岡三証券グループ の歴史

創業

1923年

創業者

加藤清治

創業地

三重県津市

直近売上高(2026/3)

956億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1923年に三重県津市の八畳間で始めた店が全国業者になれたのか
A 支店を新設すれば顧客は一から集めるほかないが、他店の営業権を買えば店と客がそのまま手に入る。三重県の地場業者だった岡三証券は、この買い方で全国へ広がった。1923年4月、加藤清治氏は三重県津市京口町の元宿屋・若林亭の八畳間で岡三商店を開業した。1949年10月に本店を大阪市東区北浜へ移して同年12月に鈴木証券を吸収合併し、1956年からは東京の吉村証券、京都の中屋証券、広島の興隆証券、神戸の三宝証券と営業権を譲り受けた。1965年10月には東京・兜町に本社ビルを建て、本店を大阪から東京へ移した
Q なぜ1993年の赤字のなかで人員削減ではなく新入社員研修の1年化を選んだのか
A 相場が上がるかぎり、多くの銘柄を勧めておけば一つで損をさせても全体ではプラスにできた。この営業は株価が下げに転じると、損失補填や無理な勧誘として表に出た。作法を入り口から改めるには、人を減らすのではなく教える量を増やすほかない。1993年3月期の営業収益は361億円、経常損益は184億円の赤字だったが、岡三証券は新入社員研修を2週間から1年間へ延ばした。人事研修部門を担当する加藤哲夫専務が経営会議の反対を押し切り、総合職71人を1年間現場から外した
Q なぜ2006年に別会社で立てたオンライン専業を2022年に本体へ統合したのか
A 対面の営業社員を抱えたまま、手数料の安さでオンライン専業とは競えない。別の法人で持てば価格帯は分けられるが、間接部門とシステムは二重に抱える。1999年10月の手数料完全自由化のあと、従業員約160人のオンライン専業が約1,200人を抱える準大手と並ぶ経常利益を上げた。岡三証券グループは2006年1月に岡三オンライン証券を設立し、16年後の2022年1月に岡三証券が同社を吸収合併した。束ねた口座は外部の金融機関へ証券機能を供給する証券プラットフォーム事業へつながり、2026年3月末の預り資産は10.1兆円となった

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1923年〜 三重県津市の宿屋の一間で始めた仲買と企業整備による法人化

岡三証券グループの業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書等

  1. 1944年 岡三商店を改組し岡三証券を設立。本店は三重県津市
  2. 1948年 証券取引法に基づく証券業者として登録
  3. 1949年 本店を大阪市東区北浜に移転
  4. 1949年 大阪の鈴木証券を吸収合併

後援者の名を頭に置いた岡三商店の開業

1923年4月、加藤清治氏は三重県津市京口町にあった元宿屋・若林亭の八畳間で岡三商店を開業した[1]。社名の由来は二つ[2]あり、創業を後援した岡副氏の恩を忘れないために頭へ岡を置き、加藤三兄弟が力を合わせて経営するようにと三を添えた[3]もので、社章には加藤家の紋章である蛇の目を用いた。八畳一間から始めた店は、開業から三年目の1926年に山田市へ支店を出し、その後も松阪、四日市と支店を増やした[4]。三重県を基盤としながら関西、中国、四国へ営業地盤を広げ、やがて東京へ進出する[5]道筋は、この時期の支店網から始まった。

    • [1]1923年4月に加藤清治が三重県津市で岡三商店を開業した
    • [2]社名は後援者の岡副氏に由来する「岡」と加藤三兄弟に由来する「三」の二つから成る
    • [3]社名は後援者の岡副氏と加藤三兄弟に由来し、社章は加藤家の蛇の目紋
    • [4]1926年に山田市へ支店を出し、松阪・四日市へ拡大した
    • [5]三重県を基盤に関西・中国・四国へ伸び、東京へ進出した

支店網を広げた岡三商店は、1941年に四日市の名阪商店を売買高で抜き、三重県内で首位に立った[6]。名阪商店は全国的にも名の通った店[7]で、三重県内の序列はこの年に入れ替わった。首位の座は長くは続かず、1944年には戦局の悪化にともなう企業整備が証券業へ及び、三重県下にあった48カ所の証券営業所は6業者7店舗へ統合された[8]。個人商店として20年余り営んできた岡三商店もこの整理の対象となり[9]、県内首位という地位は、店の数を積み増して得たものから、統合を経て残った7店舗の一つ[10]という位置へ変わった。

    • [6]1941年に四日市の名阪商店を売買高で抜き県内首位となった
    • [7]名阪商店は全国的にも知られた四日市の証券店だった
    • [8]1944年の企業整備で三重県下の証券営業所48カ所が6業者7店舗に統合された
    • [9]1944年の企業整備は個人商店だった岡三商店にも及んだ
    • [10]企業整備後の三重県内には6業者7店舗が残った
    • [1]1923年4月に加藤清治が三重県津市で岡三商店を開業した
    • [2]社名は後援者の岡副氏に由来する「岡」と加藤三兄弟に由来する「三」の二つから成る
    • [3]社名は後援者の岡副氏と加藤三兄弟に由来し、社章は加藤家の蛇の目紋
    • [4]1926年に山田市へ支店を出し、松阪・四日市へ拡大した
    • [5]三重県を基盤に関西・中国・四国へ伸び、東京へ進出した
    • [6]1941年に四日市の名阪商店を売買高で抜き県内首位となった
    • [7]名阪商店は全国的にも知られた四日市の証券店だった
    • [8]1944年の企業整備で三重県下の証券営業所48カ所が6業者7店舗に統合された
    • [9]1944年の企業整備は個人商店だった岡三商店にも及んだ
    • [10]企業整備後の三重県内には6業者7店舗が残った

企業整備による法人化と戦後の証券業者登録

1944年8月25日、岡三商店は宇治山田市の橋本商店と合併し、資本金18万円の岡三証券株式会社として法人組織に改めた[11]。合併相手の橋本商店は企業整備で統合された三重県内の証券店の一つ[12]であり、個人商店から株式会社への転換は、事業の拡大に合わせた選択ではなく、統合を迫られた側の帰結として起きた。設立時の本店は創業地の三重県津市京口町に置かれ[13]、法人となったあとも営業の中心は当分のあいだ三重県内にとどまった。経営を率いたのは創業者の加藤清治氏[14]で、法人化のあとも社長として指揮を執った。企業の歴史:明治百年は、設立から17年で資本金15億円へ到達した伸長を加藤清治氏の経営手腕によるものと記した[15]

