業界中堅の旧ワールド日栄証券を引き継いだ会社で、全国に直営23店の販売網を持っていた。ネットの口座基盤と対面の店舗網が一社に集まり、グループの証券窓口はここで実質的に一本化された[6][7]

上場子会社の解消

集約の仕上げは資本の一本化であった。2008年7月、SBIイー・トレード証券は商号を「株式会社SBI証券」へ改め、ジャスダック証券取引所の上場を廃止した。翌8月には株式交換によりSBIホールディングスの完全子会社となり、2004年から続いた親子上場は4年で解消された。ネット証券最大手の利益と顧客基盤を、少数株主を挟まずに持株会社へ丸ごと取り込む形が、ここで完成した[8][9]

結果

口座数首位と手数料競争の主導権

集約を終えたSBI証券は、ネット証券の首位を不動のものにした。証券総合口座は2009年末に200万の大台へ達し、2位マネックス証券の2倍以上となった。個人の株式委託売買代金シェアは35.5%と、14.5%の楽天証券以下を大きく引き離した。再編前の2007年9月末に約150万件だった口座は、統合を挟んで積み上がり続けた[10][11]

規模は、値下げ競争を仕掛ける側の体力でもあった。2009年夏にはSBI証券と楽天証券が7月から8月にかけて手数料引き下げを合わせて9回応酬し、両社が同水準へ下げて決着した。値下げに耐えかねた後発各社が定額プランの値上げへ転じるなか、最大の口座基盤を持つSBI証券は低価格路線を維持し、競争の主導権を握り続けた[12]

「ゼロ革命」へ続く土台

低価格で口座を集める路線は、その後も一貫した。2023年、SBI証券は国内株式の売買手数料を無料化する「ゼロ革命」に踏み切り、北尾吉孝氏は約4年をかけて準備したと語った。この時点で口座数は1,000万に達し、同氏は短期間での2,000万口座超えを想定すると述べた。米国で無料化が広まった後に証券会社の数が減った経緯にも触れ、日本でも淘汰が進むとの見通しを示した。1999年の手数料自由化とともに生まれ、2006年から2008年の集約で首位を固めた会社が、四半世紀後に手数料そのものを消す側へ回った形である[13][14]

出典・参考
  • 株式会社SBI証券 業務及び財産の状況に関する説明書(2021年3月期)【会社の沿革】
  • SBIホールディングス 有価証券報告書【沿革】
  • 週刊東洋経済 2007年10月20日号「証券取引所大再編の伏兵 “SBI取引所”の勝算」
  • 週刊東洋経済 2009年10月3日号「手数料値下げに限界 曲がり角のネット証券」
  • 週刊東洋経済 2010年4月10日号「ついに『ネット専業』の旗を降ろす“革新者” SBI証券の胸突き八丁」
  • 週刊東洋経済 2023年10月21日号「SBIホールディングス会長兼社長兼CEO 北尾吉孝 『「手数料ゼロ」への追随は歓迎 証券会社の淘汰が進むだろう』」
  • SBIホールディングス 有価証券報告書(2007年3月期・連結)

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