北尾吉孝氏がソフトバンク傘下で興した金融
1999年3月、ソフトバンクが純粋持株会社へ移る事業再編を受けて、同社管理本部がソフトバンク・ファイナンス株式会社として独立し、金融関連分野の事業会社を統括する事業持株会社となった[1]。同年7月、ベンチャー・キャピタル事業を営む目的で、ソフトバンク・ファイナンスの子会社としてソフトバンク・インベストメント株式会社が東京都千代田区に設立された[2]。社長に就いたのは、孫正義氏が野村證券から招きソフトバンクの財務を託していた北尾吉孝氏である[3]。創設時の資本金は5,000万円、純資産も5,000万円、従業員は55人、連結子会社はゼロ、株主は1社、売上高もゼロだった[4]。
元手も看板も、親会社から借りていた。1999年11月、株式交換でソフトベンチャーキャピタル、ソフトバンクベンチャーズ、ソフトバンク・コンテンツ・パートナーズ、ソフトトレンドキャピタルの4社を完全子会社とし、ソフトバンクグループのベンチャー投資を担う運営会社を一手に集めた[5]。2000年3月から7月にかけては、自らを業務執行組合員とするソフトバンク・インターネットテクノロジー・ファンド1号から3号を相次いで設立する[6]。当初出資金総額は1号が688億円、2号が1,152億円、3号が195億円にのぼった[7]。同年12月、大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場へ上場した[8]。
投資の妙味も親会社の内側にあった。ソフトバンク・インベストメントは、運用するベンチャー・キャピタルファンドから、親会社ソフトバンク・ファイナンスのグループ内で自ら育てた株式公開銘柄へ投資し、ほかのベンチャー・キャピタルでは得にくいキャピタルゲインの源泉を確保したことを、自社の仕組みの差別化の例に挙げた[9]。
2002年2月に東京証券取引所市場第一部へ上場し、同年11月には大阪証券取引所市場第一部にも上場した[10]。2003年6月、ソフトバンク・インベストメントは同じソフトバンク・ファイナンス傘下のイー・トレード株式会社を合併し、イー・トレード証券、ソフトバンク・フロンティア証券、イー・コモディティ、エスエフ・リアルティを子会社に収める[11]。ここで手にしたオンライン証券もまた借りものだった。イー・トレード証券は1998年10月、ソフトバンクと米E*TRADE Groupが出資するイー・トレードが老舗の大沢証券を100%子会社とし、1999年10月にインターネット取引を始めた会社である[12]。
証券の窓口は買収で足していった[13]。2003年10月にワールド日栄証券、12月に日商岩井証券を子会社とし、後者は翌2004年3月にフィデス証券へ商号を改める[14]。2004年2月にはワールド日栄証券とソフトバンク・フロンティア証券が合併してワールド日栄フロンティア証券となり、大証ヘラクレス市場へ上場した[15]。同じ2004年2月、ファイナンス・オールの株式を取得してグッドローン、ウェブリース、ベリトランスなど6社を傘下に加え、7月にはモーニングスターとその子会社3社を傘下に収めた[16]。アセットマネジメント、ブローカレッジ&インベストメントバンキング、ファイナンシャル・サービスの3つが、ここでコアビジネスとして並んだ[17]。
再編は数字に表れた。連結売上高は2003年3月期の35億3,300万円から2004年3月期には353億6,400万円へ伸びた[18]。44億600万円の当期純損失も42億5,700万円の当期純利益へ転じる[19]。
集約の向きは2004年の時点で示されていた[20]。ソフトバンク・インベストメントは、純粋持株会社である親会社ソフトバンク・ファイナンス直下の子会社を自らの傘下へ集め、事業持株会社として連結業績と企業価値を伸ばす方針を掲げた[21]。資本の側の手当ては翌年に来る。2005年3月15日、公募増資で普通株式1,250,000株を発行し、資本金と資本剰余金がそれぞれ224億1,400万円と224億1,300万円増えた[22]。同月23日には第三者割当増資で187,500株を発行し、資本金と資本剰余金へそれぞれ33億6,200万円を積み増す[23]。相次ぐ増資でソフトバンクの持株比率が下がり、同社の連結子会社から持分法適用関連会社へ移った[24]。
