松井証券 の歴史

創業

1918年

創業者

松井房吉

創業地

東京都中央区

直近売上高(2026/3)

527億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1996年に松井証券は業界横並びだった株式保護預かり料を無料にしたのか
A 松井証券が1996年4月に株式保護預かり料を無料にした背景には、その10年前の営業部隊の崩壊がある。1986年ごろに人件費を抑えるため歩合給を圧縮したところ、反発した営業幹部五人が退社して顧客も離れ、営業部隊が壊滅した。売り込む人間を失った松井証券は新聞広告で顧客を集める形に移り、対面営業を前提とする業界慣行から先に離れていた。日本証券業協会は当初これを許可しなかったが、1996年2月に3年間100円へ下げて事実上の無料化に踏み切り、同年3月下旬に容認を取り付けた
Q なぜ1999年の手数料完全自由化で、松井証券は当初案の7割引を9割引に改めたのか
A 1999年5月に公表した当初案の割引率は最大7割だった。これに対し顧客から松井証券を過大評価していたという指摘が届き、松井道夫氏は割引率を9割へ改めた。判断の根拠は日本郵船時代の経験にある。運賃が同盟の交渉で決まっていた時代、荷主は差別化する手段のない船会社に誠意を求めたが、同盟が崩れて価格競争が始まると格安の盟外船会社へ移った。同年10月に導入したボックスレートは300万円まで3回3000円の定額制で、ネット口座は1か月で3割増えた
Q なぜ2013年の一日信用取引は、2006年に撤回した手数料無料化と違って収益を反転させたのか
A 2006年9月に無期限信用取引の手数料を無料にしたときは、各社の追随ですでに手数料率が最安0.01%台まで下がっており、乗り換えを起こせないまま3か月で撤回した。2013年1月の一日信用取引は、手数料に加えて金利と貸株料も無料にし、その日のうちに決済するデイトレードへ対象を絞った。手数料を取らない代わりに売買の回転が上がれば、顧客への貸付から得る金融収支と、空売りに課す品貸料で稼げる。松井証券は7期ぶりの増収増益に転じ、翌2014年3月期の営業収益は399億円と1.9倍になった

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1918年〜 米の仲買から証券会社へ、兜町の地場証券として(1918〜1990)

松井証券の業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書等

  1. 1918年 松井房吉商店を創業
  2. 1918年 東京株式取引所の一般会員に加入
  3. 1931年 松井商店を設立
  4. 1947年 松井證券に商号変更
  5. 1948年 証券業の登録
  6. 1949年 東京証券取引所の正会員に加入

六人の相場師が興した米の仲買商から

松井証券の起源は、1918年5月に六人の相場師が興した米の仲買商、松井房吉商店[1]にさかのぼる。同じ月に東京株式取引所の一般会員となり[2]、株式の売買にも加わった。屋号は六を丸で囲んだマルロク[3]で、屋号を持つほど古い証券会社は兜町でも数少なかった。1931年3月に株式会社松井商店を設立[4]して法人組織に改め、戦後の1947年12月には松井證券へ商号を変更した[5]。1948年8月に証券業の登録を受け[6]、翌1949年4月には再開された東京証券取引所の正会員に加わった。以後は信用取引に強い地場証券として[7]、兜町の一角を占めた。

  • 松井証券 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1918年5月に松井房吉商店を創業し、同月に東京株式取引所の一般会員となった
    • [2]創業は六人の相場師による共同事業で、米の仲買商として始まった
    • [4]1931年3月に株式会社松井商店を設立
    • [5]1947年12月に松井證券株式会社へ商号変更
    • [6]1948年8月に証券業の登録、1949年4月に東京証券取引所(再開)の正会員に加入
  • 週刊東洋経済 2001年8月4日号「[企業レポート]1部上場松井証券 老舗の弱小証券会社が大手を凌駕しえた理由」
    • [3]屋号は六を丸で囲んだ「マルロク」で、屋号を持つ証券会社は兜町でも数少ない
    • [7]信用取引に強いという独自色を持つ地場証券だった

もっとも、規模は小さかった[8]。1987年当時、東京証券取引所に会員権を持つ100社を超える正会員のなかで、松井証券の株式委託件数は下から二番目にとどまっていた[9]。1995年3月期の営業収益は21億円、従業員は128人、資本金は6億1000万円[10]で、東証での委託売買金額はバブル期の2.5倍にあたる約1500億円で、シェアは0.17%だった[11]。ただし国内証券222社のうち経常黒字を確保したのが20社だけ[12]という当時にあって、松井証券はその一社であり、当期利益も黒字を維持していた。顧客の7割が信用取引を使う構成[13]が、この収益を支えていた。

  • 日経ビジネス 1995年6月12日号「松井証券 推奨販売なしの営業戦略 個人取り込み、黒字確保」
    • [8]1995年3月期の営業収益21億円・従業員128人で、東証正会員のなかでは小規模だった
    • [10]1995年3月期の営業収益21億円・従業員128人・資本金6億1000万円
    • [11]1995年3月期の東証での委託売買金額は約1500億円(バブル期の2.5倍)、シェア0.17%
    • [12]国内証券222社中、経常黒字は20社のみで松井証券はその一社だった
    • [13]1995年時点で顧客の7割が信用取引を利用していた
  • 週刊東洋経済 2001年8月4日号「[企業レポート]1部上場松井証券 老舗の弱小証券会社が大手を凌駕しえた理由」
    • [9]1987年当時、東証正会員100社超のうち松井証券の株式委託件数は下から二番目だった
  • 松井証券 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1918年5月に松井房吉商店を創業し、同月に東京株式取引所の一般会員となった
    • [2]創業は六人の相場師による共同事業で、米の仲買商として始まった
    • [4]1931年3月に株式会社松井商店を設立
    • [5]1947年12月に松井證券株式会社へ商号変更
    • [6]1948年8月に証券業の登録、1949年4月に東京証券取引所(再開)の正会員に加入
  • 週刊東洋経済 2001年8月4日号「[企業レポート]1部上場松井証券 老舗の弱小証券会社が大手を凌駕しえた理由」
    • [3]屋号は六を丸で囲んだ「マルロク」で、屋号を持つ証券会社は兜町でも数少ない
    • [7]信用取引に強いという独自色を持つ地場証券だった
    • [9]1987年当時、東証正会員100社超のうち松井証券の株式委託件数は下から二番目だった
  • 日経ビジネス 1995年6月12日号「松井証券 推奨販売なしの営業戦略 個人取り込み、黒字確保」
    • [8]1995年3月期の営業収益21億円・従業員128人で、東証正会員のなかでは小規模だった
    • [10]1995年3月期の営業収益21億円・従業員128人・資本金6億1000万円
    • [11]1995年3月期の東証での委託売買金額は約1500億円(バブル期の2.5倍)、シェア0.17%
    • [12]国内証券222社中、経常黒字は20社のみで松井証券はその一社だった
    • [13]1995年時点で顧客の7割が信用取引を利用していた

営業部隊の崩壊と、婿養子として入った異業種の人

1986年ごろ、松井証券は人件費を抑えるために給与体系を変え[14]、営業マンの歩合給を大幅に圧縮した。これに反発した営業部長・次長・課長といったエース級の営業幹部五人が退社し、重要な顧客も一緒に去った[16]。営業部隊は壊滅状態となり、残された手段として始めたのが新聞広告による集客だった[17]。売り込む人間がいないので、広告を見た顧客からの電話を受けるほかなかった[18]。この方法で集めた新規顧客は1996年には1日に50件を数える日もあり、口座数は3年前の3倍を超えて1万を上回った[19]。のちに外交営業の否定として語られる方針は、理念から出発したのではなく、営業部隊を失った会社の窮余の策だった。 [15]