    • [11]1944年8月に岡三商店と橋本商店が合併し岡三証券となった
    • [12]橋本商店は宇治山田市の証券店で、企業整備のなかで岡三商店と合併した
    • [14]創業者の加藤清治は法人化後も社長を務めた
    • [15]企業の歴史:明治百年は設立から17年での資本金15億円到達を加藤清治氏の経営手腕によるものと記した
  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [13]設立時の本店は三重県津市京口町

戦後の証券制度は取引所の再開と証券取引法の制定によって組み直され、岡三証券は1948年7月に証券取引法に基づく証券業者として登録し[16]て、新しい制度のもとで営業を続けた。翌1949年10月には本店を大阪市東区北浜へ移し、同年12月には大阪の鈴木証券を吸収合併した[17]。北浜は大阪の株式取引の中心地であり、本店の移転と地元業者の合併が同時に進んだ[18]ことで、創業から26年を経て営業の中心は三重県から関西へ移った。鈴木証券の吸収合併は他社の営業基盤を取り込んで店を増やす手法の最初の例にあたり、1950年代に4件続く営業権の譲受[19]へつながった。

  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1948年7月に証券取引法に基づく証券業者として登録した
    • [17]1949年10月に本店を大阪市東区北浜へ移転し、12月に鈴木証券を吸収合併した
    • [18]1949年10月の本店移転と同年12月の鈴木証券吸収合併は同じ年に並んで起きた
    • [19]1956年・1958年・1959年・1961年と4件の営業権譲受が続いた
    • [11]1944年8月に岡三商店と橋本商店が合併し岡三証券となった
    • [12]橋本商店は宇治山田市の証券店で、企業整備のなかで岡三商店と合併した
    • [14]創業者の加藤清治は法人化後も社長を務めた
    • [15]企業の歴史:明治百年は設立から17年での資本金15億円到達を加藤清治氏の経営手腕によるものと記した
  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [13]設立時の本店は三重県津市京口町
    • [16]1948年7月に証券取引法に基づく証券業者として登録した
    • [17]1949年10月に本店を大阪市東区北浜へ移転し、12月に鈴木証券を吸収合併した
    • [18]1949年10月の本店移転と同年12月の鈴木証券吸収合併は同じ年に並んで起きた
    • [19]1956年・1958年・1959年・1961年と4件の営業権譲受が続いた

1949年〜 営業権の譲受で広げた店舗網と免許制のもとでの東京進出

岡三証券グループの業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書等

  1. 1949年 本店を大阪市東区北浜に移転
  2. 1949年 大阪の鈴木証券を吸収合併
  3. 1956年 東京の吉村証券から営業権を譲受
  4. 1958年 京都の中屋証券から営業権を譲受
  5. 1959年 広島の興隆証券から営業権を譲受
  6. 1961年 神戸の三宝証券から営業権を譲受
  7. 1965年 創業者の急逝を受けた32歳での社長承継と本部の東京移転、投資信託部門の分離と証券業免許の取得 三重の地場業者にとどまるか、全国業者となるか——証券不況をはさんだ7年の選択

他店の営業権を買い集めた関西・中国・四国への展開

1950年代の岡三証券は、支店の新設ではなく他店の営業権を譲り受ける方法で店舗網を広げた[20]。1956年10月に東京の吉村証券、1958年2月に京都の中屋証券、1959年6月に広島の興隆証券、1961年1月に神戸の三宝証券[21]から、それぞれ営業権を譲り受けた。買収の対象はいずれも地場の中小業者で、既存の顧客と店舗をそのまま引き継ぐ形をとり、証券以外の業務は1954年4月に設立した岡三興業[22]へ担わせた。三重県を基盤とした地方の店が、関西から中国、四国へ営業地盤を伸ばした[23]背景には、この譲受の積み重ねがある。

  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1950年代の店舗網拡大は他社からの営業権譲受によるものだった
    • [21]1956年から1961年にかけて吉村証券・中屋証券・興隆証券・三宝証券の営業権を譲り受けた
    • [22]1954年4月に岡三興業を設立した
    • [23]三重県を基盤に関西・中国・四国へ営業地盤を伸ばした

店舗網の拡大は資本金の増加をともない、1944年に18万円で設立した会社の資本金は1961年4月に15億円へ達し[24]、設立から17年での増加[25]は営業権の譲受と増資が並行して進んだことを示す。資本金15億円に達したこの1961年4月には機構改革を実施し、本部を東京に置いた[26]。この年の5月、加藤清治氏は証券業界への長年の功績により藍綬褒章を受けたが、翌6月に死去した[27]。創業者が経営から退いたのは、会社が三重県の一店から全国業者へ移る途中で、事業を継いだのは長男の加藤精一[28]で、当時32歳だった。

    • [24]資本金は1944年の18万円から1961年4月に15億円となった
    • [25]資本金15億円への到達は1944年の設立から17年での増加だった
    • [26]1961年4月に機構改革で本部を東京に置いた
    • [27]加藤清治は1961年5月に藍綬褒章を受け、6月に死去した
    • [28]32歳の加藤精一が事業を継いだ
  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1950年代の店舗網拡大は他社からの営業権譲受によるものだった
    • [21]1956年から1961年にかけて吉村証券・中屋証券・興隆証券・三宝証券の営業権を譲り受けた
    • [22]1954年4月に岡三興業を設立した
    • [23]三重県を基盤に関西・中国・四国へ営業地盤を伸ばした
    • [24]資本金は1944年の18万円から1961年4月に15億円となった
    • [25]資本金15億円への到達は1944年の設立から17年での増加だった
    • [26]1961年4月に機構改革で本部を東京に置いた
    • [27]加藤清治は1961年5月に藍綬褒章を受け、6月に死去した
    • [28]32歳の加藤精一が事業を継いだ