連結から外れた効き目は、信用の値付けにすぐ表れた[25]。2005年6月、日本格付研究所は同社にBBB、イー・トレード証券にはソフトバンクを上回るBBB+の格付を与え、同年7月25日には600億円の社債発行登録が完了した[26]。銀行与信の判断も、ソフトバンク・グループとしての総与信枠から、独立した企業集団としての評価へ移る[27]。2005年6月、同社は350億円を銀行から借り入れ、自己資金155億円と合わせた505億円で、親会社の名を冠して1999年から積み上げてきたソフトバンク・インターネットテクノロジー・ファンドの出資口500口を買い取った[28]。
2005年7月1日、ソフトバンク・インベストメントはファンド運営事業を連結子会社のSBIベンチャーズへ分割承継させ、自らの商号をSBIホールディングス株式会社へ改めて持株会社へ移行した[29]。事業を受けたSBIベンチャーズは同じ月にソフトバンク・インベストメントへ商号を変更し、親会社が返した名を引き継ぐ[30]。北尾氏は移行の狙いに、金融業の統合化を先取りする総合金融グループの形成、グループシナジーを追う事業ポートフォリオの構築、そして金融を核としながら金融の枠を超える組織づくりの3つを挙げ、ソフトバンクの連結から外れて事業領域の制約が消えたことを非金融分野へ進む条件とした[31]。2005年3月期の連結売上高は815億1,200万円、当期純利益は256億3,100万円となった[32]。
SBIホールディングスは2006年8月、ソフトバンクグループとの資本関係を解消した[33]。SBIホールディングスの前身であるソフトバンク・インベストメントは1999年7月、ベンチャー・キャピタル事業を営むためにソフトバンク・ファイナンスの子会社として設立された[34]。2005年3月の公募増資と第三者割当増資でソフトバンクの連結範囲から外れ、同年7月にはファンド運営事業を分割してSBIホールディングスへ商号を改めていた[35]。北尾吉孝氏は、完全な解消によって両社の株価の相関がなくなり、財務戦略と事業戦略をより柔軟に組めるようになると受け止め、折半出資の合弁会社を中核として事業上の友好な関係は維持する方針を示した[36]。
証券の看板も同じ年に替わり、中核のイー・トレード証券は2006年7月にSBIイー・トレード証券へ商号を改めた[37]。もとは米E*TRADEの名を冠したネット証券で、2003年6月のイー・トレードとの合併でソフトバンク・インベストメントの傘下に入っていた[38]。2006年3月に株式交換で旧SBI証券を完全子会社としたうえで、2007年10月にはSBIイー・トレード証券を存続会社として対面のSBI証券を吸収合併し、2008年7月に商号を株式会社SBI証券へ改め、翌8月に株式交換で完全子会社とした[39]。同年9月には韓国子会社E*TRADE Koreaの株式も手放す[40]。
集約を支えたのは口座数と売買代金のシェアである。市況の良かった2006年3月期、旧イー・トレード証券と対面の旧SBI証券は合算で営業利益380億円を計上し、その時点の口座数は123万口座、個人株式委託売買代金シェアは23.1%だった[41]。2009年3月期には口座数が約186万口座、シェアは過去最高の38.7%となり、3年で63万口座と15.6ポイントを積み増した[42]。同期の個人信用取引委託売買代金シェアも過去最高の44.7%に達し、主要オンライン証券5社が個人株式委託売買代金の73.2%を占めるまで対面証券からの顧客移動が進んだ[43]。
取引の場そのものを自前で持つ試みが2007年に動いた[44]。SBIジャパンネクスト証券は6月27日に金融庁からPTS(私設取引システム)の認可を受け、8月27日に運営業務を開始した[45]。資本はSBIホールディングスと米ゴールドマン・サックスが37.5%ずつを持ち、そこから証券各社へ2.5%ずつ計5.0%を譲渡して、楽天証券・オリックス証券・GMOインターネット証券が加わった[46]。取扱銘柄は国内の取引所上場銘柄から指定した約4,000、取引時間は19時から23時50分まで、売買は指値注文のみの顧客注文対当方式である[47]。北尾氏は自社だけで市場をつくらず複数の証券会社が参加してつくる市場を目指すとし、公共性と流動性の高い市場を狙いとした[48]。