  • 日経ビジネス 1995年6月12日号「松井証券 推奨販売なしの営業戦略 個人取り込み、黒字確保」
    • [14]給与体系の変更に伴う営業幹部の離脱が、営業体制の組み替えの発端になった
    • [15]1986年ごろ人件費圧縮のため給与体系を変更し、営業マンの歩合給を大幅に圧縮した
    • [16]反発したエース級の営業幹部5人が退社し、重要顧客も離脱した
    • [17]営業部隊が壊滅状態になり、苦肉の策として広告営業を始めた
    • [18]営業部隊を失ったため、新聞広告を見た顧客からの電話を受ける形に切り替えた
  • 日経ビジネス 1996年8月5日号「松井道夫氏[松井証券社長]型破りの営業でタブー揺るがす 根底に流れる“権威”への反抗心」
    • [19]広告営業への転換後、1996年には1日50件の新規顧客を得る日もあり、口座数は3年前の3倍を超える1万口座に達した

この会社を継いだのは、証券業界の外から来た人物だった[20]松井道夫氏は1953年に長野県で生まれ[21]、1976年に一橋大学経済学部を卒業して日本郵船に入社した。タンカーや定期船を担当し、30歳で労働組合の書記長を務めた[22]。1986年に松井証券の社長だった松井武氏の長女と結婚し、務台姓から松井姓に改めて翌1987年に入社する[23]。当初は家業を継ぐ気がなく、結婚の条件として継がないことを挙げていたが、義父がすでに70歳に達し、このままでは会社が他人の手に渡ると判断して決断した[24]。1988年に取締役、1990年に常務取締役営業本部長となり[25]、社内改革の実権を委ねられた。

  • 週刊東洋経済 2001年8月4日号「[企業レポート]1部上場松井証券 老舗の弱小証券会社が大手を凌駕しえた理由」
    • [20]松井道夫氏は日本郵船から松井証券へ移った異業種出身者だった
    • [23]松井武氏の長女と結婚して松井姓に改め、1987年に松井証券へ入社した(結婚年は1996年記事が1985年、1999・2004年記事が1986年と食い違う)
  • 週刊東洋経済 2020年6月13日号「スペシャルインタビュー 松井証券 社長 松井道夫「社長業30年の自負は古いものを捨てたことだ」」
    • [21]松井道夫氏は1953年長野県生まれ、1976年に一橋大学経済学部を卒業し日本郵船へ入社
  • 日経ビジネス 1996年8月5日号「松井道夫氏[松井証券社長]型破りの営業でタブー揺るがす 根底に流れる“権威”への反抗心」
    • [22]日本郵船ではタンカー・定期船部門を担当し、30歳で労働組合書記長を務めた
  • 日経ビジネス 1999年9月13日号「ひと 競争力は野村を凌ぐ「兜町の素人」10月1日、手数料9割引きで大勝負」
    • [24]当初は家業を継がないことを結婚の条件としていたが、義父が70歳に達し会社が人手に渡ると判断して継ぐことを決めた
  • 松井証券 有価証券報告書【役員の状況】
    • [25]1988年に取締役、1990年に常務取締役営業本部長に就任

松井道夫氏には、当時の証券界が不合理に見えた[26]。入社当時の印象を、のちに「こんなにぼろい商売があるのか」(日経ビジネス 1996/8/5)[27]と述べた。保護行政のもとにある証券業を、業と呼べるものではないとも突き放した[28]。免許制に守られ、顧客のリスクで手数料を得る構造そのものへの反発[29]が、以後の施策の動機となった。日本郵船で経験した海運同盟の崩壊も判断の根拠になった[30]。運賃が同盟の交渉で決まっていた時代、差別化する手段のない船会社に荷主が求めたのは「誠意」だった[31]。ところが同盟が崩れて価格競争が始まると、荷主は格安の盟外船会社へ移った[32]

  • 日経ビジネス 1996年8月5日号「松井道夫氏[松井証券社長]型破りの営業でタブー揺るがす 根底に流れる“権威”への反抗心」
    • [26]松井道夫氏は証券界の商習慣に強い違和感を表明していた
    • [27]松井証券社長の松井道夫氏による発言(1986年に証券界へ移った際の印象)
    • [28]松井証券社長の松井道夫氏による発言(保護行政下の証券業界について)
    • [29]免許制のもとで顧客のリスクにより収益を得る構造への反発が施策の動機になった
  • 週刊東洋経済 2020年6月13日号「スペシャルインタビュー 松井証券 社長 松井道夫「社長業30年の自負は古いものを捨てたことだ」」
    • [30]日本郵船での海運同盟崩壊の経験が、手数料自由化時の行動の根拠になった
    • [31]日本郵船時代、運賃は運賃同盟の交渉で決まり、差別化手段のない船会社に荷主は「誠意」を求めた
    • [32]同盟崩壊後の価格競争で荷主は格安の盟外船会社へ移り、この経験が手数料自由化時の行動の根拠になった
  • 日経ビジネス 1995年6月12日号「松井証券 推奨販売なしの営業戦略 個人取り込み、黒字確保」
    • [14]給与体系の変更に伴う営業幹部の離脱が、営業体制の組み替えの発端になった
    • [15]1986年ごろ人件費圧縮のため給与体系を変更し、営業マンの歩合給を大幅に圧縮した
    • [16]反発したエース級の営業幹部5人が退社し、重要顧客も離脱した
    • [17]営業部隊が壊滅状態になり、苦肉の策として広告営業を始めた
    • [18]営業部隊を失ったため、新聞広告を見た顧客からの電話を受ける形に切り替えた
  • 日経ビジネス 1996年8月5日号「松井道夫氏[松井証券社長]型破りの営業でタブー揺るがす 根底に流れる“権威”への反抗心」
    • [19]広告営業への転換後、1996年には1日50件の新規顧客を得る日もあり、口座数は3年前の3倍を超える1万口座に達した
    • [22]日本郵船ではタンカー・定期船部門を担当し、30歳で労働組合書記長を務めた
    • [26]松井道夫氏は証券界の商習慣に強い違和感を表明していた
    • [27]松井証券社長の松井道夫氏による発言(1986年に証券界へ移った際の印象)
    • [28]松井証券社長の松井道夫氏による発言(保護行政下の証券業界について)
    • [29]免許制のもとで顧客のリスクにより収益を得る構造への反発が施策の動機になった
  • 週刊東洋経済 2001年8月4日号「[企業レポート]1部上場松井証券 老舗の弱小証券会社が大手を凌駕しえた理由」
    • [20]松井道夫氏は日本郵船から松井証券へ移った異業種出身者だった
    • [23]松井武氏の長女と結婚して松井姓に改め、1987年に松井証券へ入社した(結婚年は1996年記事が1985年、1999・2004年記事が1986年と食い違う)
  • 週刊東洋経済 2020年6月13日号「スペシャルインタビュー 松井証券 社長 松井道夫「社長業30年の自負は古いものを捨てたことだ」」
    • [21]松井道夫氏は1953年長野県生まれ、1976年に一橋大学経済学部を卒業し日本郵船へ入社
    • [30]日本郵船での海運同盟崩壊の経験が、手数料自由化時の行動の根拠になった
    • [31]日本郵船時代、運賃は運賃同盟の交渉で決まり、差別化手段のない船会社に荷主は「誠意」を求めた
    • [32]同盟崩壊後の価格競争で荷主は格安の盟外船会社へ移り、この経験が手数料自由化時の行動の根拠になった
  • 日経ビジネス 1999年9月13日号「ひと 競争力は野村を凌ぐ「兜町の素人」10月1日、手数料9割引きで大勝負」
    • [24]当初は家業を継がないことを結婚の条件としていたが、義父が70歳に達し会社が人手に渡ると判断して継ぐことを決めた
  • 松井証券 有価証券報告書【役員の状況】
    • [25]1988年に取締役、1990年に常務取締役営業本部長に就任