32歳での社長交代と証券恐慌下の免許取得

1961年6月に社長へ就いた加藤精一氏は、1954年に入社して同年11月に取締役、1956年11月に常務、1958年11月に専務と昇任していた[29]。社長就任後は本社ビルの建設と合理化を経営の柱に置いた[30]が、就任の時期は株式相場の転換点と重なった。東証修正平均は1961年7月の1829円をピークに下げ続け、1965年7月には1020円まで落ちた[31]。増資の急増による株式の供給超過が市場を機能不全に陥らせ[32]て証券会社の経営を圧迫し、全国の証券会社の最終損益は1964年9月期に272億円、1965年9月期にも117億円の赤字となった[33]

山一証券への日銀特融に至った証券恐慌[34]は証券業の制度そのものを変え、大蔵省は証券取引法を改正して、1968年4月1日から証券業をそれまでの登録制から免許制へ移した[35]。免許は委託売買、自己売買、引受などの区分ごとに与えられ[36]、体力の乏しい業者はふるいにかけられて姿を消した。岡三証券は同月に改正証券取引法による免許を取得した[37]が、業者の整理を通過する条件になったのは、1950年代に営業権を買い集めて店舗と顧客を確保していたことだった。この間、1964年10月には日本投信委託を設立し[38]、投資信託の運用へ業務を広げていた。

    • [34]山一証券への日銀特融に象徴される証券恐慌が免許制導入という制度改革をもたらした
    • [35]1968年4月1日に証券業が登録制から免許制へ移行した
    • [36]免許は委託売買・自己売買・引受など4種類とし個別に付与され、弱い業者は淘汰された
  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [37]岡三証券は1968年4月に改正証券取引法による免許を取得した
    • [38]1964年10月に日本投信委託を設立した
  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [29]加藤精一は1954年入社、同年取締役、1956年常務、1958年専務を経て1961年6月に社長へ就任した
    • [30]加藤精一氏は新本社ビルの建設と合理化の促進を経営の軸に置いた
    • [31]東証修正平均は1961年7月の1829円から1965年7月に1020円まで下落した
    • [32]増資の急増による株式の供給超過が証券市場を機能不全に陥らせた
    • [33]全国証券会社の最終損益は1964年9月期に272億円、1965年9月期に117億円の赤字となった
    • [34]山一証券への日銀特融に象徴される証券恐慌が免許制導入という制度改革をもたらした
    • [35]1968年4月1日に証券業が登録制から免許制へ移行した
    • [36]免許は委託売買・自己売買・引受など4種類とし個別に付与され、弱い業者は淘汰された
  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [37]岡三証券は1968年4月に改正証券取引法による免許を取得した
    • [38]1964年10月に日本投信委託を設立した

東京兜町への本店移転と東証二部への上場

1965年10月、岡三証券は東京都中央区日本橋江戸橋に本社ビルを完成させ、本店を大阪から東京へ移した[39]。証券恐慌のさなかに本拠を兜町の一角へ移した[40]ことで、三重県から大阪を経た本店の移動は16年で二度目となった。本部機能も東京に置き[41]、全国の店舗を東京から統括する体制に改め、1968年の免許取得を挟んで電子計算機とテレタイプによる通信網の整備も進めた[42]。地方の仲買店から出発した会社は、この時点で東京に本社を置く全国業者の一つになって[43]おり、1968年時点の資本金は15億円、従業員は1,250名[44]、業容は総合証券業だった。

  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [39]1965年10月に本店を東京都中央区日本橋江戸橋へ移転した
    • [40]1965年10月に完成した本社ビルは東京兜町の一角にあった
    • [41]機構改革により本部を東京に置いた
    • [42]本部を東京に置き、電子計算機とテレタイプの通信網を整備した
    • [43]1968年時点の本社は東京都中央区日本橋江戸橋にあり、事業は総合証券業だった
    • [44]1968年時点の資本金は15億円、従業員は1,250名だった

1973年6月1日、岡三証券は東京・大阪両証券取引所の市場第二部へ株式を上場し[45]、銘柄コードには8609が割り当てられた[46]。上場時点の店舗は本支店40店で、内訳は東京都9店、三重県8店、大阪府6店、ほか12府県に17店[47]だった。従業員は1,571名、収益の構成は受入手数料が71.1%、金融収益が17.4%、有価証券売買益が11.5%[48]である。個人からの委託手数料に収益の7割を依存する構造[49]は、その後の相場変動に業績が連動する要因として残った。1975年11月には東京・大阪の市場第一部へ指定され、1978年8月に名古屋証券取引所市場第一部へも上場した[50]

    • [45]1973年6月1日に東京・大阪両取引所の市場第二部へ上場した
    • [46]上場時に割り当てられた銘柄コードは8609だった
    • [47]上場時の店舗は40店(東京9・三重8・大阪6・ほか12府県17)、従業員1,571名
    • [48]収益構成は受入手数料71.1%、金融収益17.4%、有価証券売買益11.5%
    • [49]上場時の収益は受入手数料が71.1%と7割を超えた
  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [50]1975年11月に東京・大阪の市場第一部へ指定、1978年8月に名証一部へ上場した
  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [39]1965年10月に本店を東京都中央区日本橋江戸橋へ移転した
    • [50]1975年11月に東京・大阪の市場第一部へ指定、1978年8月に名証一部へ上場した
    • [40]1965年10月に完成した本社ビルは東京兜町の一角にあった
    • [41]機構改革により本部を東京に置いた
    • [42]本部を東京に置き、電子計算機とテレタイプの通信網を整備した
    • [43]1968年時点の本社は東京都中央区日本橋江戸橋にあり、事業は総合証券業だった
    • [44]1968年時点の資本金は15億円、従業員は1,250名だった
    • [45]1973年6月1日に東京・大阪両取引所の市場第二部へ上場した
    • [46]上場時に割り当てられた銘柄コードは8609だった
    • [47]上場時の店舗は40店(東京9・三重8・大阪6・ほか12府県17)、従業員1,571名
    • [48]収益構成は受入手数料71.1%、金融収益17.4%、有価証券売買益11.5%
    • [49]上場時の収益は受入手数料が71.1%と7割を超えた