同じ2007年9月、免許が要るもう一つの機能が半分だけ自前になった[49]。住信SBIネット銀行は9月18日に金融庁から営業免許を取得し、24日に営業を始めた[50]。SBIホールディングスと住友信託銀行が125億円ずつを出し、持分は50%ずつである[51]。北尾氏は1999年のグループ設立当初から銀行業を総合金融事業グループに欠かせない中核業務とみていたが、80年代の米国と90年代の日本の銀行の状況から、どの時点で踏み切るかを課題としていた[52]。金融審議会で銀行と証券の垣根の見直しが議論され、ユニバーサルバンキングへ移行すれば銀行と証券のシナジーが十分に働くと判断したことを、この時期を選んだ理由に挙げた[53]。開業はゼロからの出発ではなく、2000年4月に開店したスルガ銀行ソフトバンク支店の顧客を案内する合意も結んでいた[54]。
銀行に続いて保険の免許も並んだ[55]。SBI損害保険は2008年1月16日に、SBIアクサ生命保険は同年4月7日に、それぞれ営業を開始した[56]。北尾氏は銀行・損保・生保の三社をグループ内の新たな機関投資家群と位置づけ、ベンチャーキャピタルやバイアウトを担う既存の運用部隊に資金の運用を委ね、預金金利や配当の形で顧客へ返す設計を描いた[57]。
2009年7月には千葉県柏市に「SBIマネープラザ」1号店を、翌8月には東京・銀座に3号店を出し、証券・保険・銀行預金・住宅ローンを一つの窓口で扱うフランチャイジング方式の対面店を開いた[58]。
対面と海外の免許は、その後も積み上がった[59]。SBIマネープラザは2015年3月末で394店舗、預り資産は前年同月比38.2%増の5,605億円となり、2015年3月期の売上高は48億円、営業利益は16億円である[60]。韓国では2013年3月に現代スイス貯蓄銀行を子会社化し、2014年10月に傘下3行と合併して韓国最大の貯蓄銀行となり、2015年3月期はIFRSベースで営業収益416億円、税引前利益167億円を計上した[61]。生命保険には2015年2月、ピーシーエー生命保険を子会社化して再参入し、2010年2月から休止していた新規契約の募集を再開するべく人員と販売体制の整備に入った[62]。
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|---|---|---|---|---|
| 1999〜2005年ソフトバンクの看板で始め、SBIの商号を手にするまで | 北尾吉孝 | ソフトバンク・インベストメントを設立 | ★ | |
| 北尾吉孝 | 大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場に上場 | ★ | ||
| 北尾吉孝 | イー・トレードと合併しオンライン証券・証券子会社を子会社化 | ★★ | ||
| 北尾吉孝 | モーニングスターを子会社化 | ★ | ||
| 北尾吉孝 | ソフトバンクからの資本独立とSBIブランドの確立 2005年7月、ソフトバンク・インベストメントが商号を『SBIホールディングス』へ改め持株会社体制へ移行し、2006年8月に親会社ソフトバンクが保有株を売却して資本関係を解消、孫正義氏の傘下から北尾吉孝氏率いる独立した金融グループへ転じた経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 2006〜2015年ソフトバンクと資本で切れ、取引所と銀行を自前の免許にする | 北尾吉孝 | 株式交換によりSBI証券を完全子会社化 | ★ | |
| 北尾吉孝 | SBI損保設立準備を設立 | ★ | ||
| 北尾吉孝 | イー・トレード集約によるネット証券首位の確立 2006年7月、SBIホールディングスは中核のイー・トレード証券をSBIイー・トレード証券へ改称し、2007年10月に対面のSBI証券を吸収合併、2008年8月には株式交換で完全子会社化した。合弁出自のネット証券を『SBI証券』の一枚看板へ束ね、ネット証券首位の体制を固めた組織再編。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 北尾吉孝 | 私設取引所(PTS)事業への参入——株式夜間取引から大阪デジタルエクスチェンジへ 2007年8月、SBIホールディングスは傘下のSBIジャパンネクスト証券で株式の夜間私設取引システム(PTS)を開業し、参入1カ月で先行2陣営を上回る売買代金を集めた。