1990年〜 外交営業の否定から手数料自由化の先取りへ(1990〜1999)

松井証券の業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書等

  1. 1995年 松井道夫氏が社長に就任
  2. 1996年 外交営業の否定と広告・電話営業への転換、株式保護預り手数料の無料化 対面で売るか、広告で集めて薦めないか——業界横並びの手数料慣行に最初に手をつけた6年間
  3. 1997年 店頭登録株式の委託手数料を半額化
  4. 1998年 国内初の本格的インターネット取引「ネットストック」を開始
  5. 1998年 国内初のインターネット信用取引を開始
  6. 1998年 日経平均株価指数オプション取引の買建を取扱開始
  7. 1999年 定額制手数料「ボックスレート」の導入と、当初案7割引から9割引への変更 7割引で局地戦を戦うか、9割引で全面戦に出るか——顧客1通の電子メールが書き換えた手数料表

営業マンと支店を減らし、電話に切り替える

常務取締役営業本部長となった松井道夫氏は、まもなく外交営業員による勧誘行為の禁止を宣言し、営業マンと支店を減らして電話主体の通信取引へ切り替えた[33]。1991年には銘柄を薦めない方針を新聞広告で打ち出した[34]。同じ年、割引金融債を流通市場の利回りで個人に売り出して同業者から強い批判を受けた[35]。「個人にも証券市場に参加する権利はある」(日経ビジネス 1996/8/5)[36]というのがその理由だった。営業体制の組み替えは業績に響き、1991年度には経常赤字に陥った。ただし赤字はこの一期にとどまった。 [37]

  • 週刊東洋経済 2001年8月4日号「[企業レポート]1部上場松井証券 老舗の弱小証券会社が大手を凌駕しえた理由」
    • [33]1990年代初頭に外交営業員による勧誘行為の禁止を宣言し、電話主体の通信取引に切り替えた
  • 日経ビジネス 1996年8月5日号「松井道夫氏[松井証券社長]型破りの営業でタブー揺るがす 根底に流れる“権威”への反抗心」
    • [34]1991年に「株を薦めない」戦略として新聞広告の活用を打ち出した
    • [35]1991年に割引金融債を流通市場の利回りで個人に売り出し、同業者から強い批判を受けた
    • [36]松井証券常務(当時)の松井道夫氏による発言(割引金融債を流通市場レートで個人に売った理由)
    • [37]経常赤字に陥ったのは1991年度だけだった

顧客の側の条件も変え[38]た。大手が最低1000万円としていた信用取引の保証金を200万円に下げ[39]、有価証券の保護預り手数料も業界横並びの年3000円から1000円へ引き下げた[40]。同業他社からは「そんなことをしたら証券業界から村八分になるぞ」[41](日経ビジネス 1995/6/12)と脅された。1995年5月には本店営業部に多い日で140件の問い合わせが入り、同年4月に入社した17人のうち10人を本店営業部へ配し、全社員の三分の一にあたる40人体制で電話を受けた[42]松井道夫氏が社長に就いたのは、その翌月にあたる1995年6月である[43]

  • 日経ビジネス 1995年6月12日号「松井証券 推奨販売なしの営業戦略 個人取り込み、黒字確保」
    • [38]信用取引の保証金と保護預り手数料を引き下げ、顧客側の取引条件を変えた
    • [39]大手が最低1000万円とした信用取引の保証金を200万円に引き下げた
    • [40]有価証券の保護預り手数料を業界横並びの年3000円から3分の1の1000円へ引き下げた
    • [41]同業他社による発言(松井証券の手数料引き下げに対する反発)
    • [42]1995年5月に本店営業部へ多い日で140件の問い合わせがあり、40人体制(全社員の3分の1)で対応した
  • 松井証券 有価証券報告書【役員の状況】
    • [43]松井道夫氏は1995年6月に代表取締役社長に就任した
  • 週刊東洋経済 2001年8月4日号「[企業レポート]1部上場松井証券 老舗の弱小証券会社が大手を凌駕しえた理由」
    • [33]1990年代初頭に外交営業員による勧誘行為の禁止を宣言し、電話主体の通信取引に切り替えた
  • 日経ビジネス 1996年8月5日号「松井道夫氏[松井証券社長]型破りの営業でタブー揺るがす 根底に流れる“権威”への反抗心」
    • [34]1991年に「株を薦めない」戦略として新聞広告の活用を打ち出した
    • [35]1991年に割引金融債を流通市場の利回りで個人に売り出し、同業者から強い批判を受けた
    • [36]松井証券常務(当時)の松井道夫氏による発言(割引金融債を流通市場レートで個人に売った理由)
    • [37]経常赤字に陥ったのは1991年度だけだった
  • 日経ビジネス 1995年6月12日号「松井証券 推奨販売なしの営業戦略 個人取り込み、黒字確保」
    • [38]信用取引の保証金と保護預り手数料を引き下げ、顧客側の取引条件を変えた
    • [39]大手が最低1000万円とした信用取引の保証金を200万円に引き下げた
    • [40]有価証券の保護預り手数料を業界横並びの年3000円から3分の1の1000円へ引き下げた
    • [41]同業他社による発言(松井証券の手数料引き下げに対する反発)
    • [42]1995年5月に本店営業部へ多い日で140件の問い合わせがあり、40人体制(全社員の3分の1)で対応した
  • 松井証券 有価証券報告書【役員の状況】
    • [43]松井道夫氏は1995年6月に代表取締役社長に就任した

保護預かり料の無料化からボックスレートへ

手数料をめぐる攻防は、業界団体との交渉から始まった[44]。1996年1月、松井証券は日本証券業協会に保護預り手数料を無料にしたいと打診したが、徴収しないことは許可できないという回答を受けた[45]。そこで同年2月に「3年間100円」へ引き下げて事実上の無料化とし[46]、広告には今後も引き下げの努力を続けると明記した。協会が他の手数料に波及させないことを条件に無料化を容認したのは同年3月下旬[47]で、実施は同年4月だった[48]。翌1997年2月には店頭登録株式の委託手数料を半額にした[49]。株式委託手数料の完全自由化は1999年10月[50]であり、いずれもそれに先んじた。

  • 日経ビジネス 1996年8月5日号「松井道夫氏[松井証券社長]型破りの営業でタブー揺るがす 根底に流れる“権威”への反抗心」
    • [44]保護預り手数料の無料化は日本証券業協会への打診から始まった
    • [45]1996年1月に日本証券業協会へ保護預り手数料の無料化を打診し、「徴収しないことは許可できない」と回答された
    • [46]1996年2月に保護預り手数料を「3年間100円」へ引き下げ、事実上の無料化とした
    • [47]1996年3月下旬に協会が「他の手数料に波及させない」条件つきで保護預かり手数料ゼロを容認した
  • 松井証券 有価証券報告書【沿革】
    • [48]有報【沿革】は1996年4月に株式保護預かり料を無料化したと記載する
    • [49]1997年2月に店頭登録株式の委託手数料を半額にした
    • [50]株式委託手数料の完全自由化は1999年10月で、保護預かり料無料化・店頭株半額化はいずれもそれ以前だった

半額化の発表は、国内業者にも追随の動きを呼んだ[51]松井道夫氏は当時、協会へ打診した際の反応について「変わり身が早いというか節操がないというか、怒りさえ覚える」(週刊東洋経済 1997/2/22)[52]と述べ、自分で考えず顧客のためと唱えるだけで自由化ができるのかと問うた。1998年5月には国内初の本格的なインターネット取引「ネットストック」を始め、同時にインターネットによる信用取引も開始した[53]。翌1999年6月には株式売買の受付をネットへ一本化することを決めた[54]。受付業務を失った顧客サポート部門は、顧客の声を集めて新商品を開発する部署へ役割を変えた[55]