1973年〜 準大手として迎えた不祥事とリテール特化への絞り込み

岡三証券グループの業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書等

  1. 1973年 東京・大阪両証券取引所市場第二部に上場
  2. 1975年 東京・大阪両証券取引所市場第一部に指定
  3. 1976年 香港に岡三国際(亜洲)有限公司を設立
  4. 1981年 調査部・投資顧問室を分離し岡三経済研究所を設立
  5. 1993年 新入社員研修の2週間から1年間への延長と、支店への「新入営業課」の設置 人を減らすか、入り口で育て直すか——3期連続の減収減益と損失補填のなかで問われた営業のつくり方
  6. 1998年 改正証券取引法に基づく総合証券会社として登録
  7. 2003年 会社分割で証券業を承継させ持株会社の岡三ホールディングスに移行

調査と情報システムを分社した1980年代

上場後の岡三証券は証券業の周辺機能を子会社として切り出し、1980年7月に設立した岡三インフォメーション・サービスは1986年10月に岡三情報システムへ商号を変えた[51]。1981年8月には調査部と投資顧問室を分離して岡三経済研究所を設立し、1984年9月に岡三投資顧問を設立した[52]。海外では1976年12月に香港へ岡三国際(亜洲)有限公司を置き[53]、1996年3月には事務を担う岡三ビジネスサービスを設立した[54]。売買の受託だけでなく、調査、情報処理、資産運用、事務の各機能を別法人に持たせる形は、後年の持株会社体制の原型にあたる。

  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [51]1980年7月に岡三インフォメーション・サービスを設立し、1986年10月に岡三情報システムへ商号変更した
    • [52]1981年8月に岡三経済研究所、1984年9月に岡三投資顧問を設立した
    • [53]1976年12月に香港へ岡三国際(亜洲)有限公司を設立した
    • [54]1996年3月に岡三ビジネスサービスを設立した

1980年代の株式相場の上昇は、証券会社の営業のあり方を支えていた[55]。当時を知る大手証券の幹部は、多くの銘柄を勧めておけば一つで損をさせても全体としてはプラスにできた[56]、と日経ビジネスの取材にふり返った。相場全体が上がるかぎり個々の銘柄選択の巧拙は表に出ず、岡三証券の収益も個人客からの委託手数料に多くを頼る構造のままで、1973年の上場時に受入手数料が71.1%を占めた[57]姿から大きくは変わっていない。上昇相場を前提とした営業のひずみは、株価が下落へ転じたときに損失補填や無理な勧誘として表へ出た[58]

  • 日経ビジネス 1993年8月9・16日号「岡三証券 1年間研修で新人鍛錬 営業体質を下から改善」
    • [55]相場全体が上昇していた時期はどの株を勧めても損をさせることが少なかった
    • [56]上昇相場では多くの銘柄を勧めれば全体でプラスにできたと大手証券幹部が語った
    • [58]損失補填や強引な営業などのトラブルはバブル崩壊と株価低迷の流れのなかで表面化した
    • [57]1973年の上場時に受入手数料が収益の71.1%を占めた
  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [51]1980年7月に岡三インフォメーション・サービスを設立し、1986年10月に岡三情報システムへ商号変更した
    • [52]1981年8月に岡三経済研究所、1984年9月に岡三投資顧問を設立した
    • [53]1976年12月に香港へ岡三国際(亜洲)有限公司を設立した
    • [54]1996年3月に岡三ビジネスサービスを設立した
  • 日経ビジネス 1993年8月9・16日号「岡三証券 1年間研修で新人鍛錬 営業体質を下から改善」
    • [55]相場全体が上昇していた時期はどの株を勧めても損をさせることが少なかった
    • [56]上昇相場では多くの銘柄を勧めれば全体でプラスにできたと大手証券幹部が語った
    • [58]損失補填や強引な営業などのトラブルはバブル崩壊と株価低迷の流れのなかで表面化した
    • [57]1973年の上場時に受入手数料が収益の71.1%を占めた

損失補填と参考人招致が示した営業の行き詰まり

バブル崩壊後、証券業の営業手法をめぐる問題が相次いで表面化した[59]。岡三証券の損失補填は約5億円で、数百億円に上った大手証券の補填額に比べれば小さかった[60]が、トラブルは続いた。1993年3月には、金丸信・前自民党副総裁の巨額脱税事件に当時の専務が関与したとして、参議院予算委員会に参考人として招致された[61]。同年5月には、元本店営業課長が客から預かった資金の運用に失敗して行方をくらます事件が起きた[62]。損失補填も無理な営業も株価の低迷とともに表に出たが、これらは岡三証券だけの出来事ではなく、バブル崩壊と株価低迷のもとで証券業のルール違反が次々と明るみに出た[63]流れのなかで起きた。

  • 日経ビジネス 1993年8月9・16日号「岡三証券 1年間研修で新人鍛錬 営業体質を下から改善」
    • [59]証券営業の「ルール違反行為」が相次いで表面化した
    • [60]岡三証券の損失補填額は約5億円で、大手証券の数百億円より小さかった
    • [61]1993年3月に金丸信の脱税事件をめぐり当時の専務が参議院予算委員会へ参考人招致された
    • [62]1993年5月に元本店営業課長が預かり資金の運用に失敗し行方をくらました
    • [63]日経ビジネスは一連のトラブルをバブル崩壊・株価低迷という流れのなかでの表面化と位置づけた

業績も落ち込み、1993年3月期の営業収益は361億円で前期から32.3%減り、経常損益は184億円の赤字となった[64]。減収減益が3期続いた[65]にもかかわらず、岡三証券が選んだのは人員の削減ではなく、新入社員研修を従来の2週間から1年間へ延ばすこと[66]だった。金融・証券業界では最長で、野村証券の2カ月、大和証券の約4カ月、日興証券の1カ月、山一証券の2カ月[67]と比べても突出していた。1993年4月入社の総合職71人が対象となり、前半の半年は講義中心の知識研修、後半の半年は支店での営業研修に充てられた[68]