北尾吉孝氏は当初から昼間市場の開設を公言し、この構想は2022年開業の大阪デジタルエクスチェンジ(ODX)まで15年かけて引き継がれた経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 北尾吉孝 | 住信SBIネット銀行の設立とネット銀行への参入 2005年10月、SBIホールディングスは住友信託銀行と折半出資でインターネット専業銀行の設立を発表し、2007年9月に住信SBIネット銀行を開業した。ネット証券に続いて銀行業へ踏み出し、証券・銀行・保険を束ねる総合金融グループへの拡張を進めた経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 北尾吉孝 | SBIイー・トレード証券を存続会社として同社とSBI証券が合併 | ★ | ||
| 北尾吉孝 | 普通株式を原株とする香港預託証券(HDR)を香港証券取引所メインボードに上場 | ★ | ||
| 北尾吉孝 | SBI AXESが韓国取引所KOSDAQ市場に上場 | ★ | ||
| 北尾吉孝 | 現代スイス貯蓄銀行を子会社化 | ★★ | ||
| 北尾吉孝 | 香港証券取引所メインボードに上場していた香港預託証券(HDR)を上場廃止 | ★ | ||
| 北尾吉孝 | ピーシーエー生命保険を子会社化 | ★ | ||
| 2016〜2021年借りものを自前へ——リップル出資と新生銀行のTOB | 北尾吉孝 | 暗号資産事業への参入と米リップルとの提携 2016年1月、SBIホールディングスは国際送金基盤を開発する米リップルへの出資と合弁会社設立の覚書を結び、同年5月にSBI Ripple Asiaを設立した。並行して仮想通貨交換業のSBIバーチャル・カレンシーズ(現SBI VCトレード)を立ち上げ、証券・銀行に続く第3の柱として暗号資産・ブロックチェーン事業へ踏み込んだ経営判断。 詳細を読む | ★★★ | |
| 北尾吉孝 | SBIインシュアランスグループが東京証券取引所マザーズに上場 | ★ | ||
| 北尾吉孝 | 「第4のメガバンク」構想と地方銀行連合の形成 2019年9月、SBIホールディングスは島根銀行への出資を皮切りに、全国の地方銀行を資本で束ねる『第4のメガバンク』構想を打ち出した。共同の持株会社のもとにSBIのシステム・運用力と地銀の地域基盤を組み合わせ、三大メガバンクに次ぐ分散型の銀行連合を築く経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 北尾吉孝 | 新生銀行の買収と子会社化——実質敵対的TOBと、未返済の公的資金 2021年9月、SBIホールディングスは新生銀行に1株2,000円のTOBを仕掛け、約1,100億円を投じて出資比率を約19%から最大48%へ引き上げると発表した。新生銀行は買収防衛策で対抗し、事実上の敵対的買収に発展したが、議決権の約2割を握る国が防衛策に賛成せず、11月24日に新生銀行は防衛策を撤回した。12月にSBIは47.8%を握り、新生銀行を連結子会社とした。 詳細を読む | |||
| 北尾吉孝 | SBIホールディングスによる新生銀行への敵対的TOB(2021年成立) 2021年9月、SBIホールディングスが新生銀行に事前通知なしのTOBを仕掛けた、国内銀行業界で初の本格的な敵対的買収。新生銀行は買収防衛策で対抗したが、12月にSBIが議決権の47.77%を取得し連結子会社化した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 2022〜2026年ゼロ革命で手数料を捨て、公的資金3,500億円を完済する | 北尾吉孝 | アルヒを子会社化 | ★ | |
| 北尾吉孝 | 住信SBIネット銀行が東京証券取引所スタンダード市場に上場 | ★ | ||
| 北尾吉孝 | SBI証券「ゼロ革命」による国内株式売買手数料の恒久無料化 2023年、SBI証券が国内株式の売買手数料を恒久的に無料化した『ゼロ革命』。9月30日の発注分から、約定代金や現物・信用の別を問わず手数料をゼロにし、委託手数料という最大級の収益源を自ら手放して、口座という顧客基盤の総合収益化へ収益モデルを組み替えた経営判断。 詳細を読む | ★★★ |
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事実根拠:出所(SBIホールディングス)