  • 週刊東洋経済 1997年2月22日号「[ザ・トーク]松井証券・松井道夫社長/松岡功・日本映画製作者連盟会長」
    • [51]店頭登録株の手数料半額化を発表した途端、国内業者にも追随する動きが出た
    • [52]松井証券社長の松井道夫氏による発言(店頭登録株の手数料半額化に他社が追随したことについて)
  • 松井証券 有価証券報告書【沿革】
    • [53]1998年5月に国内初の本格的インターネット取引「ネットストック」と、国内初のインターネット信用取引を開始
  • 日経ビジネス 2003年10月6日号「松井証券 業界常識を破り2カ月で400億」
    • [54]1999年6月に株式売買の受付業務をネットへ一本化することを決めた
    • [55]受付業務を失った顧客サポート部は、顧客の声を集めて新商品を開発する部署へ転換した

1999年10月1日、株式委託手数料の完全自由化にあわせて定額制の「ボックスレート」を導入した[56]。売買金額が300万円までなら3回まで3000円という体系[57]で、2000年9月には回数制限を撤廃した。割引率は当初7割を想定していたが、過大評価だったという顧客からの指摘を受けて9割に改めた[58]松井道夫氏はのちにこの判断を「お客さんは誠意を買ってはくれない」(週刊東洋経済 2020/6/13)[59]と振り返った。ネット口座は1999年9月末の1万4300から10月末に1万8800へ増え、同年11月にはインターネットだけで単月1979億円の売買を仲介した[60]。当時の役職員は140人[61]である。

  • 松井証券 有価証券報告書【沿革】
    • [56]1999年10月1日に株式委託手数料の完全自由化にあわせ定額制「ボックスレート」を導入した
  • 週刊東洋経済 2001年8月4日号「[企業レポート]1部上場松井証券 老舗の弱小証券会社が大手を凌駕しえた理由」
    • [57]売買金額300万円まで3回まで3000円の定額制で、2000年9月に回数制限を撤廃した
  • 日経ビジネス 1999年9月13日号「ひと 競争力は野村を凌ぐ「兜町の素人」10月1日、手数料9割引きで大勝負」
    • [58]割引率は当初7割の想定だったが、顧客からの指摘を受けて9割に改めた
    • [61]1999年時点の役職員数は140人だった
  • 週刊東洋経済 2020年6月13日号「スペシャルインタビュー 松井証券 社長 松井道夫「社長業30年の自負は古いものを捨てたことだ」」
    • [59]松井証券社長の松井道夫氏による発言(日本郵船での海運同盟崩壊の経験と手数料自由化の関係)
  • 日経ビジネス 1999年12月20日号「“e組織”で大企業を撃破 松井証券、アスクルが極めた勝利の方程式」
    • [60]ネット口座は1999年9月末1万4300から10月末1万8800へ増え、11月には単月1979億円の売買を仲介した
  • 日経ビジネス 1996年8月5日号「松井道夫氏[松井証券社長]型破りの営業でタブー揺るがす 根底に流れる“権威”への反抗心」
    • [44]保護預り手数料の無料化は日本証券業協会への打診から始まった
    • [45]1996年1月に日本証券業協会へ保護預り手数料の無料化を打診し、「徴収しないことは許可できない」と回答された
    • [46]1996年2月に保護預り手数料を「3年間100円」へ引き下げ、事実上の無料化とした
    • [47]1996年3月下旬に協会が「他の手数料に波及させない」条件つきで保護預かり手数料ゼロを容認した
  • 松井証券 有価証券報告書【沿革】
    • [48]有報【沿革】は1996年4月に株式保護預かり料を無料化したと記載する
    • [49]1997年2月に店頭登録株式の委託手数料を半額にした
    • [50]株式委託手数料の完全自由化は1999年10月で、保護預かり料無料化・店頭株半額化はいずれもそれ以前だった
    • [53]1998年5月に国内初の本格的インターネット取引「ネットストック」と、国内初のインターネット信用取引を開始
    • [56]1999年10月1日に株式委託手数料の完全自由化にあわせ定額制「ボックスレート」を導入した
  • 週刊東洋経済 1997年2月22日号「[ザ・トーク]松井証券・松井道夫社長/松岡功・日本映画製作者連盟会長」
    • [51]店頭登録株の手数料半額化を発表した途端、国内業者にも追随する動きが出た
    • [52]松井証券社長の松井道夫氏による発言(店頭登録株の手数料半額化に他社が追随したことについて)
  • 日経ビジネス 2003年10月6日号「松井証券 業界常識を破り2カ月で400億」
    • [54]1999年6月に株式売買の受付業務をネットへ一本化することを決めた
    • [55]受付業務を失った顧客サポート部は、顧客の声を集めて新商品を開発する部署へ転換した
  • 週刊東洋経済 2001年8月4日号「[企業レポート]1部上場松井証券 老舗の弱小証券会社が大手を凌駕しえた理由」
    • [57]売買金額300万円まで3回まで3000円の定額制で、2000年9月に回数制限を撤廃した
  • 日経ビジネス 1999年9月13日号「ひと 競争力は野村を凌ぐ「兜町の素人」10月1日、手数料9割引きで大勝負」
    • [58]割引率は当初7割の想定だったが、顧客からの指摘を受けて9割に改めた
    • [61]1999年時点の役職員数は140人だった
  • 週刊東洋経済 2020年6月13日号「スペシャルインタビュー 松井証券 社長 松井道夫「社長業30年の自負は古いものを捨てたことだ」」
    • [59]松井証券社長の松井道夫氏による発言(日本郵船での海運同盟崩壊の経験と手数料自由化の関係)
  • 日経ビジネス 1999年12月20日号「“e組織”で大企業を撃破 松井証券、アスクルが極めた勝利の方程式」
    • [60]ネット口座は1999年9月末1万4300から10月末1万8800へ増え、11月には単月1979億円の売買を仲介した

2000年〜 ネット証券の先頭に立ち、そこから退いた十年(2000〜2012)

松井証券の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

  1. 2000年 松井証券に商号変更
  2. 2001年 外国為替証拠金取引(FX)サービスを開始
  3. 2001年 東京証券取引所市場第一部に上場
  4. 2001年 第1回ポーター賞を受賞
  5. 2003年 無期限信用取引を開始
  6. 2004年 本社を東京都千代田区麹町に移転
  7. 2006年 取引ツール「ネットストック・ハイスピード」を導入

東証一部への直接上場と信用取引の拡大

2001年8月1日、松井証券は東京証券取引所市場第一部に上場した[62]。二部やジャスダックを経ない直接上場で、264億円を調達した[63]。動機は資金需要にあった[64]。証券会社は財務の健全性を保つため自己資本規制比率を維持する義務を負い、信用取引残高の3%がリスク資産に算入される[65]。信用取引を強みとする松井証券では、本業が好調であるほど比率が下がる構造[66]になっていた。同比率は2000年3月末の365%から2001年3月末には302%へ低下[67]した。上場に先立つ同年3月には劣後特約付無担保社債5億円を年利5.1%で発行し、松井道夫氏はこれを「泣く泣く導入した」(週刊東洋経済 2001/8/4)[68]と説明した。