  • 日経ビジネス 1993年8月9・16日号「岡三証券 1年間研修で新人鍛錬 営業体質を下から改善」
    • [64]1993年3月期の営業収益は361億円(前期比32.3%減)、経常損益は184億円の赤字
    • [65]1993年3月期まで3期連続の減収減益だった
    • [66]新入社員研修を従来の2週間から1年間へ延ばした
    • [67]新入社員研修を2週間から1年間に延長し、業界他社より長かった
    • [68]1993年4月入社の総合職71人が対象で、前半は知識研修、後半は支店営業研修

研修の延長は社内で反対を受けた[69]。人事研修部門を担当していた加藤哲夫専務が経営会議へ提案した際には反対意見が続出した[70]ものの、加藤哲夫専務は「営業マンの質の向上」(日経ビジネス 1993/8/9)を理由に押し切った。狙いは二つあり、一つは営業社員の質、もう一つは「好き好んで岡三証券に入ってきた人ばかりではない[71]」(同)という採用の実情である。日経ビジネスが新入社員71人に実施した調査では、岡三証券を第1志望としたのは約4割にとどまり、9割が証券営業に不安を抱えており[72]加藤哲夫専務は「5年は続ける[73]」(同)と述べた。

  • 日経ビジネス 1993年8月9・16日号「岡三証券 1年間研修で新人鍛錬 営業体質を下から改善」
    • [69]1年間研修の提案に対して経営会議では反対意見が続出した
    • [70]加藤哲夫専務が1年研修を経営会議へ提案し、反対を押し切った
    • [71]岡三証券専務の加藤哲夫氏による発言
    • [72]新入社員のうち岡三証券を第1志望としたのは約4割、9割が証券営業に不安を持っていた
    • [73]岡三証券専務の加藤哲夫氏による発言
  • 日経ビジネス 1993年8月9・16日号「岡三証券 1年間研修で新人鍛錬 営業体質を下から改善」
    • [59]証券営業の「ルール違反行為」が相次いで表面化した
    • [60]岡三証券の損失補填額は約5億円で、大手証券の数百億円より小さかった
    • [61]1993年3月に金丸信の脱税事件をめぐり当時の専務が参議院予算委員会へ参考人招致された
    • [62]1993年5月に元本店営業課長が預かり資金の運用に失敗し行方をくらました
    • [63]日経ビジネスは一連のトラブルをバブル崩壊・株価低迷という流れのなかでの表面化と位置づけた
    • [64]1993年3月期の営業収益は361億円(前期比32.3%減)、経常損益は184億円の赤字
    • [65]1993年3月期まで3期連続の減収減益だった
    • [66]新入社員研修を従来の2週間から1年間へ延ばした
    • [67]新入社員研修を2週間から1年間に延長し、業界他社より長かった
    • [68]1993年4月入社の総合職71人が対象で、前半は知識研修、後半は支店営業研修
    • [69]1年間研修の提案に対して経営会議では反対意見が続出した
    • [70]加藤哲夫専務が1年研修を経営会議へ提案し、反対を押し切った
    • [71]岡三証券専務の加藤哲夫氏による発言
    • [72]新入社員のうち岡三証券を第1志望としたのは約4割、9割が証券営業に不安を持っていた
    • [73]岡三証券専務の加藤哲夫氏による発言

リテイル・ブローカー路線と委託手数料の自由化

1997年6月、加藤精一氏は会長へ退いて加藤哲夫氏が社長に就き[74]加藤精一氏は翌1998年から日本証券業協会の会長を務めた[75]。協会長として受けた取材で[76]加藤精一会長は自社の位置づけを「私ども(=岡三証券)も準大手の一角です[77]」(週刊東洋経済 1999/3/20)と述べた。10年ほど前から個人主体の委託業者と地域に特化した委託業者という方向を掲げてきたが、「今やさほど特色になりません[78]」(同)とも語った。同じ路線を掲げる証券会社が増え、個人向けという看板だけでは差がつかなくなっていた。加藤精一会長は当時の協会員を約280社、証券業の従事者を10万人未満と説明し、1997年に自主廃業した山一証券の約7,000人が減少幅の最も大きい部分を占めた[79]と述べた。

  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [74]1997年6月に加藤精一が会長、加藤哲夫が社長に就任した
  • 週刊東洋経済 1999年3月20日号「編集長インタビュー 加藤精一 日本証券業協会会長」
    • [75]加藤精一は1998年から日本証券業協会会長を務めた
    • [76]加藤精一氏は日本証券業協会会長として週刊東洋経済の編集長インタビューに応じた
    • [77]加藤精一は岡三証券を準大手の一角と位置づけ、個人向け路線が特色でなくなったと述べた
    • [78]日本証券業協会会長の加藤精一氏による発言
    • [79]1999年時点の日証協会員は約280社、証券業従事者は10万人未満、山一証券の自主廃業で約7,000人が減った

立て直しの手応え[80]も同じ取材で語られた。加藤精一会長は業績について「トントンのところまで来て大きな損を出す状況ではなくなりました[81]」(週刊東洋経済 1999/3/20)と述べ、株式から投資信託への切り替えが進んだこと、三重県では約40%のシェアを持つことを挙げた。系列の投資信託だけを売る方式も改めて外国投信や銀行、生命保険会社が組成した投信も扱うようになり[82]、1998年12月には改正証券取引法に基づく総合証券会社として登録した[83]。委託手数料の完全自由化は1999年10月に実施され[84]、収益の7割を委託手数料に頼る構造は前提から崩れた。

  • 週刊東洋経済 1999年3月20日号「編集長インタビュー 加藤精一 日本証券業協会会長」
    • [80]同じ編集長インタビューで既存証券会社の立て直しの状況が語られた
    • [81]加藤精一は業績が収支均衡まで戻り、株式から投信への切り替えが進んだと述べた
    • [82]系列投信以外に外国投信・銀行・生保が組成した投信も販売した
  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [83]1998年12月に改正証券取引法に基づく総合証券会社として登録した
  • 週刊東洋経済 1999年10月9日号「証券再編 証券は二極化が必至」
    • [84]株式委託手数料は1999年10月1日に完全自由化された