  • 松井証券 有価証券報告書【沿革】
    • [62]2001年8月1日に東京証券取引所市場第一部へ直接上場し、264億円を調達した
  • 週刊東洋経済 2001年8月4日号「[企業レポート]1部上場松井証券 老舗の弱小証券会社が大手を凌駕しえた理由」
    • [63]二部・ジャスダックを経由しない直接上場で、調達額は264億円だった
    • [64]上場と劣後ローンはいずれも自己資本規制比率を維持するための資金調達だった
    • [65]信用取引残高の3%が自己資本規制比率の分母(リスク資産)に算入されるため、本業が好調なほど比率が下がる
    • [66]信用取引を強みとするため、本業が好調なほど自己資本規制比率が下がる構造だった
    • [67]自己資本規制比率は2000年3月末365%から2001年3月末302%へ低下した
    • [68]松井証券社長の松井道夫氏による発言(2001年3月の劣後ローン導入について)

上場の翌々年、松井証券は収益を押し上げる商品を投入した[69]。2003年7月末に始めた「無期限信用取引」[70]である。通常は6か月で決済する信用取引の返済期限を実質的に無くしたもので、開始から2か月で残高が413億円を超え、利用顧客は1万2500を上回った[71]松井道夫氏はこの伸びを「これほど増えるとは全くの想定外」(日経ビジネス 2003/10/6)[72]と語った。2004年には個人向けの株式売買取次金額で野村證券を上回り、イー・トレード証券に次ぐ第2位[73]となった。信用取引の貸出資金約3000億円は野村證券のほぼ3倍[74]にあたる。2005年3月期の営業収益は369億円と前期比47%増、経常利益は226億円[75]と6割増えた。

  • 日経ビジネス 2003年10月6日号「松井証券 業界常識を破り2カ月で400億」
    • [69]無期限信用取引が開始2か月で残高413億円に達し、収益を押し上げた
    • [71]開始2か月で無期限信用取引の残高が413.35億円、利用顧客が1万2500を超えた
    • [72]松井証券社長の松井道夫氏による発言(無期限信用取引が2か月で400億円に達したことについて)
  • 松井証券 有価証券報告書【沿革】
    • [70]2003年7月末に無期限信用取引を開始し、2か月で残高413.35億円・利用顧客1万2500超に達した
  • 日経ビジネス 2004年10月4日号「松井道夫氏[松井証券社長]怒りを力に喧嘩を糧に」
    • [73]2004年に個人向け株式売買取次金額で野村證券を上回り、イー・トレード証券に次ぐ第2位となった。信用取引の貸出資金約3000億円は野村證券のほぼ3倍
    • [74]信用取引の貸出資金約3000億円は野村證券のほぼ3倍だった
  • 松井証券 決算説明会要旨 2005年5月10日
    • [75]2005年3月期の営業収益369億円(前期比47%増)・経常利益226億円(同61%増)
  • 松井証券 有価証券報告書【沿革】
    • [62]2001年8月1日に東京証券取引所市場第一部へ直接上場し、264億円を調達した
    • [70]2003年7月末に無期限信用取引を開始し、2か月で残高413.35億円・利用顧客1万2500超に達した
  • 週刊東洋経済 2001年8月4日号「[企業レポート]1部上場松井証券 老舗の弱小証券会社が大手を凌駕しえた理由」
    • [63]二部・ジャスダックを経由しない直接上場で、調達額は264億円だった
    • [64]上場と劣後ローンはいずれも自己資本規制比率を維持するための資金調達だった
    • [65]信用取引残高の3%が自己資本規制比率の分母(リスク資産)に算入されるため、本業が好調なほど比率が下がる
    • [66]信用取引を強みとするため、本業が好調なほど自己資本規制比率が下がる構造だった
    • [67]自己資本規制比率は2000年3月末365%から2001年3月末302%へ低下した
    • [68]松井証券社長の松井道夫氏による発言(2001年3月の劣後ローン導入について)
  • 日経ビジネス 2003年10月6日号「松井証券 業界常識を破り2カ月で400億」
    • [69]無期限信用取引が開始2か月で残高413億円に達し、収益を押し上げた
    • [71]開始2か月で無期限信用取引の残高が413.35億円、利用顧客が1万2500を超えた
    • [72]松井証券社長の松井道夫氏による発言(無期限信用取引が2か月で400億円に達したことについて)
  • 日経ビジネス 2004年10月4日号「松井道夫氏[松井証券社長]怒りを力に喧嘩を糧に」
    • [73]2004年に個人向け株式売買取次金額で野村證券を上回り、イー・トレード証券に次ぐ第2位となった。信用取引の貸出資金約3000億円は野村證券のほぼ3倍
    • [74]信用取引の貸出資金約3000億円は野村證券のほぼ3倍だった
  • 松井証券 決算説明会要旨 2005年5月10日
    • [75]2005年3月期の営業収益369億円(前期比47%増)・経常利益226億円(同61%増)

手数料競争から距離を置いたことの代償

最高益を出した一方で、競争の形は変わっていた[76]。イー・トレード証券は口座数・売買代金・預かり資産のシェアを優先する薄利多売を掲げ[77]、手数料引き下げの先頭を走った。松井証券は収益の悪化を懸念して手数料競争から距離を置き、2005年3月期の平均手数料率はイー・トレード証券の2倍を超える0.12%[78]だった。「手数料だけを気にする人はごく一部」(週刊東洋経済 2005/6/4)[79]というのが当時の説明である。だが新規にネット取引を始める個人が証券会社を選ぶ基準は手数料の安さにあり、顧客は安いほうへ流れた[80]。4年前は拮抗していた両社の個人株式売買代金シェアの差は、2007年には3倍以上に開いた[81]

  • 週刊東洋経済 2005年6月4日号「[ビジネスリポート]「先駆者」松井証券の深まる孤立 “松井革命”第2幕 絶好調の中の「死角」」
    • [76]イー・トレード証券の台頭により競争の形が変わった
    • [77]イー・トレード証券は口座数・売買代金・預かり資産のシェアを優先する薄利多売戦略を掲げた
    • [78]2005年3月期の平均手数料率は松井証券0.12%、イー・トレード証券0.05%で2倍超の開きがあった
    • [79]松井証券社長の松井道夫氏による発言(手数料競争から距離を置いた理由)
  • 週刊東洋経済 2007年7月21日号「ネット証券フロントランナー 市場のニーズ読み違えた“革命児”松井証券の焦燥」
    • [80]ネット取引を始める個人が証券会社を選ぶ決め手は手数料の安さだった
    • [81]新規にネット取引を始める個人が証券会社を選ぶ決め手は手数料の安さで、4年前に拮抗していた両社のシェア差は2007年に3倍以上へ開いた

打ち出した施策は、いずれも成果に届かなかった[82]。2006年9月に無期限信用取引の手数料を完全に無料化[83]したが、他社が追随済みで手数料率は最安0.01%台まで下がっており[84]、乗り換えを促すほどの差にならなかった。顧客は増えず手数料収入だけが減り、3か月後の同年12月に撤回した[85]。2004年5月にりそなグループと結んだ提携も、銀行窓口では投資信託や年金を売るほうが実入りが大きく販売員が動かないまま、2006年3月に解消した[86]。2005年に掲げた新規公開株式の引受販売手数料の無料化も、前例のない取り組みを企業が避けたため実績は2件にとどまった[87]

  • 週刊東洋経済 2007年7月21日号「ネット証券フロントランナー 市場のニーズ読み違えた“革命児”松井証券の焦燥」
    • [82]無期限信用の無料化・りそな提携・IPO手数料無料化はいずれも成果が出なかった
    • [83]2006年9月に無期限信用取引の手数料を完全無料化したが、3か月後の12月に撤回した
    • [84]無期限信用取引は各社が追随済みで手数料率が最安0.01%台まで下がっており、無料化しても乗り換えを促す差にならなかった
    • [85]無期限信用取引の手数料無料化は開始3か月後の2006年12月に撤回された
    • [86]2004年5月のりそなグループとの提携は成果が上がらず2006年3月に解消された
    • [87]2005年に表明した新規公開株式の引受販売手数料無料化は、実績が2件にとどまった