手数料の自由化はオンライン専業証券の参入を促し、準大手以下の証券会社を圧迫した[85]。2000年11月の報道は、準大手以下の上場18社のうち経常赤字が第1四半期の1社から第2四半期には5社へ増えた[86]と伝えた。従業員約160人のオンライン専業と、約1,200人を抱える準大手の経常利益がほぼ並ぶ[87]事態も起きるなか、岡三証券はみずほインベスターズ証券とともに、9月単月の赤字を免れた側に数えられた[88]。もっとも同じ報道は、準大手以下が「大手証券とオンライン専業に挟撃されている[89]」(週刊東洋経済 2000/11/11)と位置づけた。

  • 週刊東洋経済 2000年11月11日号「準大手証券以下は冬の時代」
    • [85]準大手以下は大手証券とオンライン専業に挟撃され、個人投資家の冷え込みが収益を直撃した
    • [86]2000年度上期に準大手以下18社のうち経常赤字が1社から5社へ増えた
    • [87]オンライン専業の松井証券は従業員約160人、準大手のみずほインベスターズ証券は約1,200人で経常利益がほぼ同水準だった
    • [88]岡三証券はみずほインベスターズ証券とともに2000年9月単月の赤字を免れた
    • [89]週刊東洋経済による記述
  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [74]1997年6月に加藤精一が会長、加藤哲夫が社長に就任した
  • 週刊東洋経済 1999年3月20日号「編集長インタビュー 加藤精一 日本証券業協会会長」
    • [75]加藤精一は1998年から日本証券業協会会長を務めた
    • [76]加藤精一氏は日本証券業協会会長として週刊東洋経済の編集長インタビューに応じた
    • [77]加藤精一は岡三証券を準大手の一角と位置づけ、個人向け路線が特色でなくなったと述べた
    • [78]日本証券業協会会長の加藤精一氏による発言
    • [79]1999年時点の日証協会員は約280社、証券業従事者は10万人未満、山一証券の自主廃業で約7,000人が減った
    • [80]同じ編集長インタビューで既存証券会社の立て直しの状況が語られた
    • [81]加藤精一は業績が収支均衡まで戻り、株式から投信への切り替えが進んだと述べた
    • [82]系列投信以外に外国投信・銀行・生保が組成した投信も販売した
  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [83]1998年12月に改正証券取引法に基づく総合証券会社として登録した
  • 週刊東洋経済 1999年10月9日号「証券再編 証券は二極化が必至」
    • [84]株式委託手数料は1999年10月1日に完全自由化された
  • 週刊東洋経済 2000年11月11日号「準大手証券以下は冬の時代」
    • [85]準大手以下は大手証券とオンライン専業に挟撃され、個人投資家の冷え込みが収益を直撃した
    • [86]2000年度上期に準大手以下18社のうち経常赤字が1社から5社へ増えた
    • [87]オンライン専業の松井証券は従業員約160人、準大手のみずほインベスターズ証券は約1,200人で経常利益がほぼ同水準だった
    • [88]岡三証券はみずほインベスターズ証券とともに2000年9月単月の赤字を免れた
    • [89]週刊東洋経済による記述

2003年〜 持株会社への移行と証券プラットフォームへの組み替え

岡三証券グループの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

  1. 2003年 会社分割で証券業を承継させ持株会社の岡三ホールディングスに移行
  2. 2006年 岡三オンライン証券を設立
  3. 2008年 岡三証券グループに商号変更
  4. 2021年 証券ジャパンを子会社化
  5. 2022年 ネット専業・岡三オンライン証券の設立と、16年後の岡三証券への吸収合併 対面とオンラインを別会社で持つか、一つの会社に束ねるか——委託手数料の完全自由化に押された準大手が探した答え
  6. 2022年 岡三アセットマネジメントを持分法適用関連会社に異動
  7. 2024年 銀行サービス「岡三BANK」の提供開始

会社分割による持株会社体制への移行

2003年10月、岡三証券は証券業その他の営業を会社分割によって岡三証券分割準備株式会社へ承継させ、自らは持株会社となって岡三ホールディングス株式会社に商号を変えた[90]。営業を担う事業会社と資本を持つ親会社を分ける形で、2008年10月には持株会社の商号を株式会社岡三証券グループに改めた[91]。同年4月には岡三証券が岡三経済研究所を吸収合併し[92]、1981年に分離した調査機能を証券会社へ戻した。分社と統合の双方が持株会社体制のもとで進み、持株会社の下には証券のほか投資顧問、情報システム、ビジネスサービスの各社が子会社として並んだ[93]

  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [90]2003年10月に会社分割で持株会社へ移行し岡三ホールディングスに商号変更した
    • [91]2008年10月に株式会社岡三証券グループへ商号変更した
    • [92]2008年4月に岡三証券が岡三経済研究所を吸収合併した
    • [93]持株会社の下に証券・投資顧問・情報システム・ビジネスサービスの各社が子会社として並んだ

持株会社体制のもとで、岡三証券グループは地場証券の再編も引き受けた[94]。2002年4月に日恵証券と東京連合証券が合併して三晃証券となり、2010年4月には六二証券と大石証券が合併して三縁証券となった[95]。2012年から2014年にかけては、丸福証券が新和証券を子会社化したのち吸収合併し、岡三にいがた証券へ商号を変え[96]、2021年3月には証券ジャパンを子会社にした[97]。いずれも地域に基盤を持つ中小証券であり、1950年代に営業権を譲り受けた方法とは異なり、店ごと引き取るのではなく子会社として持つ形をとった[98]。2018年9月には未公開株投資を担う岡三キャピタルパートナーズを設立した[99]

  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [94]持株会社体制のもとで三晃証券・三縁証券・岡三にいがた証券・証券ジャパンの再編を担った
    • [95]2002年に三晃証券、2010年に三縁証券がそれぞれ合併により発足した
    • [96]丸福証券が新和証券を吸収合併し2014年に岡三にいがた証券へ商号変更した
    • [97]2021年3月に証券ジャパンを子会社化した
    • [98]再編した地場証券はいずれも子会社として保有した
    • [99]2018年9月に岡三キャピタルパートナーズを設立した
  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [90]2003年10月に会社分割で持株会社へ移行し岡三ホールディングスに商号変更した
    • [91]2008年10月に株式会社岡三証券グループへ商号変更した
    • [92]2008年4月に岡三証券が岡三経済研究所を吸収合併した
    • [93]持株会社の下に証券・投資顧問・情報システム・ビジネスサービスの各社が子会社として並んだ
    • [94]持株会社体制のもとで三晃証券・三縁証券・岡三にいがた証券・証券ジャパンの再編を担った
    • [95]2002年に三晃証券、2010年に三縁証券がそれぞれ合併により発足した
    • [96]丸福証券が新和証券を吸収合併し2014年に岡三にいがた証券へ商号変更した
    • [97]2021年3月に証券ジャパンを子会社化した
    • [98]再編した地場証券はいずれも子会社として保有した
    • [99]2018年9月に岡三キャピタルパートナーズを設立した

オンライン専業の設立から対面との統合まで

2006年1月、岡三証券グループは手数料自由化から6年を経て岡三オンライン証券を設立し[100]、対面営業の岡三証券とは別法人として運営した[101]。2014年4月に社長へ就いた新芝宏之[102]は、1981年に入社し、2001年に取締役、2003年に岡三証券の常務、2006年に専務を務めた[103]経歴を持つ。1961年から2014年まで53年間続いた加藤家出身の社長[104]はこの交代で途切れ、加藤哲夫氏は取締役副会長へ移って2020年4月に会長となった[105]。対面の岡三証券とオンライン専業を別会社として並べる2社体制は、この間も16年続いた[106]

  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [100]2006年1月に岡三オンライン証券を設立した
    • [101]岡三オンライン証券は岡三証券とは別の法人として設立された
    • [106]岡三オンライン証券は2006年の設立から2022年の吸収合併まで別会社だった
  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [102]2014年4月に新芝宏之が社長に就任した
    • [103]新芝宏之氏は1981年4月入社、2001年6月取締役、2003年10月岡三証券常務、2006年6月専務
    • [104]社長は1961年の加藤精一氏から2014年の新芝宏之氏への交代まで加藤家出身が務めた
    • [105]加藤哲夫は2014年4月に取締役副会長、2020年4月に会長となった

2022年1月、岡三証券は岡三オンライン証券を吸収合併し[107]、設立から16年を経て対面とオンラインは一つの会社に統合された。同年11月には岡三アセットマネジメントを連結子会社から持分法適用関連会社へ移し、SBI岡三アセットマネジメントとした[108]。運用会社を自前で抱えることをやめ、販売と運用の距離を置いた形である。2022年4月には市場区分の見直しにともない、東京証券取引所プライム市場と名古屋証券取引所プレミア市場へ移行した[109]。2024年6月には本店を東京都中央区日本橋室町へ移し、2011年1月に開設した室町本社[110]へ登記上の本店をそろえた。

  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [107]2022年1月に岡三証券が岡三オンライン証券を吸収合併した
    • [108]2022年11月に岡三アセットマネジメントを持分法適用関連会社へ異動した
    • [109]2022年4月に東証プライム市場・名証プレミア市場へ移行した
    • [110]2024年6月に本店を東京都中央区日本橋室町へ移転し、室町本社の開設は2011年1月だった
  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [100]2006年1月に岡三オンライン証券を設立した
    • [101]岡三オンライン証券は岡三証券とは別の法人として設立された
    • [106]岡三オンライン証券は2006年の設立から2022年の吸収合併まで別会社だった
    • [107]2022年1月に岡三証券が岡三オンライン証券を吸収合併した
    • [108]2022年11月に岡三アセットマネジメントを持分法適用関連会社へ異動した
    • [109]2022年4月に東証プライム市場・名証プレミア市場へ移行した
    • [110]2024年6月に本店を東京都中央区日本橋室町へ移転し、室町本社の開設は2011年1月だった
  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [102]2014年4月に新芝宏之が社長に就任した
    • [103]新芝宏之氏は1981年4月入社、2001年6月取締役、2003年10月岡三証券常務、2006年6月専務
    • [104]社長は1961年の加藤精一氏から2014年の新芝宏之氏への交代まで加藤家出身が務めた
    • [105]加藤哲夫は2014年4月に取締役副会長、2020年4月に会長となった

預り資産10兆円と証券サービスの外部提供

近年の岡三証券グループは、自社で売買を受託するだけでなく、証券ビジネスの機能を外部の金融機関へ提供する形を掲げている[111]。グループ証券、友好証券、独立系金融アドバイザー、全国の地域金融機関を営業チャネルと位置づけ、証券サービスをそこへ供給する構想を証券プラットフォームと呼ぶ[112]。2024年9月[113]には他社の銀行機能を利用した岡三BANKを始め、預金残高は700億円を超えて[114]、満期を迎えた定期預金の約92%は岡三証券内にとどまった[115]という。2024年10月には、UBSと組んだ[116]岡三UBSファンドラップの提供も始めた。2026年8月1日[118]には証券ジャパンと岡三ビジネス&テクノロジーを経営統合し、証券プラットフォームの運営に特化する岡三ビジネス&テクノロジー証券[119]を発足させると公表した。2026年3月には、岡三証券が担ってきた岡三オンライン証券事業の一部をSBI証券へ譲渡すると決めた[120][117]

  • 岡三証券グループ 2026年3月期 決算・経営戦略説明会資料(2026年5月15日)
    • [111]グループ外の金融機関へ証券ビジネスの機能を提供する証券プラットフォーム事業を掲げている
    • [112]グループ証券・友好証券・IFA・地域金融機関を営業チャネルとする証券プラットフォーム構想を掲げている
    • [113]2024年9月に銀行サービス「岡三BANK」の提供を始めた
    • [114]2024年9月開始の岡三BANKの預金残高は700億円を超えた
    • [115]満期を迎えた定期預金の約92%が岡三証券内に滞留した(56.6%は証券口座へ振替、35.3%はBANK口座に滞留)
    • [116]2024年10月に岡三UBSファンドラップの提供を始めた
    • [117]2024年10月に岡三UBSファンドラップの提供を始めた
    • [118]経営統合の予定日は2026年8月1日
    • [119]2026年8月1日に証券ジャパンと岡三ビジネス&テクノロジーを統合し岡三ビジネス&テクノロジー証券を発足させると公表した
    • [120]2026年3月に岡三オンライン証券事業の一部をSBI証券へ譲渡すると決めた