2007年3月期、SBIイー・トレード証券が経常利益245億円を稼ぎ、松井証券の227億円を初めて上回った[88]。4年前には経常利益で松井証券の8分の1にすぎなかった[89]相手である。もっとも収益性そのものが崩れたわけではない[90]。同期の経常利益が営業収益に占める比率は52.0%で、上場証券26社のなかで2位[91]を保った。ただし営業収益は2006年3月期の571億円を最高に減少へ転じ、2012年3月期には177億円[92]まで縮んだ。同期の決算説明会で経営陣は、即時決済信用取引について「現状では流動性が不足しており、顧客同士がお見合いしてしまう状況にある」(決算説明会要旨 2012/4/26)[93]と説明した。

  • 週刊東洋経済 2007年7月21日号「ネット証券フロントランナー 市場のニーズ読み違えた“革命児”松井証券の焦燥」
    • [88]2007年3月期にSBIイー・トレード証券が経常利益245億円で松井証券の227億円を初めて上回った
    • [89]4年前のイー・トレード証券の利益は松井証券の8分の1だった
    • [90]首位陥落後も経常利益率は上場証券26社中2位で、収益性そのものは維持されていた
    • [91]2007年3月期の経常利益率52.0%は上場証券26社中2位だった
  • 松井証券 有価証券報告書 第90期〜第96期【主要な経営指標等の推移】
    • [92]営業収益は2006年3月期の570億円が最高で、2012年3月期は177億円まで減少した
  • 松井証券 決算説明会要旨 2012年4月26日
    • [93]松井証券による説明(即時決済信用取引の不振について)
  • 週刊東洋経済 2005年6月4日号「[ビジネスリポート]「先駆者」松井証券の深まる孤立 “松井革命”第2幕 絶好調の中の「死角」」
    • [76]イー・トレード証券の台頭により競争の形が変わった
    • [77]イー・トレード証券は口座数・売買代金・預かり資産のシェアを優先する薄利多売戦略を掲げた
    • [78]2005年3月期の平均手数料率は松井証券0.12%、イー・トレード証券0.05%で2倍超の開きがあった
    • [79]松井証券社長の松井道夫氏による発言(手数料競争から距離を置いた理由)
  • 週刊東洋経済 2007年7月21日号「ネット証券フロントランナー 市場のニーズ読み違えた“革命児”松井証券の焦燥」
    • [80]ネット取引を始める個人が証券会社を選ぶ決め手は手数料の安さだった
    • [81]新規にネット取引を始める個人が証券会社を選ぶ決め手は手数料の安さで、4年前に拮抗していた両社のシェア差は2007年に3倍以上へ開いた
    • [82]無期限信用の無料化・りそな提携・IPO手数料無料化はいずれも成果が出なかった
    • [83]2006年9月に無期限信用取引の手数料を完全無料化したが、3か月後の12月に撤回した
    • [84]無期限信用取引は各社が追随済みで手数料率が最安0.01%台まで下がっており、無料化しても乗り換えを促す差にならなかった
    • [85]無期限信用取引の手数料無料化は開始3か月後の2006年12月に撤回された
    • [86]2004年5月のりそなグループとの提携は成果が上がらず2006年3月に解消された
    • [87]2005年に表明した新規公開株式の引受販売手数料無料化は、実績が2件にとどまった
    • [88]2007年3月期にSBIイー・トレード証券が経常利益245億円で松井証券の227億円を初めて上回った
    • [89]4年前のイー・トレード証券の利益は松井証券の8分の1だった
    • [90]首位陥落後も経常利益率は上場証券26社中2位で、収益性そのものは維持されていた
    • [91]2007年3月期の経常利益率52.0%は上場証券26社中2位だった
  • 松井証券 有価証券報告書 第90期〜第96期【主要な経営指標等の推移】
    • [92]営業収益は2006年3月期の570億円が最高で、2012年3月期は177億円まで減少した
  • 松井証券 決算説明会要旨 2012年4月26日
    • [93]松井証券による説明(即時決済信用取引の不振について)

2013年〜 デイトレードへの特化と、創業家からの承継(2013〜2026)

松井証券の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

  1. 2013年 デイトレード限定「一日信用取引」の導入と、委託手数料に依存しない収益構造への移行 同じ手数料無料化がなぜ2006年には撤回され2013年には効いたのか——デイトレーダーをめぐる争奪
  2. 2014年 一日信用取引の「プレミアム空売りサービス」を開始
  3. 2016年 投資信託の取扱いとポートフォリオ提案「投信工房」を開始
  4. 2019年 投資信託の販売手数料を完全無料化
  5. 2020年 和里田聰氏が社長に就任
  6. 2022年 米国株式サービスを開始
  7. 2023年 銀行サービス「MATSUI Bank」を開始

手数料を取らない商品で取引を集める

2013年1月、信用取引の規制緩和にあわせてデイトレード限定の「一日信用取引」を導入した[94]。手数料・金利・貸株料を原則として無料にし[95]、その日のうちに決済する取引に絞った商品である。手数料を取らない代わりに売買の回転が上がれば、顧客への貸付から得る金融収支と、空売りに課す品貸料で稼げる設計だった[96]。同年3月期は7期ぶりの増収増益[97]となり、営業収益208億円・経常利益102億円を計上した。翌2014年3月期には売買代金が3.1倍の39.5兆円に達し、営業収益は399億円と1.9倍、経常利益は272億円と2.7倍[98]に伸びた。市場シェアは8.4%から11.1%へ[99]、信用取引のシェアは8%台から16%へ上がり、2014年2月には信用取引で楽天証券を上回った。

  • 松井証券 有価証券報告書【沿革】
    • [94]2013年1月に信用取引の規制緩和にあわせデイトレード限定の「一日信用取引」を導入した
  • 松井証券 決算説明会要旨 2013年4月25日
    • [95]一日信用取引は手数料・金利・貸株料が原則無料で、当日中に決済する取引に限定される
    • [96]手数料を無料にする代わりに、売買の回転による金融収支と空売りの品貸料で収益を得る設計だった
    • [97]2013年3月期は7期ぶりの増収増益で営業収益208億円・経常利益102億円
  • 松井証券 決算説明会要旨 2014年4月28日
    • [98]2014年3月期は売買代金39.5兆円(3.1倍)、営業収益399億円(1.9倍)、経常利益272億円(2.7倍)
    • [99]市場シェアは8.4%から11.1%へ、信用取引シェアは8%台から16%へ上昇し、2014年2月に信用取引で楽天証券を上回った

この回復は収益の中身を変えた[100]。手数料を取らない商品に取引が集まったため、株式委託手数料そのものは伸びなかった[101]。2016年3月期は売買代金が6%増えたのに株式等委託手数料は横ばい[102]で、翌2017年3月期には一日信用取引の比率が51%から57%へ上がる一方、営業収益は277億円[103]へ2割近く減った。収益は顧客への貸付から得る金融収支と、空売りに課す品貸料へ移った[104]。ネット取引を始めた時点の手数料は自由化前の4分の1にあたる30ベーシスだったが、2006年ごろにSBI証券が3〜4ベーシスまで下げ[105]、松井証券でも2020年時点で取引の6割が手数料ゼロになった[106]

  • 松井証券 決算説明会要旨 2016年4月28日
    • [100]手数料無料の一日信用取引の比率上昇により株式等委託手数料は伸びなかった
    • [101]手数料無料の商品に取引が集まったため株式委託手数料は増えなかった
    • [102]2016年3月期は売買代金が6%増えたが、手数料無料の一日信用比率上昇で株式等委託手数料は横ばいだった(受入手数料全体は3%増の217億円)
  • 松井証券 決算説明会要旨 2017年4月28日
    • [103]2017年3月期は一日信用取引の比率が51%から57%へ上昇し、営業収益は277億円へ減少した
  • 松井証券 決算説明会要旨 2014年4月28日
    • [104]収益源は金融収支と空売りの品貸料へ移った(2014年3月にプレミアム空売りサービスを開始)
  • 週刊東洋経済 2020年6月13日号「スペシャルインタビュー 松井証券 社長 松井道夫「社長業30年の自負は古いものを捨てたことだ」」
    • [105]ネット取引開始時の手数料は30ベーシス(自由化前115ベーシスの約4分の1)で、2006年ごろSBI証券が3〜4ベーシスまで下げた
    • [106]2020年時点で松井証券の取引の約60%が手数料ゼロだった
  • 松井証券 有価証券報告書【沿革】
    • [94]2013年1月に信用取引の規制緩和にあわせデイトレード限定の「一日信用取引」を導入した
  • 松井証券 決算説明会要旨 2013年4月25日
    • [95]一日信用取引は手数料・金利・貸株料が原則無料で、当日中に決済する取引に限定される
    • [96]手数料を無料にする代わりに、売買の回転による金融収支と空売りの品貸料で収益を得る設計だった
    • [97]2013年3月期は7期ぶりの増収増益で営業収益208億円・経常利益102億円
  • 松井証券 決算説明会要旨 2014年4月28日
    • [98]2014年3月期は売買代金39.5兆円(3.1倍)、営業収益399億円(1.9倍)、経常利益272億円(2.7倍)
    • [99]市場シェアは8.4%から11.1%へ、信用取引シェアは8%台から16%へ上昇し、2014年2月に信用取引で楽天証券を上回った
    • [104]収益源は金融収支と空売りの品貸料へ移った(2014年3月にプレミアム空売りサービスを開始)
  • 松井証券 決算説明会要旨 2016年4月28日
    • [100]手数料無料の一日信用取引の比率上昇により株式等委託手数料は伸びなかった
    • [101]手数料無料の商品に取引が集まったため株式委託手数料は増えなかった
    • [102]2016年3月期は売買代金が6%増えたが、手数料無料の一日信用比率上昇で株式等委託手数料は横ばいだった(受入手数料全体は3%増の217億円)
  • 松井証券 決算説明会要旨 2017年4月28日
    • [103]2017年3月期は一日信用取引の比率が51%から57%へ上昇し、営業収益は277億円へ減少した
  • 週刊東洋経済 2020年6月13日号「スペシャルインタビュー 松井証券 社長 松井道夫「社長業30年の自負は古いものを捨てたことだ」」
    • [105]ネット取引開始時の手数料は30ベーシス(自由化前115ベーシスの約4分の1)で、2006年ごろSBI証券が3〜4ベーシスまで下げた
    • [106]2020年時点で松井証券の取引の約60%が手数料ゼロだった

ブローカレッジの外へ、そして創業家以外の社長へ

株式の売買仲介だけに絞る方針は、2016年から緩んだ[107]。同年11月に投資信託の取扱いを始め、あわせてポートフォリオ提案サービス「投信工房」を自社開発した[108]。対面証券のファンドラップに対抗する位置づけだったが、翌2017年の決算説明会では「なかなか高齢者層にリーチできていない」(決算説明会要旨 2017/4/28)[109]と述べ、投信残高は十数億円にとどまると答えた[110]。2017年5月には外国為替証拠金取引を全額カバーするブローキング型から自社で持高を管理するトレーディング型へ切り替える[111]方針を示した。2019年12月には投資信託の販売手数料を完全に無料化した[112]

  • 松井証券 有価証券報告書【沿革】
    • [107]2016年11月の投資信託取扱い開始により、株式売買仲介への限定方針が変わった
    • [108]2016年11月に投資信託の取扱いを開始し、ポートフォリオ提案サービス「投信工房」の提供を始めた
    • [112]2019年12月に投資信託の販売手数料を完全無料化した
  • 松井証券 決算説明会要旨 2017年4月28日
    • [109]松井証券による説明(投信工房が高齢者層に届いていないこと)
    • [110]2017年時点の投信残高は十数億円程度にとどまっていた
    • [111]2017年5月半ばよりFXをブローキング・モデルからトレーディング・モデルへ変更する方針を示した

2020年6月、松井道夫氏が社長を退き、専務の和里田聰氏が就いた[113]松井道夫氏の就任から数えて25年ぶりの社長交代[114]にあたる。松井道夫氏は代表権のない顧問となり[115]、取締役にも残らなかった。発行済株式の58%を持つ立場[116]でありながら会長職を選ばなかった理由を、会社の代表者は一人で十分であり二頭政治は百害あって一利なしと説明した。30年を振り返っては「私の30年間は失敗だらけだった」(週刊東洋経済 2020/6/13)[117]と述べ、一貫していたのは古いものを捨てたことだと語った。インターネット取引の導入については、米国のEトレードを真似ただけで大したことではない[118]とも認めた。

  • 日本経済新聞 2020年3月25日「松井証券社長に和里田聡氏」
    • [113]2020年6月に松井道夫氏が社長を退任し、専務の和里田聰氏が代表取締役社長に就任した
    • [115]松井道夫氏は代表権のない顧問となり、取締役にも残らなかった
  • 松井証券 有価証券報告書【役員の状況】
    • [114]松井道夫氏の社長在任は1995年6月から2020年6月までの25年間だった
  • 週刊東洋経済 2020年6月13日号「スペシャルインタビュー 松井証券 社長 松井道夫「社長業30年の自負は古いものを捨てたことだ」」
    • [116]松井道夫氏は発行済株式の58%を保有していた
    • [117]松井証券社長の松井道夫氏による発言(社長在任30年の総括)
    • [118]松井道夫氏はインターネット取引の導入を「米国のEトレードのマネ」であり大したことではないと述べた

交代後の松井証券は、自社の位置づけの見直しから着手した[119]。2021年3月にスマートフォンアプリを刷新し、若い世代から使いにくいという声が上がっていた[120]ことを認めた。2022年2月に米国株式サービスを始めたが、他社は10年以上前から扱っており[121]後追いにあたる。同年12月にはロゴとウェブサイトを刷新し、対面証券という印象を持たれていた点[122]を挙げてブランドを組み替えた。2023年10月には銀行サービス「MATSUI Bank」を始めた[123]。2026年3月期の営業収益は527億円[124]となり、2006年3月期の571億円に次ぐ水準まで戻した。経常利益は238億円[125]で、2014年3月期の272億円には届かなかった。