2026年3月末の預り資産は10.1兆円、口座数は110万口座、証券ビジネスの拠点は117カ所[121]である。2026年3月期は日経平均株価と米国の主要株価指数がそろって最高値を更新するなか、株式関連の収益を中心に業況が推移し、親会社株主に帰属する当期純利益は過去最高となった[122]。会社が掲げるのは、預り資産残高に連動して手数料を受け取るストック型収益の拡大[123]で、売買のたびに手数料を得るフロー型から比重を移す試みである。上場した1973年に収益の71.1%を占めた受入手数料の比重をどう下げるかという課題は、半世紀を経て残っている。

  • 岡三証券グループ 2026年3月期 決算・経営戦略説明会資料(2026年5月15日)
    • [121]2026年3月末の預り資産10.1兆円、110万口座、117拠点
    • [122]2026年3月期の親会社株主に帰属する当期純利益は過去最高となった
    • [123]預り資産残高に連動するストック型収益の拡大を掲げている
  • 岡三証券グループ 2026年3月期 決算・経営戦略説明会資料(2026年5月15日)
    • [111]グループ外の金融機関へ証券ビジネスの機能を提供する証券プラットフォーム事業を掲げている
    • [112]グループ証券・友好証券・IFA・地域金融機関を営業チャネルとする証券プラットフォーム構想を掲げている
    • [113]2024年9月に銀行サービス「岡三BANK」の提供を始めた
    • [114]2024年9月開始の岡三BANKの預金残高は700億円を超えた
    • [115]満期を迎えた定期預金の約92%が岡三証券内に滞留した(56.6%は証券口座へ振替、35.3%はBANK口座に滞留)
    • [116]2024年10月に岡三UBSファンドラップの提供を始めた
    • [117]2024年10月に岡三UBSファンドラップの提供を始めた
    • [118]経営統合の予定日は2026年8月1日
    • [119]2026年8月1日に証券ジャパンと岡三ビジネス&テクノロジーを統合し岡三ビジネス&テクノロジー証券を発足させると公表した
    • [120]2026年3月に岡三オンライン証券事業の一部をSBI証券へ譲渡すると決めた
    • [121]2026年3月末の預り資産10.1兆円、110万口座、117拠点
    • [122]2026年3月期の親会社株主に帰属する当期純利益は過去最高となった
    • [123]預り資産残高に連動するストック型収益の拡大を掲げている

岡三証券グループの沿革1944〜2026年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
岡三商店を改組し岡三証券を設立。本店は三重県津市★★★
証券取引法に基づく証券業者として登録★★
本店を大阪市東区北浜に移転★★
大阪の鈴木証券を吸収合併★★
岡三興業を設立
東京の吉村証券から営業権を譲受★★
京都の中屋証券から営業権を譲受★★
広島の興隆証券から営業権を譲受★★
加藤精一神戸の三宝証券から営業権を譲受★★
加藤精一創業者の加藤清治氏の死去にともない加藤精一氏が社長に就任★★
加藤精一日本投信委託を設立★★
加藤精一創業者の急逝を受けた32歳での社長承継と本部の東京移転、投資信託部門の分離と証券業免許の取得三重の地場業者にとどまるか、全国業者となるか——証券不況をはさんだ7年の選択 詳細を読む★★★
加藤精一改正証券取引法による証券業の免許を取得★★
加藤精一東京・大阪両証券取引所市場第二部に上場
加藤精一東京・大阪両証券取引所市場第一部に指定
加藤精一香港に岡三国際(亜洲)有限公司を設立
加藤精一名古屋証券取引所市場第一部に上場
加藤精一岡三インフォメーション・サービスを設立
加藤精一調査部・投資顧問室を分離し岡三経済研究所を設立★★
加藤精一岡三投資顧問を設立
加藤精一岡三インフォメーション・サービスを岡三情報システムに商号変更
加藤精一新入社員研修の2週間から1年間への延長と、支店への「新入営業課」の設置人を減らすか、入り口で育て直すか——3期連続の減収減益と損失補填のなかで問われた営業のつくり方 詳細を読む★★★
加藤哲夫岡三ビジネスサービスを設立
加藤哲夫改正証券取引法に基づく総合証券会社として登録★★
加藤哲夫日恵証券と東京連合証券が合併し三晃証券に商号変更
加藤哲夫会社分割で証券業を承継させ持株会社の岡三ホールディングスに移行★★★
加藤哲夫岡三オンライン証券を設立★★
加藤哲夫岡三証券が岡三経済研究所を吸収合併
加藤哲夫岡三証券グループに商号変更★★
加藤哲夫六二証券と大石証券が合併し三縁証券に商号変更
加藤哲夫室町本社を開設し本社機能を日本橋室町に移転
加藤哲夫丸福証券が新和証券を子会社化
新芝宏之丸福証券が新和証券を吸収合併
新芝宏之丸福証券が岡三にいがた証券に商号変更
新芝宏之岡三キャピタルパートナーズを設立
新芝宏之証券ジャパンを子会社化★★
新芝宏之ネット専業・岡三オンライン証券の設立と、16年後の岡三証券への吸収合併対面とオンラインを別会社で持つか、一つの会社に束ねるか——委託手数料の完全自由化に押された準大手が探した答え 詳細を読む★★★
新芝宏之東京証券取引所プライム市場・名古屋証券取引所プレミア市場に移行
新芝宏之岡三アセットマネジメントを持分法適用関連会社に異動★★
新芝宏之本店を東京都中央区日本橋室町に移転
新芝宏之銀行サービス「岡三BANK」の提供開始★★
新芝宏之「岡三UBSファンドラップ」の提供開始★★
新芝宏之三晃証券ウェルスマネジメントが営業開始
新芝宏之岡三キャピタルパートナーズの株式を譲渡
岡三オンライン証券事業の一部のSBI証券への譲渡を決定★★
出典・参考

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