  • 松井証券 決算説明会要旨 2023年1月27日
    • [119]アプリ刷新とブランド刷新により自社の位置づけを見直した
    • [121]2022年2月に米国株式サービスを開始したが、他社は10年以上前から提供していた
    • [122]2022年12月にコーポレートブランドとロゴを刷新し、ウェブサイトを全面リニューアルした
  • 松井証券 決算説明会要旨 2021年1月29日
    • [120]松井証券による説明(スマートフォンアプリを改修してこなかった結果)
  • 松井証券 有価証券報告書【沿革】
    • [123]2023年10月に銀行サービス「MATSUI Bank」を開始した
  • 松井証券 有価証券報告書 第110期【主要な経営指標等の推移】
    • [124]2026年3月期の営業収益527億円は2006年3月期の571億円に次ぐ水準(経常利益238億円は2014年3月期の272億円を下回る)
    • [125]2026年3月期の経常利益は238億円で、過去最高は2014年3月期の272億円
  • 松井証券 有価証券報告書【沿革】
    • [107]2016年11月の投資信託取扱い開始により、株式売買仲介への限定方針が変わった
    • [108]2016年11月に投資信託の取扱いを開始し、ポートフォリオ提案サービス「投信工房」の提供を始めた
    • [112]2019年12月に投資信託の販売手数料を完全無料化した
    • [123]2023年10月に銀行サービス「MATSUI Bank」を開始した
  • 松井証券 決算説明会要旨 2017年4月28日
    • [109]松井証券による説明(投信工房が高齢者層に届いていないこと)
    • [110]2017年時点の投信残高は十数億円程度にとどまっていた
    • [111]2017年5月半ばよりFXをブローキング・モデルからトレーディング・モデルへ変更する方針を示した
  • 日本経済新聞 2020年3月25日「松井証券社長に和里田聡氏」
    • [113]2020年6月に松井道夫氏が社長を退任し、専務の和里田聰氏が代表取締役社長に就任した
    • [115]松井道夫氏は代表権のない顧問となり、取締役にも残らなかった
  • 松井証券 有価証券報告書【役員の状況】
    • [114]松井道夫氏の社長在任は1995年6月から2020年6月までの25年間だった
  • 週刊東洋経済 2020年6月13日号「スペシャルインタビュー 松井証券 社長 松井道夫「社長業30年の自負は古いものを捨てたことだ」」
    • [116]松井道夫氏は発行済株式の58%を保有していた
    • [117]松井証券社長の松井道夫氏による発言(社長在任30年の総括)
    • [118]松井道夫氏はインターネット取引の導入を「米国のEトレードのマネ」であり大したことではないと述べた
  • 松井証券 決算説明会要旨 2023年1月27日
    • [119]アプリ刷新とブランド刷新により自社の位置づけを見直した
    • [121]2022年2月に米国株式サービスを開始したが、他社は10年以上前から提供していた
    • [122]2022年12月にコーポレートブランドとロゴを刷新し、ウェブサイトを全面リニューアルした
  • 松井証券 決算説明会要旨 2021年1月29日
    • [120]松井証券による説明(スマートフォンアプリを改修してこなかった結果)
  • 松井証券 有価証券報告書 第110期【主要な経営指標等の推移】
    • [124]2026年3月期の営業収益527億円は2006年3月期の571億円に次ぐ水準(経常利益238億円は2014年3月期の272億円を下回る)
    • [125]2026年3月期の経常利益は238億円で、過去最高は2014年3月期の272億円

松井証券の沿革1918〜2023年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
松井房吉商店を創業★★★
東京株式取引所の一般会員に加入
松井商店を設立★★
松井證券に商号変更
証券業の登録
東京証券取引所の正会員に加入★★
松井道夫松井道夫氏が社長に就任★★
松井道夫外交営業の否定と広告・電話営業への転換、株式保護預り手数料の無料化対面で売るか、広告で集めて薦めないか——業界横並びの手数料慣行に最初に手をつけた6年間 詳細を読む★★★
松井道夫店頭登録株式の委託手数料を半額化★★
松井道夫国内初の本格的インターネット取引「ネットストック」を開始★★★
松井道夫国内初のインターネット信用取引を開始★★
松井道夫日経平均株価指数オプション取引の買建を取扱開始
松井道夫定額制手数料「ボックスレート」の導入と、当初案7割引から9割引への変更7割引で局地戦を戦うか、9割引で全面戦に出るか——顧客1通の電子メールが書き換えた手数料表 詳細を読む★★★
松井道夫松井証券に商号変更
松井道夫外国為替証拠金取引(FX)サービスを開始★★
松井道夫東京証券取引所市場第一部に上場
松井道夫第1回ポーター賞を受賞
松井道夫無期限信用取引を開始★★
松井道夫本社を東京都千代田区麹町に移転
松井道夫取引ツール「ネットストック・ハイスピード」を導入
松井道夫スマートフォン向け投資情報アプリ「株touch」を導入
松井道夫デイトレード限定「一日信用取引」の導入と、委託手数料に依存しない収益構造への移行同じ手数料無料化がなぜ2006年には撤回され2013年には効いたのか——デイトレーダーをめぐる争奪 詳細を読む★★★
松井道夫一日信用取引の「プレミアム空売りサービス」を開始
松井道夫デイトレード限定の「一日先物取引」を導入
松井道夫投資信託の取扱いとポートフォリオ提案「投信工房」を開始★★
松井道夫投資信託の販売手数料を完全無料化★★
和里田聰「投信毎月現金還元サービス」を開始
和里田聰和里田聰氏が社長に就任★★★
和里田聰「短期信用取引」とクロス注文のオンライン受付を開始
和里田聰投資情報メディア「マネーサテライト」を開設
和里田聰スマートフォンアプリ「松井証券 株アプリ」を導入
和里田聰監査等委員会設置会社へ移行
和里田聰米国株式サービスを開始★★
和里田聰投資情報ツール「マーケットラボ」を導入
和里田聰コーポレートブランドとロゴを刷新
和里田聰FX自動売買機能の提供を開始
和里田聰銀行サービス「MATSUI Bank」を開始★★
和里田聰米国株式の信用取引を提供開始
出典・参考
  • 松井証券 有価証券報告書【沿革】
  • 週刊東洋経済 2001年8月4日号「[企業レポート]1部上場松井証券 老舗の弱小証券会社が大手を凌駕しえた理由」
  • 日経ビジネス 1995年6月12日号「松井証券 推奨販売なしの営業戦略 個人取り込み、黒字確保」
  • 日経ビジネス 1996年8月5日号「松井道夫氏[松井証券社長]型破りの営業でタブー揺るがす 根底に流れる“権威”への反抗心」
  • 週刊東洋経済 2020年6月13日号「スペシャルインタビュー 松井証券 社長 松井道夫「社長業30年の自負は古いものを捨てたことだ」」
  • 日経ビジネス 1999年9月13日号「ひと 競争力は野村を凌ぐ「兜町の素人」10月1日、手数料9割引きで大勝負」
  • 松井証券 有価証券報告書【役員の状況】
  • 週刊東洋経済 1997年2月22日号「[ザ・トーク]松井証券・松井道夫社長/松岡功・日本映画製作者連盟会長」
  • 日経ビジネス 2003年10月6日号「松井証券 業界常識を破り2カ月で400億」
  • 日経ビジネス 1999年12月20日号「“e組織”で大企業を撃破 松井証券、アスクルが極めた勝利の方程式」
  • 日経ビジネス 2004年10月4日号「松井道夫氏[松井証券社長]怒りを力に喧嘩を糧に」
  • 松井証券 決算説明会要旨 2005年5月10日
  • 週刊東洋経済 2005年6月4日号「[ビジネスリポート]「先駆者」松井証券の深まる孤立 “松井革命”第2幕 絶好調の中の「死角」」
  • 週刊東洋経済 2007年7月21日号「ネット証券フロントランナー 市場のニーズ読み違えた“革命児”松井証券の焦燥」
  • 松井証券 有価証券報告書 第90期〜第96期【主要な経営指標等の推移】
  • 松井証券 決算説明会要旨 2012年4月26日
  • 松井証券 決算説明会要旨 2013年4月25日
  • 松井証券 決算説明会要旨 2014年4月28日
  • 松井証券 決算説明会要旨 2016年4月28日
  • 松井証券 決算説明会要旨 2017年4月28日
  • 日本経済新聞 2020年3月25日「松井証券社長に和里田聡氏」
  • 松井証券 決算説明会要旨 2023年1月27日
  • 松井証券 決算説明会要旨 2021年1月29日
  • 松井証券 有価証券報告書 第110期【主要な経営指標等の推移】

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